「ほっ」と。キャンペーン
カテゴリ:├自分用メモ( 79 )
|
なぜ新橋は「SHIMBASHI」か
「夏が暑く冬が寒い理由を答えなさい」という設問に対し、「地球の自転軸が傾いているから」という回答があれば、正解ってことでいいだろう。よく知らないがたぶんそうだ。同じように、「どうして新橋の英字表記はSHIMBASHIなの」という疑問に対し、「ヘボン式だから」という回答は、正解ってことでいいだろうか。

否。それは回答としてまったく不充分だ。というのが、本稿の主張です。

どちらの回答も、かなり多くのことを端折っている。前者が端折ってるのは「地軸の傾きがどういうメカニズムで四季をもたらすのか」だ。つまり、回答の「後ろ」を省いている。で、「地軸の傾きがどういうメカニズムで四季をもたらすのか」については、だいたいほとんどの現代日本人が知っている、共有された知見と言っていいだろう。端折ってるけど、まあそこは誰でも知ってることだから、いちいちくだくだしく説明しなくてもいいよ、ということで、前者は正解なのだ。

一方、後者は「前」を省いている。何故、ヘボン式である必要があるのか。そのあたりの理屈を、ほとんどの現代日本人が知っているだろうか。到底そうは思えない。

前者はあくまで「正解を知ってる大人が子供を試すための問題」であって、そもそも質問者自身は疑問になんて思ってないわけだが、後者については、疑問に思ってる大人がけっこういる。例えば質問サイトとかで、前者の疑問はまず有り得ないが、後者の疑問はたまに見る。前者はなんちゃって疑問で、後者はマジ疑問。マジ疑問は、「ヘボン式だから」では解消されない。地軸の傾きは神様が決めたことやけど、ヘボン式はちゃうやんけ。なんでヘボン式なんや。「NANBA」やとどんな不都合があるっちゅーねん難波は難波やんけ。そういう内心の声が残るのだ。後者についてもろもろの知見を共有しているのは、けっこう一部の人間に過ぎない。賢い人とは、知見を共有してない人々に対して、自分の知見を納得させられる人、のことではないのか。

◆◆

大瀧詠一ゆかりの地に、「君は天然色」という名の駅ができたとする。ローマ字表記は「KIMI-WA-TENNENSHOKU」。

ここで「ハ」の表記が「WA」であることに、一瞬疑問を持つ人はいるだろう。しかし、誰もがすぐに気付く。あ、発音通りに書くとそうなるのか、そっか、そりゃ発音通りじゃないと外人混乱するよな、だいたいローマ字併記って外人のためだもんな、と。

何故気付くのか。助詞の「は」は「WA」と発音する、というのが、日本の特殊ルールだということを、誰もが知っているからだ。

一方、シンバシの「ン」の表記が「M」であることに疑問を持つ人に、発音通りに書くとそうなるんですよ、「新宿」のンと「新橋」のンは違うでしょ、と説明しても、説明した方は正しい説明をしたと思って威張っているが、言われた方にはなるほど感がない。

何故ないのか。「SHINBASHIと書いてあったらSHIMBASHIと発音する」、というのが日本人(正確に言うと「日本語を母語とする者」)にしかできない特殊な鈍感力だということを、知らないからだ。そもそも自分がそんな自動変換をしているという、自覚すらない。指摘されれば気付くが、その指摘だけでは「外人にはできない」ということが、わからない。

多くの日本人は「RIP」と「LIP」を聞き分けられないが、それでも「RとLを書き間違えたら外人さんに通じない」ということぐらいは、大抵理解している。それに比べて、「MがNと書いてあったら外人さんは困惑する」は、知らない人が多いのではないか。たいていの日本人は新橋を SHIMBASHI と発音している、と聞かされても、「PEN PAL」という文字列を「PEMPAL」と発音できてしまうのは地球上で日本人だけ、ということを知らないと、「SHINBASHI でいいじゃん?」「SHINBASHI だって発音通りじゃん?」という疑問は消えない。

結論。「なぜ新橋はSHIMBASHIか」というマジ疑問に対する返答には、NとMをめぐる日本人の特異性についての説明が、必須である。それを抜かすのは、例えば「おかずは英語でなんていうの」という質問に「欧米にはそもそも "主食とおかず" という概念がない」という根本を抜かして「おかずは side dish」と答えるようなものだ。と、本稿は主張します。おしまい。

◆◆

ちなみに言うまでもなく、「おかずはside dish」とすると、「じゃあ main dish はごはんかよっ」という問題が生じる。

この記事はもともと、2009年10月25日にポストしたものですが、今回全面改稿を機に日付を改めました。こっから下は読まなくていい(くだくだしくて読む価値がない)です。ただ、すでにコメントいただいている記事をまるっと書き変えるのは梯子を外すようで申し訳ないので、仕方なく、以下も残しておきます。





ちょっと長いけど後付けの要約:
よく聞く回答に「ヘボン式だから」というのがあるけど、その回答で「あ、なるほどヘボン式だからなんだ」となる人は、そもそも「なぜ新橋はSHIMBASHIか」という疑問を抱かないと思う。テストだったら「ヘボン式だから」で正解かも知れないが、この疑問を抱く人に対しては、役に立たない回答だ。僕がテストの採点者だったらバツにします。僕が採点者だったら、土田晃之が池上彰に言われて、「あ、なるほどそういうことか、」となるような説明でなければ、正解と認めない。

「単に発音通りに表記するとそうなるんだよ」という回答もよく見かける。たしかにそうだ。この疑問を抱く人は、「しんじゅく」の「ん」と「しんばし」の「ん」は発音が違う、という認識が、ない可能性が高い。だから例えば「新歓コンパ」と発音させてみて、「新歓コンパと発音する間に、あなたは何回唇を閉じたか」「SHIMKAMKOMPAやSHINKANKONPAが如何に発音しにくいか」などを体感させるところから始めるのがよい、でありましょう。

ただしかし、ところで。

発音通りに表記するとSHIMBASHI、ということさえ知れば、土田晃之の疑問は氷解するだろうか。否。しない。これも回答として不充分だ。何故ならほとんどの「日本語を母語とする者」は、「発音通りじゃない表記」を「表記通りじゃなく発音すること」に、違和感まったくないからだ。SHINBASHIで困らない。困ってない。むしろ「SHIMBASHI」に「シムバシかよっ!」という違和感を抱く。だから「SHINBASHIでいいじゃん。なんでその、ヘボン式とやらにしなきゃならんの? さいしょからそれを聞いてんじゃん」という疑問は、1ミリも解決していない。「何故、発音通りに表記しなきゃならんのか」、が、通常の地球人にはわかるんだろうが、通常の日本人にはわからない。

だからこの疑問を抱く日本人に対しては、「NとMを発音上区別しないのは世界中で日本人くらい。例えば『PEN-PAL』を『PEMPAL』と発音できる(平然とそう読んで疑問を感じない)のは世界中で日本人くらいだし、同様に『SHINBASHI 』という綴りを見て『SHIMBASHI』と発音できる(平然とそう発音して疑問を感じない)のも世界中で日本人だけ。SHINBASHI だと日本人は困らないが外国人が困る。そして駅名のルビは主に外国人向けにある」、という説明が、必須である。

