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ネットプリント(と文書プリント)の基礎知識(さらば imagio)
セブンイレブンのネットプリントについて、今日学んだこと。

◉事業主体は富士ゼロックス。
◉ユーザー登録は無料。アップロードも無料。プリントするには、まずサイトに飛んでアップロード。終わると8桁の予約番号が表示されるのでそれをメモ。セブンイレブンに行ってレーザーコピー機の「net print」ボタンを押し、画面に従って予約番号を入力するとダウンロードが始まる。用紙サイズ、カラー出力かモノクロか、などを選択後、コインを投入してプリント。領収書もその場で出るので、レジに行く必要がない。
◉「注意制限事項」として「ブラウザは Internet Explorer 6.0 SP2以降が必須」とか「MacOSのアプリケーションには非対応」とか書いてあるけど、Mac OS X 10.7.5 + Safari で何も問題なく使える。
◉対応フォーマットは PDF、JPG、PNG、TIFF と、Office(ただし Mac版Office には非対応、と書いてあるけど試してない)。テキストファイル(.txt)は直接プリントできないので、PDFか何かにする必要がある。
◉1ファイル当たり最大99ページまでプリント可能。
◉1ファイルあたりサイズ上限 2MB/ただしJPEGは4MB。
◉稀に、登録制限サイズ内のファイルであってもプリント時の "メモリーオーバー" 現象が起きる。この場合は無理。他のセブンイレブン行っても無理。USBメモリに入れて下記「文書プリント」を。PDFのうち、グラデーションや飾り文字を多用、あるいは履歴書などのようにケイを多用している場合に起きやすい。
◉ファイルの有効期限はアップロードから7日後の23:59まで。
◉1ユーザーあたりすべてのファイルを合わせて 10MB まで(以前は3MBだったらしい)。
◉「フォント埋め込みしてないPDF書類は、平成角ゴシックw5、平成角ゴシックw5p、平成明朝w3、平成明朝w3pのどれかに置換されます」と書いてある。そして InDesign CS4 の「PDF 書き出しプリセット→最小ファイルサイズ」の説明には「この設定ではフォントは埋め込みません」と書いてある。しかし実際に「最小ファイルサイズ」で書き出した PDF をプリントしてみたら、そのまんまのフォントでプリントできた。
今日初めて知ったんだけど、 InDesign CS4 で「最小ファイルサイズ」で書き出した PDF ファイルを Adobe Acrobat Pro で開き、「ファイル→プロパティ...→フォント」を見ると、「(埋め込みサブセット)」としてフォントが表示されている。どうやらこれは、フォントが埋め込まれているということらしい。
◉基本的に365日24時間使えるけど、月一でメンテンンスがある。だいたい「20日前後の木曜日の深夜、午前1時から6時まで」が多いみたい。

◉今日現在の料金:モノクロは B5からA3まで1枚20円。カラーはB5-B4 が60円、A3が100円。
ちなみに kinko's の今日現在の料金は B5、A4、B4、A3 ともモノクロ1枚11.55円、カラーはB5、A4、B4 が54.6円、A3が109.2円。ただしそれとは別に「店頭PCレンタル料金」がかかる。PCレンタル料金は20分までなら262.5円、以降は10分毎に210円。
計算すると(あくまで今日現在の話)、モノクロは31枚を超えるとkinko'sの方が安くなる。B5からB4のカラーなら49枚を越えると(20分以内で終わることを条件として)kinko'sの方が安い。A3カラーは何枚だろうが net print の方が安い。

◉180日間ログインがないユーザー ID は削除される。僕の場合これがいちばん心配だけど、まあいいか。プリント品質には満足。コンビニのコピー機なんてまともにメンテナンスされてない、と長いこと思い込んでいたが、そんなのも昔の話なのかも知れない。これでもうRICOH imagio neo 220 は解約するぞ。これまでたぶん10年以上だと思うけど、これまでほんとうにありがとう imagio。お世話になりました。

文書プリント


意外な長文になった。そして例によって意外な長文を書き上げた後で、これまでの記述がすべてどうでもよくなってしまうかも知れない、新たな事実を知った。セブンイレブンのコピー機には「ネットプリント」というボタンと並んで、「文書プリント」というボタンがある。押してみたら、どうやらネット経由ではなく、 kinko's みたいにメディア持参でその場でコピーできるサ−ビスらしい。 kinko's とは違い、書類書き込みもパソコンレンタルも不要で。

