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『もしドラ』は何故売れるのか
「小説の読み方の教科書」を書き、それを伝えていくのがぼくの使命

今でも『もしドラ』のことを「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」ととらえている人たちがいる。しかしそれは、あまりにも合理性を欠いた意見だ。(中略)あるいは、yaneuraoさんは、「『もしドラ』には、上記3つのネガティブ要素を補ってあまりある何かがあったから250万部増刷した」と言うだろうか? しかし、本において「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」というネガティブ要素を、1年半、250万部も増刷するほどに補える何かというのは、この世に存在するのだろうか?

「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」というのを、著者は「3つのネガティブ要素」と考えているようだ。そして、現に売れている以上、そんな重大な3大欠陥があるはずがない、と。なんだそれ。アホか。

例えばある若い女性が「顔と乳がいいだけ」「笑顔は魅力的だが知性がない」「音痴」だとして、それは「3つのネガティブ要素」だろうか。もちろん価値観は人それぞれだが、標準的な価値観ではたぶん、違う。

・顔はいい
・乳もいい
・笑顔も魅力的
・知性がない
・音痴

・・・これ、ふつうは「みっつのポジティブ要素とふたつのネガティブ要素」だろう。ふつうの価値観の是非はさておいて。いやむしろ受け取り手によっては「五つのポジティブ要素」かも知れない。

「アイデアがいい」「タイトルもいい」「表紙もいい」
このみっつ揃ったら、本はかなり売れるんじゃなかろうか。そのことの是非はさておいて。

しかしながら、それでも本は読まれ続けている。しかも、Amazonでも売れ続けている。なぜか?
それは、「表紙とタイトルだけで売れた」「アイデアはいいけど内容がない」「文章が下手」という意見に同調する人が、実はマイノリティでしかないだからだ。

違うって。「タイトルがいい」「アイデアが魅力的」「表紙見ていっそう読みたくなった」と感じる人がマジョリティだからでしょ。

ちなみに僕もそのマジョリティに含まれる。やっぱタイトルがいいんだよな。「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」。見事なタイトルだ。見た瞬間にベストセラーを確信させられる。マネージャーがドラッカーを読んだらどうなるんだよ、知りてえよ、早く教えてくれよ。
 「女子高生」と「ドラッカー」がミシンとこうもり傘くらいにかけ離れている上に、ドラッカーってなんだかよく知らない上に、というより全く知らないけど、なんだかインテリっぽくて有り難そうだし、インテリっぽいだけじゃなくて、これ例えば「ハイデッガー」や「フッサール」だったらインテリっぽいだけだろう。それが「ドラッカーの『マネジメント』」だとなんとなくライフハック的あるいはホッテントリ的あるいは BIG Tomorrow 的な実用感というか、あなたの人生に生かせますよ的な何か、得られるものがありそうだし、高校野球の話だったら長くても最大3年で、かならず結末があるだろう。ああ、その結末とプロセスを読んでみたい。

「日経新聞読者の高給おっさん層の願望にマッチする不倫小説」がアイデアで、「失楽園」がタイトル。「老人介護の問題を赤裸々に」がアイデアで、「恍惚の人」がタイトル。「インテリおちゃらけ交友録と軽い文明批評を猫視点で」がアイデアで「我が輩は猫である」がタイトル。「高校バスケ部の話」がアイデアで「SLAM DUNK」がタイトル、という具合に、アイデアとタイトルは一般的には独立の要素だが、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の場合、アイデアとタイトルがほぼイコールだ。つまり、実用書っぽいタイトル。

実用書には「女医が教える本当に気持ちのいいセックス」「サルでもわかるDVDコピー」「冠婚葬祭入門」などのようにジャンルに特化した具体的なものも、「論理的に考えるための十のヒント」みたいに抽象的で応用効きそうなものもあるが、「もしドラ」は両者のいいとこ取りに成功した稀有なタイトルだ。高校の野球部という具体性があり、にもかかわらずスポーツ書コーナーではなくビジネス書コーナーに置かれ、高校球児ならぬビジネスマンに訴求し、のみならず、受験生なら受験に、主婦なら家事に、恋する乙女なら恋愛に、もしかするとセックスにも DVDコピーにも冠婚葬祭にも生かせそうな汎用性。の、予感。それを、タイトルが端的に表現している。「なんと意外なことに、野球にだって生かせるんですよ」と。

そう、よく考えてみるとかけ離れているのは「ドラッカーと女子高生」ではなく、「ドラッカーと高校野球」なのだ。血と汗と涙の代わりにドラッカーを。坊主頭にドラッカーを。人事とか商品開発とか会計とかに留まらず高校野球というような特殊分野にまで生かせるのだったら、それこそ「人生」全般に生かせそうだ。
 同様の特殊分野はいくらでもある。「もしDVDをコピーしたい人がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」「もし餃子の王将の店長がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」「もし女医がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」などなど。いくらでもある中で、特に訴求力のありそうな解を見つけるのがセンスだ。高校野球。絶妙ではないか(とは言え、「もし餃子の王将の店長がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」というのもそこそこ売れそうですね。自画自賛すみません)。
 で、さらに、「女子高生にだって理解できますよ」と。よし、表紙は女子高生にしよう。それも理知的な女子高生ではなく、叙情を湛えた深い絵とかでもなく、ごく普通な感じの親しみやすい女子高生のイラストで。見事である。売れて当然だ。その資格がある。