イヤそんなことないだろ、と思われる方は御教示ください。ちょっと長いけど後付けの要約終わり。

この要約だけで充分なので、以下は読まなくていい(読む価値がない)です。ただ、すでにコメントいただいている記事をまるっと書き変えるのは梯子を外すようで申し訳ないので、仕方なく、以下も残しておきます。









◆◆

なぜ新橋は「SHIMBASHI」か、なぜ難波は「NAMBA」なのか、知っているつもりだが、しかし、完璧に説明することができない。もう20年くらい考えてるんだけど。

ネット上を検索すると、なぜ新橋は「SHIMBASHI」か、解説は山ほど見つかる。例えば「ヘボン式ではBとPとMの直前のンはMと表記する。そういう決まりだからだ」とか。「昭和22年7月26日付けの鉄道掲示規程によるのだ」とか。「ヘボン式とは英語式表記だからだ」とか。「西ヨーロッパ言語では、BやPの前の "ん" はMになるという法則がある」とか。「単に発音通りに表記するとそうなるんだよ」とか。なるほどどれも正しい。しかし、ぜんぜん満足できない。

以上の説明にはどれも、カンジンカナメの大前提が抜けている。「駅名表示のルビは基本的に外国人のためにある」ということだ。日本人向けのルビなら、「SHINBASHI」あるいは「SINBASI」の方が自然だという考えも成り立つ。間違いではないだろう。が、駅名表示のルビは基本的に、日本語が読めない人のためにある。

BやPの前の "ん" はMになるという法則は韓国語にも中国語にもあるし、発音に限って言えば日本語にもあるんだから、西ヨーロッパうんぬんもヘボン式うんぬんも必要ないと思う。この問題についての説明には、それより、以下の要素が含まれていなくてはならない。

・日本語を母語とする者は「ン」を「N」と発音したり「M」と発音したりしている。
・日本語を母語とする者にはその自覚がなく、「N」と「M」を意識の上では区別していない。
・「N」と「M」を区別しない言語は世界的に稀だ。日本人以外のほぼすべての地球人はそれを区別する。
・駅名表示のルビは基本的に外国人のためにある。

要するに、「なぜ新橋はSHIMBASHIか」を語るなら、「なぜ日本人だけがSHIMBASHIという表記に違和感を覚えるのか」も述べなくては、説明として不十分だと思う。以上を踏まえて説明を試みる。


◆◆

写真を撮る時に「Cheese!」と言うのは「イー」を発音する時の唇のかたちが笑った唇のかたちに似てるからであって、「CHI-ZU」と発音しながら「ウ」の瞬間にシャッターを押す日本の風習は世界的に稀である。あれなら「1足す1は?」「ニー」の方がいいんじゃないかと思うが、日本女子が世界でも稀な「アヒル口好き」なのは、もしかして子供の頃からシャッターを押す瞬間に「ズ」を発音し続けて来た結果なのかも知れない。まあそれはぜんぜん関係ないんだが。


◆◆

日本人は「ジャンプ」と書いて「JAPU」と発音するし、「pen pal」を無意識に「pepal」と読む(解説1)。また、「」と1文字書いたものを見せて読みを問うと、大抵の日本人は何故かくちびるを閉じて「」と発音する。同様に、日本人は「SHIBASHI」と書いてあれば自覚もなしに「SHIBASHI」と発音する(いや、オレは「SHIBASHI」と発音するぜ? というあなた、それはどうでもいいのです。この話のポイントは、発音「SHIBASHI」と発音「SHIBASHI」を、あなたはともかく、多くの日本人は区別しない、ということです。RとLを区別できないのと同じように)。日本人はNとMに関して、よく言えば柔軟、悪く言えば鈍感で無節操と言える。これは、世界中を見渡してもけっこう特異なことらしい。

要するに、「PEN-PAL」を「PEMPAL」と発音できる(平然とそう読んで疑問を感じない)のはこの世で日本人(正確に言うと、日本語を母語とする者)だけ、ということだ。

日本人以外のほぼすべての地球人は、「SHINBASHI」と書いてあったら律儀に「SHIBASHI」と読む。発音しにくい地名だなあ、と思っていると、なんと、日本人たちは平然と「SHIBASHI」と発音しているではないか。平然と言うべきか、柔軟と言うべきか、鈍感にも、と言うべきか。なんだよ、なんでMと発音するくせにNって書くんだよ、イジワルすんなよ、と、そういうことになる。

「SHIBASHI」と書くと多くの日本人は「シムバシかよっ!」という違和感を持つのだが、駅名表示のルビは基本的に外国人のためにあるので、外国人がとまどわないように発音通りに表記するのだ。


◆◆

ただ、SHIMBASHIという表記はあくまでもひとつの便法であって、決して唯一の正解とかではない。発音と表記の不統一はけしからん、なんてことを言い出したら、我々だって英語に対して、言いたいことは山ほどあるのだ。「PHは全部Fに統一しろよ」「なんでEYEと書いてアイなんだよ」「CLIMBとかBOMBとかの語尾のBってなんなの、発音しないなら書くなよ」「つか、英語の駅はなんでおれら向けにルビ振っといてくんないの?」などなど。この手の問題に正解はない。「ANPANMAN」や「KINBASHA」が間違いで、本当はMが正しい、というような考えがあるとすれば、私見ではそれは「中二病」と呼びたい。

以上、説明終わり。自分史上ではいちばんマシな説明ですが、もっといいのがあったらコメント欄でお願いします。


(解説1):常識だと思うがいちおう説明する。バ行・パ行・マ行を発音するには、腹話術の熟練者を例外として、必ず一度くちびるを閉じる必要がある。「まみむめも」と言う間に、くちびるは5度閉じる。こういうのを「有声両唇破裂音」とか「有声両唇摩擦音」とか「閉鎖密着度の弱い有声両唇破裂音」と呼ぶんだそうだけど、まあとにかくくちびるを閉じるのだ。

くちびるを閉じる音の直前に「ん」が来る場合、予備動作的に「ん」もくちびるを閉じて発音される、という現象がある。その方が楽だから。この現象は世界中の言語で見られる。例えば「JUP」、「MEBER」とか。

註:主な「ン」は「N」「M」「ng」の3種類ある(主な、というのは日本語に多く出現するという意味ではなく、「N」「M」「ng」はメジャーな言語の多くで区別されている、ということ)。標準的な日本人が発音する「免許」「関係」「韓国」の「ン」は多くの場合、発音記号(?)で書くと「ng」だそうだ。僕の耳ではわからんけど、普通の韓国人にはわかるらしい。さらに言えば、例えば「パンダ」の「ン」と「パン粉」の「ン」と「パン屋」の「ン」では舌の位置や喉のかたちが違うはずで、厳密に言えば「ン」は何種類もあるということになる。何故か「ん」は、直前ではなく直後の音に影響されるんですね。何故だろう。

後記:さる筋から「なぜ日本人だけがSHIMBASHIという表記に違和感を覚えるのか、ぜんぜん説明がねーじゃん」というツッコミをいただき、うむ、たしかにそうかも、と思わないでもないでもないので、それについてちょっと書きます。

