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プレーオフ制
勝負事は強い方が勝つ。であるからこそ人は研鑽を積んで勝負に臨む。もし「強いか弱いかなんて勝負とまったく関係ない」というゲームがあるとしたら、当然プレーヤーは練習しないし、そんなの見る側としてもあんまり面白くないだろう。例えば「ジャンケン」とか「ロシアン・ルーレット」なんかそうなのかも知れない(知らないけど)が。

しかし一方、「強い方が必ず勝つ」のもそれはそれで、例えば「重量挙げ」なんかそうなのかも知れない(知らないけど)が、あんまり面白くない。思いもよらぬ結果が出て呆然とする、という可能性が皆無なら、そもそも勝負なんて(本番なんて)しなくていいじゃないか。要するに勝負事には、「順当」と「理不尽」の両方が必要なわけだ。




順当と理不尽はどっちが大事なんだろうか。




と、いうギモンはもちろん単純過ぎるんだけど、敢えて考えると個人的には、どうしても【理不尽】と答えたくなる。だってさー、ギャンブル性が高い方が人は燃えるもんでしょ。将棋漫画より麻雀漫画の方が圧倒的に多いのはそのへんの理由じゃなかろうか(知らないけど)。重量挙げよりロシアン・ルーレットの方が見せ物としては面白いんじゃないか、どう考えても。

サッカーなんか、かなり理不尽寄りの遊びだ。ロースコアの試合が多い。圧倒的に攻め続けてたのに1-0で負ける、なんてことがごく普通に起き、まったく理不尽としか言いようがない。例えばゴールマウスをもっと大きくすれば、1試合当たりの平均得点は上がるだろう。そうすれば「ボール支配率」と「得点」の比例関係が強まり、たぶんもっと「順当な」遊びになると思われる。何故そうしないのか。ギャンブル性が高い方が燃えるからだ。

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プレーオフ前に「例えば勝率五割を切ったチームはダメ、とかいう具合に、プレーオフ参加資格をキツくすべきだ、いう声がありますが」という質問を受けたボビー・ヴァレンタインはこう答えた。「なんで? 勝率五割を切ったチームが優勝する例はメジャーでは普通にあるよ。勝率五割を切っても優勝の可能性があるなんて、素晴しいじゃないか。盛り上がるし」。

対して落合博満はプレーオフに反対する。「大反対です。何のためのペナントレースなのか」「もし(勝率が)5割に満たない西武が日本シリーズに出ていたらどうなっていたか。この制度自体、認められないよ」「シーズンの重みが薄れる」「100試合以上やって数試合で運命が決まるのはおかしい」。

理不尽もまた楽しいじゃないか、というのがボビーの意見で、理不尽さは減らすべきだ、というのがうちのボスの主張だ。もちろんどっちが正しいとかいうもんじゃないけど、私の意見では、ボビーの方がカッコイイ。

▼見物人の論理>その試合に懸かっているものの重さ

落合博満は予言めいた発言がアカギに似てる、とよく思うけど、しかし発想のコンポンは確率なのよね。「当然勝ったり負けたりするけど、シーズン通してみれば強い方が勝つって」みたいな感じで、じつに反アカギ的だ。もちろん勝手にマンガと重ねるこっちの見方の方がオカシイんだけど。
by nobiox | 2005-10-22 05:04 | ├野球 |
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