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【ネタバレ】ユージュアル・サスペクツって、何がそんなに面白いの?
後記:この記事は、「あの素晴らしさがわかんないのか可哀想なヤツめ、しょうがないから教えてやるけどなあ、」みたいなコメントが多数寄せられることを期待して書いたんですが、意外にも「そうそう。オレもそんな面白いと思わんかったわ」的なコメントばかりいただく結果となり、なんと言っていいのか、なんと言うかもう何だかすみません。後記終わり。

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人は人それぞれ、映画やマンガや音楽について「好み」を持つ。食べ物や飲み物についても。あるいは、異性についても。あるいは性別無関係に、人に対しても。自分の場合、好みというのはだいたい4分類できる。

1)最高。マジリスペクト
2)好き
3)タイプじゃない
4)不快。積極的に嫌い

日本のミュージシャンでいうと例えばゆらゆら帝国は1。aiko、Perfume、岡村ちゃん、ゲス極は2。GReeeeN、ゆず、エグザイル、あゆ、倖田、さだ、長渕、まあだいたいの「J-POP」は3。だいたいの演歌や歌謡曲も3。2と3の境界はかなり曖昧。4は該当なし。食べ物でいうとブロッコリーは1。この世の大抵の食べ物は2。甘い煮物は3。甘い天津飯も3。パクチーは4。チキンマックナゲットも4。いや、あくまでも私の好みの話ですよ。「チキンマックナゲット最高」という人に喧嘩を売る気はまったくありません。ああ、あなたはそうなんですか、私はこうです、というだけ。

で、以上は「わかる(ような気がする)」領域の話だ。それ以外に私には「わからない」ものが膨大にあり、それは「謎」と呼ぶしかない。

1)最高。マジリスペクト
2)好き
3)タイプじゃない
4)不快。積極的に嫌い
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X)謎

音楽でいうと、クラシックとジャズのほとんどは、ざんねんながら僕にはよくわからない。コルトレーンやハービー・ハンコックやキース・ジャレットの格好良さ、とか、ブルックナーの交響曲の雄大さと叙情、とか言われても、わかる人にはわかるらしい、と憧れを抱くばかり。謎だ。

「タイプじゃない」と「謎」は何が違うかというと、魅力を理解できるかどうかの違いです。「友達はみんなテニス部のキャプテンの妻夫木先輩に夢中だけど、たしかに爽やかでイケメンでオシャレでお金持ちでスポーツ万能でギターと歌がうまくて成績は常に学年トップで、モテるのはよくわかるけど、私もぜんぜん嫌いではないけど、好き嫌いで言ったら好きだけど、別にタイプじゃないわ」的なこと、誰しもあるはずだ。あるでしょう。「佐々木希は美形だとは思うけど、そそられない」だとか。

「タイプじゃない」ってのは、「(とりあえずは)見切ってる」ということだ。もちろん「とりあえずは」ですよ。人間は複雑な生き物で、人生は予測不能だ。のちのちの展開次第で、「別にタイプじゃないと思ってた妻夫木先輩と、まさかこんなことになるなんて」みたいな話も、ままあるだろう。あるかもしれないが(先のことはわからないが)、とりあえず今は、見切っているつもり。それがすなわち「タイプじゃない」ってことです。

「謎」はそれとは違う。そもそも何が魅力であそこまでモテてるのか、それがよくわからない。逆に言うと、わかれば大好きになるのかも知れない。だから、わかってみたい。興味がある。

僕にとって「謎」の映画はたくさんある。例えば『フィッツカラルド』、例えば『エル・トポ』。どちらも30年前に映画館で一度観たきりだが、まるっきり謎だった。わかりたくてDVDで何度も観た映画も多い。『2001年宇宙の旅』『シャイニング』『七人の侍』『ファイト・クラブ』『スター・ウォーズ』、そして『ユージュアル・サスペクツ』。

『ユージュアル・サスペクツ』は少なくとも4回は観た。面白くないとは思わない。面白い。好き嫌いで言ったら好き。しかしなんでそこまで絶賛されるのか、ピンとこない。

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この記事は「ユージュアル・サスペクツを絶賛しとるヤツはアホ」というようなことが言いたくて書くのではない。逆です。絶賛してる人の気持ちをわかってみたい、と心から思ってますので、親切なあなた、どう面白かったか、コメント欄で熱く語ってみてください。繰り返しますが、それを論破したくて書くのではなく、それをなるほどと思いたいのです。

