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欧羅巴陰毛事情 2 - むだ毛のない肌、欧州男子の常識
後記:◉1:欧米では毛ジラミが絶滅に向かっている。◉2:理由は陰毛を処理する女性が(さらに男性も)増えたから。◉3:増えた理由はテレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の中で、サラ・ジェシカ・パーカーがブラジリアンワックスで脱毛する、というエピソードがあり(2000年放映)、それが欧米の女性の脱毛指向に決定的に市民権(特別なセレブ、あるいはポルノ女優だけでなく、一般人のツルスベもアリだという)を与えたのである。以上3点とも、イギリス皮膚科医会(British Association of Dermatologists)の見解。だそうです。2013/7/8 の「バイリンガルニュース」でマミちゃんがそう言ってました。

彼女の私見では「日本の女のコはほぼ100パーセントが下の毛生やしっぱなしのジャングル状態。温泉とか行くともうほんと、トラウマになるくらい。個人的にはかなりショッキング。逆にこっちの方が恥ずかしい」(って、あんたはどこで育ってどういう処理してるのか言ってくれないと、なに言ってるのかよくわからない)。「逆に日本は腕の毛はすごい気にするけど、アメリカとかだったら有名な女優でも腕の毛生えまくり。普通に生えてる」「脇毛? あー、ヨーロッパもけっこうねえ、あの、スペインとかも、きれいな女の人でも意外と脇毛そのまんま生えてたりして、きゃ、って思う」「毛事情は国によって大きく違う」だそうです。後記終わり。

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Tom Wesselmann: "Bathtub 3" 1963


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Tom Wesselmann: "Great American Nude #92" 1967
いずれも、脇毛は剃ってて陰毛は生えてる。



以下2枚は1992年公開の映画「エイリアン3」の導入部。
宇宙船で遭難したリプリーは、小惑星「フューリー161」の医務室で意識を取り戻す。
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坊主頭の医師:「髪を剃らせてもらう。ここじゃ毛ジラミがヤバいんでね」
(フューリー161の住人は全員が丸坊主なのである)
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「後でバリカンを渡すから、下の方は自分でやってくれ」
1992当時のアメリカでも、男女とも陰毛はあって当たり前、という前提が感じられる。




◆◆

以前「欧羅巴陰毛事情」という記事を書いたんですが、その後、今年5月3日付けの朝日新聞に「むだ毛のない肌、欧州男子の常識」という署名記事が載った。書いたのは朝日新聞の玉川透記者、前ウィーン支局長。素晴らしい記事だ。かつての週間文春の「[香川] [本田] 両エースは何故「下の毛」を剃っているのか」なんていう浅い記事とは比較にもならない。従来も男の陰毛についてのまとまった考察(というかデータ)というものは多少は存在したが、脇毛についての突っ込んだ調査を見たのは初めてだ。間違いなく「玉川レポート」として後世に語り継がれるであろう。

「欧羅巴陰毛事情」を書いた時点では「西洋の男は陰毛を優先的に剃って脇毛を剃らないのか、なぜだ」という疑問を持っていたのですが、玉川レポートによるとこれは疑問自体が的外れで、実情は脇毛の方が優先的に処理される(べきだという女子による同調圧力が存在する)らしい。「脇毛ボーボーの男は絶対無理」「彼氏がそんなだったら別れる」とまで言われている(2013年現在)。

脇毛を剃ってる白人メンズの動画も、まとめてみっつ発見した→イケメンうっとり英会話

この、宝石のような玉川レポートは、導入部だけなら「朝日新聞デジタル」で誰でも読める。朝日新聞デジタルに会員登録(無料だが、メチャクチャ面倒くさい。朝日死ね)すれば全文読める。登録したくない人でも日本在住であれば、ご近所の図書館に行けば新聞か新聞縮刷版で全文読めるはずだ。2013年5月3日の朝日新聞です。興味ある方はぜひ全文をお読みください。

ここにもできれば全文転載したいけどそこは我慢して、記事中、事実として挙げられている部分だけを箇条書き的に列挙します。




●パナソニックが2013年3月に発表した調査:
ドイツ人男性の62%が脇毛を処理している。
日本人男性の10%が脇毛を処理している。
「処理」の定義をはっきりさせずに「あなたは脇毛を処理していますか?」という調査やっても意味ないと思うの。「オレは毎朝デオドラントクリームを塗り込んでるからイエス」と答える人と、「デオドラントクリームは使ってるけどそれを処理とは言わんわなあ。だからノー」と答える人が混在しちゃうじゃないか。日本人男性の10%が脇毛を剃ってるだなんて到底信じられないので、「処理」の意味がいろいろに解釈された結果じゃないかと思う。

そう言えば誰だったか、日本人の男子水泳選手が体毛について語るのをテレビで見たことがある。誰だったか忘れたけど北島康介より前の世代の選手。「やっぱ水の抵抗を少しでも減らしたいから、オリンピックとか、大事な試合の前には全身剃りますよ。剃ってもらう人も決まってて。腕とか脚とか背中とか全部。え? 脇毛ですか? 脇毛は剃らないですね」と言ってました。
●玉川透記者(朝日新聞)によるマルセル・グエンインタビュー:
ベルリン郊外で合宿中のマルセル・グエン選手(25歳/ドイツ)ロンドン五輪銀メダリスト:「脇毛だけじゃなく手も脚も全部剃ってる。欧州では常識じゃないの。ウチムラ? ハハ、航平・内村の脇毛はロンドンの時チーム内でも話題になってたよ」
 むだ毛はデリケートな話でもある。取材に応じてくれたグエン選手は、身長167センチ、体重60キロ、芸能人のような小顔。そんなイケメン銀メダリストに「『全部そる』とは、あそこの毛もか?」と臆面もなく尋ねた。のりのいいグエン選手もさすがに「え……」。広報担当からも待ったがかかった。
二枚目系に下ネタはタブー、という暗黙のルールはドイツにも存在するようだ。貴重なレポートだ。進撃の巨人におけるイルゼ・ラングラーのノートのように。

しかし一流アスリートの常識は一般人の常識と乖離してるかも知れない、と考えた玉川記者は、一般の男性にも聞いてみるべく、「知己を頼って、音楽の都ウィーンに飛んだ」。いや、そう書いてあるから。無知なわたしはこれを読んで「音楽の都ウィーン」はドイツにあるのかと思い、ググってようやく、ああ、オーストリアね、と知りました。「一般の男性にも聞いてみるべく、ベルリンからウィーンへ」。ドイツには一般の男性がいないのだろうか。まあ、前ウィーン支局長だからウィーンに人脈があるのはわかるけど。
●玉川透記者による一般オーストリア人男性1名(32歳/学生)へのインタビュー:
5年前、バスケット仲間に勧められて全身の体毛を剃った。はじめは抵抗感もあったが、次第に「生まれ変わったような快感」が病みつきに。素肌がすれる感覚がまたいい。今では数週間おきに浴室にこもり、約40分間むだ毛と格闘する。尻など見えない所は鏡を立てかけ、確認しながらカミソリで入念に。生えてきた新しい毛のチクチクが不快で、また剃る。もう戻れない。まるで麻薬です。
アスリートは特殊かも知れないから一般人に話を聞こう、というのがウィーンへやってきた理由なんだが、それにしてはずいぶん特殊な(ように思える)サンプルをひとつだけ採取して終わりとか、この辺りはちょっとよくわかりません。

