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吉見のニンニク注射問題について、選手会は何もしないつもりなのか。
10/22 中日スポーツ「竜CHANGE CS編」

吉見決戦に備えニンニク注射

 登板翌日と登板直前の2度、ナゴヤドーム内にある医務室に向かうのが吉見の日課。医務室といっても、別にケガをしたり、病気をしたりしているわけではない。目的は点滴。1度に30分程度の時間をかけ、アリナミンと呼ばれる成分の投与を受ける。ニンニクに近い成分を含んでいることから、ニンニク注射ともいわれる方法である。疲労回復に効果があるとされ、愛用しているプロ野球選手も多いという。
 実はずっと敬遠してきた方法だった。「疲労の回復に効果があると聞いて、昨年、試してみたんです。たまたまだとは思うんですけど、それから勝てなくなってしまって」。験担ぎの意味もあり、今期も開幕直後から数ヶ月は避けてきた。が、開幕からローテを守り続け、疲労は限界寸前にまで達した。そこで7月途中に再度、試してみることにしたのだった。
 「正直、ちょっと怖かったんですけど、次の登板で完封できて。それから続けているんです」
 わずかな成績の違いが年棒に大きく反映されるプロの世界にいる以上、決断には相当の覚悟が必要だったに違いない。7月18日の横浜線(横浜)で完封勝利。以降は点滴のかいもあってか、白星を重ね続け、リーグトップタイの16勝でレギュラーシーズンを終えた。
 そしてCS第1ステージの第2戦となる、18日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では8イニング2失点で勝利投手となった。「医務室の方もそうですし、本当、いろいろな人が支えてくださっています。確かに疲れはまだありますけど、疲れたとかって言ってられませんから」。次の登板はCS第2ステージ第3戦の23日か、第4戦の24日が有力。この日はランニングなどで調整した。2度の点滴による効果があると信じ、吉見は次の決戦へ備えている。(清水祐介)
発端となったこの記事は

  • ニンニク注射の問題も我那覇の件も、記者もデスクも揃いも揃って知らなかった。

  • ニンニク注射はマズいと思ったがジャーナリストの良心として、知ってしまった事実を隠蔽することはできない、かといって親会社として告発調に書くのもはばかられるので敢えていい話ふうにまとめた。

  • 落合支持派と反落合派の確執が表面化した社内テロ。

などの可能性のうち、どれなのか。たぶん、1だろう。記者もデスクも吉見もアホだったと。

伊原コーチが吉見を非難 セCS [ 共同通信 2009年10月22日 23:24 ]

 巨人の伊原ヘッドコーチが、アンチ・ドーピング規定に抵触する恐れもある中日の吉見や、中日球団を強く非難した。
 「(基本的には)ニンニク注射を打ったら駄目なんだから。ルールを犯している。中日球団も認識が甘い。これは大変な問題だ」と語気を強め、23日に先発が予想される吉見の出場辞退を促した。(東京ドーム)
中日・吉見、ドーピング禁止規定違反容疑で聴取 [ 読売新聞 2009年10月23日6時51分 ]

 日本プロ野球組織(NPB)は、ドーピング禁止規定に違反する、緊急医療目的外の静脈内注入(点滴)を中日の選手が受けていた疑いがあるとして22日、吉見一起投手や西脇紀人代表への事情聴取など調査を始めた。

 日本のプロ野球では世界反ドーピング機関(WADA)及び日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の禁止薬物・手法の規定に準じて、 蘇生 ( そせい ) や緊急時の輸血、手術時及び脱水症状の改善などを目的とした緊急の医療行為を除き、静脈内注入を禁止している。同投手と面談したNPB医事委員会の増島篤・委員長は「正当な医療行為に当たるかどうかは、球団に当時のカルテの提出を求め、判断する。疲労回復なら違反だ」と話した。

 西脇代表は「風邪気味だった今春に1度、それ以外にも今季の終盤に疲労感を感じていた時など、登板後に何回かチームドクターがビタミン成分の入った点滴をした」と話し、「診断書の提出など、ドクターがルールにのっとってやっているので、問題ない」との見解を示した。

 NPB規定では、ドーピング違反と認定されれば、けん責や出場停止などの処分が行われる。これまでに、2007年のソフトバンクのガトームソン投手(当時)ら3選手が出場停止処分を受けている。吉見投手の場合、違反と認定されない限りは、試合出場への制約はない。
吉見へのやじを禁止 セCS・巨人の原監督 [ 共同通信 2009年10月23日 23:03 ]

 中日の先発はドーピング違反の疑いが持ち上がっている吉見だったが、巨人の原監督は吉見へのやじを禁止した。
 前日に中日球団や吉見を非難していた伊原ヘッドコーチは「どうやってやじろうかと思っていたんだけど。監督が同じ野球人がCSという舞台で戦っているから、正々堂々と戦おう、やじるのはやめよう、と言ったのでね」と内幕を明かした。(東京ドーム)
伊原ヘッドコーチ「中日は認識が甘い」[ スポニチ 2009年10月23日 ]

 【巨人6-4中日】試合後、巨人・伊原ヘッドコーチは“吉見問題”について「12球団、プロ野球全体の問題。中日は認識が甘いよな」と切り捨てた。さらに、第3戦で吉見が先発する可能性があることに「普通の球団であれば(登板回避を)やるでしょ。わが巨人軍は絶対に注射はさせない」とまくし立てた。

 ▼巨人清武球団代表 巨人の問題ではなく、12球団全体の問題。NPBも医事委員会で徹底的に調べてもらいたい。中日球団も疑いがあるのであれば、払しょくしてもらいたい。たまたまCSの期間と重なったが、巨人の問題ではない。中途半端に放置してはいけない。
渦中の吉見は23日の試合に先発した。この話題はスポーツ新聞に始まり、朝日や読売など一般紙も報じたが、不気味なことに、23日の試合を中継したテレビもラジオも、その夜のスポーツニュースも、一言たりともこの話題に触れなかった。理由はわからない。私が知らないところで触れられていたのかも知れないが。
中日・吉見はシロ「ドーピング疑惑]NPBが見解 [10月25日8時0分配信 スポーツ報知 ]