個人的にこの映画の素晴らしいと思うポイントは、「男たちが小さな声でしゃべる」ところです。
こんなに小さな声でしゃべる英語は、あまり聞いたことない。
















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警告:以下の文章を、映画「ユージュアル・サスペクツ」未見の人が読むことを禁じます。
1行目からモロにネタバレしてます。

































































絶対にお勧めできないのは、
「未見の人が、この記事を読んでからこの映画を見る」
ことです。そんなことしたら私と同じ感想になる公算が高い。それはものすごくもったいないことです。絶対にやめてください。そんなことしても誰も得しません。そんなことするなら一生見ない方がマシ。

映画は、楽しんだ人の勝ちで、楽しめなかった人は負け組です。
未見の人はまず、このページを閉じ、映画を見て、楽しんでください。








































いいか、警告はしたぞ。まだ遅くない。このページを閉じろ。




























































































































全体として「なんと、全部ヴァーバルの即興の作り話でしたー」という映画なわけだが、全部とは言っても、もちろん本当に全部ではなく、ヴァーバルの話には現実との繋留点がいくつもある。例えば「サンペドロ港で貨物船が爆発炎上、大勢が死に、近くでヴァーバルが発見された」のも、その6週間前にNYで5人の前科者が拘束され、「面通し」で一同に会したのも、(作品世界内では)事実だろう。5人のうち、キートンの拘束にはデビッド捜査官が先頭に立っている。キートンの取り調べもデビッド捜査官が主導したと考えるのが自然で、だとしたら取り調べでのキートンの発言は事実だ(キートンがしゃべった内容が事実、という意味ではなく、キートンがそのようにしゃべったことは事実、という意味)。というか取り調べで何を言ったかは警察に記録がある(逆にヴァーバルは自分以外の取り調べは見てない。あそこは事件回想シーンのうちで唯一、ヴァーバル視点でない場面だ)ので、まあ5人とも、あのようにしゃべったことは事実だろう。

タクシーサービス襲撃事件も、ディテールはどこまで本当なのかわからないが、事件そのものは実在したに違いない。でなければ「NYにそんな事件の記録はない」と、デビッド捜査官がどやしつけたハズだから。ということは、ロサンゼルスで宝石商とそのボディガードを殺害したという話もたぶん本当だろう。でなければ「ロスにそんな事件の記録はない」と、デビッド捜査官がどやしつけたハズだから。また、炎上した貨物船の生き残り(全身火傷)がカイザー・ソゼという名の悪魔を目撃したと語り、ひどく怖れているのも事実だ。ラストには運転手としてコバヤシが登場する。コバヤシという名前はマグカップの裏から取ったでっち上げだが、「コバヤシに相当する誰か」は実在したということだ。

こうしてみると、デビッド捜査官に対するヴァーバルの証言は「全部作り話」どころか、むしろ「固有名詞以外はだいたい本当」ということになり、「全部ヴァーバルの作り話でしたーっ」というこの映画の鮮やかなキモが、ずいぶん色褪せて感じられる。ヴァーバルが、固有名詞を仮名で語るべき必然性は何なのか。「コバヤシ」以外は全部実名でしゃべっても、べつに支障なかったのではないか。

「全部ヴァーバルの作り話だった」と察した瞬間のデビッド捜査官の驚愕は理解できるが、よくよく考えてみれば「固有名詞をすり替えただけで内容はだいたい事実」なのである。よく考えると、大したことじゃない。また、「全部ヴァーバルの作り話だった」と察した瞬間に「げっ、じゃあヴァーバルこそがカイザー・ソゼかっ」となるのも感覚的にはわかる(というか、映画の作りがそういう感覚を誘導している)けれども、よく考えると「全部ヴァーバルの作り話だった」からと言って「ヴァーバルこそがカイザー・ソゼ」とはぜんぜんならない。

いやお前さっきから「よく考えると」連発してるけど、考えるなよ、ドントシンク、フィール!!! と言われそうだが、「緻密な伏線、驚愕のラスト!」とかさんざん聞かされてから観て拍子抜けした者は、よく考えながら見返し、思い返してはよく考えてしまうんだよしょうがないじゃん。