●玉川透記者によるウィーン街頭リサーチ(対象は15~83歳の女性20名):
内村航平とマルセル・グエンの両選手のガッツポーズ写真を見せて「違和感がないのはどっち?」と質問。結果は20対ゼロでグエンの圧勝。理由は「清潔感がある」「見た目がきれい」。ウチムラの脇毛は「臭そう。彼氏なら別れる」(15歳)、「脚の毛はいいけど、脇は絶対だめ」(29歳)。「何でも多すぎはダメ。毛がなくても、男のワイルドさは伝わるものよ」(83歳)。
一方陰毛については、年代により温度差がある。10~20代のほとんどが「彼氏には剃って欲しい」。30代以上はおおむね「そこまで求めない」「陰毛はむしろセクシー」。主婦のシシーさん(50)は「19歳の息子が全部剃るよう彼女からプレッシャーをかけられ悩んでいる。今の男は女の言いなりだ」と嘆く。

●玉川透記者によるバーデンのサウナ実態現地調査:
ウィーン郊外の温泉保養地、バーデンにて。男女共用のサウナは全員すっぽんぽん。剃ってる人は案外多くない。というかブロンドの毛は目立たない。常連のペーターさん(58)の意見:「見た限り、同世代の半分は剃っていると思う。俺も剃ろうかな(笑)」
バーデンのサウナの件は脇毛のことか陰毛のことかはっきり書いてないが、「あれれ? あそこの毛が濃くないぞ。恐る恐る1人に声をかけた」とあるので、たぶん陰毛のこと。上の Tom Wesselmann の絵にあるように、髪が金髪でも陰毛は黒い、という人は多いんじゃないかと思ってたけど、玉川記者の見聞ではそうでもないのかも知れない。とにかく、はっきりわかるように書いてないので、はっきりわからない。

●ライプチヒ大学(ドイツ)の研究チームによる2009年の調査:
18~24歳の男性の約35%が体毛を定期的に手入れすると答えた。そのうち、脇と局部がいずれも約75%。理由は「衛生的」(66・5%)、「美しい体」(49・5%)、「よりよい性行為」(25・5%)。サンプル約2500人。
「欧州では常識」と言うにしては、35%ってずいぶん低い数値ですね。まあ、「手入れ」の定義をはっきりさせずに「あなたは体毛を定期的に手入れしていますか?」という調査やっても意味ないと思うんだが、しかし、仮に「処理」と「手入れ」が同値だとして、「体毛」と「脇毛」が同値だとして(無理があるけど)、パナソニックによる調査とライプチヒ大学による調査が同程度に信用できると仮定すると(あと年齢層のことを無視していいと仮定すると)(あとドイツとオーストリアは似たようなものだと仮定すると)、2009年には35%、2013年には62%と、この数年で処理派が大躍進した、ということなのかも知れない。

●ライプチヒ大学の2009年の調査に携わった精神科医ディアク・ホフマイスター氏によると:
フランスやイタリア、スペインでは丈の短いスカートとタイツがはやった1920年代ごろから女性の脱毛が盛んになった。しかし、ドイツはなぜか取り残された。一説には、ナチス独裁下でヒトラーが体毛に関してナチュラル派だったのが理由、ともいわれる。その後、60 - 70年代のヒッピー・ブームの自然派指向が無駄毛をさらに延命させ、ドイツ女性が本格的に脱毛するようになったのは80年代ごろから」
「剃ったり、生やしたり。その時代で理由は様々だが、無駄毛の盛衰は古代から繰り返されてきた。根底には、自然をコントロールしたいという欲求と、仲間と同じじゃないと安心できないという欲求がある」
つまり「ブリーフとトランクスはどっちがイケてるか」「レギンスとスパッツとトレンカは呼び方としてどれが今っぽいか」などと同じく、体毛に関するトレンドもしょっちゅう入れ替わる、と。

「ヒッピームーブメントによるナチュラル指向」というのはなるほどですね。パティ・スミスの脇毛はそういう流れで解釈すべきものなのかも知れない。まあ、そうだとしてもパティ・スミスの脇毛はナチュラルにブロンドなので、ナチュラルに黒い脇毛の日本人がそのまま真似ると、パティ・スミスとはだいぶ違う印象になる。残念だが、そういうものだ。もしかしてナチュラルではなく、ビールか何かで脱色してるのかも知れないけど。
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Patti Smith Group "Easter" (1978)。今見るとこのショットは、いわゆる「パイスラッシュ」を先取りしてますね。

●玉川透記者による出所不明情報:
すでに紀元前3千~4千年ごろには、地中海周辺などで脱毛の習慣があったといわれる。当時は、石灰やでんぷんをペースト状にした脱毛剤、毛を挟んで抜くひもなどが用いられたという。古代エジプトの女王クレオパトラも脱毛の愛好者だったようだ。中世にも、脱毛した男女の絵画や彫刻が見つかっている。
●玉川透記者による脱毛ショップ調査情報:
ドイツの「Wax in the City」は8年前、ベルリンに女性専門の脱毛店として開業したが、最初の客は男性だった。今やオーストリアやスイス、アイルランドに計18店舗を展開。どの店も男性客が15~20%を占める。社長のクリスティーン・マルグライター(49)いわく、男性の脱毛熱のきっかけは2000年代のメトロセクシュアルブーム。「ドイツの女性が本格的に脱毛するようになったのは80年代ごろからなので、ドイツ女は脇毛フサフサ、というステレオタイプがある(あるいは最近まで存在した)」
「ただ、これは決して『ボーボーは遅れている→未来はテュルン』、というようなリニアな話ではない。欧州で今、無駄毛処理に熱心な男性は20~30代。10代のトレンドはすでに、ワイルドな毛深さに移りつつある」


●玉川透記者による出所不明情報:
1990年代後半からネットで流通した欧米ポルノも影響を与えたとされる。出演する俳優の多くは男女とも局部に毛がない。ヘアヌードなど毛が売り物になる日本とは大違いだ。
ここはかなり浅いんじゃないかなー。この説明じゃ「日本人は陰毛好きなのでAVでも毛が売り物になる」かのようだけど、たぶんそれは原因と結果が逆だ。「日本のAVではみんな生えてるから、日本人は生やしてる」「欧米のAVではみんな剃ってるから、欧米人は剃る」のではないか。初歩の段階でAVで性の作法を学ぶ若者は多いだろうし、AVの影響は要因として非常に大きいんじゃないかと思う。もしかしたら最大の要因かも知れない。

なぜ日本のAVではみんな生えてるのかと言えば、日本では性器をモロに写した画像が禁じられているからだ。欧米では撮っていいから、「毛を排除してもっともっとモロに撮ろう」という指向が生まれる。日本ではモロに撮れないから、「せめて毛を撮ろう」という指向が生まれる。

