<   2010年 10月 ( 13 )   > この月の画像一覧
|
JavaScript と SSI についての自分用メモ@さくらインターネット
うちのサイトの「About」というコーナーは、左カラムにナビゲーション、というよくあるブログ風構成だが、このナビゲーション(目次)が長い。その長い目次を、いちいち各ページに書いていた。そのせいで、新規ページを作る場合の更新が面倒くさい。そんなん複数ファイルの一括置換で一発やん、と思えるときも確かにあるけど、置換の、その、何、アルゴリズム(?)を考えるのも面倒くさい。正規表現のフォーマットを保存しとけばいいやん、とも思うが、正規表現というのは自分で書いても翌日見返すともうすでに、何をやってるのかわからない。だから結局そのつどゼロから考える羽目になる。じゃあナビゲーションは素直にフレーム使えばいいやん、とも思うが、なんとなく偏見でフレームは避けている。

で、本日よりSSI を導入した。いきさつを自分用に書いておく。

其之1:JavaScript 立志篇

ある日、こういうページを見かけた。ソースを覗いてこりゃびっくり。ソースの中に左カラムの記述がない。代わりにこういうファイルを読み込むことになっている。拡張子「.js」。なんだこれ。JavaScript? 後半の「MIIHTwYJKoZIhvcNAQcEoIIHQDCCBzwCAQExggEwMIIBLA」とかいう文字列は僕には意味不明だが、それ以外はいちおう理解できる、真似してやってみた結果が、これ。意外にあっさりできた。拡張子「.js」のファイルに
function writeMenu(){
document.write("◆◇※★");
}
と書き、htmlファイルのヘッダに
<script type="text/javascript" src="honyarara.js"></script>
と書き、◆◇※★を挿入したい箇所に
<script type="text/javascript">
writeMenu();
</script>
と書く。それだけ。ただし「◆◇※★」の中に改行があると動作しない。ダブルクォーテーション「"」が含まれていても動作しない。すべてシングルクォーテーション「'」に置換すれば大丈夫。より念入りにやるにはこう↓。
<script type="text/javascript">
<!--
writeMenu();
// -->
</script>
<noscript>
JavaScriptをオンにしてください。
</noscript>

其之2:SSI 彷徨篇

できたにはできたけど、JavaScriptというのはオフにしてる人も多い。いや多くはないのか。Yahoo! の調査によると1%だそうだ。しかしなんとなくJavaScriptというものは嫌われてる気配があって、ナビゲーションのような重要なパートを任せるのは気が進まない。無意味な偏見なのかも知れないが。それに改行ナシの状態ではとてもじゃないが理解できないので、改行アリのバージョンも更新用にとっておく必要がある。そして更新したら、別名で保存して、改行を全削除。ちょっと面倒。

で、調べてるうちに SSI というものの存在を知った。Server Side Include。ただ、JavaScriptよりはるかに敷居が高そうで、ちょっと僕の脳味噌では無理っぽい、と、なんとなく思ったけど、意外なことに、できた。やったことは、ええと、

まず、「.htaccess」という名前のテキストファイルを作る。拡張子はナシ。あるいはむしろ名前全体が拡張子なのか。OS X では「.(ピリオド)」で始まるファイル名をつけることができないので、とりあえず「htaccess」としておく。内容は以下の4行。通常、SSI を利用するWEBページの拡張子は「.shtml」である必要があるが、この4行により、「.html」と「.htm」も対象となる(前者だけでよければ上の2行だけにする)。そうするとSSI 無関係なページまでいちいちチェックするため、軽微といえどもサーバーに負荷がかかるらしい。ただ、うちの場合は「about」内のほぼ全ファイルを対象にしたいわけなので、「about」に「.htaccess」をアップすれば問題なかろう(「.htaccess」は、置いたディレクトリ以下のファイルにのみ効く)。
AddType text/x-server-parsed-html .html
AddType text/x-server-parsed-html .html/
AddType text/x-server-parsed-html .htm
AddType text/x-server-parsed-html .htm/
他のサーバーではどうなのか知らないが、さくらインターネットではこれでOK。これを Cyberduck でアップロードして、アップロードしてから Cyberduck でリネームする。リネームするとCyberduck 上でも見えなくなるが、メニューバーの「表示」→「不可視ファイルを表示」で表示される。