使えるメディアは CD、DVD、USBメモリー、SDカード、microカード、ミニSD、携帯の赤外線 IrDA など。対応フォーマットは PDF(Ver. 1.3~1.7) 、JPEG、TIFF。料金はモノクロであればサイズに関わらず1枚10円。カラーはB4まで1枚50円、A3なら80円。マジ? そんならそっちの方がさらにいいじゃん。10MB なんていう制限もないみたいだし。
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by nobiox | 2013-03-24 19:20 | ├DTP |
『吉本隆明 自著を語る』
『吉本隆明 自著を語る』という本が2007年にロッキングオン社から発売されており、
これは対談、あるいはインタビュー本であり、聞き手は渋谷陽一だという話を、今日知った。
高校の同級生から。
マジかー。ぜんぜん知らなかった。

『音楽機械論』という本の著者は、吉本隆明+坂本龍一とクレジットされている。
『悪人正機』の表紙には「吉本隆明」と「糸井重里」が同格でデカデカと表記されている。
坂本龍一とか糸井重里という名前は、旧世代のカリスマ吉本隆明を宣伝するのに、使えるのだ。
そう、出版社は判断した。

もし『吉本隆明 自著を語る』が新潮社とかどっかから出てたなら、吉本隆明+渋谷陽一という線で売ってたはずだ。だが、自分が創業したロッキングオン社から出す渋谷陽一は、そういうことするのが恥ずかしいと思い、避けたんだろう。ああ、惜しい。そういうことを、するべきだった。まだ読んでないけど、読みますよ僕は。僕は麻原彰晃についての吉本隆明のコメントにほとほと呆れて耄碌ジジイを見限った、と思ったことがあるんだけど、それはそれ、これはこれだ。
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by nobiox | 2013-03-23 20:45 | ├読書日記 |
続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
この記事は鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳の続きです。




◆◆

鏡(この記事で言う鏡はすべて平面鏡のこと)は、「鏡面に対して垂直な方向に反転した立体」を見せる。例外はない。

ところで物体を1軸について反転した立体を、元の物体の対掌体と呼ぶ。右手のひらと左手のひらみたいな関係、という意味だ。この「1軸」は、上下でも前後でも左右でも、その他のもっと微妙な方向でも何でもいい。どの方向に反転しようと同一の立体ができる。で、元の物体と鏡像は互いに対掌体の関係にある。つまりこの意味では、鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。
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「鏡面に対して垂直な方向」が、元の物体にとって上下なのか左右なのか前後なのか、それは元の物体を人がどう認識してるかにもよるし、元の物体と鏡面の位置関係にもよる。例えば湖面に映る鏡富士を見れば、誰もが一目で上下反転像と認識する。それは富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡の上に立って足元を見下ろす場合も同じ。
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鏡の前に立ち、自分を見て、あら!?? 左右が逆の私がいるわ!!! 不思議だわっ!!! 私が右手を上げると左手を上げるわっ!!!! なんてことを思う人はいない。例えば左の頬にほくろがある人であっても、通常は、あら? 右の頬にほくろがある私だわ!!! なんて思わないはずだ。単に、自分が映ってる、と認識するだろう。鏡の中の自分は前後が反転しているのだが、それも普通は意識しない。

その状態で鏡を指差してみる。その指先を鏡に近づけて行くと、お、鏡面に対して垂直な方向に反転してるぞ、と実感できる。これは逆さ富士と同じことだが、ただしこの場合、とうぜん上下反転とは認識しない。強いて言うなら「前後」だろう。「指差す手」の代わりに人形を、足のウラを鏡に向けて近づけて行くと、「鏡面に対して垂直な方向、すなわち人形の上下が反転してる」ように見える。胡椒瓶でも同じ。この辺は人間側の解釈の問題というしかない。

以上はすべて当たり前のことであって、特に謎めいたところはない。

鏡の何が不思議なのか


それでも、鏡による反転が認知に不協和をもたらすケースというのは確かにある(逆に言うと、認知に不協和がもたらされない限り、どっち方向に反転してるとか逆になってるとか、普通は意識しない)。

