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鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
鏡はなぜ左右を反転し、上下を反転しないのか。

◉たまに「鏡が左右逆、ってのが子供の頃から理解できない」という人がいるけど、それはそれで正しい。
鏡は左右も上下も反転しない。鏡が反転するのは、奥行きだ。

「は? そんなことないよ。鏡は実際に左右を反転させ、上下を反転しないよ、という方もおられるようなので、ここは念のため書く。
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Aを鏡に映して見たらBのように見えたとする。なるほどたしかにBはAの左右反転像だ。しかしBは、「Aが鏡に映ったところ」ではない。「Cが鏡に映ったところ」だ(CはAをウラ返して鏡に向けたところ。かすかに文字が透けて見えている)。BとCは上下も左右も一致しており、反転しているのは奥行きのみだ。

Cをこっち向きにひっくり返す方法は無限にあるが、180度刻みで言えば2通りある。ひとつはA、ひとつはD。DとBを見比べると、左右が一致していて上下は反転している。AとDは「Cをひっくり返した図」として、幾何学的には同等の権利を持つはずだが、直感的には「Aのようにひっくり返すのが自然で、Dは不自然」に思える。こう書いてる僕ですら、そういう気分は少しある。AとDは同等の権利を持つ、と言われても、なんかもやもやする。それは何故か、というのが、この記事のテーマです。

繰り返す。鏡は左右も上下も反転しない。鏡が反転するのは、奥行きだ。

◉だが、ここで「人は何故、奥行き反転立体を左右反転立体だと錯覚するのか?」と考えるのは間違い。奥行き反転立体と左右反転立体と上下反転立体は、幾何学的に等しい。だから別に、錯覚でも勘違いでもない。ある立体を「左右反転させた鏡像」と「上下反転させた鏡像」と「前後反転させた鏡像」は、作ってみればどれもみな同じ鏡像であって、区別することはできない。上の図の4枚の色紙のアルファベットを消し、段ボール箱に放り込んで目をつぶってぐちゃぐちゃに掻き回して取り出したら、Bだけは異質だが、AとCとDを区別することはできない。それと同じ。AとCとDはBの鏡像であり、相互に同一だ。
吉村浩一氏の著者を田幡氏が要約したものを nobio が孫要約)

 非対称な物体を1軸について逆向きにした構造のものを,もとの物体の対掌体と呼ぶ.実物と鏡像は互いに対掌体の関係にある.

 対掌体を作るための「1軸」は,上下・前後・左右・その他,任意の方向でよい.このことは次のようにして経験的に得心できる.右手を鏡の前に差し出して,どのような向きに回しても,その鏡像はつねに左手の形になる.このとき,逆になる軸は,鏡についていえば,鏡面に垂直な方向として一定しているが,右手についていえば,中指に沿う線であったり,手の甲の中心から掌の中心へ突き抜ける線であったり,親指のつけ根と小指のつけ根を結ぶ線であったり,さまざまである.つまり,右手をどの線に沿って逆向きにしても,左手という対掌体の形になるのである.
つまり、ある立体に対して、その鏡像というものは1種類しかない。このことは「ある立体」がサイコロであろうが盆栽であろうがコロッケであろうが、とにかく任意の立体について成り立つ。つまり鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。鏡に関して謎があるとすれば、何故鏡像は左右反転像と認識されやすく、上下や前後の反転像とは認識しにくいのか、だ。これは光学の問題でも幾何学の問題でもなく、心理の問題である。わかんないけど、たぶん。

◉鏡像を奥行き反転像だと理解しにくい大きな理由として、ご覧の通り、並べて見比べると、もはや奥行きは反転していないということがある。今日初めて気付いた。むしろどうして今日まで気付かなかったのか不思議だ。
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鏡像イメージとオリジナルイメージは必ず平行に向かい合ってるわけで(いや違うか? 鏡の上に載っけたものを斜めから見る場合なんかはどう考えればいいんだろうか。まあとりあえず平行に向き合ってる場合に限って言えば)、並べて見比べるにはどうしても引っくり返す必要がある。ひっくり返し方は無限にある(90度刻みで言えば4通りある)が、どうひっくり返したところで奥行きだけは必ず反転し、反転×反転の結果として奥行きだけは必ず一致してしまう。この図で、右のモンローを左のモンローの奥行き反転像だと認識できないのは当たり前だ。奥行きは一致してるんだから。

