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完全試合と、私の中の欠落について
小学生のころ、歩く時には手をグーのかたちに握ってればいいのかそれとも開いてた方がいいのか、その中間だとしたらどんなかたちがいいのか、と親に質問したことがある。当時、自分には何か基本的な欠落があるのではないかという、ぼんやりした恐怖を感じていた。大人になったらそんな恐怖は解消されるハズだとも思っていたが、そうはならなかった。今でも基本的なことがわからない。一体いつになったら大人になれるのだろうか。

例えば人の死に際して、どの程度悲しむのがちょうどいいのか。2004年にいかりや長介が死んだとき、日本中が悲しみに包まれた。いや実際どの程度だったのか数値化することはできないが、新聞や、夕方のニュースショーなんかを見ていてそう感じた。40や50歳の人が亡くなって「早過ぎる」というのならわかる。周りも辛いだろう。しかし、いかりや長介は70過ぎだ。70過ぎだろうが何だろうが毎日顔を合わせていた人にもう会えないのだから家族は悲しいだろう。しかし『8時だョ!全員集合』をむかし見てました、最近では『踊る大捜査線』も好きでした、という程度のファンが、なんで霊柩車に向かって「長さんありがとう!」とか叫んで涙ぐむのか。特に悲しみを感じていなかった私は恐怖した。やはりオレには基本的な欠落があるのではないか。ふつうの人間ならあれくらい悲しむのではないか。私も悲しそうに振舞うべきだろうか。

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サイクルヒット、というのもわからないもののひとつだ。打者がシングルヒット、二塁打、三塁打、ホームランをひとつの試合で打つ。たしかになんとなくおもしろい。しかしどうも世間でのサイクルヒットの価値は、「なんとなくおもしろい」程度ではないように見える。何故サイクルヒットがそんなに素晴らしいのか。例えば「二塁打2本、三塁打、ホームラン」よりも偉いのだろうか。ただ、Wikipediaによれば 1965年以前の日本人は基本的に全員が私と同じような感覚だったらしい。ちょっと安心した。

サイクルヒットは和製英語であり、英語では hit for the cycle という。更に、厳密に言うなら、単→二塁→三塁→本塁打の順で成功させなければならない。日本プロ野球界では1948年10月2日に藤村富美男(大阪タイガース)が最初に達成したが、これは後日認定されたものである。当時の日本球界で「サイクル安打」の概念はなく、1965年7月16日にダリル・スペンサー(阪急ブレーブス)がサイクル安打を達成した際、スペンサーが記者に「何故自分に質問をしてこないのか。これはサイクル安打といって、とんでもない記録なんだ」と言ったのがきっかけで、記録を洗い直した結果、藤村が日本での最初の達成者であることが判明した。(Wikipedia)

サイクルヒットに限らず、自分には個人記録をありがたがる感覚が欠落しているのかも知れない。イチローがシーズン200本安打を前に苦しんでいる、と聞けば関心を持つし、今年もついに達成した、と聞けばうれしいが、それはイチローが200という数字にこだわっているのを知っているから応援してるわけで、私自身が200という数字に価値を感じているわけではない。

2006年9月、山本昌が阪神相手にノーヒットノーランを達成した時はかなりうれしかった。あの感覚は覚えている。しかし、じゃあ最終回に1本ヒットを打たれていたら喜び半減かといえば、それがわからない。もちろん山本昌本人はじめチームメイトやベンチやファンがノーヒットノーランに大きな価値を認めていることは知っているので、1本打たれたらああ残念、と私も思うわけだが、本人やチームメイトやベンチや世間はさておき、オレ自身はどうなのか、と考えると、正直、ノーヒットノーランでも1本ヒット打たれたのでもそんなに変わらんじゃないか、と思えてくる。野球関連サイトを運営していながら、なんという欠落だろうか。大丈夫か、オレ。

