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高田繁は何を目指すのか
2006年、北海道日本ハムファイターズはパ・リーグのペナントレースを制し(正確には「シーズンを一位で通過し」と言うらしい)、さらにプレーオフでソフトバンクホークスを下して完全優勝、さらに日本シリーズでは名古屋かどこかのセ・リーグのチームを4勝1敗と問題にもせず退けて日本一の栄冠に輝き、さらにアジアシリーズも全勝で制覇した。2003年のトレイ・ヒルマン監督就任から4年、2004年の北海道移転から3年、2005年の高田繁GM就任から2年のことであった。また、直後にヒルマン監督はメジャー球団の監督就任を目指して渡米、結局日ハムでの続投に落ち着いたが、一時はポスト・ヒルマン問題が話題になった。

ほどなく発売された雑誌『SPORTS Yah!』 No.152 は、「 楽しんで日本一」と銘打ったファイターズ特集号だ。「札幌ドームを満員にした経営戦略〔高田繁GMが明かす〕日ハムプロジェクトX」という記事がある。内容は、スタッフぐるみで『マネー・ボール』を読んでいること、日本の全プロ野球選手のデータベースを1億円かけて作ったこと、ドラフト戦略および一軍二軍の上げ下げは監督ではなく高田が仕切っていること、二軍スタッフとの密なメールのやりとり、など。ポスト・ヒルマンに関しては、監督なんてものは「こっちの方針に会う人を探して連れて来るだけ」だから、さほど重大な問題ではない、と語っている。『マネー・ボール』を読んでビリー・ビーンを目指し、まさに目指した目標を目指した通りに達成して得意の絶頂、という雰囲気だ。

2007年もリーグを制したが、今度こそヒルマン監督が辞任。

日本ハムのトレイ・ヒルマン監督(44)は9月8日、札幌ドームでの西武戦後に突如「特別記者会見」と題した去就表明の場を設定し、「今季限りで北海道日本ハムファイターズを退団する意思を固めました」と語った。大社オーナーへ意向を伝えたのは8月8日。球団サイドは翻意させようと再三説得したが、意志は固かった。ヒルマン監督が早期発表にこだわった理由の1つは、メジャー監督就任を目指した昨オフに、日本ハム残留との「両てんびん」の就職活動で起こしたドタバタ騒動の再発防止。球団サイドはシーズン終了後の表明を要望したが、同監督の強い希望に折れる形で、リーグ首位と好調ながら、シーズン中の異例の時期での発表になった。

残留要請を固辞した最大の理由は、長男トーマスJr.君(14)長女ブライアンナちゃん(9)の教育環境と、独り身の父ロイスさん(73)。現時点では米球界での再就職のメドは立っておらず、周囲には「働けるならマイナーでもどこでもいい」と話しているという。昨オフは夢だったメジャー監督就任へ、地元テキサスのレンジャーズなど3球団の面接を受けたが、今回は当てもなく、裸一貫で米球界復帰を目指すことになった。

球団側も約1カ月前に意向を聞いていたとはいえ、困惑は隠せない。それでも昨季、新庄氏がシーズン序盤で電撃引退表明するなど“免疫”があるためか、大社オーナーも「(時期は)異例かもしれないけれど、日本ハムじゃあり得ない話じゃない」と笑い飛ばした。今後は急ピッチで後任の監督の人選に着手。来季続投で大筋合意している高田GMを中心に行っていくことを確認。同GMが手腕を高く評価している梨田昌孝氏、牛島和彦氏(ともに野球評論家)ら複数候補をリストアップし、絞り込んでいくことになりそうだ。(2007年9月9日8時47分 nikkansports.com)

事実かどうかはわからないが、この時点では「来季続投で大筋合意している高田GM」と、記事にはある。しかしわずか二週間後にはこういうことになった。

ヒルマン監督に続き高田GMも今季限り

日本ハムを昨季、44年ぶりの日本一に導いた高田繁ゼネラルマネジャー(62)が、今季限りで退任する意向を固めていることが23日、分かった。2004年11月に結んだ3年契約が10月で切れるのに際し「(球団に)返事はしていないが、監督も代わるし、新体制に移るいいタイミング」と語った。