◆◆

5人の容疑者は警察が捜査によって選んだわけではなく、カイザー・ソゼ御指名の5人だった、とヴァーバルは証言する。仮にその通りだとしよう。ソゼの目的は何か。6週間後、アルゼンチンの貨物船がサンペドロ港に入る。そこにはこの世でただひとり「ソゼの人相を知る生き証人」、アルトゥーロ・マルケスが乗っている。ソゼの最優先事項は、この密告屋マルケスを消すことだ。そして第二の目的は、過去にオレ様に損害を与えやがったチンピラ4人を粛正することだ。

ソゼが、「アカギ」における鷲巣、「嘘喰い」におけるお屋形様のような、闇社会に君臨する巨大強力武装組織のボスだと仮定しよう。その場合、何故、「密告屋マルケスの殺害」と「チンピラ4人の粛正」をわざわざ絡めるのかが理解できない。チンピラ4人の粛正なんてどうでもいいじゃん。あるいは、いつでもいいじゃん。連中は自分がソゼに損害を与えたこと自体知らないんだし。で、マルケスの殺害の方は、自らの抱える兵隊組織に命じれば電話一本で済むことじゃないのか。6週間も前から回りくどいプロセスを経るべき理由は何もない。ボス自身がわざわざその回りくどいプロセスの危険な現場を踏むべき理由も、ない。

ではソゼは「組織のボス」ではなく、「常人離れした戦闘力と肝っ玉と洞察力と狡猾さを備えた一匹狼」なのか。だから、密告屋マルケスを殺害するためには急造チームを組む必要があり、それで4人を選んだのか。しかしその場合、何故、そんな一匹狼のカオナシが裏から手を回して警察組織を意のままに操れるのか、どうもうまくイメージできない。

「舐めんなよ、オレはこの辺じゃあちったあ知られた顔なんだよ」みたいな台詞がよくあるように、社会における影響力を担保するのは多くの場合「顔」だ。例えば孫正義は常人の域を超えたチカラを持っているだろうが、一夜にして全身整形して全くの別人の容姿になったら、そのチカラを失うだろう。なんらかの手段で、自分が孫正義だということを証明するまでは。しかしカイザー・ソゼの顔は「コバヤシ」と「全身火傷」と「密告屋マルケス」以外、誰も知らない。顔を知られていない組織も持たない一匹狼の悪党が、裏から手を回して警察組織を意のままに操れるのか。脚本に無理があるんではなかろうか。

サンペドロ警察のジェフリー・レイビン刑事はこう言っている。「ヴァーバルの罪状認否を取るところだった地方検事が、ヤツの弁護士と話した後で急に態度を変え、司法取引に応じてしまった。昨夜は市長自らがお出まし、今朝は知事から電話」。一匹狼ではなく暗黒組織のラスボスとでも考えないと、こういうことは説明できないのではないか(というかどうして刑事たちはこの時点でヴァーバルが謎のチカラを持った大物だと気付かないの? オレですら気付いたのに)。

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ソゼが「組織のボス」だとしても「一匹狼」だとしてもピンと来ない。では、ソゼには警察組織を意のままに操るようなチカラは実はなく、5人の容疑者は警察が捜査によってたまたま選んだのだ、と考えてみよう。この場合ソゼは単に巻き込まれたわけで、そもそも「目的」なんてものも存在せず、たまたまタクシーサービス襲撃計画を持ちかけられてたまたまそれに乗り、その換金のためにたまたまロスへ飛び、以下たまたまの連鎖の果てにたまたまこの世でただひとり「ソゼの人相を知る生き証人」、アルトゥーロ・マルケスにぶち当たった、というなんともご都合主義過ぎるお話になる。なんにせよ、「カイザー・ソゼ、すっげー」というカタルシスを求める欲望は満たされない。

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ソゼは、自分の人相を知る生き証人を消すことにこだわった。これは、ソゼのチカラを以ってしても、人相というのはそう簡単に変えられるものではない、ということを示している。彼の価値観では、武装集団に護られた男を急襲して殺して舟ごと燃やす方が、整形するよりも楽なのだ。