Amazon のカスタマーレビューで、こういうのを見かけた。「歌手で言うと、歌は下手くそだけどプロモーションが良くて売れるアイドルみたいな感じです。この本の担当編集の能力の無さは、筆舌に尽くし難いです。誰か腕のある作家さんがリメイクして欲しい作品です」
・・・下手くそなアイドルをプロモーションの力で売る担当マネージャーが無能? いやいやいや、それ、優秀だろう。仮にこの本が「アイデアとタイトルと表紙で売れた」のだとしたら、担当編集者は切れ者ということではないか。アイデアとタイトルが著者によるのだとしても、少なくとも「それを通した」という意味で。

・消された『もしドラ』のレビュー書いた人の新しいレビューがまた消されてる
・なぜ『エースの系譜』は売れなかったのか
・もしドラの作者は思い込みが激しすぎるのではないか
・「小説の読み方の教科書」を書き、それを伝えていくのがぼくの使命
・ひょっとしてライトノベルって表紙とタイトルだけが商品価値だったりするの?

◆◆

ところで、「オレの文章は下手じゃない。売れ続けてるのがその証拠」という論理ってどうなの。「売れてるものは優秀。売れてるものにケチつけるヤツはバカ」という近田春夫的な小室哲哉的な価値観もひとつの見識かも知れないが、それを標榜するのであれば、例えば「パフュームの踊りは糞」という主張は取り下げるべきではないか。パフューム売れてるんだから。
 「いや、パフュームが売れてるからパフュームの踊りは優れている、という論理は成り立たない、パフュームは楽曲がいいから売れている」と言われるだろうか。そんなら、もしドラは売れてるからもしドラの文章は優れている、という論理も成り立たない。

『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。
それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。
そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。

こんなことを言いながら、どうしてこの人は、パフュームのダンスの価値を見逃してしまっているのは自分の見方が誤っているせいかも知れない、とは考えないのだ? ダンスも、正しく見れば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損じゃないか。
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by nobiox | 2011-08-14 01:29 | ├自分用メモ | Comments(0) |
家庭でのエネルギー消費はエネルギー全体からみれば3%ほど。
以下は、エネルギー環境問題研究所代表石井彰氏が朝日ニュースターの「ニュースの深層」で語ったのを、ちきりんさんが無断で要約したものを、nobioがさらに勝手に縮めたもの。

「自然エネルギーか原発か」という議論の不毛

日本のエネルギー消費の75%は、化石燃料が直接的に使われている部分。電力の占める割合は25%に過ぎない。原発はさらにその3割、つまり全体の1割弱に過ぎず、原発再稼働か、自然エネルギーか、いや化石燃料か、という議論に大きな意味はない。原発が止まるなら化石燃料で補えばよろしい。CO2を気にするなら、電力以外の部分についての対策の方が余程重要。

全エネルギー消費の3分の2はモノの製造と輸送に使われている。
 つまり、家庭の電力消費を仮にゼロにしたところで、一戸建てやマンションに住み、風呂やトイレがあって、冷蔵庫もあってパソコンもあって服を着ていて、歯磨きをして、朝になったら車や電車で通勤し、オフィスはビルの中にあり、火事になれば消防車がくる、という生活してる時点で、既に全エネルギーの3分の2を使っている。
 家庭でのエネルギー消費は、全エネルギー消費の1割程度。さらに電気はその中の27%程度である。つまり、エネルギー全体からみれば3%ほどであり、その中での節電なんていうのは、消費エネルギー全体の節約という視点からみればインパクトが極めて小さい。

日本のエネルギー消費の45%が電力を作るために投入されている。(これが“電力化率”が約半分という話) しかし、できあがりでみると25%。つまり半分近くを無駄に捨てている。ちまちました話より、ここの変換効率を改善するような発電技術におけるイノベーションや発送電システムの改善の方が、エネルギーの有効利用のためにもCO2削減のためにも有効。
 また、発電所(発電システム)の改善に加え、ビルや病院、工場など消費場所で発電する“分散型のコ・ジェネレーションシステム”も有効(排熱を現場で利用できるから)。
 こういった発送電システム全体の見直しこそが、エネルギー消費量全体の削減に大きく寄与するのであり、これこそが今、我々が議論し、集中的に投資すべき分野である。

エネルギーの9割は化石燃料。これはあと200年は無くならない。エネルギー政策というのは、「原子力か、自然エネルギーか」という方針のことではなく、この圧倒的な主役である化石エネルギーをどう有効活用するかという話である。また、当面の電力不足をどう乗り切るか、という話は、「エネルギー政策」などとは呼ばない。