若手育成の強化方針にのっとり、独自のドラフト戦略でらつ腕を発揮。小笠原や新庄、岡島が抜けた今季も首位を走り、日本ハムを常勝チームに押し上げた功績は大きい。同GMは「この球団がしっかりしたビジョンを持っているから引き受けてきた」と他球団で職に就く考えはないという。球団では同GMを中心に新監督の人選を進めていることもあり、全力で慰留に努める構え。島田チーム統括本部長は「残ってもらえるよう最大限努力する」としている。 (2007年09月24日付 スポニチ)

「監督も代わるし、新体制に移るいいタイミング」って、どういうことなんだ。監督が代わる時こそGMの手腕が問われる時だろう。1年前「監督なんてものはこっちの方針に会う人を探して連れて来るだけ」と語り、二週間前にも「来季続投で大筋合意」と記事になった高田繁がなぜやめるのか。私には不思議だし、不思議がっていろいろ質問する新聞記者がぜんぜんいないらしいことも不思議だ。

ハムの高田繁GMがヤクルト監督候補に

ヤクルトの来季監督候補として、今季限りで日本ハム退団が決定的な高田繁GM(62)が急浮上したことが28日、明らかになった。球団は古田敦也監督(42)の後任はOB中心に人選を進めてきたが、高田氏の退団が確実となったことで候補に検討。GMとして日本ハムを常勝球団に変えた手腕を高く評価している。球団、本社で一本化され次第、シーズン終了を待って就任要請に動くことになる。 日本ハムで指揮を執った88年以来、20年ぶりの監督復帰となる可能性は十分にある。(2007年09月29日付 スポニチ)

『SPORTS Yah!』 No.152 が高田繁GMのインタビューを載せたほぼ同時期、NHK『クローズアップ現代』はヒルマン采配に焦点を当てた(『SPORTS Yah!』にも、ヒルマンについての記事もあったのかも知れないが)。番組によるとヒルマン監督は日本ハム監督就任当初、長打を基本とするアメリカ流のベースボールを試みるも大失敗、2006年シーズンから方針を180度転換したのであるらしい。

くねくね科学探検日記 / ヒルマン監督の洞察力

日本の「野球」は、4点リードしていようが5点リードしていようが、バントを使って1塁ランナーを2塁に進めるような、アメリカ人の感性からすると理解しがたい戦略をとる。しかし、それは日本人の気質に合っているのではないか。(中略)このことに気がついたヒルマン監督は、シーズン前からバントの練習を徹底的に行い、シーズンが始まるとバント策を多用して、去年までリーグ最低だった送りバントの数を、リーグ最多にまで引き上げた。そこまでやるかと言うくらい、バントをやりまくった。これはある意味で、日本の野球を越えたやり方だった。
最終更新時間 2006年10月23日 06:38

日ハムの犠打は、この表によると2004年は51、2005年は54でいずれもリーグ最少だが、2006年には131でリーグ最多と、たしかに180度の転換だ。その間チーム順位は2004年3位、2005年5位、2006年首位と躍進した。

送りバントも盗塁も、セイバー・メトリクス理論というかセイバー・マトリクス理論というかセイバー・マトリックス理論というか、とりあえずここではマネー・ボール理論と呼ぼうか、送りバントも盗塁もマネー・ボール理論によれば愚策とされている。ビリー・ビーンGMのもとで監督が送りバントを多用したりすればすぐクビだろう。よく知らないけど『マネー・ボール』を読む限りではそう思える。2005年に就任した高田GMはその点寛容だったということになるが、たぶんマネー・ボール理論の信奉者であろう彼は、ヒルマン采配をどう評価していたのだろうか。近年の日本では日ハムといい中日といい、バントと盗塁を多く駆使するチームが結果を出し、そういうのがお手本とされている気配すらある。高田繁がGM権限でチームの采配に口を出すことは可能だっただろうが、現に2年続けて結果を出したやり方を理論のためにわざわざ変えるのは、それこそ愚策になりかねない。それよりも。