例えば、鏡に映るとえらく顔の印象が変わる人がいる。ふだんは気付かないが、たまたまトイレで一緒になったときにふと鏡に映った友人なり同僚なりの顔を見て、「んんんんん????」と、まるで別人に見えることに驚く。お前、鏡に映るとえらく印象変わるなー、と言うと、おう、小学生の頃からよく言われるよ、オレにとっては見慣れた自分の顔だから、そう言われてもわかんないけどね、とか言う。そう言った友人が、これまでに2人いました。

あとはもちろん、文字とか時計が映っているとき。あれは不思議だ。どうして文字の鏡像は常に左右を反転した文字に見え、上下を反転した文字には見えないのだろうか。どうして時計の鏡像は常に左右を反転した時計に見え、上下を反転した時計には見えないのだろうか。一般的にどうかは知らないが僕にとっては、これが鏡像問題の核心だった。

答えは「それが左右の定義だから」。例えば電車のどっちが左でどっちが右かを考えてみればいい。どっちが前かを決めないと左右は決められないことがわかるだろう。前後を決めないと左右は決められないということは、つまり前後が反転すれば左右が入れ替わるということだ。一方で、上下は変わらない。少なくとも20年間にわたり、僕にとってはこれが満足すべきファイナルアンサーだった。

しかしこの回答は、逆さ富士を説明できない。

逆さ富士問題


そういうわけでこの記事は「逆さ富士の場合はどうして上下が逆に見えるのか」についての記事なんだけど、その答えはもう上の方に書いてあった。富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡富士は、「どうして前後反転した像は左右を反転したように見え、上下を反転したようには見えないのか」という問題とぜんぜん関係ない。何故なら(富士山の)前後は反転してないから。

そういうわけでこの記事は不要になったけど、大量のコメントがあるので残しておきます。
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by nobiox | 2013-03-20 17:56 | ├自分用メモ |
じゅうはんしゅったい、なんて初耳だ。
17日発売の週刊少年ジャンプ2013年16号で、「重版出来」に「じゅうはんでき」のルビが振られていたことがきっかけとなって、「重版出来」の読み方、慣例が一部で話題になった。

「重版出来」は「じゅうはんしゅったい」が本来の読み方。
な、なんだってー!!!?ぜんぜん知らんかった。
デキだろ、あれ。
今回、週刊少年ジャンプの「クロス・マネジ」(KAITO)の冒頭で、「JC『クロス・マネジ』①巻、重版出来ッ!!」の文字に「でき」のルビが振られたことは、読者の間でも誤読ではないかと指摘されていた。

だが、一方で書店員のアカウントなどからは(「しゅったい」が正しいのは承知の上で)、取次や版元の書店営業の人間など含め、現場では「でき」と読む人がほとんどという報告もあり、「重版でき」は「正しくはないものの、現場レベルでは使われる読み」であるようだ。

ただし、編集関係者となるとやはり「でき」は誤読として眉をひそめられるケースが多いようで、「しゅったい」が当たり前という反応が目に付いた。ただし、月刊!スピリッツで「重版出来!」という作品を連載中の松田奈緒子氏によると、「白泉社さんは「でき」」と読ませているそうで、版元によっても文化が異なっているようだ。

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by nobiox | 2013-03-20 12:56 |
鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
鏡はなぜ左右を反転し、上下を反転しないのか。

◉たまに「鏡が左右逆、ってのが子供の頃から理解できない」という人がいるけど、それはそれで正しい。
鏡は左右も上下も反転しない。鏡が反転するのは、奥行きだ。

「は? そんなことないよ。鏡は実際に左右を反転させ、上下を反転しないよ、という方もおられるようなので、ここは念のため書く。
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Aを鏡に映して見たらBのように見えたとする。なるほどたしかにBはAの左右反転像だ。しかしBは、「Aが鏡に映ったところ」ではない。「Cが鏡に映ったところ」だ(CはAをウラ返して鏡に向けたところ。かすかに文字が透けて見えている)。BとCは上下も左右も一致しており、反転しているのは奥行きのみだ。

Cをこっち向きにひっくり返す方法は無限にあるが、180度刻みで言えば2通りある。ひとつはA、ひとつはD。DとBを見比べると、左右が一致していて上下は反転している。AとDは「Cをひっくり返した図」として、幾何学的には同等の権利を持つはずだが、直感的には「Aのようにひっくり返すのが自然で、Dは不自然」に思える。こう書いてる僕ですら、そういう気分は少しある。AとDは同等の権利を持つ、と言われても、なんかもやもやする。それは何故か、というのが、この記事のテーマです。