 日本プロ野球組織(NPB)は24日、中日・吉見一起投手(25)のアンチ・ドーピング規定違反疑惑について、医事委員会(増島篤委員長)として、規定違反には当たらないとする見解を発表した。疑惑を“シロ”と結論づけたことで、吉見への処分などは科せられないことが決まった。

 東京・内幸町のコミッショナー事務局で会見した増島委員長は、中日球団から提出されたカルテを精査した上で「医学的に正当な治療行為の範ちゅうに入るものと判断した」と説明。疲労回復目的で通称「ニンニク注射」と呼ばれる点滴を受けていたとされる点についても、カルテには医師による診断名が「確実に記載されていた」とした。世界反ドーピング機関(WADA)では点滴への厳しい制限を求めているが、増島委員長は「NPBの医事規定はWADAにのっとっている」とWADAの規定にも反していないとした。

 NPB の「アンチ・ドーピングガイド2009」では、医学的に正当な医療行為や緊急医療などを除き、禁止薬物でなくても、静脈内注入を禁止している。吉見に対する疑惑では、7月以降の登板前後に「ニンニク注射」が行われていたと指摘されたが、増島委員長は「日常的に、日課的に行われたものではない」と説明。また、医療行為と判断した根拠となる具体的な病名についても「守秘義務があるので申し上げられない」とした。これを受け、中日の西脇紀人球団代表は東京D内で「委員会の判断は妥当。球団として一層、ドーピング撲滅に取り組んでいく。従前にも増して努めていく」と話した。吉見はこの件について無言を通した。

中日スポーツの記者もデスクも吉見もアホだったが、中日の球団ドクターはさすがにアホではなく、それらしいカルテをちゃんと書いていた、と。「疲労回復目的ではなく、病気の治療だった」という見解が出た以上、中日スポーツは「別にケガをしたり、病気をしたりしているわけではない」「疲労の回復に効果があると聞いて」といった記述について、誤報でしたごめんなさい、病気の治療でした、という訂正記事を出すのが筋だろう。しかしそんなことをすれば別の意味で(より深刻な意味で)白々しさが際立つことを恐れて、出せないのだろう。だって白々しいもんな。病気なら登録抹消して治療しろよ、なに先発してんだよ、って話である。

NPBに期待できない以上、選手会は何をしているのか。「疲労回復のためにニンニク注射を愛用しているプロ野球選手は多い」と書いた清水祐介記者にその根拠を聞いて、聞いた結果を公表するとか。カルテの開示を要求するとか。全選手にアンケート調査するとか。規定の改正(ニンニク注射はすべてNPBに届け出を義務付け、NPBはそれをすべて公示するだとか)を提案するとか。いくらでもやることはあるだろう。選手会が球場施設の改善だの、日程の緩和だのを要求してはことあるごとにストライキをちらつかせるたびに、プロ野球ファンは選手会に反感を抱くわけだが、こういう時に声を上げ、実態を調査し、実態を白日の下に晒し、正義の味方として振る舞えば、プロ野球ファンは熱く選手会を支持するはずだ。プロ野球ファンが選手会を支持する度合いが上がるということはすなわち、プロ野球人気が上がるということで、それこそは個々のプロ野球選手にとって福音だろう(福音なんて言葉を使うのは生まれて初めてなので、言葉の使い方が間違ってるかも知れないが)。

中日ファンとしては、吉見にお咎めなしなのは本気でうれしいけど、吉見の最多勝が取り消しになったとしても、中日ドラゴンズの2009年の戦績がすべて取り消しになったとしても、本気で実態が追求された結果であるならばその方がいいと思う。吉見は「僕はこの件に関してプライバシーを放棄するので、カルテの公表を要求する」と声明を出してくれ。あるいは、自分でカルテを入手して公表してくれ。そうしないなら、吉見には何かやましいところがあるんだな、と、オレは勝手に判断する。判断と言って悪ければ、個人的感想を持つ。選手会が何もしないなら、多くの選手が実態解明を望んでないんだな、という感想を持つ。伊原春樹や清武英利がこのまま発言をやめるなら、巨人も実態解明を望んでないのだという感想を持つ。このエントリーは主に選手会に対する期待として書いているのだが、もちろん、伊原春樹や清武英利や原辰徳や落合博満にも期待している。吉見一起にも。
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by nobiox | 2009-10-25 22:27 | ├野球 | Comments(4) |
日本の殺人事件の半分以上が親子兄弟夫婦の殺し。
「家族的経営」と「心中」したがる私たち(小田嶋隆)

要旨:亀井静香郵政・金融担当相は「殺人事件の半分以上が親子兄弟夫婦の殺し。こんな国は日本だけだ。人間を人間扱いしないで利益を上げるための道具としてしか扱わなくなったからで、大企業が責任を感じなきゃ駄目だ」と講演(10月5日)で述べた。

だがしかし。日本は殺人事件の発生率そのものが低い。ウィキペディアが引用しているICPOの2002年の統計では「人口10万人あたりの発生率は1.10件で先進国の中ではアイルランドと並んで最も低い」。ちなみにロシア22.21件、イギリスが18.51件、スイス18.45件、アメリカ5.61件、イタリア3.75件、フランス3.64件、オーストラリア3.62件、ドイツで3.08件、スウェーデン1.87件。

また、殺人事件の発生件数は、戦後ほぼ一貫して減っている。たとえば昭和三十年代と比べると、人口十万人あたりの殺人発生件数はずっと少ない。一方、殺人の総件数のうちにしめる家族内殺人の比率はほぼ横ばいで、つまり、家族内殺人も件数としては減っている。

それと、亀井静香が企業の金儲け主義を批判しつつ金儲け主義に対置したいのはたぶん「古き良き家族主義的経営」だろうが、家族主義的経営なんてものは亀井静香が考えているほど素敵なものではなく、オレ(小田嶋)に言わせればむしろ気味の悪いものである。

日本において家族内殺人の比率が高いこと自体は事実なんだが、もしかするとそれは、心中とか無理心中とかを美化したり過剰に情状を酌量する日本独特の異常な思考パターンと関係あるんじゃないか。