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2007年の日本シリーズ最終戦について、あと3人でパーフェクト達成だったのに何故代える、と怒っている人たちがいる。必ずしも多数派ではないようだが、怒っているのだから声が大きい。

怒りの声の中には、スポーツで大事なのは結果じゃなくて過程。落合は勝利という結果を求めて、完全試合という美しい過程を踏みにじった。・・・と、いう意見があるらしい。いや、そんな意見の人はいないのかも知れないが、どうも私が仄聞した範囲ではそんな雰囲気だ(そういう意見が支配的らしい、という話ではなく、単に、そういう意見があるらしい、という話)。

「私は過程しか見ない。つか、目に見えるものしか見ない。球場ではボールと選手の動きを見る。勝敗とか二千本安打とか完全試合とかペナント争いとかは、球場での生々しい体験を覆い隠す陰謀、あるいは物語に過ぎない。勝敗も記録もペナント争いも、目に見えないではないか」と言うのならわかる。共感はできないが、そんな視点で野球を見てる人が本当にいるなら尊敬する。例えば蓮實重彦ならそんなことを言うのかも知れない。

一方「完全試合は貴重な過程だが勝敗は結果に過ぎない」という論理は、そもそも理解ができない。勝敗は結果だと言うなら、なぜ完全試合は結果でないのか。記録なんてものは、結果を重視する気持ちがなかったら無意味じゃないか。完全試合は過程だと言うなら、なぜ継投による完全試合(あるいはその失敗)は過程じゃないのか。完全試合が達成されるまでのプロセスが貴重なのだと言うなら、なぜ八回まで見た貴重なプロセスと、それを引き継いだ岩瀬の貴重なプロセスを称えないのか。やはり何か基本的な回路が、私には欠落しているのかも知れない。
たぶん、
「完全試合の過程が貴重なら、なぜ継投による完全試合の過程は貴重じゃないのか」
「んなこたー当たり前だ」
ということなのだろう。そういうものなのかも知れない。

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谷沢健一:落合監督はもう監督の器じゃない。メジャーリーグでも百数十年の歴史の中で1回しかないんですよ。日本のプロ野球で初めて達成されるかどうかわからないような、ファンが一番注目してるこの試合でしょ。2004年のストライキの時に、プロ野球をもう一度高めようという機運が起こったじゃないですか。それを忘れてますよ。
江本孟紀:プロ野球界全体のことを考えれば続投。完全試合を達成していれば、野球に興味のない人まで関心を持ってくれるチャンスだった。それが野球人気につながっていくのに。
彦野利勝:(采配支持が過半数いたことについて)支持してるのは野球を知らない人達でしょう。あの采配はおかしい。

価値観というのは脳内にあるわけだから、谷沢さんがどんな価値観を持つのも、その価値観に照らしてあの交代は最悪、と批判するのも谷沢さんの自由だと思う。しかし世間の気運とか世間の関心とかは谷沢さんの脳内のことではない。もしかしたら谷沢さんや江本さんの言う通りなのかも知れないが、どうして谷沢さんや江本さんは「いかに完全試合がプロ野球を高めるか」について、説得的に語ろうとしないのだろうか。当たり前だからか。例えば「日本では完全試合は過去に○回あるが、そのすべてについて、有意な観客数増加効果が見られた」とか、「名選手を多く輩出する世代というものが確かにあるが、実は彼らが10代のころに完全試合があった、ということがひとつの要因になっている」とか、「メジャーで完全試合が達成されるとNYで株価が上がる」とか、何かそういうことを言う人はぜんぜんいない。

あるいは谷沢さんが、「僕の伯母がねえ、5年ほど前に亡くなったんですけどね、日頃そんなに野球に興味持ってた人じゃないんですよ、それがねえ、いまわの際に僕の手を握って、『槙原の完全試合は凄かった・・・』って言ってねえ、なんとも言えないうれしそうな顔になってねえ、そうして、息を引き取ったんですよ。ねえ。完全試合というのはねえ、それくらいねえ、凄いものなんですよ」なんて語ってくれれば、それなりに説得力があるのではないか。しかし谷沢さんはそんなことは言わないのである。「ひとりで達成した方がはるかに価値がある。んなこたー当たり前だ」ということらしい。なんでなのかよくわからない。