それよりも、と、高田繁は考えたのかも知れない。今年最下位に沈んだヤクルトで、監督として、自らの信じる理論を試してみたい、と。

と、いうのは単に私の妄想です。上に引用した記事の内容が事実なら、ヤクルト監督の話はGM辞任後に来たのであり、監督の話が来たからGMをやめたわけではない。しかし、とにかく現時点での私の興味は、「2008年のヤクルトスワローズは送りバントや盗塁をするのかどうか」だ。 今年のメンツからさらにラミレスと石井一久が抜けたヤクルトが、送りバントも盗塁もなしに快進撃するところをイメージするのはむずかしいが、とりあえず高田繁がどういうつもりなのかは、なんとなく興味がある。



(▼クローズアップ現代がそういう骨子だったらしいこともあり、つい「バント戦術に転換したのはヒルマン」という前提で書いてしまった。もちろん、「バント戦術採用をヒルマンに命じたのは就任2年目の高田GM」という可能性もある。しかしそれだけすべてが高田繁の思いのままだったとすると、なんでGMを辞めたのかがわからない)
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by nobiox | 2007-11-20 16:47 | ├野球 |
完全試合と、私の中の欠落について
小学生のころ、歩く時には手をグーのかたちに握ってればいいのかそれとも開いてた方がいいのか、その中間だとしたらどんなかたちがいいのか、と親に質問したことがある。当時、自分には何か基本的な欠落があるのではないかという、ぼんやりした恐怖を感じていた。大人になったらそんな恐怖は解消されるハズだとも思っていたが、そうはならなかった。今でも基本的なことがわからない。一体いつになったら大人になれるのだろうか。

例えば人の死に際して、どの程度悲しむのがちょうどいいのか。2004年にいかりや長介が死んだとき、日本中が悲しみに包まれた。いや実際どの程度だったのか数値化することはできないが、新聞や、夕方のニュースショーなんかを見ていてそう感じた。40や50歳の人が亡くなって「早過ぎる」というのならわかる。周りも辛いだろう。しかし、いかりや長介は70過ぎだ。70過ぎだろうが何だろうが毎日顔を合わせていた人にもう会えないのだから家族は悲しいだろう。しかし『8時だョ!全員集合』をむかし見てました、最近では『踊る大捜査線』も好きでした、という程度のファンが、なんで霊柩車に向かって「長さんありがとう!」とか叫んで涙ぐむのか。特に悲しみを感じていなかった私は恐怖した。やはりオレには基本的な欠落があるのではないか。ふつうの人間ならあれくらい悲しむのではないか。私も悲しそうに振舞うべきだろうか。

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サイクルヒット、というのもわからないもののひとつだ。打者がシングルヒット、二塁打、三塁打、ホームランをひとつの試合で打つ。たしかになんとなくおもしろい。しかしどうも世間でのサイクルヒットの価値は、「なんとなくおもしろい」程度ではないように見える。何故サイクルヒットがそんなに素晴らしいのか。例えば「二塁打2本、三塁打、ホームラン」よりも偉いのだろうか。ただ、Wikipediaによれば 1965年以前の日本人は基本的に全員が私と同じような感覚だったらしい。ちょっと安心した。

サイクルヒットは和製英語であり、英語では hit for the cycle という。更に、厳密に言うなら、単→二塁→三塁→本塁打の順で成功させなければならない。日本プロ野球界では1948年10月2日に藤村富美男(大阪タイガース)が最初に達成したが、これは後日認定されたものである。当時の日本球界で「サイクル安打」の概念はなく、1965年7月16日にダリル・スペンサー(阪急ブレーブス)がサイクル安打を達成した際、スペンサーが記者に「何故自分に質問をしてこないのか。これはサイクル安打といって、とんでもない記録なんだ」と言ったのがきっかけで、記録を洗い直した結果、藤村が日本での最初の達成者であることが判明した。(Wikipedia)

サイクルヒットに限らず、自分には個人記録をありがたがる感覚が欠落しているのかも知れない。イチローがシーズン200本安打を前に苦しんでいる、と聞けば関心を持つし、今年もついに達成した、と聞けばうれしいが、それはイチローが200という数字にこだわっているのを知っているから応援してるわけで、私自身が200という数字に価値を感じているわけではない。