この記事には家族的経営の話や心中の話や太宰治の話が書いてあるけど、この記事中のいちばん優れた指摘は、殺人事件の半分以上が家族殺しだと言うが日本は殺人事件自体が少ないんだよという、つまり「数字の嘘」「統計の嘘」の部分じゃなかろうか。小田嶋隆はいつも、いろんなことを書き過ぎる。それにしても殺人事件がロシアで多いというのはなんとなく(ロシア人には申し訳ないけど)納得してしまうが、イギリス、スイスの高さは意外ですね。

ところで心中というのはどうも、別に日本独特の現象ではないようだ。小田嶋隆のこの記事についたコメントの中に

「一家無理心中」を表す英単語に"familicide"があります。これについては町山智浩さんが「ニューズウィーク」(2009.6.3付け)で「不況下で増える悲しい「ファミリサイド」」というコラムを書いていらっしゃいます。わたしもこのコラムを読むまで一家無理心中は日本人特有の心性だとずっと思っていたので、「目からウロコ」でした。

というのがあった。WikipediaのFamilicideの項目には、無理心中はアメリカにおいて「most common form of mass killings」だと書いてある。

またWikipediaによるとオーストリア皇太子ルドルフ(Kronprinz Rudolf, 1858年8月21日 - 1889年1月30日)の死の真相は今もなお謎で、「はじめは『心臓発作』として報道されたが、じきに『情死』『心中』としてヨーロッパ中に伝わり、様々な憶測を呼んだ」だそうだ。真相がなんであれ、「情死」「心中」としてヨーロッパ中に伝わったのだとしたら、ヨーロッパ人にもそういう概念はある、ということだろう。「ロミオとジュリエット」だって、あれは無理心中の話ではないし、心中の話でもないけれど、愛する人が死んでしまったので自分も自殺するという話なんだから、心中のメンタリティに割と近いのではなかろうか。また、LiveDoorNews でこういう記事を見つけた。

2009年7月7日、日本華字紙・中文導報によると、この1週間で中国人刺殺事件、心中事件などが続いて起こっている。
6日午前5時10分ごろ、広島県廿日市市阿品台西の県営廿日市住宅に住む中国人の崔宝亮(ツイ・バオリャン)容疑者(38)が、妻の劉麗美(リウ・リーメイ)さん(38)、定時制の県立工業高校1年の長男(15)の2人と無理心中を図ったとみられる事件が起こった。妻の劉さんは数か所を刺されて死亡、長男も数か所を刺されて意識不明の重体。現行犯逮捕された崔容疑者も、約2時間後に死亡した。3人はともに中国籍で、2000年8月から同住宅で生活していたという。
 また、6月30日深夜0時ごろ、埼玉県戸田市喜沢1のアパート「松江ハイツ」で、中国人の派遣会社員・陳春姫(チェン・チュンジー)さん(28)が、胸や腕など数か所を刃物で刺され死亡する事件が起こった。同8時15分ごろには現場近くの川で陳さんの夫・全太煥(チュエン・タイホアン)さん(28)の死体が発見された。29日午後9時ごろ、2人の自宅で激しい口論の声を聞いたとの証言もあるという。2人はともに中国吉林省の出身で、朝鮮族とみられる。陳さんは02年4月に留学生として来日、全さんは07年に陳さんに身を寄せる形で来日した。
 01年7月25日には、名古屋市西区又穂町2の又穂団地で、中国人夫婦の飛び降り事件が起き、夫婦ともに死亡。03年3月2日にも、大阪市此花区伝法1の私営伝法住宅で中国人女性の死亡事件があった。(翻訳・編集/津野尾)

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by nobiox | 2009-10-19 17:26 | ├読書日記 | Comments(0) |
ブレーキ痕
「酒と蘊蓄の日々」というブログがおもしろくて、さいきん毎日読んでいる。自分用の「読書日記」をつけることにした。今日はブレーキ痕について。
ブレーキ痕

要旨:自動者事故を伝えるニュースなんかでよく「現場にブレーキ痕はなく」という台詞を見かけるが、昨今のABS付きであれば路面にブレーキ痕が残るなんてことはまずない。書くなら「当該車両はABS非搭載だったにもかかわらず現場にブレーキ痕はなく」と書くのでなければ無意味である。

「酒と蘊蓄の日々」を書いてる石黒さんという方は「元自動車業界人で現在は機械メーカーに勤める日本人」だそうで、だからこれは勘やイメージで言ってるのじゃなく、実態を知ってる人の発言である。ABS付であれば路面にブレーキ痕が残るなんてことはまずない。なるほどなあ。私は自動車を持ってないので、まあ知らなくても当然(とは言え頭文字Dおよび湾岸ミッドナイトの愛読者としては恥ずかしい)だが、ドライバーにとってはよく知られた事実なんだろうか。たぶんそうでもないんだろうな。普通の人は高速走行からブレーキ一気にベタ踏みなんて機会はあんまりないだろう。だからこそ新聞記者も「現場にブレーキ痕はなかった」なんて書いたり、デスクもその記事に疑問を持たずOK出したりするんだろう。警察はどうなんだろうか。警察は定例会見での質疑応答で「それで、現場にブレーキ痕はあったのですか」とか新聞記者に訊かれた場合、その質問はABS搭載の有無とセットでないと意味ないよ、とか、うん、なかったけど、報告によるとABS付きだったらしいから、ブレーキ踏んでないのかどうかはわからんね、だとか答えるのだろうか。

長年刷り込まれてきたイメージを打ち消すのはなかなか難しいが、なんとか打ち消すように努力をしよう。「清原は自分のことをワイと言う」「相撲取りは自分のことをワシと言う」「刑事は容疑者にカツ丼をおごる」「日本の裁判官は木槌で机を叩く」「全身に金粉を塗られると窒息する」「回転の少ない球は重い」「名古屋の人は毎日海老フライばかり食べている」等々、事実でないのにイメージで世間に刷り込まれてきた迷信はたくさんある。急ブレーキを踏めばアスファルトに黒々とタイヤ痕が残る、というのは長年にわたって事実だったわけだが、今では、事実とは限らない、と。