今ある化石燃料の利用効率をどう上げていき、CO2を抑えながら、資源の枯渇を遅らせ、安定的に、かつ、環境に負荷を掛けずにエネルギーを利用していくには何をすべきか。そのために、どのような発電、送電のシステムを採用・構築するか、という話こそが重要。


勉強になりました。
 餓死しそうなときに「食料なんて現代人が消費してるエネルギーの中ではほんのちょびっとなんだよ」と言われても腹の足しにならないように、電力不足で困ってるときに「電気なんてエネルギー消費のごく一部だよ」とか言われてもしょうがないよな、という気はするし、
 「エネルギー政策」と呼ぼうが呼ぶまいが電力政策は必要で、その文脈で原発再稼働か自然エネルギーか化石燃料か、とかいう話してるんだろ、とも思うが、石井さんはそういう話をしてるんではないんだろう。それはわかる。勉強になる。ただ、個人的にどうも納得いかないんだけど、電気って、ほんとにそんなに「ごく一部」なの?

「家庭で消費するエネルギーのうち、電気は27%」だって。ってことは何? ガス(炊事、風呂、ライター)、灯油(ストーブ、ジッポー)、ガソリン(自家用車、バイク)、ろうそく(仏壇、アロマテラピー、呪術、クリスマスケーキ)、煙草、花火、バーベキュー、火鉢のぶんが7割を占めるってこと?
 家屋の建設で消費されるエネルギーとか、電子レンジの製造過程で消費されるエネルギーとかを「家庭で消費するエネルギー」に含めての話だろうか? いや、「全エネルギー消費の3分の2はモノの製造と輸送に使われており、家庭でのエネルギー消費は1割程度」という文脈からしてそれはないよな。まじかー? いや、間違いだと判断するだけの根拠も何もないけれど、感覚的にはちょっと信じがたい。いや、カロリー比だとそんなもんなんだろうか。
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by nobiox | 2011-07-25 16:18 | ├自分用メモ | Comments(0) |
モンティ・ホール問題、その特殊な条件
テレビのクイズ・バラエティショー。ステージにみっつの扉がある。うちひとつに豪華景品が入っていて、残りふたつはハズレ。出演者はどれかひとつの扉を選ぶ(仮に扉Aとする。まだ開けない)。選んだところで司会の草野仁さんが言う。「ファイナルアンサー?」言いながら、残りふたつのうちひとつのドアを開けてしまう(当然ハズレ。Bとする)。残るドアはAとC。草野さん、さらに言う。「スイッチしますか?」
Wikipediaより:1990年、ニュース雑誌"Parade magazine" のコラムニスト、マリリン・ボス・サバントが読者の質問に「正解は『スイッチする』である。スイッチすれば当たる確率が2倍になる」と回答したところ、「彼女の解答は間違っている」との1万通の投書が殺到した。投書には1000人近い博士号保持者からのものも含まれていた。ポール・エルデシュのような大学者さえマリリンの答えを「あり得ない」と主張した(後に誤りを認め、謝罪している)。コンピュータで条件を入力して解析した所、マリリンの答えは正しかった事が証明された。

1万通の投書って本当だろうか。百万部売れてる雑誌でも滅多に1万通の投書は来ないと思うんだけど。投書がたくさんあって、投書欄に載って、投書欄で議論になってまた投書が来てどんどん盛り上がってえんえんと収束を見ず、結局トータル1万通、ってことだろうか。だとするとマリリンを支持する意見も相当数あったのかも知れない。確率の話ってやたらめったら盛り上がるんだよなあ。「竹中平蔵を叩いてる人はどうしちゃったの?数学を使わない説明するからちゃんと読め」のコメント欄なんてもう、大変なことになっている。HTMLの話も時として危険だが、確率の話はその500倍おそろしい。

◆ ◆

モンティ・ホール問題を初めて聞いた人は大概、「スイッチしてもしなくても確率は同じ」と考える。「じつはスイッチした方が得なんだよ」「コンピュータで解析して、マリリンの正しさが証明されたんだよ」とか聞かされても、なかなか納得しづらい。「条件を入力して」というのがミソだ。どういう条件を設定するかで、つまり、ルール次第で、結論は大きく変わる。草野さんがどういうつもりで開けたのかがわからないのであれば、「スイッチしてもしなくても確率は同じ」というのも、間違いではない。

1.
どのドアが当たりか草野さんが知らず、当てずっぽうで偶然ハズレのドアを開けた(あるいは予期せぬ突風で偶然ハズレのドアが開いた)のだとすると、スイッチしてもしなくても当たる確率は同じだ。あらためて考えなくても直感で誰もが知っている。多くの人がマリリンの回答に違和感を抱く理由はこれだ。
 実験してみよう。実験はひとりでもできるし、脳内でもできる。トランプなり花札なりを3枚選び、1枚を当たりと決め、テーブルに伏せてシャッフルして並べる。左手を出演者、右手を草野さんと決める。左手で1枚選ぶ。まだ開けない。右手(草野さん)で1枚開ける。これが当たりだったら場内大ブーイングでそこで終わり。ハズレだったら、左手、スイッチして開ける。300回実験すると、約100回は草野さんが当たり、約100回はスイッチして当たり、約100回はスイッチしてハズレ。スイッチしてもしなくても確率は同じ。(ちなみに、草野さんが当たりを引いた場合もそこで終わらせずにスイッチして開ける、というルールにすると、約100回はスイッチして当たり、約200回はスイッチしてハズレとなる。これは「スイッチしない方が有利」を意味しない。スイッチせずに300回やっても、約100回は当たり、約200回はハズレ。つまり、「スイッチしようがしまいが期待値は変わらない」を意味する)