2006年9月、山本昌が阪神相手にノーヒットノーランを達成した時はかなりうれしかった。あの感覚は覚えている。しかし、じゃあ最終回に1本ヒットを打たれていたら喜び半減かといえば、それがわからない。もちろん山本昌本人はじめチームメイトやベンチやファンがノーヒットノーランに大きな価値を認めていることは知っているので、1本打たれたらああ残念、と私も思うわけだが、本人やチームメイトやベンチや世間はさておき、オレ自身はどうなのか、と考えると、正直、ノーヒットノーランでも1本ヒット打たれたのでもそんなに変わらんじゃないか、と思えてくる。野球関連サイトを運営していながら、なんという欠落だろうか。大丈夫か、オレ。

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2007年の日本シリーズ最終戦について、あと3人でパーフェクト達成だったのに何故代える、と怒っている人たちがいる。必ずしも多数派ではないようだが、怒っているのだから声が大きい。

怒りの声の中には、スポーツで大事なのは結果じゃなくて過程。落合は勝利という結果を求めて、完全試合という美しい過程を踏みにじった。・・・と、いう意見があるらしい。いや、そんな意見の人はいないのかも知れないが、どうも私が仄聞した範囲ではそんな雰囲気だ(そういう意見が支配的らしい、という話ではなく、単に、そういう意見があるらしい、という話)。

「私は過程しか見ない。つか、目に見えるものしか見ない。球場ではボールと選手の動きを見る。勝敗とか二千本安打とか完全試合とかペナント争いとかは、球場での生々しい体験を覆い隠す陰謀、あるいは物語に過ぎない。勝敗も記録もペナント争いも、目に見えないではないか」と言うのならわかる。共感はできないが、そんな視点で野球を見てる人が本当にいるなら尊敬する。例えば蓮實重彦ならそんなことを言うのかも知れない。

一方「完全試合は貴重な過程だが勝敗は結果に過ぎない」という論理は、そもそも理解ができない。勝敗は結果だと言うなら、なぜ完全試合は結果でないのか。記録なんてものは、結果を重視する気持ちがなかったら無意味じゃないか。完全試合は過程だと言うなら、なぜ継投による完全試合(あるいはその失敗)は過程じゃないのか。完全試合が達成されるまでのプロセスが貴重なのだと言うなら、なぜ八回まで見た貴重なプロセスと、それを引き継いだ岩瀬の貴重なプロセスを称えないのか。やはり何か基本的な回路が、私には欠落しているのかも知れない。
たぶん、
「完全試合の過程が貴重なら、なぜ継投による完全試合の過程は貴重じゃないのか」
「んなこたー当たり前だ」
ということなのだろう。そういうものなのかも知れない。

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谷沢健一:落合監督はもう監督の器じゃない。メジャーリーグでも百数十年の歴史の中で1回しかないんですよ。日本のプロ野球で初めて達成されるかどうかわからないような、ファンが一番注目してるこの試合でしょ。2004年のストライキの時に、プロ野球をもう一度高めようという機運が起こったじゃないですか。それを忘れてますよ。
江本孟紀:プロ野球界全体のことを考えれば続投。完全試合を達成していれば、野球に興味のない人まで関心を持ってくれるチャンスだった。それが野球人気につながっていくのに。
彦野利勝:(采配支持が過半数いたことについて)支持してるのは野球を知らない人達でしょう。あの采配はおかしい。

価値観というのは脳内にあるわけだから、谷沢さんがどんな価値観を持つのも、その価値観に照らしてあの交代は最悪、と批判するのも谷沢さんの自由だと思う。しかし世間の気運とか世間の関心とかは谷沢さんの脳内のことではない。もしかしたら谷沢さんや江本さんの言う通りなのかも知れないが、どうして谷沢さんや江本さんは「いかに完全試合がプロ野球を高めるか」について、説得的に語ろうとしないのだろうか。当たり前だからか。例えば「日本では完全試合は過去に○回あるが、そのすべてについて、有意な観客数増加効果が見られた」とか、「名選手を多く輩出する世代というものが確かにあるが、実は彼らが10代のころに完全試合があった、ということがひとつの要因になっている」とか、「メジャーで完全試合が達成されるとNYで株価が上がる」とか、何かそういうことを言う人はぜんぜんいない。