「全身に金粉を塗られると窒息する」という与太話の起源は「007 ゴールドフィンガー(小説は1959年刊、映画は1964年)」だが、今の十代や二十代はそもそもそんな話を聞いたことがないという人の方が多い。もしかすると遠からず死語となるかも知れない。「急ブレーキを踏めばアスファルトに黒々とタイヤ痕が残る」という話はどうなるだろうか。同じように、やがて死に絶えるだろうか。たぶん、そうはならない。いくらABSが普及しようが、子供たちはやっぱり上履きで学校の廊下を滑ったり、靴下で病院や体育館の床を滑ったり、運動靴で地面を滑ったり、自転車のタイヤを滑らせたりして、「滑る」「ズルズル」の実感を蓄積するだろう。「タイヤ痕」には体感上の裏付けがあるのである。

フィクションにおいては効果音の問題もある。例えば映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」は大型トラックによる死亡事故のシーンからいきなり始まるのだが、ギャルルルギュウワキイイイイイイイイイイイイイ、という、悲痛な、遠吠えのような、何か取り返しのつかないことが起こりましたよと告げるような、胸を引き裂くような、鼓膜をつんざくような、黒板を掻きむしるような、あのおなじみのブレーキ音が響き渡り、路面には黒々とタイヤ痕が描かれる(途中から血で赤くなる)。ABS付きだとほとんど滑らないということは、ABS付きだとあの音がほとんどしないということだ。悲劇の象徴として、あの効果音はなかなか外せないだろう。そしてあの音があれば必ずあのタイヤ痕は残る。映画の中の急ブレーキシーンでは、ABSはなかなか主流にならないのではなかろうか。長年刷り込まれてきたイメージを打ち消すのはなかなか難しい上に、今後もそうした刷り込みは続くわけだ。それでも、なんとか打ち消すように(というか、ABSもあるよと思い起こすように)努力をした方がいいと思う。

◆ ◆

ついでにもうひとつ、Wikipediaで今日読んだ話。多くの車種では、ABS作動中はブレーキペダルが振動する。それに驚いてブレーキペダルから足を離す人が多い。離すと危ない。乾燥した舗装路面でも、マンホールの蓋や砂・砂利なんかの上でブレーキをかけるとABSが作動してブレーキペダルが振動することがある。そのため、新車を買ったばかりなのにブレーキが故障したなどとトンチンカンな苦情が持ち込まれることも少なくなく、自動車販売店では車両販売時に重要な注意点として顧客に説明している。
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by nobiox | 2009-10-16 20:04 | ├読書日記 | Comments(0) |
カーボンマイナスオリンピックは可能か
前の記事では、10年後に東京をカーボンニュートラル都市に、という公約の胡散臭さについて書いた。しかしカーボンニュートラル都市が実現しなくとも、カーボンニュートラルオリンピックは実現するのかも知れない。パチンコを例にしよう。お父さんが毎週日曜日に1日中パチンコに行く。自分の小遣いでやるのであればお父さんの勝手にすりゃあいいだろうが、家計費でやってるとする。勝つ日もあればへこむ日もあり、トータルでトントンだとする。で、あれば、仮に家計全体が赤字だとしても、パチンコはそれを悪化させてはいないわけで、この場合パチンコは「マネーニュートラル」と呼べるだろう。したがって「持続可能」とも呼べる。そういう可能性はあるのだろうか。「Tokyo 2016 - 東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」公式HPにはこう書いてある。

【カーボンマイナス・オリンピックになります】
日本は世界に先駆けて、温暖化防止のイニシアチブを取り、環境技術でも先駆的なテクノロジーを誇る環境先進国です。2016年の東京オリンピックでは、そうした環境テクノロジーを駆使し、環境負荷を限りなくゼロに近づけたカーボンマイナス・オリンピックを目指しています。環境と共存する未来の都市像を世界に発信することで、地球環境問題の解決に貢献していきます。
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/faq/answer.html
【オリンピックにより東京の環境は大きく改善されます】
我々は、環境負荷を最小化し、排出量と同等の削減策を講じるカーボン・ニュートラル以上にCO2排出量削減を達成するカーボンマイナス・オリンピックを目指しています。具体的には大会の計画段階から準備・運営・撤去段階に至るまでCO2排出量を算定し、それを大きく上回るCO2削減を実現します。
東京都はオリンピックに向け、海上森林公園の整備や全ての公立小中学校・都立学校等の校庭の芝生化、街路樹の倍増など、大規模な緑化を進め、新たに1,000haの緑(サッカー場1,500面)を生み出し、東京を「地球の森」とする計画です。オリンピックによって、環境は破壊されるどころか、大きく改善されることになります。
http://www.tokyo2016.or.jp/jp/faq/answer.html

「オリンピックによって、環境は破壊されるどころか、大きく改善されることになります」。何を言ってるんだ。海上森林公園の整備や校庭の芝生化や街路樹の倍増なんて、やるべきならやればいいし、やるべきでないならやらなきゃいいわけで、オリンピックが来ようが来まいが関係ないだろう。なぜそれが「オリンピックによって」なのか。ちなみに緑化自体は長期的に見れば大気中のCO2を増やしも減らしもしない。そのことは前のエントリーで述べた。
 東京都の公式HPにはこう書いてある。

校庭芝生化キャンペーンを実施|東京都
平成20年6月19日
環境局

 東京都は、オリンピック招致を目指している2016年に向けて、全公立小中学校の校庭の芝生化に取り組んでいます(平成19年度末74校実施)。この度、下記のとおり、校庭の芝生化事業について都民のみなさんに幅広く知っていただくためのキャンペーンを行います。
 校庭の芝生化に向けた取組の紹介や芝生の良さを訴えて、校庭の芝生化の機運をより一層盛り上げていきます。
 なお、セレモニー当日は、元日本サッカー代表の永島昭浩氏によるトークショーと握手会を行います。

緑あふれるオリンピックの開催を通じて環境の大切さを世界に伝えよう!