後は・・・何すればいいんだ? パーミッションとやらをいじるのか? さくらインターネットのオンラインマニュアルには
SSIから呼び出されるプログラムについては、プログラム配布元が公開している仕様にしたがって設定してください。
設置にかかわる具体的な方法(ファイルの転送、設定項目など)や、デバッグ、プログラムの改変・改造はサポートいたしかねます。配布元または作成者にご相談ください。
プログラム中の各パラメータに関するご質問にはお答えできません。配布元または作成者にご相談ください。
SSIから各種プログラムを呼び出す際の注意事項、および制限事項は「ご利用上の注意・制限事項」に準じます。
以下はほんの一例です。詳しいパラメータや利用法に付いては、 ウェブサーバやホームページの専門書籍を参照してください。
みたいなことが書いてある。とほほのSSI入門には
SSI を置けるフォルダが決まっている、自分で .htaccess の設定を行わなければならないなどいろいろあります。詳細はプロバイダにお問い合わせください。
とある。「SSI を置く」必要があるらしい。どこに。この場合の「SSI」って何よ。テキストファイルか何かか? ああ、むずかしそうで気が遠くなる。絶望感がたまらない。



・・・とかなんとか悩んだけど、驚いたことに、やることはもう何もなかった。htmlファイルの、ナビゲーションを挿入したい場所に
「<!--#include file="honyarara.html" -->」と書く。
「honyarara.html」の方に、挿入したいナビゲーションを書く。
両者をアップロードする。それだけ。
ヘッダに何か呪文を書く必要すらない。ちょっとびっくり。拍子抜け。欠点は、ローカルで確認できないこと。
SSIとはServer Side Include(サーバ・サイド・インクルード)の略です。たいていのサーバが準拠しているNCSA httpdの持つ機能で、HTMLファイルの中に以下のような組み込みコマンドを書くことによって、ブラウザがそのファイルを要求したときにサーバがあらかじめ組み込まれたコマンドを実行する仕組みになっています。

例)
<!–#exec cmd=”/bin/ls”–>
SSIに関する詳細仕様(英語)は以下のURLを参照してください。
http://hoohoo.ncsa.uiuc.edu/docs/tutorials/includes.html

SSIを使用することにより、たとえば次のようなことができます。
HTMLで何度も繰り返して使うような、コピーライトとかをすべてのファイルに同じに表示する事が簡単になる。
ファイルの最終更新時刻やサイズを自動的に表示できるようになる。
外部コマンドの実行結果をページ中に表示できるようになる。
SSIを利用したアクセス統計、カウンターも作れる。
etc…
よくわからんけど、「たいていのサーバ」はSSI の機能を最初から持ってる、ってことなのか?
[PR]
by nobiox | 2010-10-30 16:04 | ├Mac OS X |
Leopard のテキストエディットで UTF-8
DTPについてレクチャーを請うべく、いろいろ準備して友人を訪ね、準備してきたUSBメモリを友人の Mac に挿し、準備してきたテキストファイル(クリエータは mi、通称ミミカキ)をダブルクリックすると・・・・・・開かない。もちろん、ふつうのMacに mi がインストールされていないことぐらいは僕だって知っている。が、ドックの「テキストエディット」アイコンにドラッグしても開かない。「このテキストファイルはMac OS X で作られたものではありません」だの「UTF-8 には対応してません」だののダイアログが出る。WEBサイトを作るようになって以来、僕は mi のデフォルトを UTF-8 にしているのだ。なんと、テキストエディットは UTF-8 に対応していないのか。なんだよそれ。拡張子「.txt」のプレーンテキストファイルが開けないパソコンって、いくらなんでもアホか。FUCK YOU。アップル死ね。