2.
「A:草野さんはいつでも必ず残りのドアのうち1つを開く」かつ、「B:そのドアは必ずハズレ」という特殊な(Bはテレビ的に考えて確かに常識的な推定だろうが、Aはルールとして明示されない限りわからない)条件を設定した場合のみ、スイッチした方が確率上2倍有利、という結論になる。実験1で、草野さんが当たりだった分がごっそり「スイッチして当たり」に上乗せされるからだ。
 実験してみよう。左手で1枚選ぶ。まだ開けない。右手で2枚開け、当たりが入っていたら当たりを場に戻す。両方ハズレだったらどっちでもいいから1枚戻す。左手、スイッチして開ける。300回やると、約200回は右手で開けた2枚に当たりが入ってるはずだ。その場合はすべてスイッチして当たり。約100回は右手で開けた2枚ともハズレだろう。その場合はスイッチすればハズレ。
 実際に何度かやってみればすぐにわかるが、やってることは要するに「左手で最初に選んだカードを開け、ハズレだったら『スイッチして当たり』、当たりだったら『スイッチしてハズレ』」というのと同じだ。最初に選んだカードはハズレてる可能性の方が2倍高いんだから、スイッチすれば確率2倍増。

3.
現にハズレが開いた、という事実があっても、開いた理由がわからないと確率を計算できない、というのは不思議だ。不思議だからこそ、この話は人気がある。司会者の意図が確率を大きく左右し得ること(また、上記の条件Aの必要性)を納得するには、「草野さんは、出演者が最初に当たりを選んだ場合だけ、ハズレを開けてスイッチをうながす」という条件を想像してみるのがいい。この場合、スイッチしなければ100%当たり、スイッチしたら必ずハズレだ。

◆ ◆

ところで、普通の人にとって、クイズ番組に出る機会なんてそう何度もない。一生に1度しかないことについて「300回やったらこうなる」とか論じることに、意味はあるのだろうか。例えば、一度きりの特番だったら?
 そう、確率に頼るヤツはせいぜいが秀才止まり、超一流は今ひとたびの覚悟に賭ける、覚悟はハカリの外にある、確率論で勝てるのはぬるま湯で長いスパンの状況だけ、と、カイジやアカギや鷲巣巌なら言うはずだ。そういうのも正しい、のかも知れない。竹中平蔵の「東海大地震がこの1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%」という発言に、「災害を確率で語る方がどうかしている」とリツイートした人がいる。アカギ型の人だ。そう思う人は決して少なくないのだろう。それはそれで正しいような気もするが、

いやいやいや、災害対策こそ確率に基づいて合理的に判断すべきでしょう、あなただって「30年で87%」と聞いてヤバいと思ったんでしょ、あなただって確率を重視してるじゃないの、そもそも低量被曝の危険性のことを「確率的影響」と呼ぶんですよ、というようなことも思う。どうなんだろ。確率の話はむずかしい。「確率の話はむずかしい」と言うと、考えはまとまってるんだが説明するのがむずかしい、みたいに聞こえるが、そうではなく、どう考えるべきなのか、が、正直よくわからない。
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by nobiox | 2011-05-14 13:48 | ├自分用メモ | Comments(4) |
確率の話はむずかしい。
1
@HeizoTakenaka | 竹中平蔵 | 2011年5月10日

30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。(nobio註:87÷30 = 2.9)

2
【赤木智弘の眼光紙背】原発のリスク 社会のコスト
2011年05月12日10時00分

 かつて小泉内閣で経済財政政策担当大臣や、金融担当大臣などを務めた竹中平蔵が、菅直人首相による浜岡原子力発電所への停止要請を受けて、ツイッター上で「30年で大地震(東海地震)の確率は87%、あえて単純計算すると、1年で地震が起こる確率は2.9%。1ヶ月で0.2%。社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、地震が起こる確率は極めて低いはずだ。」との旨をつぶやいた。

 もちろん、この確率計算がおかしいことはいうまでもなく、この珍妙な計算方法はツイッター上で批判を受けている。これでは時間が経つにつれて2年目は5.8%、3年目は8.7%と、どんどん地震発生の確率が上昇して行ってしまう。

 それを茶化して、単に「経済学者が変な計算をしている」で終わるのならいいのだが、私はかつて日本の大臣になった人間が、このような今の社会を矮小化したツイートをして平気だという事実に、寒気を覚える。