あるいは谷沢さんが、「僕の伯母がねえ、5年ほど前に亡くなったんですけどね、日頃そんなに野球に興味持ってた人じゃないんですよ、それがねえ、いまわの際に僕の手を握って、『槙原の完全試合は凄かった・・・』って言ってねえ、なんとも言えないうれしそうな顔になってねえ、そうして、息を引き取ったんですよ。ねえ。完全試合というのはねえ、それくらいねえ、凄いものなんですよ」なんて語ってくれれば、それなりに説得力があるのではないか。しかし谷沢さんはそんなことは言わないのである。「ひとりで達成した方がはるかに価値がある。んなこたー当たり前だ」ということらしい。なんでなのかよくわからない。

10数年前のことらしいが、私には槙原寛己の完全試合についての記憶が全くない。ちょっと興味を持って、「槙原の完全試合? もちろん覚えてるよ。あの時は日本中がすごい騒ぎでねえ・・・」なんて語ってくれる人がいないものかと、あれから会う人ごとに質問しているのだが、槙原の完全試合を覚えているという人を、いまだひとりも発見できない。どうも、谷沢さんや江本さんは完全試合の効果を過大評価しているような気がする。

私が知る限り、彼らが挙げた説得的な論拠はただひとつ「ワールドシリーズでの完全試合なんて、メジャーでも百数十年の歴史の中で1回しかない」ということだけなんだが、ぜんぜん説得力を感じない。メジャーで1回しかないのがそんなに素晴らしいことなら、メジャーで1回もない「継投による完全試合」はもっと素晴らしいということにはならないのか。んなこたー当たり前なのか。どうもこの辺が、私が自分の欠落を感じて恐怖する部分なんだが。

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私の欠落はさておくとして、谷沢さんや江本さんがプロ野球界の現在と未来に使命感を感じているのなら、目の前でせっかく「ワールドシリーズでの完全試合」という素晴らしいことが起きたのだから、仮に「山井ひとりで達成してたらさらにさらに素晴らしかった」のだとしても、あの試合に少しは敬意や感動や感謝を表した方がいいのではないか。例えばバレンタインはこう発言している。

ボビー・バレンタイン:一般的に1—0の試合で、ピッチャーが八回まで好投し、素晴らしいクローザーがいる場合は継投も考えられる。監督の仕事は試合に勝利すること。チームの勝利を最優先にしたことはチーム、地元のファン、地元の球場にとっても非常に良かった。あの試合で勝利したことは素晴らしいこと。

「素晴らしい」と言われると、何かうれしい気持ちになる。逆に「最悪」みたいなことを言われると、ネガティブな気持ちになる。谷沢さんや江本さんが吐く毒は、プロ野球をもう一度高めようという機運にとってプラスなんだろうか。完投による完全試合の価値をそこまで強く主張する人たちの発言に、継投による完全試合に対する興奮がさっぱり感じられないのは何故なのか。私にはよくわからない。

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それと、日誌にも書いたけど、ここにも書くぞ。あの交代にはたくさんの理由があった。七回、八回と外野まで飛ばされる打球が増えていたこと。岩瀬が今季初かというくらい絶好調だったこと。1点差だったこと。負けたら札幌だったこと。山井のマメ。肩の故障歴。チーム内での岩瀬のポジション。監督落合博満が2004年と2006年の日本シリーズで敗れていること。その落合がノーヒットノーラン寸前の斎藤雅樹から逆転ホームランを打ったという記憶。たくさんある中でも、「53年ぶり」というのは大きかった筈だ。そもそも日頃から落合博満をチクリと腐すことに生き甲斐を感じてるような雰囲気がある江本さんの発言はどうでもいいとしても、谷沢さんや彦野さんはその「53年」のいくらかについては責任があるんだから、「あの継投の原因の何万分の一かは自分にも責任がある。落合、山井、すまんかった。そしてありがとう」という気持ちを、ほんの少しでいいから持ってくれ。私はそう思う。
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by nobiox | 2007-11-16 19:19 | ├野球 |
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