とりあえず、拡張子txtのファイルは Shift_JIS で保存することにしてみた。しかし。

経験を重ねるうちにいろいろわかってきた。「テキストエディットは UTF-8 に対応していない」というのは間違い。「開く」ダイアログからエンコーディングを指定すれば開ける。また、テキストエディットの環境設定で「標準テキストファイルのエンコーディング」を「開く場合」「保存する場合」それぞれ指定しておくことができる。テキストエディットの「標準テキストファイルのエンコーディング」はデフォルトでは「自動」になっている。ただし「自動」で UTF-8 を開くには、BOM(Byte Order Mark)付きであることが必須。BOM が何かは知らないが、mi のヘルプに
「UTF-8保存時にBOMを付ける」をOnにすると、テキストエンコーディングがUTF-8のファイルを保存するときに、BOM(Byte Order Mark)を付加して保存します。 具体的には、テキストファイルの頭にEF BB BFの3バイトが付加されます。
BOMとは、Unicodeのバイト順(Big Endian, Little Endian)を識別するためのものであり、本来の意味からすると UTF-8にはBOMは必要ないものなのですが、テキストエンコーディング識別等のために用いられることがあります。
ただ、コンパイラ等では、BOMを付加したテキストファイルを正常に読み込めない場合がありますので、 基本的にはOff推奨です。
とあるので、BOMの付加をオフにしていたのだ。しかしまあ「コンパイラ等では正常に読み込めない場合がある」ということだが、僕はコンパイラなんてものは使わないので、これをオンにしてみた。そしたらデフォルト状態のテキストエディットで「直接」開けるようになりました。

2009年3月18日 (水)
Leopardのテキストエディット.appの仕様メモ (改訂)

テキストエディット.appは、デフォルトではファイルを開く際に文字コードを自動で判別するようになってるが、Tiger以前のテキストエディット.appは、プレーンテキストファイル(.txt)を開こうとする際、文字コードがShift JISかBOM付きUTF-8でないと自動判別して「直接開く」ことができない(「直接開く」とは、ファイルアイコンのダブルクリックやアプリケーションアイコンへドラッグで開くことを意味する)。メニューバーの「ファイル」から「開く」ダイアログボックスを呼び出して文字コードを指定して開くのであれば問題なく開くことができる。(Tigerのテキストエディット.appはUTF-8で保存する際、BOMを付けないらしく、自分自身が作成したUTF-8のテキストが開けない)

だが、Leopardのテキストエディット.appではBOM無しUTF-8でもEUCでもJIS(ISO 2022-JP)でも「直接開く」ことができるようになった。但し、Leopard上でGUIアプリケーションで作成したファイルタイプ無しのプレーンテキストファイルに限られる。ファイルタイプのついているもの、Leopardのコマンドラインプログラム(vi、nanoなど)で作成したもの、TigerやWindowsやLinuxで作成したものはBOM付きUTF-8かShift JISでないと自動判別では開くことができない。

※ここでいうShift JISには「Mac OS」や「CP932」を含む。
と思ったら、この記事によると「10.5以降ならファイルタイプが設定されてなければBOMなしでも自動で開ける」みたい。やってみたらたしかにどうやらその通りっぽい。どうもmi はタイプコードもクリエータコードも設定しないらしい。この点は自信ないので、違ってたらごめんなさいねー。
[PR]
by nobiox | 2010-10-27 23:27 | ├Mac OS X |
「Sand In My Joints」by Wire + Google
I've got sand in my joints
I'm counting the grains
And they're so sharp
I'm feeling the pain
私は関節の中の砂を持っている
私は粒を数えている
そして、彼らはとても鋭いしている
私は痛みを感じている

I'm like King Canute's daughter
A lamb to the slaughter
My feet in the water
It's not what they think
It's not what it seems
私はカヌート王の娘のようだ
虐殺子羊
水に足
それは彼らが何を考えてではない
それは思われるものではない
[PR]
by nobiox | 2010-10-27 03:56 | ├2ch文学 |
「Perfect World」by Talking Heads
Well, I know what it is
But I don't know where it is
Where it is
まあ、私はそれが何であるかを知っている
それがどこでも私にはわからない
それはどこです
Well, I know where it is
But I don't know what it looks like
What it looks like
まあ、私はそれがどこにあるか知っている
しかし、私はそれがどのように見えるかを知らない
それはどのようなものに見える
Well, I know what it looks like,
But I don't know where she comes from
Well, I know where she comes from,
But I don't know what's her name.
まあ、私は、それがどのように見えるかを知っている
彼女がどこから来るのかしかし、私にはわからない
まあ、私は、彼女がどこから来るのか知っている
しかし、私は彼女の名前だかわからない。

(and she said) This is a perfect world
I'm riding on an incline
I'm staring in your face
You'll photograph mine
(と彼女は言った)これは完璧な世界です
私は傾斜に乗っている
私はあなたの顔で見つめているのです
あなたは写真鉱山よ

And I've been walking, talking
Believing the things that are true
And I've been finding
The difference between right and wrong...good and bad
そして、私が話して、歩いてきた
該当するものを信じる
そして、私が発見してきた
の違いと間違った...良い権利と悪い
See me put things together
Put them back where they belong
Am I just like the others
Have I always been singing the same song
私が一緒にものを入れるのを参照してください
彼らが属している場合、それらを戻しなさい
私は他のようだ
私はいつも同じ曲を歌ってきた

コーラス

Somebody said that it happens all over the world
I do believe that it's true
And the sun's coming up
誰かがそれが起こるという世界中の
私はそれが真実だと信じています
そして、日が近づいている
And we're doing all the things that we should
Doesn't everbody here believe in the things we do?
そして、我々はすべてのことをやっていることを我々が必要
ここeverbody我々は物事を信じていないか?