繰り返す。鏡は左右も上下も反転しない。鏡が反転するのは、奥行きだ。

◉だが、ここで「人は何故、奥行き反転立体を左右反転立体だと錯覚するのか?」と考えるのは間違い。奥行き反転立体と左右反転立体と上下反転立体は、幾何学的に等しい。だから別に、錯覚でも勘違いでもない。ある立体を「左右反転させた鏡像」と「上下反転させた鏡像」と「前後反転させた鏡像」は、作ってみればどれもみな同じ鏡像であって、区別することはできない。上の図の4枚の色紙のアルファベットを消し、段ボール箱に放り込んで目をつぶってぐちゃぐちゃに掻き回して取り出したら、Bだけは異質だが、AとCとDを区別することはできない。それと同じ。AとCとDはBの鏡像であり、相互に同一だ。
吉村浩一氏の著者を田幡氏が要約したものを nobio が孫要約)

 非対称な物体を1軸について逆向きにした構造のものを,もとの物体の対掌体と呼ぶ.実物と鏡像は互いに対掌体の関係にある.

 対掌体を作るための「1軸」は,上下・前後・左右・その他,任意の方向でよい.このことは次のようにして経験的に得心できる.右手を鏡の前に差し出して,どのような向きに回しても,その鏡像はつねに左手の形になる.このとき,逆になる軸は,鏡についていえば,鏡面に垂直な方向として一定しているが,右手についていえば,中指に沿う線であったり,手の甲の中心から掌の中心へ突き抜ける線であったり,親指のつけ根と小指のつけ根を結ぶ線であったり,さまざまである.つまり,右手をどの線に沿って逆向きにしても,左手という対掌体の形になるのである.
つまり、ある立体に対して、その鏡像というものは1種類しかない。このことは「ある立体」がサイコロであろうが盆栽であろうがコロッケであろうが、とにかく任意の立体について成り立つ。つまり鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。鏡に関して謎があるとすれば、何故鏡像は左右反転像と認識されやすく、上下や前後の反転像とは認識しにくいのか、だ。これは光学の問題でも幾何学の問題でもなく、心理の問題である。わかんないけど、たぶん。

◉鏡像を奥行き反転像だと理解しにくい大きな理由として、ご覧の通り、並べて見比べると、もはや奥行きは反転していないということがある。今日初めて気付いた。むしろどうして今日まで気付かなかったのか不思議だ。
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鏡像イメージとオリジナルイメージは必ず平行に向かい合ってるわけで(いや違うか? 鏡の上に載っけたものを斜めから見る場合なんかはどう考えればいいんだろうか。まあとりあえず平行に向き合ってる場合に限って言えば)、並べて見比べるにはどうしても引っくり返す必要がある。ひっくり返し方は無限にある(90度刻みで言えば4通りある)が、どうひっくり返したところで奥行きだけは必ず反転し、反転×反転の結果として奥行きだけは必ず一致してしまう。この図で、右のモンローを左のモンローの奥行き反転像だと認識できないのは当たり前だ。奥行きは一致してるんだから。

多くの画像処理ソフトに「verticalに反転」「 horizontalに反転」というコマンドがあるので、持ってる人はやってみてください。ある図形を垂直軸反転させたものと水平軸反転させたものは、向きが違うだけで中身は同じ図形だ。「 奥行き方向に反転」というコマンドは、普通は存在しない。グラフィックソフトにおいて画像を奥行き方向に反転したら、裏返って見えなくなってしまう。その見えなくなった画像をトランプをめくるようにこっち向きにひっくり返したら、「もはや奥行きは反転していない」という、そういうことです。

◉鏡像を上下反転像だと理解しにくい大きな理由として、普通の人は逆立ち(または海老反り)では振り向かない、ということがある。

この世界は水平回転族の支配下にあり、人の他にもじつに多くのものが、振り向くためにはデフォルトで水平回転を採用している。ウマ。自動車。船。アヒル。カブトムシ。ネコ。中山律子。マイケル・ジャクソン。回転椅子に座った上司、先輩、後輩、OL、医者、弁護士、コンサルタント。冷蔵庫もテレビもテーブルも、「向きを変える」と言えば普通は水平回転を指す。「向こう側に回り込むには普通は水平方向に回り込むもの」も多い。富士山とかビルとか壁とか。「全体を見渡すには水平回転した方がいいもの」もたくさんある。室内とか。また、本、名刺、チラシ、年賀状などは、普通はウラとオモテで上下を一致させ、そうでないものは基本的に「間違い」と認識される。要するにヒトも、山も、建物も、雑誌も、上下の一致を優先し、左右は成り行きで構わないという仕様で動いている。垂直回転族は「鉄棒で大車輪やってる選手」「上海雑技団」「砂時計」などに限られ、圧倒的に少数派である。そもそも「立体を(回転ではなく)反転する」というコンセプト自体が理解しづらいんだけど、そういうわけで上下反転は最も理解しづらい。