◆◆

あとそういえば、「イタリア女は脇毛ボーボー」というステレオタイプを聞いた記憶がある。空港にて:「お父さん、あれはどこの飛行機?」「ん? あれはアメリカだよ。機体が太っちょだから」「じゃあ、あれは?」「日本かな。眼鏡かけてるから」「じゃあ、あれは?」「あれはアリタリアだよ。見てごらん、主翼の付け根に毛が生えてるだろ」という感じのジョーク。

◆◆

あといつも思うんだけど、どうして文系の文章自慢の人って、わざとわかりにくい順番にデータを「散らす」の? ライプチヒ大学で聞いたことはライプチヒ大学で聞いたこと、脱毛ショップ社長が言ったことは脱毛ショップ社長が言ったこと、って具合にまとめてくれた方がわかりやすいと思うんだけど。書くのだってその方が楽でしょう。わざとわかりにくい順番で説明するのは「ユージュアル・サスペクツ」をはじめとして映画や小説では常道だけど、レポートではやめて欲しい。新聞の短期集中連載とか読むと、倒置法というのか倒叙法というのか、わざとわかりにくい順番で書き出す文章ばっかりで、あれ気持ち悪いよ。金子達仁もそうだ。

いや、たまーにならいいんです。異常に倒叙法の確率が高いんだよ、新聞の短期集中連載とか、金子逹仁とか。いつの話か言う前に「暑い日だった」で書き出すみたいな。どこでの話か説明する前に「涼やかな風が吹いていた」で書き出すみたいな。誰の話か書く前に「男はカウンターで、美味そうに鳥串を頬張った」だとか。誰もが競って倒叙法、みたいな。倒叙法で書かないと死んでしまう病気なんです、みたいな。沢木耕太郎の影響だという説を聞いたことがあるけど、どうなんだろうか。僕は柴田錬三郎の影響じゃないかと思ってるんだけど。
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by nobiox | 2013-07-06 23:24 | ├自分用メモ | Comments(0) |
PC操作:朝日、共同記者書類送検へ サーバーに侵入容疑
毎日新聞 2013年06月25日 02時30分

 パソコン(PC)の遠隔操作事件で、警視庁は24日、片山祐輔被告(31)=ハイジャック防止法違反の罪などで起訴=が弁護士らに犯行声明を送るために使ったとされるメールのサーバーに侵入したとして、朝日新聞社と共同通信社の複数の記者を不正アクセス禁止法違反容疑で書類送検する方針を固めた。
 捜査関係者によると、記者は昨年10〜11月ごろ、片山被告が使っていたとみられるIDやパスワードを入力して、メールのサーバーに複数回にわたり、無断でアクセスしたとしている。パスワードなどは犯行声明の内容をヒントにアクセスしたという。
 両社の記者はサーバーに侵入した後、取材目的でメールの内容や送受信記録などを確認していたとみられる。


どうして新聞はこういうくだらない記事を載せるの? 自分が新聞記者だとして、書類送検するぞ、という刑事のリークを聞いたとして、よし記事にしよう、と思うだろうか。

うむ。思うかもしれない。これを記事にする気持ちはなんとなくわかる。大体リーク情報というのは「書いて欲しい情報」だろう。いつもお世話になってる安浦さんが、書いて欲しいと思ってワシに耳打ちしてくれた情報やで、そんならそれに応えまっせ、ワシは人情には厚いんじゃ、とか思うのかもしれない。だけど冷静に見て、というか送検とは何かについての楊井人文弁護士の説明が正しいのであれば(たぶん正しいんじゃなかろうか)、

1)警察が書類送検する方針を固めた
2)警察が書類送検した
3)検察が起訴した

どう考えても1は要らないよな。記事にする価値がない情報だ。そもそも2さえもが要らない。2をどうしても書きたいのであれば、警察が捜査を終えた、今後起訴するかどうかは検察が決める、と書くべきじゃないか。楊井弁護士の説明が正しいのであれば。

と、思ったら、楊井弁護士の記事の続編が出てた。
「立件」などと言わずに淡々と「警察の捜査終結により書類送検した。今後、起訴するかどうかは検察官が判断することになる」と伝えるべきではないのか。
ちなみに、今朝、PC遠隔操作事件にからみ、共同通信と朝日新聞が不正アクセス禁止法違反で「書類送検へ」と報じられている(「PC操作:朝日、共同記者書類送検へ サーバーに侵入容疑」)。この場合は、なぜ「立件へ」といわずに「書類送検へ」なのか、という疑問をぜひ持っていただきたい。
だそうです。なるほど。そりゃそうだ。すると毎日の記者の心証としては、起訴までは行かない、という意味なのか。あるいは「起訴は見送りだろう」と安浦刑事が囁いたのか。嗚呼わかりにくい。立件と書類送検の違いなんて普通は知らないよ。新聞はもうちょっと「透明性の高い」日本語で書いたらどうか。

◆◆

というかイヤそういう問題、だけじゃない。警察からリークをもらってそれをそのまま記事にするという、その姿勢が情けない、つー話だ。「パスワードなどは犯行声明の内容をヒントにアクセスしたという」とか聞かされて、どうしてそれをそのまんま書けるの? おいおいそんなことってあり得るのか? どんなヒントだよ、とか疑問に思わないの? そういやウチにもその犯行声明メール来てたんだから文面確認しよう、とかさあ。それに警察の見解を聞いたんなら、もう一方の朝日と共同通信に電話して見解を聞く、くらいは簡単にできるじゃないの。そういう最低限のプライドというか、オレは自分の頭で考えて納得できたことしか書かへん、というような矜持はないのかよと、そういうことを僕は言いたい。

◉刑事が、パスワードは犯行声明の内容をヒントに記者が推測した、とリークした。
◉朝日新聞は、パスワードは昨年10月の犯行声明メール自体に記載されていた、と主張している。
◉毎日新聞はいっさい自分のアタマで考えず、ただ刑事のリークをそのまま記事にした。

ということですよ。情けないじゃないですか。

この「昨年10月の犯行声明メール」というのは、毎日新聞にも送られてきたのかどうかは知らないが、最初「TBSに送られてきた」と言って話題になったメールだ。件名は「【遠隔操作事件】私が真犯人です」。落合洋司弁護士が全文を公開している。ちょっとググればすぐに見つかるメールだ。関連部分を抜き出すと、
私が真犯人です。8月27日にメールアカウントを作り、

・お茶の水女子大学附属幼稚園
・学習院初等科
・××××ちゃんの所属会社
・部落解放同盟

の4箇所宛に脅迫メールを送りました。
当該メールアカウントの詳細は

・プロバイダ:×××××××
・メアド:×××××××
・パスワード:×××××××

です。(nobioによる意訳)
と書いてある。新聞記者なら、お上から下知されたことをただ書くんじゃなくて、少しは自分で調べてから書いてくださいよ。お願いしますよ。

実情をよくは知らないが、ヒラの記者の上には「デスク」と呼ばれる中間管理職がいるんじゃないだろうか。リーク情報をただなぞったような記事に、デスクはOKを出すのか。お前らはそろいもそろってバカなのか。その上にいるであろう編集長すらもバカなのか。いい加減にして欲しい。お願いしますよ。