ええと、まず、知ってる人にとっては常識だが知らない人はあっと驚く、衝撃の事実を教えましょう。日本語の、漢字の、音読みは、すべて1文字1音節または2音節であり、音読みで1文字3音節以上の読みを持つ漢字はひとつとして存在しない。「ヒョウ・キ」「イ・ワ・カン」「セツ・メイ」「ジョウ・シキ」「ソン・ザイ」。すべて、漢字1文字2音以内でしょう。逆に言うと、1文字3音節以上の読みは自動的に訓読みと判断して間違いない。例えば「サクラ」とか。僕はこのことを、歴史に埋もれた幻の名著「これが日本語に最適なキーボードだ( 森田正典著)」で30年前に知りました。

何故か。実は中国人にとっては漢字というのはすべて、日本人にとってのひらがな同様、1文字1音節(あるいは1.5音節)なんですね。いや知らないけど、「これが日本語に最適なキーボードだ」にはそう書いてあった。例えば「質」という字の読みは、発音記号で書くと「sit」なんだそうだ。この後ろの「t」。これは日本語の発音体系には存在しない。だからこれを日本語化するに当たって、子音「U」を補う。というか勝手に付け足す。すると「シツ」という2音の読みになる。あるいは場合によっては子音「I」を付け足し、「シチ」と読んだりもする(ちなみにこの名著によると2音節の読みの2音節めは「イ・ウ・キ・ク・チ・ツ・ン」の7通りしかないそうです)(ちなみに強いて言えばひとつだけ例外があり、それは「ウマ」。ウマというのは『馬』の大陸読み『マ』が転訛したものなので、「強いて言えばある意味で音読み」なんだそうだ)。

で、英語なんかを日本語化する場合も同じことで、「cake」に「U」を付け足して「ケイク」、「I」を付け足して「ケーキ」とか。同様に、単独の「M」を見たらそこに「U」を補うことに、日本人は慣れてるんですね。「team」を「CHIーMU」と読んだりとか。だからSHIMBASHIを「シムバシ」と読みたくなってしまう、んだと思います。終わり。

[PR]
by nobiox | 2016-04-06 17:42 | ├自分用メモ | Comments(11) |
Dropbox 再建策試案(いや私案か)
「この前、Evernoteは稼げなくて苦戦してるらしい、って話、したでしょ」
「うん」
「Dropboxも苦しいんだってさ」
「へー。Dropboxなくなったら困る」
「と、言いながら、お金払ってないでしょ」
「うん」
「Googleは広告で稼げるけど、
 EvernoteやDropboxは有料ユーザを獲得しないと稼げないの」
「うん」
「Dropboxってデフォルトで無料で2GBなんだけど、有料コースは何ギガからか知ってる?」
「……4GBとか?」
「ぐははは。ですよねー。それが正常な感覚ですよねー。
 しかし正解はですね、『毎月1200円で1TB』です」
「……1テラバイトって、何ギガバイトなんだっけ?」
「だいたい1000」
「は? 何それ。wwwwwwwwww。チョ、受ける。そんな要らなーい」
「ですよねー」

◆◆

「無料で2GB」と「毎月1200円で1TB」って選択肢は極端過ぎると思う。無料と有料の間こそがいちばん越えがたい壁なわけで、有料の最低課金が「毎月1200円」っておかしいだろ。「毎月100円で50GB」「200円で100GB」「500円で300GB」くらいのコースがあれば有料ユーザ増えると思うんだが。
[PR]
by nobiox | 2015-12-22 02:54 | ├自分用メモ | Comments(0) |
男脳、女脳、将棋の適性
小飼弾は「プログラマーとしての能力に男女差はない。自信を持ってそう言える(大意)」と述べている。これは「未証明の仮説」だ。仮説だということはつまり、科学的反証が確認されればひっくり返る、ということだ。小飼弾という人は有名なプログラマーであるらしい。プログラミングに関する彼の知識、経験、感性に対する信頼が、この仮説の担保、ということになる。

next49さんは「[メモ] 素朴な疑問:将棋の強さに男女の性差が関係あるの?」という記事で「私は弾さんの意見に賛成。男女で筋肉を使うこと以外は性差による能力差はない(個人はある)と思う」と述べている。全体のトーンを見るとこれも未証明の仮説っぽいが、そりゃないだろう、と、私は思う。小飼氏はプログラミングに限って述べているが、next49氏は「弾さんの意見に賛成」と言いながら、「筋肉を使うこと以外」について述べる。適用範囲がいきなり広すぎるんじゃないだろうか。しかもこの記事を読む限り、next49さんは将棋に関して全くの門外漢(私と同程度)である。「プログラミングの何たるかを知り尽くしたオレに言わせればプログラマーとしての能力に男女差はない」という意見にかぶせて「私は弾さんの意見に賛成。将棋のことはよく知らないけど筋肉無関係だから性差による能力差はない」と言うのは、第一に当該ジャンルについての知識も感性も自信も実績もレベルが違い過ぎ、第二に結論の適用範囲が違い過ぎる。

という話をマクラにして、私見を述べたい。

◆◆

まず大前提その1。男女の存在価値に優劣はない。ないと思う。これは「未証明の仮説」とかではなく、「証明不要の信念(あるいは価値観)」だ。前提であると同時に結論だ。仮説でも事実でもなく、決めごとだ。「人を殺しちゃいけない。犬もできれば殺したくない。蚊はぜんぜんオッケー」などと同じ。証明はできないが、そもそも証明が必要とは思っていない。科学的反証が確認される、なんてことはあり得ない。そう主張する人が現れるとしたら、それは「存在価値」の定義がおかしいのである。議論の余地はない。

大前提その2。「性差による能力差があるかどうか」という問題設定はよくないと思う。サッカーアメリカ代表との体格差について聞かれた宮間あやは、アメリカとなでしこの間にあるのは「差ではなく、違いだと思っている」という名言を残している。性差という言葉は優劣を連想させるので、個人的にはなるべく性差という言葉を使わず、宮間あやに倣い、性別、あるいは「性別による指向の違い」で通したい。

その上で、筋肉を使うこと以外に男女の違いはあるのかないのかと言ったら、あるだろう。

アイルランド人らしいメンタリティとか、ハワイ人らしいメンタリティとか、小学生らしいメンタリティとか、おっさんらしいメンタリティとか、職人らしいメンタリティとか、ギャルらしいメンタリティとかいうものの存在は、いまだ科学的には証明されていないのかも知れないが、だとしても、小学生らしいメンタリティってものの存在は疑いようがない。いや疑ってもいいんだけど、ないと考える根拠はない。同様に、男らしいメンタリティとか女らしいメンタリティというものも、あるかないかと言ったら、あるんじゃないの。例えばの話、筋肉面で違うというのが前提なら、男は「筋肉面では自信あり」、女は「筋肉面では自信なし」ということなわけで、この時点ですでにメンタルは多少違うだろう。「プードルとドーベルマンにメンタリティの違いはあるかどうか」って、そんなもんあるに決まってるでしょ、と思うんだが。