10数年前のことらしいが、私には槙原寛己の完全試合についての記憶が全くない。ちょっと興味を持って、「槙原の完全試合? もちろん覚えてるよ。あの時は日本中がすごい騒ぎでねえ・・・」なんて語ってくれる人がいないものかと、あれから会う人ごとに質問しているのだが、槙原の完全試合を覚えているという人を、いまだひとりも発見できない。どうも、谷沢さんや江本さんは完全試合の効果を過大評価しているような気がする。

私が知る限り、彼らが挙げた説得的な論拠はただひとつ「ワールドシリーズでの完全試合なんて、メジャーでも百数十年の歴史の中で1回しかない」ということだけなんだが、ぜんぜん説得力を感じない。メジャーで1回しかないのがそんなに素晴らしいことなら、メジャーで1回もない「継投による完全試合」はもっと素晴らしいということにはならないのか。んなこたー当たり前なのか。どうもこの辺が、私が自分の欠落を感じて恐怖する部分なんだが。

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私の欠落はさておくとして、谷沢さんや江本さんがプロ野球界の現在と未来に使命感を感じているのなら、目の前でせっかく「ワールドシリーズでの完全試合」という素晴らしいことが起きたのだから、仮に「山井ひとりで達成してたらさらにさらに素晴らしかった」のだとしても、あの試合に少しは敬意や感動や感謝を表した方がいいのではないか。例えばバレンタインはこう発言している。

ボビー・バレンタイン:一般的に1—0の試合で、ピッチャーが八回まで好投し、素晴らしいクローザーがいる場合は継投も考えられる。監督の仕事は試合に勝利すること。チームの勝利を最優先にしたことはチーム、地元のファン、地元の球場にとっても非常に良かった。あの試合で勝利したことは素晴らしいこと。

「素晴らしい」と言われると、何かうれしい気持ちになる。逆に「最悪」みたいなことを言われると、ネガティブな気持ちになる。谷沢さんや江本さんが吐く毒は、プロ野球をもう一度高めようという機運にとってプラスなんだろうか。完投による完全試合の価値をそこまで強く主張する人たちの発言に、継投による完全試合に対する興奮がさっぱり感じられないのは何故なのか。私にはよくわからない。

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それと、日誌にも書いたけど、ここにも書くぞ。あの交代にはたくさんの理由があった。七回、八回と外野まで飛ばされる打球が増えていたこと。岩瀬が今季初かというくらい絶好調だったこと。1点差だったこと。負けたら札幌だったこと。山井のマメ。肩の故障歴。チーム内での岩瀬のポジション。監督落合博満が2004年と2006年の日本シリーズで敗れていること。その落合がノーヒットノーラン寸前の斎藤雅樹から逆転ホームランを打ったという記憶。たくさんある中でも、「53年ぶり」というのは大きかった筈だ。そもそも日頃から落合博満をチクリと腐すことに生き甲斐を感じてるような雰囲気がある江本さんの発言はどうでもいいとしても、谷沢さんや彦野さんはその「53年」のいくらかについては責任があるんだから、「あの継投の原因の何万分の一かは自分にも責任がある。落合、山井、すまんかった。そしてありがとう」という気持ちを、ほんの少しでいいから持ってくれ。私はそう思う。
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by nobiox | 2007-11-16 19:19 | ├野球 |
年俸軟着陸計画に向けて
中村紀洋33歳は2006年、年俸2億円プラス出来高払い5000万円でオリックスと契約していた。2006年シーズンの成績は85試合359打席2割3分2厘、12本塁打45打点。2007年に向けての契約交渉でオリックスは40%の減額制限を超える60%減の年俸8000万円を提示し、決裂。2007年2月3日現在、就職先未定の状態が続いている。