◆◆

言うまでもないが念のため言うと、べつに朝日がエライ、毎日はクソ、というような話じゃない。たまたま今日目についたくだらない記事が、たまたま毎日新聞だったというだけのことで、日本の新聞のほとんどは似たような体質だと思う。上杉隆さんに聞いてもそうおっしゃるであろう。上杉隆さんが新聞社よりマシかどうかは別として。
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by nobiox | 2013-06-26 18:59 | ├自分用メモ | Comments(0) |
続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
この記事は鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳の続きです。




◆◆

鏡(この記事で言う鏡はすべて平面鏡のこと)は、「鏡面に対して垂直な方向に反転した立体」を見せる。例外はない。

ところで物体を1軸について反転した立体を、元の物体の対掌体と呼ぶ。右手のひらと左手のひらみたいな関係、という意味だ。この「1軸」は、上下でも前後でも左右でも、その他のもっと微妙な方向でも何でもいい。どの方向に反転しようと同一の立体ができる。で、元の物体と鏡像は互いに対掌体の関係にある。つまりこの意味では、鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。
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「鏡面に対して垂直な方向」が、元の物体にとって上下なのか左右なのか前後なのか、それは元の物体を人がどう認識してるかにもよるし、元の物体と鏡面の位置関係にもよる。例えば湖面に映る鏡富士を見れば、誰もが一目で上下反転像と認識する。それは富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡の上に立って足元を見下ろす場合も同じ。
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鏡の前に立ち、自分を見て、あら!?? 左右が逆の私がいるわ!!! 不思議だわっ!!! 私が右手を上げると左手を上げるわっ!!!! なんてことを思う人はいない。例えば左の頬にほくろがある人であっても、通常は、あら? 右の頬にほくろがある私だわ!!! なんて思わないはずだ。単に、自分が映ってる、と認識するだろう。鏡の中の自分は前後が反転しているのだが、それも普通は意識しない。

その状態で鏡を指差してみる。その指先を鏡に近づけて行くと、お、鏡面に対して垂直な方向に反転してるぞ、と実感できる。これは逆さ富士と同じことだが、ただしこの場合、とうぜん上下反転とは認識しない。強いて言うなら「前後」だろう。「指差す手」の代わりに人形を、足のウラを鏡に向けて近づけて行くと、「鏡面に対して垂直な方向、すなわち人形の上下が反転してる」ように見える。胡椒瓶でも同じ。この辺は人間側の解釈の問題というしかない。

以上はすべて当たり前のことであって、特に謎めいたところはない。

鏡の何が不思議なのか


それでも、鏡による反転が認知に不協和をもたらすケースというのは確かにある(逆に言うと、認知に不協和がもたらされない限り、どっち方向に反転してるとか逆になってるとか、普通は意識しない)。

例えば、鏡に映るとえらく顔の印象が変わる人がいる。ふだんは気付かないが、たまたまトイレで一緒になったときにふと鏡に映った友人なり同僚なりの顔を見て、「んんんんん????」と、まるで別人に見えることに驚く。お前、鏡に映るとえらく印象変わるなー、と言うと、おう、小学生の頃からよく言われるよ、オレにとっては見慣れた自分の顔だから、そう言われてもわかんないけどね、とか言う。そう言った友人が、これまでに2人いました。

あとはもちろん、文字とか時計が映っているとき。あれは不思議だ。どうして文字の鏡像は常に左右を反転した文字に見え、上下を反転した文字には見えないのだろうか。どうして時計の鏡像は常に左右を反転した時計に見え、上下を反転した時計には見えないのだろうか。一般的にどうかは知らないが僕にとっては、これが鏡像問題の核心だった。

答えは「それが左右の定義だから」。例えば電車のどっちが左でどっちが右かを考えてみればいい。どっちが前かを決めないと左右は決められないことがわかるだろう。前後を決めないと左右は決められないということは、つまり前後が反転すれば左右が入れ替わるということだ。一方で、上下は変わらない。少なくとも20年間にわたり、僕にとってはこれが満足すべきファイナルアンサーだった。

しかしこの回答は、逆さ富士を説明できない。

逆さ富士問題


そういうわけでこの記事は「逆さ富士の場合はどうして上下が逆に見えるのか」についての記事なんだけど、その答えはもう上の方に書いてあった。富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡富士は、「どうして前後反転した像は左右を反転したように見え、上下を反転したようには見えないのか」という問題とぜんぜん関係ない。何故なら(富士山の)前後は反転してないから。

そういうわけでこの記事は不要になったけど、大量のコメントがあるので残しておきます。
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by nobiox | 2013-03-20 17:56 | ├自分用メモ | Comments(29) |
鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
鏡はなぜ左右を反転し、上下を反転しないのか。

◉たまに「鏡が左右逆、ってのが子供の頃から理解できない」という人がいるけど、それはそれで正しい。
鏡は左右も上下も反転しない。鏡が反転するのは、奥行きだ。

「は? そんなことないよ。鏡は実際に左右を反転させ、上下を反転しないよ、という方もおられるようなので、ここは念のため書く。
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Aを鏡に映して見たらBのように見えたとする。なるほどたしかにBはAの左右反転像だ。しかしBは、「Aが鏡に映ったところ」ではない。「Cが鏡に映ったところ」だ(CはAをウラ返して鏡に向けたところ。かすかに文字が透けて見えている)。BとCは上下も左右も一致しており、反転しているのは奥行きのみだ。

Cをこっち向きにひっくり返す方法は無限にあるが、180度刻みで言えば2通りある。ひとつはA、ひとつはD。DとBを見比べると、左右が一致していて上下は反転している。AとDは「Cをひっくり返した図」として、幾何学的には同等の権利を持つはずだが、直感的には「Aのようにひっくり返すのが自然で、Dは不自然」に思える。こう書いてる僕ですら、そういう気分は少しある。AとDは同等の権利を持つ、と言われても、なんかもやもやする。それは何故か、というのが、この記事のテーマです。

繰り返す。鏡は左右も上下も反転しない。鏡が反転するのは、奥行きだ。

◉だが、ここで「人は何故、奥行き反転立体を左右反転立体だと錯覚するのか?」と考えるのは間違い。奥行き反転立体と左右反転立体と上下反転立体は、幾何学的に等しい。だから別に、錯覚でも勘違いでもない。ある立体を「左右反転させた鏡像」と「上下反転させた鏡像」と「前後反転させた鏡像」は、作ってみればどれもみな同じ鏡像であって、区別することはできない。上の図の4枚の色紙のアルファベットを消し、段ボール箱に放り込んで目をつぶってぐちゃぐちゃに掻き回して取り出したら、Bだけは異質だが、AとCとDを区別することはできない。それと同じ。AとCとDはBの鏡像であり、相互に同一だ。
吉村浩一氏の著者を田幡氏が要約したものを nobio が孫要約)

 非対称な物体を1軸について逆向きにした構造のものを,もとの物体の対掌体と呼ぶ.実物と鏡像は互いに対掌体の関係にある.