それでも、男らしいメンタリティとか女らしいメンタリティというものの存在は、もちろん未証明の仮説に過ぎない。だが、この仮説を否定すると、性同一性障害はすべて幻想、ということになる。それでいいのか。

「性同一性障害を障害として認知しよう」という運動と、「ジェンダーフリー論」は、ともに「男性優位社会」に対するアンチとして生まれた、という側面があるような気がするが、いくつかの局面では並び立たない。例えば「男児はチャンバラや汽車ごっこを好み、女児はおママゴトを好む」みたいな俗説は、ジェンダーフリー論者に言わせれば社会的刷り込みということになるが、性同一性障害の人の多くが「自分は男なのにどうしておママゴトが好きなんだろう」「自分はキレイなお姉さんに同性として憧れるんだけど変なのかな」みたいなことがきっかけで自分の性的アイデンティティ(のねじれ)に気付くんだそうで(だそうで、というのは、ネットでそんな噂を目にしたことがある、程度の話なんだけど)、だとすると刷り込み説は怪しい。

そもそも、思考を「筋肉を使うこと以外」と見なしていいのか、思考というのもまたフィジカルな過程ではないか、という疑問もあるんだが、それは置いておく。

◆◆

地球上には、発情、妊娠、子育て期以外は雌雄の違いがほとんどないような生き物も多い。ネコとかマグロとか。一方、発情期に限らず雌雄で基本的にライフスタイルが違う、という生き物も多い。ライオンとかサルとかセミとかアリとか。前者は比較的に、雌雄のメンタルは似てるだろう。後者は違いが大きいだろう。ヒトは後者の代表格であり(というか年がら年中発情している唯一の動物であり)、にも関わらずヒトに限っては違いがない、と考えるのはかなり不自然だと思う。

◆◆

自分が漠然と信じている(いや信じてるわけじゃないんだけど、なんとなくそうじゃないかと思ってる)男女の(筋肉と体格と性的指向と容姿以外の)傾向の違いについての仮説を列挙する。すべて「そう言われがちな俗説」であり、特にオリジナリティはない。

1:平均すると女の方が優秀。あるいは、平均すると女の方が知能指数が高い。
これを最初に挙げることで、フェミの皆さんからの攻撃を避けられるのではないかという姑息な計算で、最初に挙げてみました。企業人とか予備校講師とか高校教師とか大学教授とかで、こういう感想を持ってる人は多いんじゃないかと思う。

2:女の方が粒ぞろい。男の方が分布が広い。
極端なバカと極端な天才は男の方が多く、そこそこ優秀なのは女の方が多い、ということ。企業人とか予備校講師とか高校教師とか大学教授とかで、こういう感想を持ってる人は多いんじゃないかと思う。この仮説と、「極端な天才でないとプロ棋士にはなれない」という仮説を組み合わせると、女のプロ棋士が存在しない、という事実を、無理なく説明できる。現にそう唱える将棋ファンはけっこう多い。

3:男の方が限界ぎりぎりまで意地張って頑張る。女は無意識に余力を残す。
この仮説も、女のプロ棋士が存在しない理由として、割とよく語られる。「鼻水もよだれもたれっぱなしでウーウー唸りながら将棋盤に向かう覚悟がある女が居ない限り女性プロ棋士は誕生しない」と、誰かが言ったらしい。らしい、というのは、ネットでそんな噂を目にしたことがある、程度の話なんだけど。

4:女の方が共感能力とコミュニケーション能力が高い。あるいは、女の方が共感能力とコミュニケーション能力を重視する。

5:男の方が空間把握能力が高い。だから将棋に有利。
よくわかんないけど、そういう説を見かけたことがある。

6:女の方が脳梁が太い(左右脳の連結が強い)のでマルチタスクに向いている。
よくわかんないけど、そういう説を見かけたことがある。

7:女の方が現実的なので、そもそもゲームとかスポーツとかには向かない。

8:男の方が好戦的なので、ゲームとかスポーツとか喧嘩とかに向いてる。
これはそうじゃないかと思いますね。一般にオスというのは、メスを獲得するためにオス同士で争うものだ。オスを獲得するためにメス同士が争う生き物なんて、ヒトと、タマシギくらいのものじゃないか。ヒトの場合はメス同士も争うが、やはりオスの方が好戦的なように思う。まあ素人の適当な言い分だけど。

9:男は男っぽく、女は女っぽい。
以上の仮説が仮にすべて「いくらかは正しい」としても、些末なことだ。大西賢示少年は、そんな理由ではるな愛になったわけではないだろう。男女のメンタリティの最大の違い、それは「女はどことなく女っぽい」ことだ。そんなものは社会的な刷り込みである、という主張には、正直、あまり興味が持てない。例えば日本人が日本人的なメンタリティを持ち中国人が中国人的なメンタリティを持ちイタリアンがイタリアンなメンタリティを持つのは、90%以上は社会的な刷り込みであろうと思うけれども、それを理解した所で忽然と「メトロポリタンのメンタリティ」に生まれ変われるわけもなく、だとするとこういう場合、社会的な刷り込みだという指摘にはどれほどの意味があるのだろうか。ない(反語表現)。

◆◆

逆に、本質的な性別と無関係に、社会的な条件によって女が将棋について不利な立場に立たされている、という可能性はあるだろうか。もちろん、それもある。

1:女は将棋に向かない、という思い込み。
将棋が強い少女が、女は将棋に向いてねえから将棋なんかやめどけ、囲碁ならいいぞ、とかいう大人の半強制に会ってる可能性は、多いにある。

2:1による、女子将棋人口の少なさ。

3:プロ将棋界のおっさん臭さ。それによる女子将棋人口の少なさ。
棋界の重鎮を、若い女を愛人候補としか思ってないような、愛人の数を男の勲章と思ってるような連中が占めてるとしたら、そりゃ女の前途は暗いだろう。そういう事実があるかないかは知らないが、可能性はある。
[PR]
by nobiox | 2015-07-15 03:29 | ├自分用メモ | Comments(0) |
より正しい物語を得た音楽はより幸せである
www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/‎

「だから森下唯っていう人の書いたその記事を全文読んで欲しいんだけどさ、そんなこと言っても読みゃしないでしょ、だから説明するよ。ある音楽関係者がね、去年のNHKスペシャルをきっかけに全盲の天才作曲家を知り興味を持って、ネットで検索してプロフィールやらを読み、曲の断片を動画で視聴したと。そして強い違和感を感じた、と」

「プロフィールによると、聴覚を失った後に真実の音に目覚め、それまでの楽曲を全て破棄した元ロック・ミュージシャンが、常に轟音の鳴り響く中で霊感の降臨を待って書いた曲、ということになっており。

あの、アマチュアだからこそ出せる不可思議な凄みってあるじゃない。アンリ・ルソーとか山下清とか田中康夫とかスリッツとかダモ鈴木とか。そういうタイプかと思って聞いてみると、ものすごく正統派の音楽教育を受けたことが明らかな、ものすごく王道の、繊細な、丁寧な、知性を感じさせるクラシックなんだって。だからすぐ、あ、これはインチキ野郎だ、商売の為にプロフィール詐称してやがる、売る気満々で書かれた、嘘にまみれた、いやらしい音楽だ、と思ったんだって」