(And she said) CHORUS
It's a strange situation
What's wrong with you?
(そして彼女は言った)コーラス
それは奇妙な状況だ
何が間違っている?
Baby...baby...baby
What you doing in my house?
And it's all true
There's nothing wrong with you
(And I said) CHORUS
赤ちゃん...赤ちゃん...赤ちゃん
あなたは私の家で何をして?
そして、それがすべて本当を見る
あなたには何も悪いことではないです
(そして、私は言った)コーラス

---------------------------------------------------------------------------------
以上はGoogleによる翻訳。この優秀さは驚きだ。デヴィッド・バーンの書く詞はふつうのアメリカ人が読んでもふつうに意味不明だと聞いたことあるけど、この訳は「あなたは写真鉱山よ」とかの意味不明感も含めて、けっこうイケてるような気がする。明らかにおかしいのは「Baby」→「赤ちゃん」くらいじゃないか。
[PR]
by nobiox | 2010-10-27 03:30 | ├2ch文学 |
解説元木大介 / ゲスト清水直行
セ・クライマックス - 中日×巨人(ナゴヤドーム) 第一戦
TBS:解説元木大介 / ゲスト清水直行 実況林正浩
ニッポン放送:解説江本孟紀 実況松本秀夫
ラジオ日本:解説小松辰雄 実況若狭敬一

これはひどい。なんですか、いじわるしてんですかこの人選。

・・・と、試合前には思ったけど、元木さんの解説はぜんぜん押し付けがましさがなくて
快適だった。清水直行の発言もいろいろ勉強になった。

元木:「いいピッチングしてても五回に急に崩れるピッチャーってけっこう見ますよねえ。清水さん、あれってやっぱりピッチャーは意識するんですか」
清水:「もちろんである。先発は最低でも五回まで、というのは、ピッチャーやってる以上、子供の頃から当たり前のことだ。それを『勝利投手の権利を意識して』と言われることにはちょっと違和感ある。先発は最低でも五回まで、と期待されている。それは権利というよりもむしろ、チームの勝利のために先発投手が果たすべき、義務ではないか。意識するのは当たり前ではないか」
・・・とは言わなかったけど、僕なりに要約するとそういう意味のことを言ってた。
[PR]
by nobiox | 2010-10-20 17:49 | ├野球 |
「これは、君の本じゃないから」と出版社の人に言われたんです。
ガジェット通信:『佐藤秀峰』連続インタビュー

秀峰:出版の人に何回も「だってこれ、僕の本じゃないですか」と言ったんですよ。そしたら、「これは君の本じゃないから。落ち着いて。」と言われたんですよ。

秀峰:自分のサイトをつくって、自分の著作本を売りたいから、出版社の人に原価で売って欲しいと言ったんですね。

秀峰:原価は無理でも半額ぐらいで売ってもらえませんかと言ったんです。そしたら「いや、だから、これは君の本じゃないんだから」と。「あなたは、『僕の本』って言ってるけど、『僕の本』じゃないんだよね、ボク。」と。

秀峰:これは出版社側の『僕たちの本』だからと。「印刷する紙も全部準備して、この紙に君の描いた絵を印刷してるだけで、これは全部僕たちのものだよ」と説明されて。

秀峰:「だってこれ、僕が内容も全部考えて、僕が描いたものでしょう」と言ったんだけど、「著作権が誰にあるかと言えばあなたの著作物ではあるけど、著作権とこの本の所有権を一緒に考えちゃいけない。著作権はあなたのもので、『あなたの著作本』という言い方は正しいけど、『あなたの本』ではない。出版社の所有物である本だから。」という話でした。