こう言った方がいいかも知れない。「奥行き反転像は左右反転像とイコールである」ことは比較的納得しやすいが、「奥行き反転像は上下反転像とイコールである」ということは、かなり理解しづらい。
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◉上下反転を理解しにくいもうひとつの小さな理由は、回転とも反転とも無関係に、人は何かを見比べるとき、上下の向きをそろえて左右に並べるのを好むからではないか。上下反転画像はそもそも理解しづらいんだが、上下に並べればそれなりにわかりやすい。これも今日気がついた。だが我々には、比較するなら左右に並べる、という根強い習性があり、その機会を阻む。

◉たぶんほとんどの人にとって、上下反転よりは前後反転の方がイメージしやすく、左右反転はさらにイメージしやすい。人の身体が上下にはかなり非対称、前後には少し対称、左右にはかなり対称形であることが、その大きな理由だと思う。

鏡はなぜ左右を反転し、上下を反転しないのか。これについては誰もが一度は「人間が左右対称だから」とか「目はふたつ左右に並んでるから」とか「重力があるから」というようなことを考える。僕は長いことそれらを見当外れだと思ってきたけれど、いまあらためて考えるとそれらはどれも「なぜ左右反転がいちばんイメージしやすいのか」「なぜ人は逆立ちして振り向くという発想に馴染みがないか」「なぜ人は何かを見比べるとき、上下をそろえて左右に並べるのを好むのか」「なぜ人は回転について垂直軸を想定しがちか」などを考える上で、間違いなく重要な要素ではないか。見当外れだと思ってたこっちがバカだった。すみませんでした。

◉以上はどれも、理由だとは主張するが、最大の理由かどうかはもちろんわからない。今日に至る30年間にわたって、僕は「そんなことより鏡と無関係の大々々前提として、そもそも左右という概念は上下と前後に依存してるんだよ。定義上、奥行きが逆転しても上下は変わらないけど、奥行きが逆転すると左右は逆になる。それが本質的な理由。心理の問題とかじゃなく、定義の問題」だと考えていた。もしかするとそれが正しいのかも知れない。しかし定義の問題だったら心理は無関係、と言えるものなのかどうか今となっては自信がない、というか、多少なりとも心理の問題だということはもはや確信しており、だとしたら、どれが最も本質的な理由か、とかどうでもいいだろう。心理なんてひとりひとり違うんだから。

◉見比べるとき、どう置きどう並べると、ヒトはいちばん納得しやすいか。ヒトは反転図形を見ると、オリジナルと見比べて何が一致し何が違うかを探す。「左右が反転してる」「上下が反転してる」「前後が反転してる」。幾何学的にはどの解釈も正しいが、心理的には「左右が反転してる」がいちばん飲み込みやすい。何故なら、左右については、前後と上下を決めてから考えるから。これは定義上の必然のような気もするし、上下回転に馴染みがないせいのような気もするし、比較するなら左右に並べる、という根強い習性が理由のような気もするし、人間が左右対称だからのような気さえしてくるしで、僕にはよくわからない。

◉後記:BIFF さんのコメントのおかげでいろいろ考えさせられました。湖に映った鏡富士を見ると、誰でも直感的にそれが上下反転像だと認識し、誰も左右反転像だとは解釈しない。それを考えると「上下反転を認識しにくいのは人間の仕様」という理論は間違いのような気がして来た。後記終わり。