「だけどインチキ野郎にしてはよくできてる、と。「丹精込めて仕上げられた」ものに聞こえると。真摯に音楽に向かわずしてこれが生み出せるとしたら凄い才能だと。悔しいが認めざるを得ないと。その、インチキと真摯のギャップが、不思議だったんだって」

◆◆

「でね、クラシック業界ではまともな人はもう、感動的な交響曲とか書かないんだって。古臭いから。映画やゲームや大河ドラマから「発注」された時以外は。まともな志のある作曲家は全員がいわゆる「現代音楽」なの。今回名乗り出た人もそうなんだって。まともな作曲家はまともな音楽を書かないで実験音楽ばかりやってるという、ちょっと何だかなー、という妙な状況があるんだってさ。ケージ以降。伊東乾は「それが当然だし、それでいい」と思ってるらしいけど、森下唯は「現代のクラシック業界の停滞」と感じてるらしいわけ。なんで小説や漫画や映画はそうなってないのにクラシックだけがそうなるのかは書いてなかったから知らないけど」

「それで今回のニュースを聞いて、ものすごく腑に落ちたと。新垣隆という真摯な作曲家が、時代錯誤な誇大妄想を持つ自己顕示野郎の「発注」で、こう、神秘的な感じでふわーっと始まって、クライマックスではズガガーンと雷が落ちて、余韻を残して終わるみたいなヤツが欲しいんだよ、聴衆を熱狂させるみたいなさあ、そういうのが今の時代にこそ必要なんだよと熱く迫られて、それに本気で応えて書いた曲だったのかと。なるほど、と。「中世宗教音楽的な抽象美の追求」「 上昇してゆく音楽」「祈り(救いを求め)」「啓示(真理への導き)」とかなんとか」

「ジャズミュージシャンがさ、テレビ局の知り合いに頼まれて仕方なく氷川きよしのバックで演奏してみたら意外にもすごく楽しくて達成感があった、みたいな」

「だから、佐村河内守はインチキ野郎かも知れないけど、佐村河内守という人間の暑苦しい思いがなかったら、あれらの曲は決して生まれてないわけで、だから「作曲者」は詐称だったとしても、ある意味で作者なのは間違いない、と」

個人的には、こういうプロデューサーつきのスタイル、現代のクラシック業界の停滞を吹き飛ばすひとつの手段として広まっても良いんではないかとさえ思える。制約があってこそ、その枠内で創意工夫を凝らして良いものができることだってある。

佐村河内氏の誇大妄想的なアイディアを新垣氏が形にするという、この特異な状況下でしか生まれ得なかったあれら一連の楽曲とその魅力を、「全聾の作曲家が轟音の中で」云々よりよほど真実に近いだろうこの(小説より奇なる)物語とともに味わい、よりよく理解し、より正しく評価すること。それが、取りうる最も適切な態度ではないかと思う。

佐村河内氏の詐欺行為は断罪されるべきことだろう。しかし、週刊誌記事などを読む限り、「凄い曲を世の中に出してやろう」という強い意思だけは本物であったのだ、と感じられる。記者会見で新垣氏が述べた言葉が印象に残っている。その言葉だけで、この事件は悪いことばかりではなかったんだと思えた。彼はこう語っていた。

「彼の情熱と私の情熱が、非常に共感しあえた時というのはあったと思っています」

[PR]
by nobiox | 2014-02-07 20:18 | ├自分用メモ | Comments(0) |
都知事選。どうしよう。
右か左か、とか、保守かリベラルか、なんてことよりも、個人的にだいじだと思ってるのは「マッチョ指向かそうでないか」だ。

石原慎太郎都知事のやったことのうち、ムカついたことはいくつかある(例えば五輪誘致の顛末とか)が、実は、さほど大きなことはない。それより、石原慎太郎はマッチョ指向の男だった。屹立したペニスで障子を突き破るオレ、カッコいいでしょ、みたいなノリ。その振る舞いや発言の節々がたまらなくイヤだった。イヤとか好きとかは別にして、有害だったと思う。猪瀬直樹都知事も同じくマッチョ指向の男だった。

その路線の対抗馬として細川護煕、というのはまあ、いいのかも知れないが、それを推したのが小泉純一郎という典型的なマッチョ指向の男らしい。って、どうすりゃいいのよ。
[PR]
by nobiox | 2014-02-05 22:20 | ├自分用メモ | Comments(0) |
明治維新と産業革命と印象派
スゴイものを見た。明治の日本。をアメリカ人が描いた絵。それでちょっと、明治維新と産業革命と印象派の必然について。

c0070938_21342110.jpg


◆◆

ペリーの来航や明治維新が産業革命と関係あるのは当たり前だが、一方で印象派の登場も、産業革命と、それなりの関係がある。それまでの西欧絵画の主たる役割は、ひとつは偉人、金持ち、権力者の肖像を残すことであり、もうひとつは、聖書のいい場面を感動的に視覚化することだった。何層にも塗り重ねたニスの、重厚な茶色と黒の諧調で。産業革命がもたらした近代の気分は、それとは別のものを欲求した。もっと明るいものを。近代都市にレンブラントは似合わないのだ。

一方、写真術の発明も、たぶん産業革命とそれなりの関係があるだろう。現在、写真と絵画は共存してるしそれが当たり前のように思えるが、写真が登場した当時、ヨーロッパの多くの画家は真剣に深刻に怯えたのではないか。何か新しいことをしない限り、画家の存在意義(事物と肖像の記録)は消える、と。

小さなことだがチューブ入り絵の具の発明も、産業革命とそれなりの関係があるだろう。そして印象派の登場とは、密接な関係がある。チューブ入り絵の具は、屋外にイーゼルを持ち出しての絵画制作を可能にした。

◆◆

ここまでは「黒船来航」←【産業革命】→「印象派」という話だが、「黒船来航」はグルッと一周回って「印象派」に直接の影響も与えた。浮世絵のもたらした衝撃だ。浮世絵のグラフィカルな表現と、印象派のボワワーンとした筆致は一見なんの関係もないように見えるが、いちいち哲学的なフランス人たちは、浮世絵に「絵画の自律」を見たのである。

絵画の自律とは何か。絵画が偉人の肖像と聖書のいい場面ばかり描いてきたということは、言い換えると、すべての絵画は「意義」か「教訓」を表現するために存在した、絵画は意義の下僕だったということである。そこへ初めて目にする奇妙な浮世絵。写実とはまるっきり別次元の自由な描写、自由な線、自由なデフォルメ、自由なエロ、自由な笑い、思いもよらぬ色面構成。意義にも教訓にも支配されぬ、絵画の、絵画による、絵画的面白さの追求。

