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会田誠『カレー事件』前篇
会田誠著『カリコリせんとや生まれけむ』は、「カレー事件」というエッセーで始まる。

 今、新潟に帰省している。
 すでにかなり高齢といえる父が、半年ほど前にアルツハイマーと糖尿病の症状が一気に出てきてしまい、急激に衰え始めた。父がそうなった直後に、かなりパニクった母から連絡があり、一人で1泊だけ、慌ただしく帰省したことはあった。しかしそれ以降は大きな展覧会の準備に追われ、なかなか時間が取れなかった。ようやくその展覧会も終わり、今回は妻子を連れて数泊の帰省となった。
文章うまいですね。初期の会田誠の傑作に「あぜ道」という絵があるが、あれは、新潟の風景だったんだねえ。この「父」は元・大学教授。「母」は埋系の大卒で化粧っ気のない短髪でウーマンリブのシンパで元・中学教師。

両親共々左寄りのインテリリベラルと聞くと、それだけで「うらやましい」と本気で思ってしまうところが僕にはある。しかし会田誠には、そういった左翼幻想がほんの一片もない。父については
「愚かな目本国も人類もこのままでは滅びるだけだ」といった趣旨の、発言(ほとんど独り言)は相変わらずだったが、ニュアンスは「怒り」から「諦め」にトーンダウンしつつあった。冷酷な息子である僕は、三流インテリだった頃の定番めいた社会的愚痴と、自らの肉体の滅亡という認識が、脳の中で混濁を始めたんじゃないかと疑っているのだが。
と冷たく書き、母については
母が教育的に叱責する時の言い回しや発音の調子は、どこかおかしい。これは僕が子供の時からそうだった。語尾が不自然な男言葉になりがちで、声の調子も野太くなるのだが、どこか演技じみて、板についていない。例えば『奇跡の人』のサリバン先生のような「理想的で厳格な教育者」を、演じようとして演じきれない大根役者のような感じがするのだ。昔は母としての、現在は祖母としての、慈愛を奥に含んだ自然な威厳というものが、そこにはまるでない。(中略)こういうのが「母の崩壊」「母性の喪失」というやつなのだろうか。戦後民主主義がスタートした時代に女学生だった母は、世代的にど真ん中だった気がする。
と、さらに冷たい。会田誠の姉は、実家から歩いて行ける距離に往んでいるが、
姉は思春期の頃から母に反発心があり、特に自分も二児の母になってからは、さらにはっきりと「アンチ母」の意思表示をするようになったらしい(らしい、と書くのは、僕と姉の関係も良好なわけではなく、お互いにお互いのことに無関心な冷めた関係で、姉から直接聞いたわけでぱないからだ)。
という感じ。

全体としては「インテリ左派の両親に育てられた僕には、人間的に欠損がある。姉も同じ。僕みたいな欠陥人間に育てられている僕の息子寅次郎も、同じ」という、救いのない話だ。誰か映画化してくれないだろうか。監督は本谷有希子を希望する。(後篇に続く)
by nobiox | 2010-07-24 22:40 | ├読書日記 |
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