多くの画像処理ソフトに「verticalに反転」「 horizontalに反転」というコマンドがあるので、持ってる人はやってみてください。ある図形を垂直軸反転させたものと水平軸反転させたものは、向きが違うだけで中身は同じ図形だ。「 奥行き方向に反転」というコマンドは、普通は存在しない。グラフィックソフトにおいて画像を奥行き方向に反転したら、裏返って見えなくなってしまう。その見えなくなった画像をトランプをめくるようにこっち向きにひっくり返したら、「もはや奥行きは反転していない」という、そういうことです。

◉鏡像を上下反転像だと理解しにくい大きな理由として、普通の人は逆立ち(または海老反り)では振り向かない、ということがある。

この世界は水平回転族の支配下にあり、人の他にもじつに多くのものが、振り向くためにはデフォルトで水平回転を採用している。ウマ。自動車。船。アヒル。カブトムシ。ネコ。中山律子。マイケル・ジャクソン。回転椅子に座った上司、先輩、後輩、OL、医者、弁護士、コンサルタント。冷蔵庫もテレビもテーブルも、「向きを変える」と言えば普通は水平回転を指す。「向こう側に回り込むには普通は水平方向に回り込むもの」も多い。富士山とかビルとか壁とか。「全体を見渡すには水平回転した方がいいもの」もたくさんある。室内とか。また、本、名刺、チラシ、年賀状などは、普通はウラとオモテで上下を一致させ、そうでないものは基本的に「間違い」と認識される。要するにヒトも、山も、建物も、雑誌も、上下の一致を優先し、左右は成り行きで構わないという仕様で動いている。垂直回転族は「鉄棒で大車輪やってる選手」「上海雑技団」「砂時計」などに限られ、圧倒的に少数派である。そもそも「立体を(回転ではなく)反転する」というコンセプト自体が理解しづらいんだけど、そういうわけで上下反転は最も理解しづらい。

こう言った方がいいかも知れない。「奥行き反転像は左右反転像とイコールである」ことは比較的納得しやすいが、「奥行き反転像は上下反転像とイコールである」ということは、かなり理解しづらい。
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◉上下反転を理解しにくいもうひとつの小さな理由は、回転とも反転とも無関係に、人は何かを見比べるとき、上下の向きをそろえて左右に並べるのを好むからではないか。上下反転画像はそもそも理解しづらいんだが、上下に並べればそれなりにわかりやすい。これも今日気がついた。だが我々には、比較するなら左右に並べる、という根強い習性があり、その機会を阻む。

◉たぶんほとんどの人にとって、上下反転よりは前後反転の方がイメージしやすく、左右反転はさらにイメージしやすい。人の身体が上下にはかなり非対称、前後には少し対称、左右にはかなり対称形であることが、その大きな理由だと思う。

鏡はなぜ左右を反転し、上下を反転しないのか。これについては誰もが一度は「人間が左右対称だから」とか「目はふたつ左右に並んでるから」とか「重力があるから」というようなことを考える。僕は長いことそれらを見当外れだと思ってきたけれど、いまあらためて考えるとそれらはどれも「なぜ左右反転がいちばんイメージしやすいのか」「なぜ人は逆立ちして振り向くという発想に馴染みがないか」「なぜ人は何かを見比べるとき、上下をそろえて左右に並べるのを好むのか」「なぜ人は回転について垂直軸を想定しがちか」などを考える上で、間違いなく重要な要素ではないか。見当外れだと思ってたこっちがバカだった。すみませんでした。

◉以上はどれも、理由だとは主張するが、最大の理由かどうかはもちろんわからない。今日に至る30年間にわたって、僕は「そんなことより鏡と無関係の大々々前提として、そもそも左右という概念は上下と前後に依存してるんだよ。定義上、奥行きが逆転しても上下は変わらないけど、奥行きが逆転すると左右は逆になる。それが本質的な理由。心理の問題とかじゃなく、定義の問題」だと考えていた。もしかするとそれが正しいのかも知れない。しかし定義の問題だったら心理は無関係、と言えるものなのかどうか今となっては自信がない、というか、多少なりとも心理の問題だということはもはや確信しており、だとしたら、どれが最も本質的な理由か、とかどうでもいいだろう。心理なんてひとりひとり違うんだから。

