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iPhoneユーザーの恍惚と不安(なのかなんなのか)
知らない人はまったく知らないであろう、「iPhoneやめました」事件についての記録。

あるIT雑誌(?) の女性編集長が、iPhone を1年くらい使ってみて、結局普通の携帯に戻したそうだ。会社でそう言ったらみんながみんな「えっ? iPhone やめた? なんで?」と素っ頓狂な声を出すので、こりゃおもしろいネタなのかもと思って、やめた理由をメルマガに書いたんだそうだ。「iPhoneやめました」というタイトルで。その記事は話題になり、その後 ITmedia のサイトに載り、大きな反響を呼んだ。もちろん「やめたい人の自由じゃね?」みたいな反響も多かったが、反感も多かった。その反感というのが、なんだか、凄い。

一番おかしいなと思ったところが
「“iPhoneがなければ致命的なシーン”は一度もなかった」って所でしょうかね
個人的に言わせてもらえば
“iPhoneがなければ致命的なシーン”は一度もなかった。という事が致命的。
って事でしょうかね。
どうやって仕事してるんだろう?
奴隷さんなのかな?だったらガラケーでも十分やっていけるよね。

iPhoneがなくても困らないヤツは「奴隷さん」なんだそうだ。スゲー。わけがわからない。もっとも、僕はiPhone 持ってないんだからわからなくて当たり前だが。他にも、「iPhoneやめました」で検索するとわんさか出てくる。

衝撃的なタイトル
「iPhoneやめました」であっさりやめれる人なんて、そもそも iPhoneを何も使いこなしてない人なんですよ。その持ち歩いてるPCだってろくなもんじゃないでしょう。そして「iPhoneやめました」と公に表明する時点で知れてる人間性です
「iPhoneやめました」と同時に「人間やめた方がいい」と思う。目立つことだけ考えている能なしだよ。
無理矢理こじつけているように感じました。私が、iPhone利用者だからかもしれませんが。もっと素直に、「残念だけど使ってゆく自信がなく止めました」にしてほしかったです。
この人はiPhoneを理解していない
自身のケータイの使い方が全てだと勘違いしている

彼女はべつに「iPhoneなんてクソだ、みんなそろそろ目を覚ませ」とか書いたわけではない。私はやめました、理由はこれこれ、と、いささかの皮肉っぽさも交えず、淡々と控えめに書いただけだ。それでこの反響か。いや、もちろん「いささかの皮肉っぽさも交えず」というのは僕の主観に過ぎない。複数の iPhone ユーザーが、こう書いている。

このタイトルからは皮肉たっぷりな感じがどうしてもするので、反感買うのは致し方ない
あの書き方は、私もイラっとしました。立つ鳥跡を濁さず! やめたければ勝手にやめればいい!

こういった反響を見て、はじめは、iPhoneユーザーが持っているらしい宗教的な、怖ろしいほどの優越感と忠誠心に驚いたのだが、しかし、そう単純な話ではないのかも知れない。なぜ iPhoneユーザーは「iPhoneやめました」と聞くと、「どうしても皮肉たっぷりな感じ」と感じ、反感を抱くのか。

例えば「禁煙やめました」だったらどうか。「禁煙やめました」という記事は、禁煙に成功した者たちの神経を逆撫でし、反感を買うだろうか。そんなことはあり得ない。家族や恋人なら別だが、どこかの見知らぬ誰かが「禁煙やめました。これからは再びスパスパ吸います」「禁煙しなくても致命的なシーンは一度もなかった」と述べたところで、禁煙に成功した者の反応は、「あっそう」「どうぞスパスパ吸ってくれ」くらいのものだろう。何がどう転んでも「反感」の発生する余地はないし、「衝撃的なタイトル」と受け取る人もいないはずだ。それを考えると、やめましたと聞いて反感を覚えるのは、自信の強さと同時に、自信のなさの現れなのかも知れない、と思えてくる。よくわからんけど。

この記事↓も勉強になりました。
ケータイと共に育ってきた女子大生がiPhoneに思うこと
by nobiox | 2010-06-04 16:58 | ├Mac OS X |
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