「緑あふれるオリンピックの開催を通じて環境の大切さを世界に伝えよう!」だってさ。もうね、アホかと。公立小中学校の校庭を芝生化することが、世界に向けて環境の大切さのアピールになる、わけがないだろう。世界中からオリンピックを見に来る観光客が、こぞって学校の校庭も見学していくとでも言うのか。BBCのオリンピック取材キャスターも校庭の芝生に目を見張り、カメラの前で、TOKYO の環境への取り組みの先進性に深甚な感銘を受けるのか。あり得ないだろう。また、もちろん校庭の芝生化とオリンピックにはどういう関係もない。やるべきならやればいいし、やるべきでないならやらなきゃいい。また、緑化自体は長期的に見れば大気中のCO2を増やしも減らしもしない。芝生化の工事のためにどれほどのトラックが走りどれほどのブルドーザーが必要なのか考えれば、短期的にもむしろ増えるような気がするんだが、正確なところは知らない。

プレスリリース - 2009年 - 水素・燃料電池実証プロジェクト -JHFC

JHFC プロジェクト燃料電池自動車で東京オリンピック・パラリンピック招致に協力
経済産業省が実施する水素・燃料電池実証プロジェクト(呼称:JHFCプロジェクト)では、2016 年のオリンピック・パラリンピック競技大会の招致を目指す「東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」および「東京オリンピック・パラリンピック招致本部」に協力し、4 月14 日(火)〜20 日(月)の日程で来日中のIOC(国際オリンピック委員会)評価委員会のメンバーの移動の一部に、燃料電池自動車(以下FCV:Fuel Cell Vehicle)を提供しました。本日、会場視察を行ったIOC 評価委員会メンバーの送迎※をFCV で行いましたので、ここにお知らせいたします。(※国立代々木競技場〜IOC 評価委員会宿泊ホテル)

2016 年オリンピック・パラリンピック競技大会開催候補4都市(東京、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリード)のなかで、東京は都心8km 圏内でのコンパクトな開催、その都心を緑と水にあふれた環境都市に再生させ、環境に敏感なアスリート達が最高のパフォーマンスを発揮できる低炭素大会運営を行うことをメッセージとして打ち出しています。

走行中、水しか排出しない次世代環境車であるFCV は、大会の低炭素運営に貢献できる有力なクルマであり、IOC 評価委員会のメンバーにもその特徴と運用について理解してもらう目的で送迎を行いました。今回、送迎を行ったのはJHFC プロジェクトに参加するFCHV-adv 1 台、X-TRAIL FCV 1 台、FCX Clarity 2 台、計4 台のFCV です。

FCV は、水素と空気中の酸素の反応により燃料電池で発電した電気エネルギーでモーターを駆動して走る新しいタイプの電気自動車です。FCV が走行中に排出するのは水だけで環境に優しいこと、エネルギー効率が高く省エネルギー効果が期待されること、燃料となる水素は多様な製造方法があるため石油依存社会の転換に役立つことなどの理由から、次世代環境車として有望視されており、国はこの技術の実用化と普及を目指しています。

2006年時点で価格が1台数千万円から数億円で、水素の製造段階で発生するCO2はガソリンや軽油を精製するよりも多いという燃料電池自動車が長期的に見てほんとうにCO2排出量を減らすものかどうか、はなはだ疑問だ。で、仮に排出量を減らすとしても、それは大気中のCO2を減らすこととは根本的に違う。おならをほとんどしない人は、おならが少ないことを自慢してもいいかも知れないが、いくらおならが少なくても大気中のメタンガスを減らすわけではない。燃料電池自動車でカーボンマイナスが達成できると言うとしたら、おならが少ない人が「おならマイナスパーソン」を名乗るくらいにバカバカしい話だ。それに、もし、燃料電池自動車の導入がトータルな意味で地球環境にとってプラスだというのなら、オリンピックと無関係に導入すればいいじゃあないか。

例えばですよ、「すでに東京都の公用車はすべて燃料電池自動車にしました。すべての都バスも燃料電池バスにしました。それらのアピール効果によって東京都民の自家用車もすでにけっこうな比率で燃料電池自動車に置き替わっています。それが地球にも都民の家計にも優しいという明白なデータも出ています。にもかかわらず、なぜだか世界的には燃料電池自動車はほとんど普及していないのです」という状況があるのであれば、「オリンピックを通じて世界にアピール」という構想も理解はできる。しかしそんな現実は、ぜんぜん、ない。その上でオリンピック関連の用途だけ無理して高い予算を投入して燃料電池車を使うという、いわば、デートの時だけ化粧をする、みたいな、来客がある時だけ家の掃除をする、みたいな背伸びをして、しかもそこまで無理しても残念ながら「『走行中に』排出するのは水だけ」というような限定的メリットしかアピールできない、というレベルで、一体それがどういう意味で地球環境に優しいと言えるのか。少なくとも、燃料電池自動車が大気中のCO2を「吸収」しないのは間違いない。

◆ ◆

2016年東京オリンピック基本方針〈概要版〉には
東京しか持ち得ない集中と集積のメリットを最大限に活用した世界一コンパクトで高密度な大会

とある。持続可能なオリンピックと言うなら、「このノウハウを生かせば今後どこでやっても持続可能ですよ」と言えることが必要だろう。持続可能なオリンピックと言いつつ「東京しか持ち得ないメリットを最大限に活用」と謳うところが、根本的に馬鹿じゃないかと思うんだが。我々はカーボンニュートラル(またはマイナス)を目指しますよと宣言するのはいいだろうが、「東京しかできない」と言うなら、それは「持続可能」と、根本的に矛盾するのである。

・酒と蘊蓄の日々「絵に描いた餅」
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by nobiox | 2009-10-14 04:44 | ├自分用メモ | Comments(0) |
「カーボンマイナスオリンピック」とは
(以下に書くことは、CO2の排出を減らすことが地球環境のために善である、という仮の前提に立っての話です。この前提が正しいという証拠は、今のところ、ないと思う)