◆◆

「ねえお父さん、鏡に写ったものって、左右が逆になるでしょ」
「うん」
「どうして上下は逆にならないの?」
「あのなヒロシ、逆かどうかは、何と比べて逆かを言わないと意味ねえんだよ。何と何を比べるの? 鏡に写ってる野郎と自分を比べるの? どういう向きで比べるの? 鏡に写ってる野郎と自分を見比べるには、鏡に写ってる野郎と自分を、同じ向きに並べなきゃなんねえよな。自分を鏡に写ってる野郎と並べるにはどうすんの? 振り向かなきゃなんないでしょ? な?」
「うん」
「振り向き方にもさ、いろいろあんだよ」
「例えば?」
「逆立ちして顔をこっち向けるとか。そうすっと鏡に写ってる野郎と、左右はそのまんまで、上下が逆じゃん」
「えーっ、そんなの変だよ」
「変だと思うだろ。だからなかなかそういうふうには考えらんないんだよ。スターウォーズVでルークが言うじゃん、『信じられない』って。そしたらヨーダが言うじゃん、『That is why you fail』って。『だからできねーんだよ』って。あれとおんなじだよ。Why not ECC だよ」
「えーっ」
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「ほら、これ見てみろ。Cはむちゃくちゃ見慣れないでしょ?」
「うーん………この、Cってどういう絵なの?」
「Aがヒロシ。Bが鏡に写ってる野郎。な?」
「え? あぁー。ふーん」
「Aは今はBと並んでるけどさ、鏡見てる間は、ヒロシはBと向き合ってたんだよ」
「うん」
「だからこっちからは、ヒロシの背中しか見えてなかったの」
「うん」
「鏡と向き合ってるヒロシをMとしよっか」
「なんでM?」
「ん? むきあうのM。で、Mが振り向いたのがA」
「うん」
「Mが逆立ちで振り向いたのがC」
「はーっ? マジ?」
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「おう、マジだよ。AがヒロシだけどMもヒロシだし、Cもヒロシなんだよ。
 ヨコじゃわかりにくいけど、タテに並べりゃすぐわかるよ。ほら」
「まあっ、ほんと! 左右は一致してて上下だけ逆だわ! タテに並べて見るとクッキリわかるわ!!!」
「って美味しんぼかよっ。
ほんとは……いや、ほんとはって言うか、向き合ってた時はさ、前後が逆だったんだよ。だけどAと比べたら、左右が逆だろ。Cと比べたら上下が逆。何と比べるかでいろいろあんだよ」
「ふーん」



◆◆
この記事は「鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : メカAG」に触発されて書きました。なのでリンク先の人には感謝しています。ただ、議論のレベルは率直に言って、僕なんかと大差ないようにお見受けします。
その後 BIFF さんから、多幡達夫さんという方の「鏡の中の左利き」へというページを教えていただきました。明らかに僕より何十倍だかレベルが上なので、興味ある方にはおすすめします。


◉しつこく続きを書きました。続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳

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by nobiox | 2013-03-13 00:06 | ├自分用メモ |
朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は
朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義はというのを読んだ。

傲慢の見本のような記事 - 新小児科医のつぶやきなどで、もう言い尽くされてると思うけど、僕も呆れたので、僕も書く。冒頭、元共同通信論説副委員長の藤田博司という人が、

大前提として、報道機関なんだから氏名を報道するのは当たり前。
 
とおっしゃっている。アホだ。実名報道の是非を論じるのに「そもそも大前提として実名報道当たり前」というのは、ヘッドスライディングが有効かどうかを論じるのに「大前提として、そもそもヘッスラなんだから遅くなるのは自明」と言うのと同じレベルじゃないか。是非を考える気が始めからない。なぜならこの人の中では結論は決まっており、変える気はないから。

元最高裁判事の宮川光治という人は

匿名で扱うのは死者の尊厳の否定。死者の叫びはどうなるのか。

とおっしゃっている。よく見かける意見だが、「氏名を報道しない」ことと「身元不明」を、たぶんわざとごっちゃにしている。アルジェリアの事件で死んだ日本人に、身元不明者はいない。つまり、誰も匿名で扱われていない。みな実名で弔われ、家族や同僚や友人に見送られたはずだ。げんに実名で扱われている以上、「実名で扱うか身元不明として匿名で扱うか」は争点ではあり得ない。実名をマスメディアで広告すべきかどうか、が争点だ。実名を広告しなかったら死者の尊厳はどうなるとか、まさに余計なお世話だ。