 対掌体を作るための「1軸」は,上下・前後・左右・その他,任意の方向でよい.このことは次のようにして経験的に得心できる.右手を鏡の前に差し出して,どのような向きに回しても,その鏡像はつねに左手の形になる.このとき,逆になる軸は,鏡についていえば,鏡面に垂直な方向として一定しているが,右手についていえば,中指に沿う線であったり,手の甲の中心から掌の中心へ突き抜ける線であったり,親指のつけ根と小指のつけ根を結ぶ線であったり,さまざまである.つまり,右手をどの線に沿って逆向きにしても,左手という対掌体の形になるのである.
つまり、ある立体に対して、その鏡像というものは1種類しかない。このことは「ある立体」がサイコロであろうが盆栽であろうがコロッケであろうが、とにかく任意の立体について成り立つ。つまり鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。鏡に関して謎があるとすれば、何故鏡像は左右反転像と認識されやすく、上下や前後の反転像とは認識しにくいのか、だ。これは光学の問題でも幾何学の問題でもなく、心理の問題である。わかんないけど、たぶん。

◉鏡像を奥行き反転像だと理解しにくい大きな理由として、ご覧の通り、並べて見比べると、もはや奥行きは反転していないということがある。今日初めて気付いた。むしろどうして今日まで気付かなかったのか不思議だ。
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鏡像イメージとオリジナルイメージは必ず平行に向かい合ってるわけで(いや違うか? 鏡の上に載っけたものを斜めから見る場合なんかはどう考えればいいんだろうか。まあとりあえず平行に向き合ってる場合に限って言えば)、並べて見比べるにはどうしても引っくり返す必要がある。ひっくり返し方は無限にある(90度刻みで言えば4通りある)が、どうひっくり返したところで奥行きだけは必ず反転し、反転×反転の結果として奥行きだけは必ず一致してしまう。この図で、右のモンローを左のモンローの奥行き反転像だと認識できないのは当たり前だ。奥行きは一致してるんだから。

多くの画像処理ソフトに「verticalに反転」「 horizontalに反転」というコマンドがあるので、持ってる人はやってみてください。ある図形を垂直軸反転させたものと水平軸反転させたものは、向きが違うだけで中身は同じ図形だ。「 奥行き方向に反転」というコマンドは、普通は存在しない。グラフィックソフトにおいて画像を奥行き方向に反転したら、裏返って見えなくなってしまう。その見えなくなった画像をトランプをめくるようにこっち向きにひっくり返したら、「もはや奥行きは反転していない」という、そういうことです。

◉鏡像を上下反転像だと理解しにくい大きな理由として、普通の人は逆立ち(または海老反り)では振り向かない、ということがある。

この世界は水平回転族の支配下にあり、人の他にもじつに多くのものが、振り向くためにはデフォルトで水平回転を採用している。ウマ。自動車。船。アヒル。カブトムシ。ネコ。中山律子。マイケル・ジャクソン。回転椅子に座った上司、先輩、後輩、OL、医者、弁護士、コンサルタント。冷蔵庫もテレビもテーブルも、「向きを変える」と言えば普通は水平回転を指す。「向こう側に回り込むには普通は水平方向に回り込むもの」も多い。富士山とかビルとか壁とか。「全体を見渡すには水平回転した方がいいもの」もたくさんある。室内とか。また、本、名刺、チラシ、年賀状などは、普通はウラとオモテで上下を一致させ、そうでないものは基本的に「間違い」と認識される。要するにヒトも、山も、建物も、雑誌も、上下の一致を優先し、左右は成り行きで構わないという仕様で動いている。垂直回転族は「鉄棒で大車輪やってる選手」「上海雑技団」「砂時計」などに限られ、圧倒的に少数派である。そもそも「立体を(回転ではなく)反転する」というコンセプト自体が理解しづらいんだけど、そういうわけで上下反転は最も理解しづらい。

こう言った方がいいかも知れない。「奥行き反転像は左右反転像とイコールである」ことは比較的納得しやすいが、「奥行き反転像は上下反転像とイコールである」ということは、かなり理解しづらい。
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◉上下反転を理解しにくいもうひとつの小さな理由は、回転とも反転とも無関係に、人は何かを見比べるとき、上下の向きをそろえて左右に並べるのを好むからではないか。上下反転画像はそもそも理解しづらいんだが、上下に並べればそれなりにわかりやすい。これも今日気がついた。だが我々には、比較するなら左右に並べる、という根強い習性があり、その機会を阻む。

◉たぶんほとんどの人にとって、上下反転よりは前後反転の方がイメージしやすく、左右反転はさらにイメージしやすい。人の身体が上下にはかなり非対称、前後には少し対称、左右にはかなり対称形であることが、その大きな理由だと思う。

鏡はなぜ左右を反転し、上下を反転しないのか。これについては誰もが一度は「人間が左右対称だから」とか「目はふたつ左右に並んでるから」とか「重力があるから」というようなことを考える。僕は長いことそれらを見当外れだと思ってきたけれど、いまあらためて考えるとそれらはどれも「なぜ左右反転がいちばんイメージしやすいのか」「なぜ人は逆立ちして振り向くという発想に馴染みがないか」「なぜ人は何かを見比べるとき、上下をそろえて左右に並べるのを好むのか」「なぜ人は回転について垂直軸を想定しがちか」などを考える上で、間違いなく重要な要素ではないか。見当外れだと思ってたこっちがバカだった。すみませんでした。

◉以上はどれも、理由だとは主張するが、最大の理由かどうかはもちろんわからない。今日に至る30年間にわたって、僕は「そんなことより鏡と無関係の大々々前提として、そもそも左右という概念は上下と前後に依存してるんだよ。定義上、奥行きが逆転しても上下は変わらないけど、奥行きが逆転すると左右は逆になる。それが本質的な理由。心理の問題とかじゃなく、定義の問題」だと考えていた。もしかするとそれが正しいのかも知れない。しかし定義の問題だったら心理は無関係、と言えるものなのかどうか今となっては自信がない、というか、多少なりとも心理の問題だということはもはや確信しており、だとしたら、どれが最も本質的な理由か、とかどうでもいいだろう。心理なんてひとりひとり違うんだから。

◉見比べるとき、どう置きどう並べると、ヒトはいちばん納得しやすいか。ヒトは反転図形を見ると、オリジナルと見比べて何が一致し何が違うかを探す。「左右が反転してる」「上下が反転してる」「前後が反転してる」。幾何学的にはどの解釈も正しいが、心理的には「左右が反転してる」がいちばん飲み込みやすい。何故なら、左右については、前後と上下を決めてから考えるから。これは定義上の必然のような気もするし、上下回転に馴染みがないせいのような気もするし、比較するなら左右に並べる、という根強い習性が理由のような気もするし、人間が左右対称だからのような気さえしてくるしで、僕にはよくわからない。

◉後記:BIFF さんのコメントのおかげでいろいろ考えさせられました。湖に映った鏡富士を見ると、誰でも直感的にそれが上下反転像だと認識し、誰も左右反転像だとは解釈しない。それを考えると「上下反転を認識しにくいのは人間の仕様」という理論は間違いのような気がして来た。後記終わり。