石原慎太郎が熱烈に推進した2016年東京オリンピック構想は、「カーボンマイナスオリンピック」を目指すというのが最大の売りだった。東京都の2016年オリンピック招致活動は敗北に終わったが、東京都の招致構想がどんなものだったのか、正確に知ってる人は少ないのではないか。私はよく知らない。今からでも改めて知りたい。カーボンマイナスオリンピックってなんだ。2009年10月現在、すでに削除されているようだが、Googleのキャッシュによると、2009年3月には G-ForSE のサイトにこういう記事があったらしい。

【東京2016がカーボンマイナス・オリンピックの実現に努力】

2009年3月5日‐東京2016のカーボンマイナス・オリンピック・パラリンピック開催に向けた構想は、継続的な気運の高まりを見せています。日本の活気に満ちた首都、東京が誇る世界トップレベルの環境政策が絶えず発展を続けているからです。

東京を21世紀型の持続可能な都市へと変貌させる東京都の10ヵ年計画『10年後の東京~東京が変わる~』は、オリンピックの遺産を創出する上で東京をカーボンマイナス都市にするという革新的な公約を生むことになりました。これは10ヵ年計画と共に東京の都市環境変革を方向付けるものです。

東京都のカーボンマイナス社会実現に向けた取り組みは、東京2016のオリンピック招致プランに全面的に反映されており、会場に既存の施設を可能な限り利用することを最優先としています。また新しい施設や一時的に会場を設置する場合は、省エネ技術や太陽、風力発電などの再生可能エネルギーを用いて、高効率のパッシブ設計を積極的に取り入れる方針です。低公害車・無公害車といった排出ガスを出さない移動手段の採用もこの計画の特色といえるでしょう。

国連の気候変動枠組条約は、今年2009年12月にコペンハーゲンで行われるCOP 15(気候変動枠組条約第15回締約国会議)で最終合意に至る予定で、これに同調して東京は『カーボンマイナス東京10年プロジェクト』を推進する予定です。先端技術、官民の負担の共有、投資のインセンティブは、2000年を基準年として2020年度末までに温室効果ガスを25%削減する政策の要といえます。なお、この『カーボンマイナス東京10年プロジェクト』に関連する107のプロジェクトに対し、これまでに365億円の予算が計上されています。

『緑の東京10年プロジェクト』は、国民にグリーンな都市生活を提唱する一方で、組織的な植樹活動や自然保護におけるガイダンスなどを行い、自然環境に対する認識を高めていく方針です。

もう一つの核となるのは、現在東京湾で開発が進められている『海の森』における1,000ヘクタールに及ぶ緑地の創出です。同地では、乗馬(クロスカントリー)、自転車(マウンテンバイク、BMX)、ローイング、カヌー/カヤック(フラットウォーター)の競技が行われる予定です。海の森一帯は水路と緑の回廊を形として、東京の再生を象徴することになるでしょう。

生物多様性や水質の改善と同じく、88ヘクタールに及ぶ面積におよそ48万本の樹木が植えられます。また予定されている街路樹100万本の植樹のうち、今年4月までに東京中で54万本が植えられる予定で、これと並行して、都内121の小・中学校に芝生で遊べる場所が設置されます。

東京2016の河野一郎理事は次のように述べています。

「東京2016は史上最もコンパクトでアスリートにやさしいオリンピック、初のカーボンマイナス・オリンピックを目指しています。東京都は長期的な環境プランにより世界の主要都市を牽引しています。2016年に世界中から東京を訪れる人々に対し、記憶に残るオリンピックと、我々の緑化政策がもたらす恩恵を提供できればと願っています。」

しかし、持続可能な枠組みの中で世界レベルのスポーツ大会を見るには、なにも東京2016まで待つ必要はありません。今月22(nobio註:2009年3月22日)に開催される2009年東京マラソンは史上最も環境に優しい大会となっています。

選手、サポーター、大会関係者は、同大会の新しいアイデアを見ることができます。例えば、配布されるジャケットやキャップは再利用ポリエステルから作られ、また会場を往復する車両やバスにはハイブリッドカーを採用、飲用カップは間伐木材から作られたものが使用されています。なお、地球温暖化と環境保護の重要性を訴える為、参加する3万5,000人のランナー全員が緑色の靴紐を結ぶ予定です。

G-ForSE (Global Forum for Sports and Environment) というのが何なのかわからないが、このサイトには「G-ForSE 組織図」として下のような図が載っている。東京都が作った組織なのだろうか。


図に「GSA」というのが描いてあるが、これは「NPO法人グローバル・スポーツ・アライアンス」の略で、「GSAはスポーツを通して環境に取り組む団体で、 スポーツマンシップの一環として『エコプレー』の実践を呼びかけているスポーツ愛好家の世界的ネットワークです」ということだそうだ。

なんだかわからないがとにかくこの「G-ForSE」なる組織の記事によれば、東京都は2009年から10年計画で「カーボンマイナス都市」を達成する、という「革新的な公約」を打ち出していたらしい。カーボンマイナス・オリンピックなんてものはその反映に過ぎないらしい。まじですか。鳩山由紀夫新総理大臣がニューヨークの国連気候変動首脳会合で、2020年までに1990年比25%削減を目指すとスピーチして世界と日本を驚かせたのは9月22日のことだ。マニュフェストに大書してあったことに後から驚いてみせる日本人もどうかと思うが、とにかく25%削減なんてことは現実には不可能だろう、みたいな意見が多い。私も今のところそう思う。ところがなんとその半年前に、東京都は、10年でカーボンマイナス都市になって見せると宣言していたのである。みなさん知ってましたか。私は知らなかった。石原慎太郎という人はオリンピック招致を自らの花道と考えるからこそ情熱を燃やしているのかと思っていたが、カーボンマイナス都市というのは(CO2温暖化脅威論に立てば)オリンピック招致どころではない偉業だ。10年後の東京が達成したとしたらノーベル平和賞も夢ではない(ヨーロッパはCO2温暖化脅威論の本場だし、ノーベル平和賞はノルウェーで決まる)。ノーベル文学賞を目指した青年が数十年を経てノーベル平和賞。石原老人にとってこれ以上の花道があろうか。オリンピックが来るか来ないかなんてことはもはや些事である。これほど強烈な公約がメディアでほとんど話題になってないのは何故なのか。