立浪和義37歳は2006年、年俸2億2500万円で中日と契約していた。2006年シーズンは113試合284打席2割6分3厘、1本塁打31打点。2007年に向けての契約交渉で中日は56%減の年俸1億円を提示、出来高5000万をつけることで契約成立した。以上、金額はすべて推定。

so what?:合点がいかぬことばかり
見物人の論理:弁護士がスポーツ代理人に向いているとは限らない
大生いっちょ!:ノリ中村の減俸は協約違反?

中村も立浪も偉大な選手だ。数年以上にわたって主力としてチームを牽引した実績があり、ベストナインにもゴールデングラブ賞にも何度か輝いた。チームの顔。その結果として年俸が高い。しかし残念ながらピークは過ぎたと思われる。大幅な減額提示を受けるのは大抵こういう「ピークを過ぎた偉大な選手」だ。年俸の年功序列的側面があまりに強すぎ、その反動としていきなりの大幅減俸がやって来る。

私はプロ野球選手の年俸決定に年功序列が考慮されることを「必要悪」とは思っていない。「必要」だと思っている。年功に対する配慮をゼロにして完全実績主義を採用すると、大怪我でシーズンを棒に振った場合にはいきなり年俸ゼロということになり、選手にとってあまりにリスクが大きい。年功序列にはそのリスクに対する保険、という意味合いがあり、ある程度は必要だろう。

ある程度は必要だとしても、問題は、あまりにも年功序列が強過ぎるということだ。例えば23歳で7勝したピッチャーと35歳で6勝したピッチャーを比べれば、誰が考えても前者の方が魅力がある。ところが年俸は前者が1500万で後者が2億だったりする。ちょっと極端過ぎないか。この構造が、「チームの顔がいきなり大幅減額を突き付けられる」という状況を生む。サドン・ダウン。ベテランの年俸をもう少しソフトランディングさせる知恵はないものだろうか、と毎年思う。いまのところ現実的な対策は、ベテランが自らの大幅減俸の可能性を自覚して貯金(あるいは資産運用)する、ってくらいだろうか。

年俸のサドン・ダウンまではまだしも、深刻なのはサドン・デスだ。つまり対応によっては引退の危機に追い込まれる。中村も立浪もバリバリの若手に比べれば魅力がないかも知れないが、かと言ってぺーぺーの若手よりははるかに魅力的じゃないか。なのにぺーぺーの若手の多くは契約を更新でき、ものすごく野球ファンに愛されているキャラの濃い功労者の方が、年俸がネックになってものすごく不安定な立場に置かれる。まったく理不尽だ。