◆◆

「ねえお父さん、鏡に写ったものって、左右が逆になるでしょ」
「うん」
「どうして上下は逆にならないの?」
「あのなヒロシ、逆かどうかは、何と比べて逆かを言わないと意味ねえんだよ。何と何を比べるの? 鏡に写ってる野郎と自分を比べるの? どういう向きで比べるの? 鏡に写ってる野郎と自分を見比べるには、鏡に写ってる野郎と自分を、同じ向きに並べなきゃなんねえよな。自分を鏡に写ってる野郎と並べるにはどうすんの? 振り向かなきゃなんないでしょ? な?」
「うん」
「振り向き方にもさ、いろいろあんだよ」
「例えば?」
「逆立ちして顔をこっち向けるとか。そうすっと鏡に写ってる野郎と、左右はそのまんまで、上下が逆じゃん」
「えーっ、そんなの変だよ」
「変だと思うだろ。だからなかなかそういうふうには考えらんないんだよ。スターウォーズVでルークが言うじゃん、『信じられない』って。そしたらヨーダが言うじゃん、『That is why you fail』って。『だからできねーんだよ』って。あれとおんなじだよ。Why not ECC だよ」
「えーっ」
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「ほら、これ見てみろ。Cはむちゃくちゃ見慣れないでしょ?」
「うーん………この、Cってどういう絵なの?」
「Aがヒロシ。Bが鏡に写ってる野郎。な?」
「え? あぁー。ふーん」
「Aは今はBと並んでるけどさ、鏡見てる間は、ヒロシはBと向き合ってたんだよ」
「うん」
「だからこっちからは、ヒロシの背中しか見えてなかったの」
「うん」
「鏡と向き合ってるヒロシをMとしよっか」
「なんでM?」
「ん? むきあうのM。で、Mが振り向いたのがA」
「うん」
「Mが逆立ちで振り向いたのがC」
「はーっ? マジ?」
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「おう、マジだよ。AがヒロシだけどMもヒロシだし、Cもヒロシなんだよ。
 ヨコじゃわかりにくいけど、タテに並べりゃすぐわかるよ。ほら」
「まあっ、ほんと! 左右は一致してて上下だけ逆だわ! タテに並べて見るとクッキリわかるわ!!!」
「って美味しんぼかよっ。
ほんとは……いや、ほんとはって言うか、向き合ってた時はさ、前後が逆だったんだよ。だけどAと比べたら、左右が逆だろ。Cと比べたら上下が逆。何と比べるかでいろいろあんだよ」
「ふーん」



◆◆
この記事は「鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : メカAG」に触発されて書きました。なのでリンク先の人には感謝しています。ただ、議論のレベルは率直に言って、僕なんかと大差ないようにお見受けします。
その後 BIFF さんから、多幡達夫さんという方の「鏡の中の左利き」へというページを教えていただきました。明らかに僕より何十倍だかレベルが上なので、興味ある方にはおすすめします。


◉しつこく続きを書きました。続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳

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by nobiox | 2013-03-13 00:06 | ├自分用メモ | Comments(27) |
朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は
朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義はというのを読んだ。

傲慢の見本のような記事 - 新小児科医のつぶやきなどで、もう言い尽くされてると思うけど、僕も呆れたので、僕も書く。冒頭、元共同通信論説副委員長の藤田博司という人が、

大前提として、報道機関なんだから氏名を報道するのは当たり前。
 
とおっしゃっている。アホだ。実名報道の是非を論じるのに「そもそも大前提として実名報道当たり前」というのは、ヘッドスライディングが有効かどうかを論じるのに「大前提として、そもそもヘッスラなんだから遅くなるのは自明」と言うのと同じレベルじゃないか。是非を考える気が始めからない。なぜならこの人の中では結論は決まっており、変える気はないから。

元最高裁判事の宮川光治という人は

匿名で扱うのは死者の尊厳の否定。死者の叫びはどうなるのか。

とおっしゃっている。よく見かける意見だが、「氏名を報道しない」ことと「身元不明」を、たぶんわざとごっちゃにしている。アルジェリアの事件で死んだ日本人に、身元不明者はいない。つまり、誰も匿名で扱われていない。みな実名で弔われ、家族や同僚や友人に見送られたはずだ。げんに実名で扱われている以上、「実名で扱うか身元不明として匿名で扱うか」は争点ではあり得ない。実名をマスメディアで広告すべきかどうか、が争点だ。実名を広告しなかったら死者の尊厳はどうなるとか、まさに余計なお世話だ。

他には

歴史に記録を残すためにも、犠牲者の氏名は公表する必要がある。
実名は情報を検証する際の手がかりになる。
事件の全容を正確に知るためには、犠牲者の実名が不可欠。

ということだけど、対象無差別型の事件において、その全容を解明し検証し歴史に記録するのに、被害者の実名なんてどうでもいいだろ。「どうでもいい」なんて言うと「どうでもいい? そういう発言こそがまさに尊厳に対する冒涜です」とか言われるのだろうか。そういう突っ込みこそが「命の重さ」と「報道の重さ」をごっちゃにしてるだろ、ということを言ってるんだけど。命の重要さと、個人情報を報道することの重要さはぜんぜん別のものだ。当たり前じゃないか。命が重要だということにはもちろん同意するが、だから氏名を広告すべきだという主張に、どうして結びつくのか。

人が他人に対して何か、殴るとか殺すとかつきまとうとか痴漢するとか、何かをする場合、動機は一般的に、個人特定型か無差別型のどちらかである。「アイツが許せない」「コイツが憎い」「ソイツを殺せば保険金が入る」などが前者。「誰でもいいから殺したかった」「ポリスであれアーミーであれ民間人であれ目的の邪魔をするヤツは排除する」「知らない女だがムラムラした」などが後者。アルジェリアの事件は明らかに後者なわけで、「事件の全容を正確に知るためには犠牲者の実名が不可欠」なんて主張に説得力は全然ない。

ああ、「呆れた」だけだったけど、書いてるうちに本気で腹が立ってきた。事件の全容を解明し検証するために実名が役に立ちそうな事件なら、もっと他にあるだろう。僕はアルジェリアの事件の被害者の氏名に興味はないが、例えば植草一秀が冤罪かどうかを検証するために、被害者とされる女性と、逮捕した鉄道警察隊員の実名報道が不可欠だとは思っている。片山祐輔の取り調べをした(している)刑事や検察官の実名も報道すべきだと思っている。何故ならこれらの事件について、実名は情報を検証する際の手がかりになるし、全容を正確に知るためには関係者の実名が不可欠だし、歴史に記録を残すためにも関係者の氏名は公表する必要があると思うから。これらの事件について、関係者の実名は現実との極めて重要な係留点だと思うから。

どうして朝日新聞は、あるいは古舘伊知郎は、そういう重要な氏名を平然と無視し、どうでもいい(と僕には思える)氏名にこだわるのか。藤田博司さんと宮川光治さんと長谷部恭男(東京大学法学部教授)さんはそれについてどう思っていらっしゃるのか、この記事のコメント欄でコメントしていただけないでしょうか。よろしくお願いします。もちろん、古舘伊知郎さんのコメントも歓迎します。
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by nobiox | 2013-03-06 21:40 | ├自分用メモ | Comments(0) |
あらためて「関係性」と「方向性」について考える
「熟語+性」というかたちの語には、「○○性がある」「○○性がない」と言えるものと言えないものがある。言える例は「積極性」「習慣性」など。「関係性」「方向性」は、これらとは違う。