3
竹中平蔵氏のための確率論入門 | 平成の龍馬(多田光宏)

(nobioによる要約)竹中はバカ。30年以内に1度以上東海地震が起こる確率が87%だと仮定し、あえて単純計算(起こる確率が30年間一定だと仮定)した場合、1年以内に1回以上東海地震が起こる確率の計算は、こう。

30年間1度も起こらない確率は13%。1年以内に1度以上東海地震が起こる確率をpとすると、30年間1度も起こらない確率は、(1-p) の30乗。したがって(1-p)30 =0.13 となる。
一般に、XY = Z の時、Z1/Y = Xと式変形できる。
これを用いて解くと、p≒0.066 となる。つまり、約7%。

4
「30年で大地震が起こる確率が87%」のときの「1年間に大地震が起こる確率」

(nobioによる要約)計算は2と全く同じ(「Rで計算してみると」という行の意味がわからなかったけど、Rというのは有名なフリーの統計処理ソフトウェアの名前らしい)。
また、東電の損害賠償額は最悪の場合約10兆円なので、1年の損害の期待値はこれに7%をかけて 7,000億円。一方原発停止によるコストは年2500億円程度。したがって浜岡原発の停止はじゅうぶんに合理的。

5
竹中平蔵を叩いてる人はどうしちゃったの?数学を使わない説明するからちゃんと読め

(nobioによる要約)次の 30 年間で 87%というのは、東海地震が周期性を持つという観測事実に基づいている。周期が 120 年くらいだと言われていて、前回の発生から 120 年は過ぎているので、いつ起きてもおかしくない、と。そのため、次の 30 年は特に発生確率が高いと考えられている。例えば出産間近の人がいて、次の 30 時間で赤ん坊の産まれる確率が 87% だとする。次の 1 時間で産まれる確率はいくらですか、という問題と同じ。もちろん厳密なことは、30 時間のうちどの時間帯に産まれやすいかが分かっていないと計算できない。厳密なことはめんどくさいから大雑把な計算で、という話なら、87% を 30 時間で割れば良い。竹中平蔵の計算で正しい。

1年あたりに大地震が起こる確率を p とおき、30年間で1度は大地震が
起こる確率が 0.87だとすると、 (1-p)30 = 0.13
・・・というのが成り立つのは、各事象が独立(例えばサイコロを3回振るとか、100マス中7マスが当たり目であるルーレットを30回まわすとか)の場合。ルーレットは30回続けて当たる可能性もあるが、東海大地震が30年間に30回起こるとか、360ヶ月に360回起きるとかいうことは考えられないので、それと一緒にするのは間違い。(nobio註:この人はこのエントリーでは「概算としてなら竹中式計算は間違ってない」という、いわばどうでもいいことを主張してるだけで、「浜岡原発停止に反対」とか「0.2%なら無視してよい」とか、竹中を好きとか嫌いとか、そういう話はしていない。それがわからん人たちがコメント欄を無駄に賑わせている)(それとコメント欄を読むと、近似的に独立事象と見なすような観点も必要なのかも知れない、だそうです)

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by nobiox | 2011-05-13 19:01 | ├自分用メモ | Comments(2) |
何を信用するか
東大教授だから正しいんじゃないか、というようなブランド依存をやめて、○○さんの言うことだから信じる、とかの安易な丸投げもやめて、個々の言説の価値を自分の頭で判断しよう、という主張がある。正しい。しかし、自前の頭の性能が低い人(例えば僕)は、いちいち全部を判断できない。「ベクレルとメガベクレルとテラベクレルはこんなに違う」だとか言われても、いまいちピンと来ない。そういう人にとってはやはり、ブランドも重要だ。

そういうわけで、今回の地震津波原発関連で僕が気に入ったブランドのメモ。

▼kikulog
僕はこの人好きですね。ほぼ全面的に信用する。
・読売新聞の「ドイツの放射性物質拡散予測」がいかにアホ記事か
・読売新聞から返事をいただいていた

▼NATROMの日記
この人好き。信用する。コメント欄にたまに「人の批判をするならまず実名を名乗れ」とか書く人がいるんだけど、東大教授だから正しいんじゃないか、というようなブランド依存をやめて、○○さんの言うことだから信じる、とかの安易な丸投げもやめて、個々の言説の価値を自分の頭で判断しよう、と、この人は一貫して主張している。そういう人が実名を名乗らないことは、ぜんぜんおかしいと思わない。一方、「人の批判をするならまず実名を名乗れ」とNATROM氏を批判する連中が実名を名乗らないのは、どう考えてもおかしい。

▼堀江貴文
この人はけっこうおかしな主張もしてると思うんだけど、震災関連のツイートには敬服するのが多い。低濃度汚染水排出の影響に関して「水産庁の発表した値で考えると大したことない」とツイート。「堀江さんまで水産庁の発表を鵜呑みにするんですか、ちょっとショック」という反応に対して、「じゃああなたは何を信じるの。政府の発表は全部嘘、危ない、逃げろ!ってのだけ信じるの? 僕は僕で調べて僕が判断した。あなたもあなたで判断すればいいでしょ」とか返信したのを読んで、感心しました。