おいみんな落ち着けよ。この件に限って言えば、出版社の言い分が完全に正しいだろ。
この記事読んで「これはひどい」とか呟いてる人たちは、自宅に井上雄彦がやってきて「SLAM DUNKは僕の本だから全巻持ってくね」と言ったらどう答えるのか。「ふざけんなよ、これはあんたの本じゃねーよ。オレんだよ」とは言わないのか。「著作権とこの本の所有権を一緒に考えちゃいけない」とは思わないのか。
[PR]
by nobiox | 2010-10-20 17:36 | ├自分用メモ |
2010年11月8日をもって.Mac HomePageで公開中のページを閲覧できなくなります
なんだこれ。アップル死ね。FUCK YOU.
差出人: MobileMe
件名;2010年11月8日をもって.Mac HomePageで公開中のページを閲覧できなくなります
日時:2010年10月8日 22:03:52JST

2010年11月8日をもって.Mac HomePageを使って公開されている写真、ムービーおよびファイルの閲覧サービスを停止させていただくことをお知らせします。

なお、公開中のWebページで使用されているコンテンツは削除されませんのでご安心ください。HomePageを使って公開された写真、ムービーおよびファイルは、お使いのMobileMe iDiskの「Movies」、「Pictures」、「Public」フォルダに引き続き保存されます。

今後、写真やムービーをWeb上へ公開するには、MobileMeギャラリーのご利用をお勧めします。HomePageのコンテンツをMobileMeギャラリーへ移行する方法に関しては、写真の場合はこちら、ムービーはこちらをご覧ください。

iWebを使ってWebページを公開しているMobileMeメンバーの皆様へは影響ありません。他のアプリケーションを使ってMobileMeや.Macへコンテンツを公開している場合、また今回のサービス変更に関してご質問のある場合は、FAQ (よくある質問と回答) をご覧ください。

皆様には大変ご迷惑をおかけすることをお詫びすると共に、よろしくご理解いただけますようお願い申し上げます。今後ともMobileMeをご支援・ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

The MobileMe Team

[PR]
by nobiox | 2010-10-09 02:32 | ├Mac OS X |
児童ポルノの定義を考える
たとえば「寝苦しい夜を客観的に定義することは不可能だ」と言われると、誰しも一瞬納得するのではないか。だって「寝苦しい夜」なんてものは、どう考えても主観だもんね。

この納得にはふたつの意味がある。ひとつは、寝苦しさを主観を交えずに測る尺度がないということ。もうひとつは、寝苦しさの感じ方は人それぞれで大きく違い、尺度があったとしても共通の合意が得られそうにないということ。

言い換えると、客観的という言葉はしばしばふたつの意味で使われ、曖昧に混同されている。ひとつは「主観を交えずに判定可能か」ということ、もうひとつは「合意形成可能か」ということ。ここでは試しに、客観的という語は前者の意味にのみ使い、後者には「合意形成可能な」「妥当な」「社会通念に合致する」「直感に合致する」などを使うことにしてみたい。

◆◆

ところで日本には熱帯夜という概念があり、定義は「最低気温が摂氏25度以上の夜のこと」と、完全に客観的だ。そして多くの人が、これを「寝苦しい夜」のオフィシャルな定義として受け入れているように見える。一瞬定義不可能に思えても、案外そうでもない(こともある)ということだ。「感じ方は人それぞれ大きく違う」としても、合意形成は可能だったりする。

ぶっちゃけ、どんな単語でも客観的に定義するだけなら簡単にできる。例えば「画像のおぞましさとは、画面解像度のこと。通常、単位はdpi」だとか。これ、ほぼ完璧に客観的(つまり主観を排した判定が可能)な定義だろう。「客観的」だけでいいなら簡単にできる。むずかしいのは「客観的かつ妥当(合意形成可能)」だ。

◆◆

百人が声をそろえて「児童ポルノの単純所持を禁止すべきだ」と言ったとしても、アグネスチャンと石原慎太郎と岩井志麻子では、「何の所持を禁止したいのか」が違うだろう。百通りのイメージがあり得る。しかし「個々人で違うから客観的な定義など不可能」とはならない。むしろ個々人で違うのに、可能かどうかなんて何故わかるのか、と言うべきだ。百通りのイメージの中には、客観的に定義可能なのがいくつもあるかも知れない。たぶんあるだろう。その中にはアグネスチャンをも納得させるものだって、ないとは限らない。それを見つければ「客観的かつ妥当」じゃないか。