ところで、このたびの中村紀洋の契約交渉を巡っては「意志の明示があったかなかったか」をポイントにあげる議論が多い。私がたまたま見た範囲では次のような主張がある。

中村の同意なしに減額制限金額を一方的に提示し続けたのは協約違反。それと、戦力外通告はトライアウトより前に行うべし、という申し合わせがある。減額制限を超える提示の場合は自由契約(戦力外)とした上で行うべきで、であるならば減額制限を超える提示もトライアウトより前に行うべきだ。この点でもオリックスはけしからん。
「戦力外(自由契約)とする場合には合同トライアウトまでに通告すべきとの申し合わせ事項に違反しているので謝罪せよ」、という選手会の主張はナンセンス。オリックス側は「最初から戦力外」なんて意思表示はしていない。あくまでも必要な選手として交渉していたのに結果として決裂した、ということ。
オリックスのやり方は「減額制限を超える減俸を飲め、それがイヤなら出て行け」と言わんばかりで、けしからん。つまり、「この額を飲まないならクビ(自由契約)」なんて意思表示をしたとしたら完全にけしからんし、そこまではっきり言ってないとしても言ったも同然のやり方なんだからけしからん。
この額を飲まないならクビ(自由契約)、という意志をオリックス側が明示してたならまだしも、「あくまでも必要な戦力として考えている」とか言いつつ減額制限を超える提示を続けたことが明白な協約違反。
中村の同意がないにもかかわらずオリックスが減額制限を超える提示を続けたことは明白な協約違反だが、自由契約にしてくれ、なんてことを中村サイドから言い出したのだとすれば、協約云々を言う資格自体を中村が放棄した、としか考えられない。
複雑だ・・・以上のどれとどれがどういう関係にあるのかすら、私にはよくわからない。しかし少なくともいちばん下の、「自由契約を中村サイドが言い出したのなら第92条もへったくれもない」、という理屈は成り立たないのではないか。どんなアナーキストであっても一般人であっても日本にいる限りは日本の法律の保護あるいは拘束を受ける。同様に、球団が何を言い出そうが選手が何を言い出そうが、球団と選手の契約は契約書と協約の保護あるいは拘束を受ける。



野球協約第70条(球団の契約更新拒否)
契約保留選手が、全保留選手名簿公示の年度の翌年1月10日以後この協約の第92条(参稼報酬の減額制限)に規定する参稼報酬減額制限額以上減額した参稼報酬を契約条件として選手契約の更新を申し入れ、球団がこれを拒否した場合、球団はその選手にたいする保留権を喪失し、その選手はコミッショナーに自由契約選手指名を請求することができる。
[1998.11.18改正]
野球協約第92条(参稼報酬の減額制限)
次年度選手契約が締結される場合、選手のその年度の参稼報酬の金額から左記のパーセンテージを超えて減額されることはない。ただし、選手の同意があればこの限りではない。
その年度の参稼報酬の金額とは統一契約書に明記された金額であって、出場選手追加参稼報酬または試合分配金を含まない。
(1)選手のその年度の参稼報酬の金額が1億円を超えている場合、40パーセントまでとする。
(2)選手のその年度の参稼報酬の金額が1億円以下の場合、25パーセントまでとする。
[2005.12.1改正]

この92条にまったく実効性がないことはすでに明らかだ。球団がベテランに大幅減俸提示を行う場合、もちろん残って欲しいけど最悪の場合はトレード、もしくは自由契約もやむなし、という覚悟があるのが普通で、つまりは「減額制限を超える減俸を飲め、それがイヤなら出て行け」と言ってることになる。減額制限は「ぜひとも残って欲しい」と球団が思ってるような選手には効果があるだろうが、是非とも残って欲しいと思ってる選手に大幅な減額を提示する、なんてことはそもそもあり得ないので、だとすると全く意味がない。

協約で大幅減俸の提示自体を禁止すれば「減額制限を超える減俸を飲め、それがイヤなら出て行け」なんてことをなくせるわけだが、いきなりクビが増えるだろう。「もちろん大幅減俸はイヤやけど、いきなりクビよりはましや。あんな協約がなかったらワイはいきなりクビにはならんかったハズや。ワイは大幅減俸提示禁止の犠牲者や」という事態が起きかねず、だからこそ「選手の同意があればこの限りではない」みたいな抜け道が必要となる。この抜け道がある限り92条は実効性を持ちようがないが、この抜け道を塞ぐのは選手会にとっても諸刃の剣である。というわけで、私の主張は以下の通りです。



プロ野球界の収入がゆるやかに減っていく一方で、福留みたいな勝ち組の要求は何故か年々高まっていくようで、であればたぶん来年以降も、年俸がネックになりかけてるベテランに対する大幅減俸提示は増えるであろう。福留だっていずれはそういう目に会うだろう。この事態に対して、現状の野球協約92条はまったく何の役にも立っていない。遅くとも2007年の夏までに、