家計が毎月10万円の赤字だとする。25%削減する、と鳩山演説は言った。つまり赤字を7万5千円にまで縮小して見せる、と。一方石原慎太郎率いる東京都は、黒字にして見せる、と言っている。2万5千円のカットですら非現実的とか具体策が見えないとか言われる中、10万円まるまるカットしてさらに黒字を出すと。25%の削減計画が不可能視されるなら、「100%を上回る削減」計画がさほど突っ込まれずにいたことは不思議だ。

「カーボンマイナス」とはどういうことなのか知るために、とりあえず「カーボンニュートラル (Carbon Neutral)」 という概念について知ろう。そうすればカーボンマイナスとは何か、おのずとわかるだろう。Wikipedia にはこう書いてある。

【カーボンニュートラル】
何かを生産したり、一連の人為的活動を行った際に、排出される二酸化炭素と吸収される二酸化炭素が同じ量である、という概念。(中略)例えば、植物のからだ(茎・葉・根など)は全て有機化合物(炭素原子を構造の基本骨格に持つ化合物)で出来ている。その植物が種から成長するとき、光合成により大気中の二酸化炭素の炭素原子を取り込んで有機化合物を作り、植物のからだを作る。そのため植物を燃やして二酸化炭素を発生させても、空気中に排出される二酸化炭素の中の炭素原子はもともと空気中に存在した炭素原子を植物が取り込んだものであるため、大気中の二酸化炭素総量の増減には影響を与えない。そのため、カーボンニュートラル(二酸化炭素=炭素循環量に対して中立である)と呼ばれる。(中略)植物由来の燃料を作って利用したとしても、製造・輸送の過程で少しでも化石燃料を使えば排出量が上回ってしまう(中略)。植物の栽培、伐採、製造・輸送などのすべての過程をライフサイクルというが、ライフサイクル全体で排出量・吸収量を考え、そこで両者が同じ量になって初めてカーボンニュートラルになる。(中略)実際、アメリカ合衆国で生産されるバイオエタノールは、生産段階で大量の化石燃料が使用されており、逆に環境負荷を増やす結果となっていることが指摘されている。

要するに、カーボンニュートラルを達成するということは、非・化石燃料ですべての電力(や熱)需要をまかなうということだ。
 例えば樫の木を大規模に植林する。木は成育の過程で光合成により空気中の二酸化炭素を取り込む。つまり、木の成分の炭素は、空気中の二酸化炭素に由来する。じゅうぶんに育ったところで伐採し、炭を作り、それを暖房や煮炊きに使う。使う過程で炭素はCO2のカタチで空気中に還る。炭の需要が森の成育ペースを上回れば、何十年、何百年のうちに森は次第に痩せていき、空気中のカーボンが増えていくだろう。そうでなく、人が炭を燃やすペースと森がその材料を供給するペースが釣り合っている限り、トータルで見て空気中のカーボンは増えもしないし減りもしない(暖房や煮炊きのぶんに限った話。呼吸のぶんまで入れるとどうなるのか、いまのところ理解してない)。とりあえずこれが「カーボンニュートラル」のモデルだ。

しかし木炭は発電には向かない。ならばサトウキビ、もしくはトウモロコシを大規模に栽培してはどうか。サトウキビは成育の過程で光合成により空気中の二酸化炭素を取り込む。じゅうぶんに育ったところで収穫し、それを原料にエタノールを作る。そのエタノールを発電に使う。これが流行のバイオエタノール。「サトウキビが成長の過程で空気中から吸収する二酸化炭素」と「発電および電気消費の過程で空気中に放出される二酸化炭素」の量が釣り合えば、それがカーボンニュートラルだ、と。

というか、1回だけ釣り合ってもほとんど意味はなく、この「吸収」と「放出」のサイクルを何年にもわたって循環、維持してはじめて「カーボンニュートラル」と呼べるわけだ。1回目に収穫したら次を植え、2回目が育ち切るまでの期間を、1回目のぶんのエタノールでしのぐ必要がある。また、1回目のぶんの「放出」量が、2回目の「吸収」量と釣り合う必要もある。とうぜん、エタノールの精製、輸送、保管に必要なエネルギーもこのサイクル内に収めることが必要だ。

「必要だ」というのはつまり、カーボンニュートラルと「呼ばれるには」「名乗るには」そうなってる必要があるということで、実際にはニュートラルを厳密に達成しなくとも、化石燃料をバンバン燃やすより少しでもマシ(食料問題を考えるとどうか、とか、地下水枯渇の問題はどうだ、とか考えると、そう簡単な話ではないんだろうが、ここではカーボン問題に限って言えばマシ、という限定的な話)であれば、挑戦する価値はあるだろう。ただ、少しでもマシ、というレベルを超えて「カーボンニュートラル」の達成を目指すとしたら、それはとてつもなく高い壁である。現代日本人の平均的生活レベルを維持した上でカーボンニュートラルを達成するなんてことが、できるとはちょっと思えない。いや根拠は単に私の勘だが。「1年間に日本の国土で栽培できるサトウキビで、1年間の日本の電気およびガス需要のすべてを賄う」かつ、「1年間に日本の国土で栽培されるサトウキビが、1年間に日本人が電気およびガスの使用に伴って放出するCO2のすべてを吸収する」なんてことが、果たして可能だろうか。Wikipedia によれば、日本が「国家レベルでのカーボンニュートラル」を達成するためには「国土面積の約7倍にあたる269.7万haが更に必要」だそうだ。

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達成のための具体策としては、省エネ技術 / 低公害車・無公害車の利用 / 再利用ポリエステルの活用 / 海の森や街路樹増植や校庭芝生化などによる緑化 / 太陽、風力発電などの利用、などが挙げられている。

▼省エネやら低公害やらの技術は赤字の縮小には確かに役立つはずだが、カーボンニュートラルの達成のためには根本的に足りない。そこにはエネルギーを「生産する」過程が含まれていないからだ。カーボンニュートラルというのはエネルギーの生産、精製、使用を