例えば「児童が本番やらされてる写真だけを規制すればそれでよし、エロいかエロくないかなんてことはいっさい問わない。スクール水着の小学生のエロい写真なんてものは、作成はともかく、所持に関しては野放しでよろしい」という考えの人がいるかも知れない。これはそこそこ客観的で明確な定義が可能だろう。「児童が性器を他者の性器または肛門または口唇に挿入している、またはされている場面を写した映像を指す。性器または肛門に挿入されている場合は性器に限らず、指、またはその他の異物も含む」とかなんとか。

◆◆

というわけで、「客観的で妥当な定義は可能か」、僕の意見は「そりゃ定義による」です。

児童ポルノの単純所持禁止に賛成かどうかは、またべつの話。また、定義の目的が天気予報である場合と法規制である場合とでは、要求される慎重さに格段の違いがあるのは言うまでもない。

↓賛否はともかく、気合いが入ってて勉強になる。
白田 秀彰 | 単純所持宣言 / その他、 性規制について
[PR]
by nobiox | 2010-10-08 22:31 | ├自分用メモ |
児童ポルノ問題概説
アグネスチャンを筆頭に、児童ポルノの単純所持を規制せよと主張する人々がいる。気持ちはわかる。特に、自分に子供ができると、反体制派なオレってカッコイイ、というタイプだったヤツがいきなり規制派に寝返ったりする。いたいけな児童が性の対象とされることへの恐怖と嫌悪感というのは、善良な市民にとって切実な問題だ。その気持ちがわからんヤツは、あんまりいないだろう。

一方、単純所持の規制は非常に怖ろしいから断固反対、という人々もいる。これも気持ちはわかる。わかってもらわねば困る。日本国憲法発効以来の日本で、武器の所持を理由に官憲に捕まった者はたくさんいるが、また、本や絵の内容(例えば猥褻)を理由に「猥褻図画頒布」や「頒布目的の所持」が問題とされた例も、チャタレー夫人(1952-1957)とか赤い風船あるいは牝狼の夜(1963)とか悪徳の栄え(1969)とか四畳半襖の下張(1972-1980)とか松文館裁判(2002-2007)とかいくつかあるが、本や絵の内容を理由に「持ってるだけで」捕まった、なんて例は、ひとつとして存在しない。しないんじゃないかな、よく知らんけど。

たとえ、眼球をカミソリで切り裂きこめかみに五寸釘を打ち込み血がドバドバ流れるスプラッタホラーであれ、たとえ皇居にミサイル弾打ち込んで皇室の血統を根絶やしにしようぜ、とか、あるいは、国内のチョンを全員殺そうぜとかいう不穏な煽動書であれ、たとえ核爆弾の作り方手引きであれ、たとえ猥褻認定を受けて発売禁止となった禁断のポルノであれ、少なくとも単純所持は自由だ。自由であった。

要するに、内心は自由だ。たとえ、なんらかの理由で表現、というか公開の自由が制限されることがあったとしても、内心は自由だ。それが当たり前だ。本や絵の内容を理由に単純所持が禁止されるというのは、公権力が市民の内心に踏み込んで市民の内心を取り締まろうという話なわけで、それは、ひ じ ょ う に 危険なことだ。中国や北朝鮮みたいな、警察が目障りな連中を片っ端から逮捕する、みたいな世の中になってもいいのか。

◆◆

ところで、規制派の主張は「児童ポルノなんていうおぞましいものは禁止せよ」だと思ってる人が、この話題に興味がない人のなかにはけっこういると思うけど、それは違う。アグネスチャンの内心は知らないが、規制派の表向きの主張は「児童を性的虐待から守れ」だ。

この話題に興味がない人なら「児童ポルノなんていうおぞましいものは禁止せよ」と「児童を性的虐待から守れ」は似たようなもんだと思うかも知れないが、前者は「猥褻表現規制」の話で、後者は「青少年保護」の話だ。つまり前者は「表現」をめぐる抽象的議論である一方、後者が問題にするのは具体的な「虐待」だ。ぜんぜん違う。児童ポルノが存在するということは、撮影された児童がいるということだ。「児童ポルノを規制することにより守るべき法益は,被写体となる児童の人権ないし権利であって,善良な風俗ではない」のである。

その点で、規制反対派も、規制派の気持ちはわかる。つまり、規制反対派であっても、児童を性的虐待から守るべし、という点に反対する者は少ない。まずいない。そこでよく言われるのが、内容を問わず、行為を取り締まればいいではないか、という議論だ。