言えない例はたとえば「生産性」「信憑性」。まあ「もうちょっと生産性のある議論をしようぜ」「お前の話には信憑性がねーよ」などと使うのもアリかも知れないが、普通は生産性や信憑性は「あるかないか」ではなく、「高いか低いか」でしょう。度合いを表す語。「精神性」なんかもこれか。「関係性」「方向性」は、これらとも違う。

「射幸性」「遮光性」「耐水性」「指向性」なんかは微妙だ。「射幸性がある」も「射幸性が高い」も、間違いとは思えない。まあともかくここまでに挙げた「○○性」はすべて、「性質、様子、度合い、傾向」だ。「音楽性」は「音楽の性質」。「人間性」は「人間のあり方」。

というわけで「関係性」はたぶん「関係のあり方」という意味じゃないかと思うんだけど、「関係」と「関係のあり方」はどう違うのかと言えば、僕にはちょっとよくわからない。

「音楽性の違いからバンドを脱退」なんかの「音楽性」は、「目指す音楽(のタイプあるいは雰囲気)」みたいな意味だろう。「方向性」も「目指す方向」という意味ではないか、と思うんだが、「方向」だって「目指す方向」という意味で使えるじゃん、と言われれば、それはその通りでございます。

結論。「関係性」とは関係のことで、「方向性」とは方向のこと。
「性」をつけた方がオシャレに聞こえるので、オシャレ好きな人が使う。
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by nobiox | 2013-03-06 20:13 | ├自分用メモ | Comments(0) |
ノラ・ジョーンズってラビ・シャンカールの娘だったの?
いまはじめて聞いた。驚いた。
ノラ・ジョーンズにもラビ・シャンカールにも特別思い入れはないのに、
どうしてこんなに驚いているんだオレは。

そういえば先週は、田辺誠一と大塚寧々が夫婦だという話を聞きました。
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by nobiox | 2012-12-18 15:34 | ├自分用メモ | Comments(0) |
凄いこと考えた。
日本では車は左と決まっている。したがって人は右。
この「人と車は相互に逆」というルールは合理的だろうか。

「人は右」というのは、歩道のない狭い路地なんかでの話で、歩道がある場合は関係ない。
さらに、人を車が追い越すとき(同方向)限定のルールだ。
人と車がすれ違うとき(逆方向)には意味をなさない。
すれ違うとき、人が頑に右へ寄り、車も頑に左へ寄ったら正面衝突してしまう。
狭い路地で人と車がすれ違うとき、ルールは存在しないのだ。

「人も車も左側通行。追い越すときは人が端(もっと左)」
「端から順に人、自転車、車」
と決めたらどうなの。何か困ることあるだろうか。
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by nobiox | 2012-11-26 09:39 | ├自分用メモ | Comments(0) |
議論とは「話し合って決める」ことではないだろう。議論とは「説得」でもない。
ちきりんさんのブログは好きで、けっこう読む。読むとたいてい感心する。知識も知恵も僕よりはるか上の人であるのは間違いない。だけどたまに「え?」と思うこともある。

去年7月のエントリーに「電力不足はエネルギー不足を意味しない」「電力不足解消のために化石燃料か自然エネルギーかそれとも原発再稼働かという議論は、環境(CO2)問題にとって中心的課題ではない」というのがあったけど、「え?」と思った。エネルギー不足を意味しようがしまいが、環境問題にとって中心的課題であろうがなかろうが、電力不足が困った問題であることに変わりはないし、ついでに言うと環境問題の中心的課題はCO2である、というのはそれほどまでに自明なのか。まあいいか。

◆◆

ごく最近"「話し合って決める」という幻想" という記事があって、こういうことが書いてあった。
ちきりんはネット上で議論をしません。ブログで、トラックバックを使って他の方の主張に議論をふっかけることもないし、ふっかけられた議論を受けることもほとんどないです。私のブログは、私の考えたこと(思考、主張)を広く開示しているだけのものです。ツイッター上でも「会話」をすることはあるけど、「議論」はしないです。ネット上で議論をしない最大の理由は「非効率だから」です。別の言い方では「時間の無駄だから」
リアルの社会でも私はそんなに議論をしません。(他者の意見を聞くのは大好きだし、自分の意見を言うのも好きです。議論をしないだけです。)その理由は、「議論する意味がないから」です。いったい「議論する意味」はどこにあるのでしょう? 合意すること? 意見をまとめること?
時々、「多様性を尊重すると言っているのに、なぜ議論に応じないのか?」と言われますが、反対です。多様性を尊重したいからこそ、議論しないのです。議論して、どっちかがどっちかを説得するなんて無意味でしょ? せっかく二つの異なる意見があるのに、なんでわざわざ時間を掛けて「ひとつの意見」だけにしてしまう必要があるんでしょう?
「話し合って決める」というのは、お花畑的幻想です。「話し合えば、相手も自分の意見と同じになるはず」などと思うのは、傲慢です。
フェアな議論とか言われているものは、「どっちかだけが諦めるのは不公平なので、双方の諦める量を同じにしよう」というルールに過ぎません。双方が半分ずつ諦めて「足して二で割る」とか、双方が全部諦めて、第三者の意見を採用する、というのがその事例です。「話し合って決める」という幻想を押しつけることは、「多様性の否定」につながります。「ひとつの意見だけが正しく、後は間違っている」と考えるのは恐ろしいことです。みんな、自分の好き勝手なことを言っていればいいんです。

おもしろいけど、極端なこと言うなー。「他者の意見を聞くのは大好きで、自分の意見を言うのも好き。議論をしないだけ」とあるけど、「他者の意見を聞き、自分の意見を言い、互いに考える」のがまさに「議論」なんじゃないの? おおざっぱに言って、議論とは特定の課題について「話し合う」ことだ。「話し合って決める」ことではない。合意するとか意見をまとめるとかどっちかが諦めるとかは、必要な場合に議論の後でやればいいことで、議論そのものではない。

「エネルギー不足にとって中心的課題でないから、電力不足は大した問題じゃない」みたいな論法と、「決着をつけるのは不毛だから、議論はしない」というのはどこか似てるような気がするが、気のせいかも知れない。とにかく、議論そのものではない要素を理由にして「議論は無意味だ」というのは飛躍があり過ぎる。なるほど「決を採る」ことは多様性を阻害するかも知れないが、議論が多様性を阻害するなんてことはあり得ない。

フェアな議論とか言われているものは、「どっちかだけが諦めるのは不公平なので、双方の諦める量を同じにしよう」というルールに過ぎません。双方が半分ずつ諦めて「足して二で割る」とか、双方が全部諦めて、第三者の意見を採用する、というのがその事例です。

これは嘘じゃないかなー。双方が半分ずつ諦めた決着が世間で「フェアな議論」と呼ばれた実例が、あるだろうか。ないと思う。相手の顔色を伺い、腹を探り、落としどころを見いだすことを「成熟した大人の交渉術」と呼ぶことはあるだろうけど、「フェア」とは言わないでしょう、ふつう。どちらかと言えば、顔色を伺わず腹を探らず落としどころを気にしない態度を「フェア」と呼ぶのではないか。