印象派の登場が西洋絵画をどう変えたかというと、ひとつは明るくなったこと、ひとつは意義も教訓も何もない「単なる絵」が堂々と表舞台で評価されるようになったこと、もうひとつはセザンヌやゴッホに象徴的なように、画家が絵の具を、絵の具に残る筆致を、絵の具の裏のカンヴァスの存在を、隠さなくなったことだ。それが巡り巡ってはポップアートまでつながって行く。その裏には「自律した絵画としての浮世絵の発見」があったという、まあ、そういうことです。以上の説明には、常識とされる定説と、僕の適当な勘が混ざってて、どこが前者でどこが後者か自分でもわからないので、決して鵜呑みにしないでください。ツッコミは歓迎します。
[PR]
by nobiox | 2014-01-15 21:39 | ├自分用メモ | Comments(0) |
「いちばんリベラルなのは天皇なんだってば」
今さっきうちの奥さんと、安倍晋三の悪口(と恐怖)で盛り上がった。

しかし、ちょっと不思議に思う。うちの奥さんは天皇家が大好きだ。結婚してからそれを知り、知ったときにはけっこうショックを受けた。結婚詐欺だろそれ、と詰め寄ったこともある。だから聞いてみた。どうしてあんたのような天皇家大好き右翼が、靖国参拝に関してだけはリベラルを装うのか、安倍晋三のFacebookでいいねボタンを押す方が自然じゃないのか、と。

彼女は笑いながらこう答えた。「だーかーらー、いちばんリベラルなのは天皇なんだってば」

おい、天皇家が大好きならそこは「天皇」じゃなくて「陛下」じゃないのか、というツッコミはさておき、この台詞はオレに衝撃を与えた。なるほど。そうかも知れない。たしかに、少なくとも小泉純一郎や安倍晋三や麻生太郎や石破茂よりも、現天皇は百倍リベラルかも知れない。つか、かも知れないどころじゃなく、間違いなくそうだ。え? ってことは、ええと、どういうことなんだ?
[PR]
by nobiox | 2013-12-27 23:15 | ├自分用メモ | Comments(0) |
黒子のバスケ脅迫事件容疑者逮捕
絶対に犯人は捕まらない、と思っていた。だって郵便ポストってめちゃめちゃ数多いもん。すべての郵便ポストに監視カメラが付いていればなんとかなるかも知れんけど、それでもかなり難しいだろうと。まさかの特定、まさかの確保。警察凄い。何かあるごとに批判される組織だが、成果を出した時は褒め称えようぜ。よくやった。それと、連載を継続させた集英社も褒め称えたい。立派だ。

報道によると捜査の端緒は(1)「昨年10月に上智大に脅迫文などが置かれた際、学内に設置された防犯カメラに不審な容器を持った男が映っていた」こと、(2)「同じ時期に、千葉県浦安市のインターネットカフェから犯行声明がネット掲示板に書き込まれ、この店の防犯カメラにも上智大の時と似た男の映像が残っていた」こと。次に(3)今年10月、セブンイレブン浦安店に毒入り菓子が置かれた件でも、同一人物っぽい男が防犯カメラに写っていたこと、以上の映像に「黒地に2本の白線が入ったリュック」が写っていたこと。

(4)「警視庁捜査1課は、幕張メッセで21、22日の両日に開催予定の集英社主催漫画イベント『ジャンプフェスタ』を対象に犯人が脅迫文を送りつける可能性が高いとみて警戒。リュックの持ち主が大阪周辺に住んでいるとの情報を得て、14日から大阪駅で張り込んでいた」「捜査員らは15日朝、リュックを目印にJR大阪駅から東京駅行きの高速バスに同乗して尾行。午後3時ごろ、恵比寿ガーデンプレイス付近でポストに脅迫文を投函しようとしたところで身柄を確保した。直前にも約300メートル離れた別のポストに報道機関などに宛てた脅迫文を入れる姿を確認していた」

ということらしい。高速バスってその場で咄嗟に乗れるもんなのか。それにしても凄い。大阪駅で張り込み、と簡単に言うけど、駅の規模を考えるととてつもないことだ。大阪にいるかどうかがそもそも定かでない、いるとしてもどこかへ行くかどうか定かでない、どこかへ行くとしても大阪駅を経由するかどうか定かでない、大阪駅経由でどこかへ行くとしても日時などいっさい定かでないという状況で、「確信がないのに24時間態勢で集中力を保つ」なんて、オレには到底できない。

以上からは「リュックの持ち主が大阪周辺に住んでいるとの情報」はどこから来たのか、というのが謎だったけど、ジャンプフェスタ開催を目前に、続報が来た。

黒子のバスケ:43億件接続記録から「容疑者は大阪周辺」
毎日新聞 2013年12月20日 13時03分

 人気漫画「黒子のバスケ」を巡る連続脅迫事件で、警視庁捜査1課が、脅迫文が送られたイベント会社など約70社のホームページの閲覧記録から容疑者が大阪周辺にいるのを割り出していたことが捜査関係者への取材で分かった。43億件以上にのぼるアクセスログを分析したところ、大阪市のネットカフェから何度もHPにアクセスした人物がいることが判明し、張り込みなどから大阪市東成区の派遣社員、渡辺博史(ひろふみ)容疑者(36)=威力業務妨害容疑で逮捕=を突き止めた。

 捜査関係者によると、同課は容疑者が漫画関連のイベントの日程などをネットで調べている可能性に着目。イベント中止などを求める手紙が届き始めた昨年10月以降全国の約70社から、約43億4900万件にのぼるログの提供を受け、共通して接続しているIPアドレスがないかどうか調べた。

 その結果、大阪市の数店舗のネットカフェが浮かび、周辺の防犯カメラに白線2本が入ったリュックサックを所持した不審な男が映っていることが分かり、捜査員が男を15日に大阪駅で発見。高速バスで上京する際に尾行し、渋谷区内のポストで脅迫文を投函したところを確保した。【松本惇、山崎征克、神保圭作】

 この日早朝、捜査員は約500キロ離れた大阪市北区のJR大阪駅近くで渡辺容疑者を発見し、目星を付けていた。

 これまでの捜査で、脅迫文が送付されたイベント運営会社など約70社のホームページの接続履歴計約43億5000万件を調べ上げ、大阪市内の複数のネットカフェから接続された共通点があることを突き止めていた。

 さらに、各店舗の防犯カメラで、黒地に白線入りのリュックサックを背負った不審な男が出入りしているのを確認。男が東京行きの高速バスのサイトを閲覧していたため、捜査員がJR大阪駅で張り込んでいたところ、同様のリュックを持った渡辺容疑者が現れたというわけだ。

 捜査関係者は「12月下旬には、黒子のバスケ関連のイベントが都内で相次いで予定されており、必ず何らかの動きがあるとみていた」と打ち明ける。

 渡辺容疑者は午前6時ごろにJR東京駅行きの高速バスに乗り込んだ。捜査員もひそかに同乗して尾行を開始。午後3時ごろ、JR新宿駅のバスターミナルで下り、山手線に乗り換えて降り立ったのが恵比寿駅だった。

◉産経ニュース 2013.12.23 08:00

 一連の事件では昨年10月以降、関連イベントの運営会社などに約400通の脅迫文が送られたことが確認された。警視庁捜査1課は犯人側が事前に会社のサイトを下見したとみて、約70社のアクセス履歴から計約43億5千万件に上るIPアドレスの提供を受けて分析した。今月上旬になり、共通項として浮かんだのが、大阪市内の複数のネットカフェのパソコンが利用されていたこと。