生産→収穫→精製→使用
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と輪唱のように繰り返しながら CO2 の収支をトータルでプラスマイナスゼロにすることを指すわけで、いくら CO2 排出量を削ってもゼロにはできない以上、それだけでは絶対にカーボンニュートラルなんてことは達成できない。それに、石原慎太郎がことあるごとに得意げに持ち出す燃料電池自動車というのは、現状でほんとうに環境に優しいのだろうか。私が聞いた風聞では、燃料電池自動車というのは2006年時点で価格が1台数千万円から数億円だそうですよ。しかもだ、「水素を燃料とした燃料電池車は確かに走行時にはCO2を発生しない。しかし燃料である水素は自然界に十分に存在するものではないため、人工的に製造しなければならない」のであり、水素を製造する段階で発生するCO2は「ガソリンや軽油を精製するよりも多い」らしいですよ(それでもガソリンや軽油を燃やすより少なければいいような気もするが)。

▼緑化はどうだろう。「海の森」プロジェクトのホームページにはこういう記述がある。

東京湾に浮かぶ、ゴミと残土で埋め立てられた中央防波堤内側埋立地。この、高さ30メートルにおよぶゴミの山に苗木を植え、美しい森に生まれ変わらせる計画が「海の森」プロジェクトです。苗木は、市民の皆様と民間企業からの募金によって調達・植樹します。
この埋立地は、昭和48年から昭和62年にかけて1,230万トンのゴミによって造成し、リサイクル土や建設発生土などで表面に層を形成しています。
面積は、約88ヘクタール(日比谷公園の約5.5倍)。
スダジイ、タブノキ、エノキ等の苗木を48万本植樹する計画です。海から都心に向かう風の道の起点になるとともに、CO2を吸収して、地球温暖化を防ぎます。

たしかに植物は光合成によってCO2を吸収する。しかし植物はいつかは朽ちる。朽ちれば、成長過程で取り込んだCO2を放出する。つまり、長期的に見ればいくら植物が増えても(数十万年から数千万年をかけて化石燃料となるぶんを除けば)大気中のC02は減らない。ただ、放っておけば単に空気中に還っていくCO2を、人間が精製して集中的に効率的に燃やせば、単に還って行くのでなく、その放出過程で電気を取り出すことができる。カーボンニュートラルというのは私の理解ではそういうことだ。いくら緑を増やしたってそれをエネルギー源にするわけでなく、必要な電力は石油で調達しますというのでは、どう考えてもカーボンニュートラルを名乗る資格はないだろう。まして「ニュートラルを超えてマイナス」か。まあ、なにぶん Wikipediaを1ページ読んだだけという分際なので、私も自分の見解に特に自信はないが。

▼太陽、風力発電はどうだろう。東京都の電力需要を、都内の太陽または風力発電設備のみで100%(設備の建設、維持、太陽電池をはじめ各種機材の製造加工運搬のコストまで含めてトータルで)まかなうことができるとしたら、とりあえずは(実際にそんなことになったら温暖化ガス問題とは別の意味で気候に深刻な影響が出そうな気もするんだがそれをさて置けば)夢のような話で、それならたしかに「カーボンニュートラル」と呼べるのかも知れない。でもまあ、実現するとはちょっと思えない。詳しくは知らないけど。我々無垢な素人は太陽電池とか風力発電とか聞くだけで何か根本的なクリーンエネルギーでもあるかのように過剰な幻想を抱きがちだが、10年後までに太陽発電所をどことどこに何基設置するつもりなのか、それに必要なソーラーパネルはどれほどの量で、それだけの半導体シリコンの生産にどれほどの電力が必要なのか、風力発電塔をどことどこに何本設置するつもりなのか、それで何キロワットの発電が可能なのか、それらの初期コストはどれほどでランニングコストはどれほどなのか、エコキュートとかエネファームとかは10年後にどの程度普及してるという算段なのか(エコキュートやエネファームがどういうものかはよく知らずに書いてます)、具体的な試算があるなら教えて欲しいものだ。そもそも太陽、風力より原子力の方が非・化石燃料の候補として現実的なような気がする(「原子力発電がエコである」とか主張したいわけではない。原子力発電の環境負荷は計り知れない)が、石原慎太郎の傍若無人を以てしても、さすがに東京都内に原子力発電所を造ると宣言する勇気はないということなのだろうか。

▼もうひとつ、「CO2排出権との相殺」というヤツがあるはずだ。「CO2排出権」を、発展途上国から、金で買うというような話が。これをどう考えるべきかについて、まだ私には定見はない。

▼というか、「カーボンマイナス東京10年プロジェクトの目標 ⇒ 2020年までに、東京の温暖化ガス排出量を2000年比で25%削減 」だなんて書いてるのを見ると、もしかするとこの連中は「CO2の排出量を減らすこと」イコール「カーボンマイナス」と考えているのかも知れない。だとしたらアホとしか言いようがない。だとしたら「世界初のカーボンマイナスオリンピック」というのはどういう意味なんだろうか。

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以上を簡単に要約すると、10年後に東京をカーボンニュートラル都市に、なんて公約はとても信用できん、ましてマイナスだなんてあり得ねー、ということです。だいたい石原慎太郎は2007年の時点で五輪招致の意義を「五輪が決まれば国が動かざるをえない。東京の欠点は交通渋滞。五輪を引き金に東京の暮らしがよくなる」と語ってた男ですよ。環境重視なんて後付けとしか思えないではないか。(続く)

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森や街路樹や校庭の芝生化にCO2の増加を抑える効果があるのかどうかについては、下記「酒と蘊蓄の日々/似非エコロジーを公共事業に利用する東京都」という記事がたいそう勉強になりました。

・酒と蘊蓄の日々 似非エコロジーを公共事業に利用する東京都 (その1)
・酒と蘊蓄の日々 似非エコロジーを公共事業に利用する東京都 (その2)
・燃料電池車の時代は当分来ない:日経ビジネスオンライン
・都市環境プランナーの処方箋
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by nobiox | 2009-10-11 21:00 | ├自分用メモ | Comments(0) |
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