▼松永和紀
この人は前から好き。信用する。
・超訳・放射能汚染1〜疫学が示す「年間100mSv未満は大丈夫」

放射線・原子力教育関係者有志による全国環境放射線モニタリング
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by nobiox | 2011-04-28 00:26 | ├自分用メモ | Comments(2) |
義援金とか寄付金っていうのは
義援金とか寄付金っていうのは、直接被災者に分配されるの?
なんとなく、直接被災者に行くよりも復興資金として国なり自治体なりに行った方が
よさそうに思ってたんだけど。
もちろん、間違いかも知れないが。
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by nobiox | 2011-04-06 07:56 | ├自分用メモ | Comments(0) |
エントリーシートという地獄
不正入試とエントリーシートと「orz」な若者たち:日経ビジネスオンライン

(の、nobioによる適当な要約)30年前も就職活動は苛酷だったが、今ほどじゃない。当時は就職解禁日を10月1日とする紳士協定が機能していた。履歴書を提出して1次面接。企業の方も、10月1日に来たヤツは自分のところを第一志望にしているとわかるから、それなりに優遇する。で、以下、10月2日組、10月3日組ぐらいまでをひと通り見比べて、二次面接に呼ぶ学生を決める。学生は電話を待つ。そう何十社も受けることは、物理的に不可能だった。

現今の就活においては、50社とか受けるのが普通である。出会いと選択の機会が増えたのは結構だが、企業も学生も、負担が増えた。学生は「落とされる」機会が増えたし、企業は「逃げられる」機会が増えた。49社も落とされたら自殺を考えても不思議はない。

いまの学生が企業に提出するのは単なる履歴書ではなく、各企業が独自に設定する、小論文試験と履歴書を兼ねたような「エントリーシート」だ。恐ろしいことに、多くの企業が「手書き」かつ「鉛筆不可」を指定している。ネットで「ESの書き方」を検索すると、「本当に入社したい会社なら、修正液はNGと考えた方が良いでしょう。書き損じや誤字脱字がひとつでもあったら、潔くはじめから書き直しましょう」てなことが書いてある。うわあ。企業は、安易なコピペを防ぐためだと言うだろうが、そんなもんに意味はない。50枚も書く以上、内容的にはコピペにならざるを得ない。電子ペーストが人力ペーストになるだけのことだ。どんな字を書くか見たいと言うなら、「名前と経歴だけ手書き」とかでいいだろう。これは、「いじめ」じゃないか。こういういじめを課した上で、結局大学名だけ見て決めるんだぜ。ひどいもんだ。
小田嶋隆はさすがに子供がいるだけあって就活事情に詳しいようだ。僕は今年甥が就職したんだけど、ぜんぜん知らなかったよこんなの。大変だったんだなあルフィ。
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by nobiox | 2011-04-04 21:05 | ├自分用メモ | Comments(0) |
ササクレ屋を節電啓発大臣に
石原都知事に蓮舫大臣が節電協力を要請

 東京都の石原慎太郎知事(78)は14日、元報道キャスターの蓮舫節電啓発担当大臣(43)から節電への協力要請を受けた。
 石原知事は「政令を出すべきですよ、政府の権限なんだから。節電に協力させるために夜10時以後は消灯、ネオンなんかつけるな、とかね。政府の権限で言い渡せば国民全部が納得するんですから」と国で節電の政令を作るべきだと訴えた。また、石原知事はコンビニの深夜営業や自動販売機の深夜稼動の休止などを提案したようです。

石原は例の、問題になって翌日謝罪した「天罰」発言の直前に、こんなこと言ってたんですね。今日まで全然知らなかった。天罰発言より百倍ツッコムとこなのに、そう思った人はほとんどいなかったのか。天罰発言は「気持ちの面でハイリョに欠ける」だが、「コンビニの深夜営業休止」は積極的に害悪だ。あのなあ、夜は電気余ってるんだよ。余った分は溜めておけないから、捨ててんの。だから一部の人が夜間に活動して昼間寝ることには、オフピーク(ピークオフ?)効果があるの。だって、そういう層が夜寝てみんなと同じように昼間に電気使う暮らしにシフトしたら、却ってピーク時の電力消費が増えるでしょう。いわゆる石油ショックの時なら、運用次第では深夜の節電も意味ある訳だけど、今はそういう状況ではない。今の電力不足を乗り切るための喫緊の課題は、ピーク時の最大消費電力の抑制なの。

自動販売機を深夜だけ止めても意味ないの。「だけ」で行くなら、季節ごとのピーク時だけに止めるの。季節ごとにピークが何時頃になるのか、僕はよくは知らない。夏は冷房需要で午後3時、冬は暖房需要で午後7時、とか? そんな感じ。どっちにしても、どの季節においても、