 さらに、アクセスがあった時間帯に店舗や周辺の防犯カメラで、特徴的な柄のリュックサックを持った男が出入りするのを確認。男は東京行きの高速バスのサイトも閲覧していた。15日朝にJR大阪駅で張り込んでいる捜査員の前に、男と体格がよく似た、同様のリュックを背負った渡辺容疑者が現れたという。

 警視庁は膨大な履歴を高速で検索するソフトを使い、犯人側のミスの発見に主眼を置いて解析している。事件の関係先に共通するIPがないか。匿名化されたIPの前後にミスで残したIPがないか。ネットカフェでは複数の似通ったIPが使われるため、数字に幅を持たせた検索もする。地域の共通項を調べ、現実空間の防犯カメラ映像と突き合わせることもある。

 今回の事件では、12月下旬に都内で関連イベントが相次いで予定され、これまでの脅迫文に週末の消印が多いことなども判断材料となり、7日の土曜日には捜査員を大阪市周辺に大量に投入していた。捜査関係者は「アクセス履歴の解析と、従来通りの捜査手法の双方がうまくかみ合った結果だ」と強調する。

 警視庁幹部は「今やデータが億単位なのは大前提。PCで解析しなければ探しきれない。どんなキーワードで絞り込むかで捜査員の力量が問われる」と話す。

犯罪抑止のためには、警察はこういう情報をぺらぺら記者に教えない方がいいと思うんだが。それにしても結局「徹底して郵便だけでやればまず捕まらない」という問題は残っているのか。
[PR]
by nobiox | 2013-12-20 16:38 | ├自分用メモ | Comments(0) |
みなさん苦情に弱過ぎる。あるいは、潔癖症という病。
佐々木俊尚さんのコンビニ冷蔵庫議論まとめ - Togetter

読んだ↑。ちょっと深く考える前に口が滑っちゃった感があるけども、佐々木俊尚さんはたぶん、冷蔵庫なうとか顔面ピザ生地なうとかいうことに関して、バカを罰するなとか批判するなとか言いたいわけではなく、対処が極端過ぎる、バランスが悪い、合理的でないと言いたいんだと思う。つか、オレはそれを言いたい。

企業にはいろんな声が飛んでくるだろう。ちゃんと教育しろとかクビにしろとか閉店しろとか。マズイと思うのは、いろんな声がある中でいちばん潔癖症な声がつねに採用されることだ。そういう事例がひとつだけなら、ずいぶん潔癖症な対応だなあ、という感想で終わる話だが、ローソンは契約解消して閉店する、西友は冷蔵庫とすべてのカートを殺菌洗浄する、ブロンコビリーはクビにして結局閉店すると、そういうの見てるとこれはもう、この社会が潔癖症という病に冒されているのだと考えざるを得ない。つかさ、普通に真面目に考えてくださいよ。バイトが冷蔵庫に入ったので黒字店を閉店します、って、それが本当に最も合理的な適正な経営判断なの? それがブロンコビリーの企業イメージを守る、最も効果的な対処なの? ブロンコビリーって会社バカジャネーノ、ブロンコビリー最悪、と考えるオレのような人間だって相当数いると思うんだが。

冷蔵庫画像で閉店させられたブロンコビリーに対し、ドワンゴの川上会長「悪ガキのおふざけに損害賠償請求するサイテーな経営者」

バイトがどのようなバカを仕出かした場合に会社がどの程度の対処をすべきか、正解はない。だから、閉店が間違いでオレの感覚が正解、と言う気はない。ただ間違いなく言えるのは、閉店なんてやり過ぎだバカジャネーノと思う者も実際にいるということ、したがって「対処は厳正でテッテ的で潔癖であればあるほど会社のイメージは守られる」という公理は成立しないということだ。じゃあどうすればいいのって、だから、正解はないんだよ。

クビにしなけりゃ何故クビにしない、閉店しなけりゃ何故閉店しないと、文句言ってくる人はいるでしょう。そういう、水に落ちた犬を寄ってたかって叩くみたいなきょくたんな炎上現象を、批判してもしょうがない。有事に極端な声が何パーセントだか生じるのは世の中の自然現象であって、いいとか悪いとかではなく、とにかくそういう苦情は来る。いいじゃん苦情くらい。どいつもこいつも、苦情に弱過ぎる。どいつもこいつも自分の頭で考え自分の責任で決めるのを避け、とにかく亀のように首をすくめて平身低頭テッテ的にお詫びするのがいちばんの安全策だと思っている。これはとても危険なことだ。

タイガー・ウッズが全米に80人だかのセックスパートナーを侍らせてるというので一時期大問題みたくなった(2009年11月)けれど、ナイキはウッズとのスポンサー契約を切らなかった。その代わりに、声明を出した。彼はこの事件のダメージで消えて行くような選手であるはずがない、我々はウッズを信じる、必ずや蘇り、再び輝きを見せるだろう、我々は彼を支える、とかなんとか。カッコいいよなあ。ナイキ社にだって苦情のメールの千本や万本、来たか来なかったか知らないけど、来たとしたってだよ、従う必要はないんだよ。ナイキは自分の判断で、自分で決めた。そこがカッコいい。残念ながら、日本にはそういう企業は見当たらない。

2009年4月23日午前3時頃、東京都港区の檜町公園で酔っ払いが騒いでいると近隣住民より110番通報を受けた警察官により、全裸、泥酔状態の草なぎ剛さんが発見された。草なぎくんはこの件で、地デジ化キャンペーンのCMを降ろされた。よく覚えてないけど、ヤマサ醤油も味の素も、その対応はナイキとはぜんぜん違っていた。まあウッズの事件より前だったみたいだけど。

◆◆

気持ち悪い極端さと言えば思い出すのは「イタリア大聖堂女子大生落書き号泣謝罪事件」だ。
2008年7月10日

世界遺産に登録されているイタリア・フィレンツェ歴史地区のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に、岐阜市の市立女子短大の学生6人が落書きをした問題で、松田之利学長と学生らが現地を訪れ、大聖堂側に謝罪した。10日発表した岐阜市によると、学生は謝意と大聖堂の保全のため計600ユーロ(約10万円)を寄付。通常なら受け取らない大聖堂側も今回は修復費に充てるという。

大聖堂の事務局長は「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。寄付金で落書きを消した個所に、学校名入りのタグ(銘板)を作りたい」との意向を示したという。

6人の学生は3月、すでに文書で謝罪し、許しを得ていた。直接謝りたいという全員の意向を踏まえ、学生の代表1人と学長らが私費で現地に赴いたのは9日。大聖堂の事務局長とともに面会に応じたフィレンツェ市の副市長は「文化を大切にする日本人の意思と厳しい態度に考えさせられた」と話したという。
日本って本当に陰湿ないやな社会だなあ、と当時は思ったけれど、いまあらためて考えると、社会がどうであれ、「学校が苦情に弱過ぎる」のが問題じゃまいか。