ところが。

一連の出来事を通じてソゼは「この世でただひとりソゼの人相を知る生き証人」を消したが、その代償として、あろうことか、人相を全米の捜査機関に知られた。似顔絵だけでなく、写真も、指紋もだ。当局はもともと、詐欺師「ロジャー・“ヴァーバル"・キント」の顔写真やら指紋やらの情報を持っていたわけで、今後はそれがイコール「カイザー・ソゼ」の人相だと、データベースに記録される(んじゃないかなー。まあ、カイザー・ソゼに確定した前科も何もないわけだが)。かなり間抜けな話だ。つまり、どう転んでもどんな仮定を置いても「カイザー・ソゼ、すっげー」とはならない。残念だ。まあそこそこ面白いとは思うが。

(ところで「炎上した貨物船の生き残りがカイザー・ソゼという名の悪魔を目撃したと語りひどく怖れている。彼の証言でソゼの似顔絵が作成された」という設定も、おかしくないですか。「我が名はカイザー・ソゼーッッッッ」と叫びながら暴れたとでもいうのか。それに正面からまじまじ見ない限り似顔絵なんて作成できない。近距離で正面から目撃された上に名前を知られた相手に、そんなに用心深い男がとどめを刺さないだなんて、ずいぶん不自然な話だ)

そして、フッ、消えた.... 『ユージュアル・サスペクツ』 - カイザー・ソゼの謎 -

前書きにクドクドと書いたことをもう一度繰り返しますが、「だから駄作だ」「失敗作だ」と主張してるのではありません。逆。「私にはこう思えるんだけど、名作だそうなので、どこがそんなに人々を感心させてるのか知りたい」という話です。






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◉後記(「コメント数13」の時点での感想)(うち3つは私ですが):
この映画については「何度も見れば見るほど素晴らしさに気付く」という評が多くて、それも私の戸惑いの原因となってきました。個人的には「何度も見れば見るほど事件の全体像はショボイし、ソゼもショボイ」と思ってしまう。だって例えば「セブン」も「羊たちの沈黙」も、事件自体が派手怖カッチョイイし、ジョン・ドゥもレクター博士もチョー怖いじゃないですか。怖いというのは雰囲気だけじゃなくて、具体的に圧倒的なエピソードが描かれるじゃないですか。看守の顔面を食いちぎるだとか。

だけどカイザー・ソゼの凄みというのはヴァーバルが昔話で語るだけだし、その昔話の内容も「まあとにかくもう容赦ない」ってだけで、とりわけぶっ飛んでる訳でもないし、とにかく、うひゃカイザー・ソゼおっかねー、となる描写はどこにもない。事件全体は何度も見れば見るほど「カイザー・ソゼ、ちょっと間抜け」「刑事はもっと間抜け」な感じに見えてくる。

この映画を「ヴァーバルっていうケチな詐欺師がいるんだけど、ヴァーバルはじつは世を欺くための仮の姿で、本当はカイザー・ソゼっていう超大物の大悪党なわけ。清掃のおじさんだと思ってたらじつはジャニー喜多川っていう芸能界のドンでした、みたいな。で、そのカイザー・ソゼが、自分にとって危険な生き証人が乗ってる船を襲撃して殺す話だよ」と、いうふうに、わかりやすく説明したら、ほら、全然面白くも何ともないでしょう。そこが「セブン」や「羊たちの沈黙」と決定的に違う。

が、いただいたコメントを何度も読み返すうちに、「そこが、そここそがこの作品の凄みなのかな」と思うようになりました。

わかりやすく説明したら面白くも何ともない話を、語る順番を工夫して切り貼りして、膨大なディテールに膨大な隠れた意味を持たせるだけでここまで意味有りげに面白く緊張感持って見せることができる、という、その点こそがこの映画の素晴らしさなのかな、と。その点では「現金に体を張れ」の上位互換というか進化型というか。「運命じゃない人」や「その土曜日7時58分」や「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」の、先祖のひとつというか。そう考えるとたしかにそんな気もしてきます。コメントをお寄せいただいたみなさん、ありがとうございます。言うまでもなく、引き続き、熱いコメント募集中です。
by nobiox | 2013-09-22 22:58 | ├映画 |
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