要するに児童虐待が防げればいいわけで、だったら撮影そのものを取り締まればいいではないか。それならべつに新たな法律は要らないじゃないか。例えば強制猥褻罪だとか、未成年者略取及び誘拐罪だとか、迷惑防止条例だとか、そういうので充分やれるはずだ。そうすれば、「いたずらに性欲を喚起せしめ」だの「性器等がみだりに強調され」だのと内容に踏み込む(ポルノと非ポルノを区別する)必要は、そもそもないではないか、と。

◆◆

しかし、最近こういうニュースがあった。
4歳娘の裸を母親が撮影、3万円で販売(2010年9月30日08時38分 読売新聞)

 4歳の娘の裸体を撮影して販売したとして、宮城県警少年課と岩沼署は29日、札幌市北区の無職女(27)を児童買春、児童ポルノ禁止法違反(児童ポルノ製造・提供)の疑いで逮捕した。発表では、女は昨年9月14日頃、当時4歳だった娘の裸を携帯電話のカメラで撮影し、画像を電子メールで東京都世田谷区の会社経営の男性(41)に送り、3万1600円で販売した疑い。女は「お金がほしかった」と供述しているという。

どうやって警察はこの手の事件を捕捉するんだろうか、という疑問はさておき、この場合、何を問題視すればいいのか。

現実には「児童ポルノ製造と提供の疑いで」逮捕されたそうだが、母親が4歳の娘の裸体を撮影することを、児童ポルノ製造と認定するのは危険だと思う。では、金銭目的の頒布が問題なのか。しかし娘に可愛いワンピースを着せて撮影し、雑誌編集部なり芸能プロダクションなりに金銭目的で売り込む「ステージママ」は、全然問題ないだろう。この母親を罪に問おうとするならば、どうしても「ポルノ」を定義せざるを得ないような気がする(もちろん現実には定義されているわけだが)。

「現実には」というのは「現行法では」って意味ね。現行法では児童ポルノというものが「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの(を視覚により認識することができる方法により描写したもの)」のように定義されている。それに対して、できれば僕としては「児童ポルノの定義なんてしなくていい。内容を問わず、行為を取り締まればいいではないか」という意見に与したく思う。しかしこの記事なんか読むと、やはり児童ポルノの定義はせざるを得ないんじゃないかと思える。例えば「性器が露出したのはポルノ」だとか。しかしそんな定義を採用したら、世間の親バカお父さんお母さんは軒並み逮捕じゃないか。

では、「親が我が子の性器を撮るのも、それを有償頒布するのも、買う側も、何ら問題ない。仮に倫理的、あるいは青少年健全育成の観点から問題視するとしても、それは社会倫理の成熟、あるいは宗教的教導、あるいは哲学的な説得を待つべき領域の問題であって、法律で強制すべきではない」とでも考えた方がいいのか。

今のところ、僕にはよくわからない。とりあえず今日はここまで。
[PR]
by nobiox | 2010-10-08 22:24 | ├自分用メモ |
何が検察を暴走させるのか
よそ様のブログ記事の要約のつもりで書き始めたのにやたらと長くなったので、主に言いたいことだけ先に書いておく。検察が証拠を改竄して容疑を捏造するなんてのはとんでもないことだが、これは、検察はこれを機会に膿を出し切れ、とか言って済む話ではなく、「逮捕されたら悪者」「起訴されたら悪者」というような世間の意識(これは、マスコミを批判して済む問題じゃない)も、検察の暴走に荷担している。我々自身も反省すべきだ。同じ意味で、小沢一郎の起訴が決まったからといって離党を求める民主党員も反省しろ。大阪地検特捜部証拠フロッピー改竄事件を糾弾する記事の隣に、起訴決定した以上小沢は議員辞職せよ、とか、最低でも離党を、てな社説を並べて疑問を感じないらしい多くの新聞社も、どうかしてるぜ。

◆◆

以下は「有罪率99%」の謎の要約(文責はnobio)。

日本の裁判の有罪率は99%で、国際的に見て異様に高い、という話をよく聞く。それは事実だが、ただ、これを「逮捕されたら99%有罪」と受け取るのは間違い。逮捕件数と有罪件数の比はそんなに高くなく、国際的な平均水準に近い。なぜかというと、日本は起訴率が低いからだ。多くの国では犯罪の疑いのある者を起訴することは検察官の義務とされているが、日本では起訴するかどうかは検察官の裁量にゆだねられており、そのため「送検された被疑者が起訴される率」が63%と、国際的にみて低い。