他には

歴史に記録を残すためにも、犠牲者の氏名は公表する必要がある。
実名は情報を検証する際の手がかりになる。
事件の全容を正確に知るためには、犠牲者の実名が不可欠。

ということだけど、対象無差別型の事件において、その全容を解明し検証し歴史に記録するのに、被害者の実名なんてどうでもいいだろ。「どうでもいい」なんて言うと「どうでもいい? そういう発言こそがまさに尊厳に対する冒涜です」とか言われるのだろうか。そういう突っ込みこそが「命の重さ」と「報道の重さ」をごっちゃにしてるだろ、ということを言ってるんだけど。命の重要さと、個人情報を報道することの重要さはぜんぜん別のものだ。当たり前じゃないか。命が重要だということにはもちろん同意するが、だから氏名を広告すべきだという主張に、どうして結びつくのか。

人が他人に対して何か、殴るとか殺すとかつきまとうとか痴漢するとか、何かをする場合、動機は一般的に、個人特定型か無差別型のどちらかである。「アイツが許せない」「コイツが憎い」「ソイツを殺せば保険金が入る」などが前者。「誰でもいいから殺したかった」「ポリスであれアーミーであれ民間人であれ目的の邪魔をするヤツは排除する」「知らない女だがムラムラした」などが後者。アルジェリアの事件は明らかに後者なわけで、「事件の全容を正確に知るためには犠牲者の実名が不可欠」なんて主張に説得力は全然ない。

ああ、「呆れた」だけだったけど、書いてるうちに本気で腹が立ってきた。事件の全容を解明し検証するために実名が役に立ちそうな事件なら、もっと他にあるだろう。僕はアルジェリアの事件の被害者の氏名に興味はないが、例えば植草一秀が冤罪かどうかを検証するために、被害者とされる女性と、逮捕した鉄道警察隊員の実名報道が不可欠だとは思っている。片山祐輔の取り調べをした(している)刑事や検察官の実名も報道すべきだと思っている。何故ならこれらの事件について、実名は情報を検証する際の手がかりになるし、全容を正確に知るためには関係者の実名が不可欠だし、歴史に記録を残すためにも関係者の氏名は公表する必要があると思うから。これらの事件について、関係者の実名は現実との極めて重要な係留点だと思うから。

どうして朝日新聞は、あるいは古舘伊知郎は、そういう重要な氏名を平然と無視し、どうでもいい(と僕には思える)氏名にこだわるのか。藤田博司さんと宮川光治さんと長谷部恭男(東京大学法学部教授)さんはそれについてどう思っていらっしゃるのか、この記事のコメント欄でコメントしていただけないでしょうか。よろしくお願いします。もちろん、古舘伊知郎さんのコメントも歓迎します。
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by nobiox | 2013-03-06 21:40 | ├自分用メモ |
あらためて「関係性」と「方向性」について考える
「熟語+性」というかたちの語には、「○○性がある」「○○性がない」と言えるものと言えないものがある。言える例は「積極性」「習慣性」など。「関係性」「方向性」は、これらとは違う。

言えない例はたとえば「生産性」「信憑性」。まあ「もうちょっと生産性のある議論をしようぜ」「お前の話には信憑性がねーよ」などと使うのもアリかも知れないが、普通は生産性や信憑性は「あるかないか」ではなく、「高いか低いか」でしょう。度合いを表す語。「精神性」なんかもこれか。「関係性」「方向性」は、これらとも違う。

「射幸性」「遮光性」「耐水性」「指向性」なんかは微妙だ。「射幸性がある」も「射幸性が高い」も、間違いとは思えない。まあともかくここまでに挙げた「○○性」はすべて、「性質、様子、度合い、傾向」だ。「音楽性」は「音楽の性質」。「人間性」は「人間のあり方」。

というわけで「関係性」はたぶん「関係のあり方」という意味じゃないかと思うんだけど、「関係」と「関係のあり方」はどう違うのかと言えば、僕にはちょっとよくわからない。

「音楽性の違いからバンドを脱退」なんかの「音楽性」は、「目指す音楽(のタイプあるいは雰囲気)」みたいな意味だろう。「方向性」も「目指す方向」という意味ではないか、と思うんだが、「方向」だって「目指す方向」という意味で使えるじゃん、と言われれば、それはその通りでございます。

結論。「関係性」とは関係のことで、「方向性」とは方向のこと。
「性」をつけた方がオシャレに聞こえるので、オシャレ好きな人が使う。
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by nobiox | 2013-03-06 20:13 | ├自分用メモ |
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