深夜にはピークは来ないの。たいていの人は寝てるから。

もちろん一部の深夜族のうちのさらに一部は、夜間に活動した上にピーク時にも電気を使うだろう。だとしても現状では間違いなく言える。深夜にはピークは来ない。東京電力だって深夜に余ってる電気を使って欲しくて、深夜の電気料金割引プランってのを出してるの。僕だって知ってるよそのくらい。

◆ ◆

僕がこの石原発言を知ったのは「ササクレ屋」というブログを通してです。「ササクレ屋」素晴らし過ぎる。「べつに電気も詳しくないし物理も勉強したことないし」と書いてあるけど、少なくとも僕より頭がいいのは間違いない(すみません褒め言葉になってません...)。いままで読んだ節電問題関連の言説の中では、ダントツでこれを支持する。

ササクレ屋「東京ドームのナイターの電力を日常生活で例えたら」
ササクレ屋「節電のはなし 続き」
ササクレ屋「結局、東京ドームのナイターの電気はどうなのw」
ササクレ屋「もう節電の話は…」

東京ドームが使う電気と試合を自粛した場合の比較の過程には多少疑問を感じるけど、その疑問はご本人も感じておられて、結論は「実際にナイターが中止になったら、観客になっていたはずの人が何kWの電力を使うかなんてわからないのではっきりいって節電になるのかかえって無駄遣いになるのか断言できない」「この日記の主旨は『計算ではナイター開催はむしろ節電なのでやるべき』ということではありません。節電を理由にするのに節電について誤解が多すぎ、節電効果を考える人が少なすぎたので暇な私がそれを説明」だそうです。なるほど。

ササクレ屋さんのこの記事をmixiで引用した人が袋叩きに会ったそうだ。むう。イヤ、よくよく検証したらササクレ屋の計算は間違いでした、っていうんならそれはそれでいいよ。それだったら「ダントツで支持する」なんて書いた僕も、喜んで謝りますよ。「何もイベントがない静かな夜」と、「東京ドームで巨人戦、後楽園ホールで幕内一歩の世界戦、横浜アリーナでヨン様のコンサート」がある夜の方が消費電力少ないって言うのか阿呆かふざけんな、という感性はもっともだと思うし、そういう疑問は僕も感じる。だけど、その疑問をまじめに検証せず、そこを聖域にして、とーにーかーく自粛しとけば間違いないの、自粛しないヤツは気違いなの、そこに疑義を提出するヤツは徹底的に叩くの、という思考停止が恐ろしい。例えばよくある反論として「4万人入るとしたらその4万人ぶんの電車が使う電気も・・・」とかあるらしいけど、いや今のところ、巨人戦あろうがなかろうが電車動いてますから。「東京ドームで試合がある夜は電車が動いてる」。なるほど、その通りだ。しかし、あなたが自宅でパソコン使ってる夜も、電車は動いてるんですよ。

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蓮舫は節電啓発が仕事なんだったら、なによりもまず、「被災地のみんなのために節電しよう」という根本的な誤解を解くのが急務じゃないか。この誤解が広くゆきわたった原因のひとつは、あの、芝居がかった、悲壮感と思いやりを強調した、蓮舫の節電啓発大臣就任会見だと思う(僕は蓮舫が宝塚出身かと誤解してしまった)。もしかしたら蓮舫自身がそういうふうに誤解してるんじゃないかと心配になってくる。東京都民の節電は、(直接的には)東北の被災者には何の役にも立たない。東京都民の節電は、東京都の暮らしを守るためだ。

あと、買い溜めを控えよと訴える人は、その前に、従来に比べて入荷量が変わってないもの、減ってるけど復旧の見通しが立ってるもの、がくんと大きく減ってるもの、なんかをおおざっぱな地域ごとに調べて、発表して欲しい。蓮舫の権限があればすぐできるだろう。

地震の影響で、あるいは地震以外の原因で、実際に生産量あるいは出荷量あるいは流通量あるいは入荷量が減ってるものはいろいろある。納豆だとか。パルプだとか。特殊インクだとか。自動車部品だとか。「丸亀製麺」では最近、ゆで卵の天ぷらが消えた。聞いたら「地震の影響で卵が入って来ない」だそうだ(じゃあなんでおでんの卵はあるのよ、と思ったけど、突っ込まなかった)。牛乳は生産能力は減ってないけど紙パックが不足してて出荷できないという報道も見た(フジテレビ)。今日(4月3日)近所のコンビニではビールの棚がすっからかんだった。店員の話では「計画停電の影響で生産が減ってる」だそうだ。店員はそう言ったけど、もしかすると水系の放射能汚染のせいかも知れない(さらに追記:今日4月4日、新宿のコンビニではタバコがスッカラカンだった。店員に聞いたら、JTさんの工場がぽしゃったみたい、と言ってた)。とにかくさあ、原因も調べずにすべてが買い溜めのせいだ、とか言ってるよりは、実態を調べて公表した方が、愚かな買い溜めの抑制効果は上がるような気がする。

今こそサマータイム導入を!|西陣に住んでます
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by nobiox | 2011-04-02 16:48 | ├自分用メモ | Comments(0) |
なぜ日本では略奪が起きないのか?
なぜ日本では略奪が起きないのか?