ちょっとわかりにくいので、乱暴に整理してみる。100人が逮捕、送検されたとして、そのうち

多くの国:98人が送検され、うち57人が有罪判決を受ける
この日本:63人が送検され、うち62人が有罪判決を受ける

・・・と、だいたいこんな感じ。多くの国では、被疑者を検察が起訴し、有罪無罪は裁判所で判断される。日本では、被疑者のうち「間違いなく有罪に持ち込める」と検察が判断したぶんのみが起訴され、裁判ではほぼ自動的に有罪になる。要するに日本では、実質的に検察官が司法判断を下す。

無罪判決が出ると、検察が判断ミスを犯したとして責められ(メディアもそう書く)、そのため彼らは絶対の上にも絶対の自信がない限り起訴を見送る。
裁判官も罪状についての認識は検察官と同じだから、無罪にすることは勇気が必要だ。無罪判決を多く出す裁判官は「変わり者」とみられて、処遇も恵まれない。弁護士も確実に負ける刑事裁判はやりたがらないので、いい弁護士がつかない。したがってますます無罪になりにくい・・・という悪循環になってしまうのである。
問題は有罪率が高いこと自体ではなく、司法が実質的に行政官によって行われ、裁判以前の段階で事実上の「判決」が下されることにある。これは立法行為を実質的に官僚が行い、国会がそれを事後承認する機関になっているのと似ている。

◆◆

以上で「有罪率99%」の謎の要約は終わり。ところで検察審査会というのは戦後間もなく(1948年)GHQの指示で始まり、
Wikipediaより:2009年5月20日以前は、検察審査会が行った議決に拘束力はなく、審査された事件を起訴するかの判断は検察官に委ねられるため、「不起訴不当」や「起訴相当」と議決された事件であっても、結局は起訴されない場合も少なくなかった。しかし、司法制度改革の一環として、検察審査会法が改正され(中略)、議決に拘束力が生じるようになった(2009年5月21日に施行)
らしい。小沢一郎の強制起訴が決まったことで、離党を求める声が民主党内から出ている、というような報道を見かけるけど、「起訴されたら悪者」なんてのは間違っている。

2010年2月、空港の荷物検査でマキシモ・ネルソンの鞄から銃弾がひとつ発見され、逮捕された。当時は野球ファンのブログなんかで、逮捕されたんだから中日はネルソンを解雇しろ、というような意見をよく見た。バカを言うな。「逮捕されたら解雇」なんてのは「起訴されたら悪者」以上に、めちゃめちゃ間違っている(ついでに言うけど、有罪になったら当然解雇、というのも間違っている。ネルソンの例なんて、撃つ目的での所持じゃないことは明白なわけで、球団はペナルティを課すよりもむしろ、全力でかばうべきだったと思う)。有罪率の高さがこういう認識を生むのかも知れないが、逆に世間のこういう思い込みが有罪率の高さに荷担している面もある。

「有罪率99%」は謎か異常か?は元検弁護士による「有罪率99%」の謎に対する批判的な記事みたいだけど、
検察の(起訴に慎重な)姿勢については検察内部の一部(例えば私^^)にも若干の批判はあるのですが、マスコミの報道姿勢などとも関係する大きな複雑な問題で
現状はマスコミは(そして世間も)逮捕有罪推定主義、起訴有罪確信主義とも言える状況です。
 逮捕されただけで職場は首になる。
 子供は学校で苛められる。
 奥さんは村八分状態。
 という事態が普通に起こるのです。

 その反動として、起訴した事件が無罪になれば、世間やマスコミは「不当起訴」として警察や検察を批判します。
・・・ということで、そういう中で無罪の人を起訴すれば重大な人権侵害が懸念されるのだから、当然、検察は起訴に慎重であるべきだし、じっさい慎重になるのだ、と主張されている。

単純に聞けば「起訴に慎重になる」なら「冤罪は少ない」はずだが、実際には起訴に過剰に慎重になることと、「やると決めた案件はどんな手を使ってでも有罪を勝ち取る」「無罪判決なんて出たらメンツ丸潰れ」という強迫観念は、同じコインの裏表だ。と、思う(想像)。

池田信夫 blog : 「有罪率99%」の謎 - ライブドアブログ
池田信夫 blog : 冤罪を生む検察の完璧主義 - ライブドアブログ
「有罪率99%」は謎か異常か?
[PR]
by nobiox | 2010-10-07 13:57 | ├自分用メモ |
|