◉見比べるとき、どう置きどう並べると、ヒトはいちばん納得しやすいか。ヒトは反転図形を見ると、オリジナルと見比べて何が一致し何が違うかを探す。「左右が反転してる」「上下が反転してる」「前後が反転してる」。幾何学的にはどの解釈も正しいが、心理的には「左右が反転してる」がいちばん飲み込みやすい。何故なら、左右については、前後と上下を決めてから考えるから。これは定義上の必然のような気もするし、上下回転に馴染みがないせいのような気もするし、比較するなら左右に並べる、という根強い習性が理由のような気もするし、人間が左右対称だからのような気さえしてくるしで、僕にはよくわからない。

◉後記:BIFF さんのコメントのおかげでいろいろ考えさせられました。湖に映った鏡富士を見ると、誰でも直感的にそれが上下反転像だと認識し、誰も左右反転像だとは解釈しない。それを考えると「上下反転を認識しにくいのは人間の仕様」という理論は間違いのような気がして来た。後記終わり。





◆◆

「ねえお父さん、鏡に写ったものって、左右が逆になるでしょ」
「うん」
「どうして上下は逆にならないの?」
「あのなヒロシ、逆かどうかは、何と比べて逆かを言わないと意味ねえんだよ。何と何を比べるの? 鏡に写ってる野郎と自分を比べるの? どういう向きで比べるの? 鏡に写ってる野郎と自分を見比べるには、鏡に写ってる野郎と自分を、同じ向きに並べなきゃなんねえよな。自分を鏡に写ってる野郎と並べるにはどうすんの? 振り向かなきゃなんないでしょ? な?」
「うん」
「振り向き方にもさ、いろいろあんだよ」
「例えば?」
「逆立ちして顔をこっち向けるとか。そうすっと鏡に写ってる野郎と、左右はそのまんまで、上下が逆じゃん」
「えーっ、そんなの変だよ」
「変だと思うだろ。だからなかなかそういうふうには考えらんないんだよ。スターウォーズVでルークが言うじゃん、『信じられない』って。そしたらヨーダが言うじゃん、『That is why you fail』って。『だからできねーんだよ』って。あれとおんなじだよ。Why not ECC だよ」
「えーっ」
鏡が左右を反転し上下を反転しない理由_c0070938_1932925.png
「ほら、これ見てみろ。Cはむちゃくちゃ見慣れないでしょ?」
「うーん………この、Cってどういう絵なの?」
「Aがヒロシ。Bが鏡に写ってる野郎。な?」
「え? あぁー。ふーん」
「Aは今はBと並んでるけどさ、鏡見てる間は、ヒロシはBと向き合ってたんだよ」
「うん」
「だからこっちからは、ヒロシの背中しか見えてなかったの」
「うん」
「鏡と向き合ってるヒロシをMとしよっか」
「なんでM?」
「ん? むきあうのM。で、Mが振り向いたのがA」
「うん」
「Mが逆立ちで振り向いたのがC」
「はーっ? マジ?」
鏡が左右を反転し上下を反転しない理由_c0070938_19323842.png
「おう、マジだよ。AがヒロシだけどMもヒロシだし、Cもヒロシなんだよ。
 ヨコじゃわかりにくいけど、タテに並べりゃすぐわかるよ。ほら」
「まあっ、ほんと! 左右は一致してて上下だけ逆だわ! タテに並べて見るとクッキリわかるわ!!!」
「って美味しんぼかよっ。
ほんとは……いや、ほんとはって言うか、向き合ってた時はさ、前後が逆だったんだよ。だけどAと比べたら、左右が逆だろ。Cと比べたら上下が逆。何と比べるかでいろいろあんだよ」
「ふーん」



◆◆
この記事は「鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : メカAG」に触発されて書きました。なのでリンク先の人には感謝しています。ただ、議論のレベルは率直に言って、僕なんかと大差ないようにお見受けします。
その後 BIFF さんから、多幡達夫さんという方の「鏡の中の左利き」へというページを教えていただきました。明らかに僕より何十倍だかレベルが上なので、興味ある方にはおすすめします。


◉しつこく続きを書きました。続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳

by nobiox | 2013-03-13 00:06 | ├自分用メモ |
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