“Looting simply does not take place in Japan. I’m not even sure if there’s a word for it that is as clear in its implications as when we hear ‘looting,’" said Gregory Pflugfelder, director of the Donald Keene Center of Japanese Culture at Columbia University.
「日本には略奪という行為は、単に、存在しません」 「‘略奪'に相当する明確な言葉が日本語にあるかどうかすら確信していません」と、グレゴリー Pflugfelder(コロンビア大学の日本文化のドナルドキーンセンターの指導官)は言いました。

おいおい、ドナルドキーンセンターの指導官が「略奪」とか「強盗」とか「盗む」という日本語を知らないのか。それでミシマやカワバタやサイカク・イハラを読めるのか。知らなくたって辞書引けば載ってるだろ。
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by nobiox | 2011-03-25 14:49 | ├自分用メモ | Comments(6) |
ナベツネはスプリングスティーンの夢を見るか
これは大昔、インターネットもJリーグも携帯電話もCDも存在しなかった時代、たぶんFAXと留守番電話が一般家庭に普及し始めた時代に、渋谷陽一がFMでしゃべってた話。渋谷陽一自身も誰かに聞いた話だと思う。すでに僕は彼がやっていた番組のタイトルを思い出せない。当時SONYのラジカセを持ってたことを覚えている。よいこのみんなはラジカセなんて知らないと思うけど。

1980年12月8日。ツアー中だったブルース・スプリングスティーンはジョン・レノンの死のニュースに接した。一様にショックを受け、今夜のコンサートはキャンセルだ、こんな夜にショーなんてできないぜと口々に言うスタッフを、スプリングスティーンはどやしつけた。ヘイ、ユー、How can you say that? お前たち何を言ってるんだ、こんな夜だからこそプレイするんだ。絶対にやらなくてはならない。その夜のショーは予定時間を大幅に上回って続き、彼は汗と涙と涎をまき散らしながら、「ボーン・トゥ・ラン」を30分にも渡って歌い続けたという。ほんまかいな(「Born To Run」は詩にもメロディにも起承転結がある。即興でロングバージョンができるわけないだろ、という気はしないでもない)。

次は今月の話。このたびの東日本大震災から4日間休演していたNODA MAP は15日に上演を再開し、野田秀樹は再開の挨拶として「この自分の首をしめる自主規制のような事態は、のちのちの社会や文化に窮屈で不自由な爪痕を残します。つまり「こういう事態が起こっている時に、音楽や美術や演劇などをやり続けるなどもっての外だ!」という考えが蔓延することです」 「日常の営みを消してはならないように、劇場の灯も消してはいけない」と語った。

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ラジオを聞いてると、ナベツネ(の、セリーグ開幕強行路線)を批判する人の言い分は多くの場合「こんなときに不謹慎だ。電気の問題もあるし」みたいだけど(星野仙一の言い分は「空気読め」だそうだ)、そういう言い分にはオレは賛成しないぞ。電気の問題と不謹慎の話は別だ。電気の問題はあるが不謹慎とは思わない。1ヶ月で復旧する話なら、1ヶ月謹慎するのもいいかも知れない。だけど今回のは、間違いなく10年以上かかる。10年も謹慎してたら復旧を阻害しますよ(まあ1ヶ月でもそうだと思うけど)。

こんな時に野球なんてできない、という選手のコメントをちらほら見る。気持ちはわかる。野田秀樹だって三谷幸喜だってお笑い芸人だってみんな、今、自問自答し、苦しんでいる。長澤まさみはなんとかいうラジオのパーソナリティとして「いま、言っちゃいけないことがたくさんあるような気がして、しゃべるのがすごく怖いしむずかしい。だけどがんばって元気出します」みたいなことを語っていた。正直なところ、まさか長澤まさみに感動させられるとは思わなかったよ。別のなんとかいうラジオのパーソナリティとして冒頭に「お笑いって因果な商売やなあ」と言ってから最後までお通夜みたいだった(僕の大好きな)千原ジュニアよりも、僕は(ほぼ興味のない)長澤まさみに感動してしまった。ナベツネはたぶん、スプリングスティーンのファンなんだろう。僕も(電気の問題を別にすれば)野球はやるべきだと思う。なんでもかんでも不謹慎不謹慎いう、ビートたけしすらがかぶりものの収録を自粛したという総翼賛謹慎ファッショは恐ろしい。論理的でない消費者の行動を風評被害と呼ぶとすれば、「こんな時に野球は不謹慎」というのも一種の風評被害じゃないか。

別にナベツネの肩を持つ気はない。同じことを言ってるのに何故スプリングスティーンや野田秀樹の話は美談とされ、なぜ自分たちには非難が集中するのか、どこに差があるのか、何故世間は星野仙一を支持するのか、ナベツネや滝鼻卓雄はちょっと考えていただきたい。ちょっと考えりゃわかりそうなもんだがなー。
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by nobiox | 2011-03-23 18:12 | ├自分用メモ | Comments(0) |
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