◆◆

日本の家電メーカーが多機能なばかりでピントのぼけた「中途半端な」製品ばかり作ることと、ブロンコビリーの「極端に毅然とした」対応は、一見逆の現象のようだけれど、自分で責任を取りたくないからお客様の声を最大限に生かさせていただいております、という点で同根だと思う。

黒モノメーカーが海外メーカーに全く太刀打ちできなくなったと言われて5年くらいもたつが(中略)理由として挙げられる最大のものは、「素人の顧客の意見を聞きすぎる」ということにあるのではないか

◆◆

一般に、日本の社会は安全マージンを取り過ぎる。

山手線のドアが閉まる前に音楽が流れるのを最初に聞いたとき、感心した。メロディって、聞きながら、大体あとどれくらいで終わるか、なんとなく察しがつくじゃないですか。だから、ドアを閉める合図としてメロディを使うのは合理的だ。「ポンパロパラリロ、ポンパロパラリロ、ポンパロポロロロ」、感心しながら車両に乗り込む。乗り込みながら聞こえる、最後の「ポロロローン」←はい、終わり。ところが終わってもドアは閉まらない。数秒おいて、なんと、「ドアが閉まりまーす」というアナウンスがある。さらに数秒(1秒かも知れないが)おいて、なんと、笛を吹く。さらに数秒(1秒かも知れないが)おいて、ようやくドアが閉まる。なんなのあれ。音楽を使う意味ゼロじゃん。電車のドアであれ放射能であれ新型インフルエンザであれ、安全マージンって、取れば取るほど安全度があがるわけではない。あんまりマージンが大きいと警告を真に受けなくなって危険じゃないか。じゃあどうすればいいのって、だから、正解はない問題を、自分の頭で考え、暫定的な(最も合理的と思われる)最適解を出すしかないんだが。



むっちゃ同感↓↓↓。
クレーマーとまとめサイトにより社会が毀損される - むしブロ
日本の組織も、クレーマーに"No"という勇気をもたないと、この国の社会はますます生きにくいものになってしまうだろう。

[PR]
by nobiox | 2013-09-08 19:09 | ├自分用メモ | Comments(0) |
1月2日に「江の島」「猫 首輪」の検索履歴
「真犯人」メールの文言を検索=片山被告、検察が証拠開示―PC遠隔操作
時事通信 7月10日(水)23時14分配信
 遠隔操作ウイルス事件で、「真犯人」を名乗る人物から報道機関などに送られたメールに書かれていた文言を、片山祐輔被告(31)が携帯電話などで検索していたことが10日、分かった。同日、検察側から証拠開示を受けた弁護側が記者会見し、明らかにした。
 弁護側によると、検察側は、片山被告が携帯電話を使い、1月2日に「江の島」「猫 首輪」を、昨年11月には「調書作文」「検察官作文」といった文言を検索していたなどと開示した。
 いずれも昨年10月~今年1月、真犯人から送られた4通のメールに書かれていたと説明しているという。
 検察側は、こうした検索履歴を根拠に「片山被告がメールを作成した」と主張しているといい、弁護側は「メール作成の事実自体を立証すべきだ」と反論した。
 主任弁護人の佐藤博史弁護士は「決定的な証拠はなく、無実を明らかにできる」としている。


Wikipediaによれば「江の島 猫 首輪」の最初の登場は、真犯人を名乗る差出人が1月5日に送信したメールであり、当然ながら世間に報道されたのもそれ以降なので、1月2日に「江の島」「猫 首輪」を検索してたとしたら、かなり怪しい。少なくとも、どういう意図でそんな言葉を検索したのか説明を聞きたくなるところだ。しかし。

どういう意図でそんな言葉を検索したのかと被疑者に尋ね、記憶にないとか、したかも知れないけどそれは世間で「江の島 猫 首輪」が話題になってたからであって、1月2日だなんてあり得ない、と返事が返ってきたらどうするんだ。この証拠が検察のでっち上げじゃないかと疑うべき根拠は、まことに残念ながら、いくつかある。

◆◆

第一に、検察には証拠改竄の前科がある。大昔の話ではない。わずか4年前だ。しかもその改竄は、具体的には「データの作成日時の書き換え」だった。例えばの話、被疑者は2月1日に「江の島 猫 首輪」について調べたのかも知れない。当時ワイドショーは連日この話題だったから、1月に江ノ島で猫を撫でたりなんかしてた人が、気になって検索するのはごく自然なことだ。検察がその日付を1月2日に書き換えたのかも知れない。連中はそう疑われても仕方ないのではないか。

第二。1月2日時点での「江の島 猫 首輪」という検索履歴が事実だとしたら、たしかに怪しい。事件と無関係だと考えるには不自然だ。しかし逆に、真犯人がそんな検索をするだろうか。あなたがギャングだとして、銀行襲撃決行の前夜、「銀行強盗 渋谷 マスク」とか検索しますか。どうにもこれは「不自然な証拠」だ。事件と無関係だと考えるには不自然で、同時に、真犯人だとするとそれはそれで不自然である。検察のでっち上げだと考えるのがいちばん納得しやすい。

第三に、タイミングが怪し過ぎる。この事件に限らず一般的に警察や検察というものは、決定的っぽい証拠はホイホイ積極的にリークするものだ。その方が「やっぱりあの人は悪い人なのね」「やっぱり検察は正義の味方ね」という世間の心証形成に役立つからだ。今回のは2月10日に逮捕して家宅捜索もして携帯もパソコンも押収し、被疑者がショップに売ったスマートフォンも押さえ、そうして5月22日の第1回公判前整理手続きを迎えてなお、検察は被疑者と事件の関連をいっさい示さなかった。示さない理由は「罪障隠滅のおそれ」だと言うんだが、リーク好きな検察の体質を考えれば、「ないから出せなかった」と考えるのが自然だろう。6月21日の第2回公判前整理手続において、被疑者と事件の関連を示す書面を「7月10日には提出します」と検察が約束し、そうして迎えた7月10日、ようやく出て来た話が「1月2日の検索履歴」だ。検索履歴くらい、パソコンやらスマホやら押収したら真っ先に調べるだろう。5ヶ月かけて解析したのか。どうしてそんなにかかったのか。

それとも、ずっと前にわかってたけど証拠隠滅を怖れて隠していたのか。被疑者は拘束していて、しかも接見禁止で、しかもパソコンやらスマホやら一切合切を物理的に押えた状況で、どこにどう「罪障隠滅のおそれ」があったと言うのか。怪し過ぎないか。

◆◆

それとさー、「検索していたことが10日、分かった」とか書くの、いい加減やめませんか。ジャーナリストの矜持はないのか。お前らは検察の犬か。「検索していたと、10日、検察が主張した。検索履歴を調べるのに何故5ヶ月をも要したのか、今回の事件を巡って具体的な証拠を開示しない理由を、検察は従来『罪障隠滅のおそれ』としていたが、接見禁止状態で拘束されている被疑者がどうやって証拠を隠滅できるというのか、など、検察の主張には不自然な点もある」と、どこでもいいから一社でも書いたら、間違いなく話題になり、その新聞は部数を伸ばすと思うんだが。
[PR]
by nobiox | 2013-07-12 19:59 | ├自分用メモ | Comments(0) |
|