いったい「議論する意味」はどこにあるのか、ということだが、もちろん、議論する意味はいろいろとある。いろいろあるけど一言で言うと、「考えを深める」ことだ。当たり前じゃないか。ついでに言うと「こんなこと勉強して何の役に立つの、と子供に聞かれたときになんと答えるべきか」について意見を表明するのが数ヶ月前にブログ界やツイッター界で流行ってたけど、みんな何を言ってるんだ。子供に(大人でもいい)勉強させる目的なんて、決まってるじゃないか。アタマを良くするためだ。体力つけるために駆けっこさせたりするのと同じことだ。大人になって駆けっこや幅跳びの技能が役に立つことは少なく、高飛びはさらに少ない。だからと言って子供に駆けっこや幅跳びや高跳びを教えるのが、無意味ってことはないだろう。

「『朝まで生テレビ』の出演者が他人の意見に説得されて、なるほど、あんたが正しい、オレは考え変えるわ、となるのを見たことがない。奴らは1ミリたりとも自分の意見を変える気はない。したがって考えが深まったりもしない。つまり議論なんて不毛だ」と言う人がいるけど、それは違う。仮に出演者が全員そうだとしても、聞いてる視聴者の中には「考えを深めたくて聞いてる」人がいるはずで、実際に考えを深めることはあるはずだ。というか、僕はある。あった、ような気がする。ほう、お前さんの深まったご意見とやらをお聞かせ願おうか、とか言われると困るけど。

◆◆

要するにですね、言いたいのは、会話はだいじだということです。「意見のキャッチボール」というか。「話し合えば相手も自分の意見と同じになるはず、などと思うのは傲慢」という理由で意見のキャッチボールを避けるのは、いいこととは思えないし、会話を試みるからといって、話し合えば相手も自分の意見と同じになるはず、などとは思っていない。これは別にちきりんさんが意見のキャッチボールを避けてる、という意味ではないんだけど、トラックバック機能を無効にしておられるのは、避けているということなのかも知れない。

ある日、Aという人のブログの、あるエントリーを読み、感心して「なるほど」と思ったとする。翌日、どなたか別の人Bが「Aがまたアホなことを書いてるのでサクッと批判しとく」という書き出しで、対立する意見を書いてたとする。それを読んで、「おお、なるほど」と思ったとする。そういうこと、僕はしょっちゅうあるんですよ。あっちへふらふらこっちへふらふら、定見が定まらないというか。そういうときにね、もしもBさんの意見が目に止まったら、Aさんには反応して欲しいわけ。反応が義務だとは言わないが、反応して欲しい。「なるほど」でも「それは違うだろ」でも「それはそれで正しい見方だと思うけど、そうだとしてもきのうのエントリーが間違いだということにはならない、何故なら……」でも、なんでもいい。「話し合えば相手も自分の意見と同じになるはず、などと思うのは傲慢」という理由で意見のキャッチボールを避けるとしたら、いいことではないと思う。

A「オレは弱者の味方」
B「Aはバカ。オレは天皇陛下万歳」

……こういうのは別にいいですよ。これ以上対話する意味ないから。そうじゃなくて、

A「普通自動車はどんどん売れなくなっているのに、軽自動車の販売台数は(車離れが言われる今でも)伸び続けています」
B「とんだでたらめである。全然増えてない」

……例えばこういうのとか。これが

A「オレは自動車情報センターが毎年6月に出す販売レポートを根拠に言ってんだよ」
B「アホか、日本自動車販売協会連合会のランキングに基づかないと意味ないんだよ、何故なら……」

などという具合に続けば、ギャラリーも軽自動車について考えを深めることだろう。たぶん。

(ツイッターという)140字という制限があるツールは議論をするのに向いてないし、議論の重要な前提となるべき過去の発言もどんどん流れていってしまいます。そしてなにより、議論の相手のことが全くわかりません。もしかすると相手は小学生かもしれないのです(いろんな意味で)。

言いたいことはもうひとつあって、それは、相手がどういう人かとは全く無関係に議論はできる、ということだ。酒を酌み交わし肩を組み、自分と相手の全人間力を比べっくらして優劣を競うのもたしかに議論の一形態かも知れないが、経験則で言えば、そういう議論観を持ってる人との議論はまさに時間の無駄である。ことが多い。そういう議論観がダメなのか、「そういう議論観と僕の議論観との組み合わせ」がダメなのか、どっちかは知らないが。

僕も、人とはできるだけ議論しないように心がけている。その点ではちきりんさんと同じだ。僕の議論観では、議論の相手は人ではなく、「自分のとは違う意見」である。議論の主な目的は勝利や説得や懐柔や擦り合わせではなく、考えることだ。「批判されたので自分の正しさを証明するべく躍起になる」のは愚かだけど、同様に「批判されたが無視する(反応を控える)」も、いいこととは思えない。

人の意見を批判するときに、人の人格を攻撃しないように注意しよう、と思う。簡単だ。心がけさえすれば、すぐ、誰にでもできる。むずかしいのは「人に意見を批判されたときに、人格を攻撃されたと受け取らないこと」で、これはねえ、いくら心がけても簡単ではない。ないが、そう心がけたいと、思います。なんか関係ないこと書いてるだろうか、オレ。
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by nobiox | 2012-08-20 18:58 | ├自分用メモ | Comments(1) |
憂楽帳:「矛盾」してていい【藤原章生】
憂楽帳:「矛盾」してていい
毎日新聞 2012年07月23日 12時37分

 あまりに暑いので台所のクーラーをつけたところ、21歳の長男が汗だくで帰ってきた。「わあ、やっぱり涼しいね」と感動しながらも、こんなことを言う。「お父さん、脱原発なのに、こういうの使って、矛盾してない?」
 それを「矛盾」ととるなら、矛盾でいい。いくら電力を使いまくっても、脱原発は主張できる。原発関係の企業や省庁に勤めていても同じだ。問われているのは、福島のような放射線汚染は未来永劫(えいごう)二度と起きないと言えるのか、ということだからだ。あるいは、最終処分場も決めず、見知らぬ未来の人々に核廃棄物を託してもいいのか、ということだ。エネルギー論というより個人の倫理が問われている。
 意見とは本来そうだし、特に倫理について語る場合、地位や経歴、立場、ふるまい、過去との一貫性にとらわれず、どこまでも自由であっていい。だから「電気自動車のCMに出ている坂本龍一が脱原発を語れるのか」「テクノポップで電気を使ってきた」という非難は、問われている問題の本質をぼやかすだけだ。【藤原章生】
 
> 倫理について語る場合、地位や経歴、立場、ふるまい、
> 過去との一貫性にとらわれず、どこまでも自由であっていい。

これはすごい。ルービー鳩山擁護論の究極形か。
「どこまでも自由であっていい」の論拠が一言も書いてないということは、
この人は、「どこまでも自由であっていい」の論拠は、一言も必要ないと思ってるのか。感心するわ。
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by nobiox | 2012-07-23 22:37 | ├自分用メモ | Comments(1) |
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