1:戦力外通告はトライアウトの◆日以上前に行うべし
2:○%以上の減額提示を受けた選手には自由契約を要求する権利が、球団にはその要求に即刻応じる義務が発生する。したがって○%以上の減額提示も、トライアウトの◆日以上前に行うべし

ぐらい、ぺナルティまで含めて協約に明文化すべきだ。そうなればベテランの雇用流動性は上がり、プロ野球ファンにとってもメリットが大きいのではないか。
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by nobiox | 2007-02-03 05:25 | ├野球 |
間引きの効用
その日、教育テレビでなんとなく園芸番組を見ていた。去年の秋だったか。マンションのベランダでカブを栽培しましょう、というテーマで、まずプランターにパラパラッと種を蒔く。ひとつずつ植えるわけではなく、パラパラッと、料理人が魚に塩を振る感じに近い。それから水をやる。数日後、芽が出る。さらに数日後、間引きという作業を行う。そのままでは密度が濃過ぎて充分に育たないので、半分以上を抜いて、捨ててしまうのである。先生は作業の合間に、こういう意味のことを言った。

「それなら初めからまばらに蒔けばいいじゃないか、と思われるかも知れませんが、それが違うんですね。蒔いた中には必ず、弱いもの、虫にやられるもの、根腐れを起こすもの、そういうものが出ます。だから多めに蒔いて、ある程度育った段階で、弱い芽を除き、元気な芽を残す。必ずこの行程を踏まないと、いい野菜を収穫することはできないのです」

おおなるほど。そんなわかりやすい説明を聞いたのははじめてだった。聞いた瞬間、もちろん私は、ドラフトのことを考えていました。

この「ドラフト」というカテゴリーはここまでのところ、プロの育成能力を疑う、というような話が多い。しかし、高卒ルーキーを「間引き前」、大学社会人経由を「間引き後」と考えれば、後者の方が優秀なのは当たり前だ。プロの育成能力を批判するような問題じゃないような気も、してきた。
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by nobiox | 2007-01-18 00:37 | ├野球 |
二軍に真剣勝負を
U19とかU21とかのサッカーの試合を見ると、なんでこいつらこんなに本気なのか、だって二軍だろ、と、いつも不思議に思う。

まあサッカーは置いといて、カージナルスの田口壮は3Aにいるとき、優勝争いの助っ人として2Aに送り込まれたことがあるんだそうだ。『見物人の論理』で知った。アメリカではマイナーリーガーも本気で優勝を目指すらしい。しかも、たかが2A。ドラゴンズの二軍がウェスタンリーグで熾烈な優勝争いを繰り広げ、助っ人に一軍からヒデノリが駆り出される、なんてことは日本ではあり得ない(まあ、「優勝争いの援軍に3A→2A」はあっても「メジャー→「3A」なんてことはアメリカでもないとは思うが)。二軍が勝ってもしょうがない、二軍はあくまで育成の場、それが日本の常識だ。アメリカではそうではない、としたら、何故だろう。

地元密着とか地元ファンの熱い応援、というのも重要な要素なのかも知れない。アメリカのマイナーチームは基本的にメジャーとは別の都市にあり、メジャーとは別の独自の地元ファンに支えられているという。しかし、いくらファンに愛されようが、監督が「二軍は勝ち負けは二の次」なんて発言したら、選手は本気で勝利を目指せないと思う。もともと日本人選手は勝敗にこだわる気持ちが薄い、という話はサッカーの外国人監督なんかの口からよく聞く。理由はわからないが、小学生の段階ですでにそうなんだと言う。正直なところ私自身も「勝敗にこだわる気持ちが薄い」タイプの人間なので、そういう傾向があるとしてもべつに非難する気にはならない。ただ、善し悪しはともかく、ふつうの条件で外国と比べてそうなんだったら、勝つ気ありません、なんて上がわざわざ宣言してる状態では勝利へのモチベーションは相当薄くなるだろう。そして現に日本では、監督もフロントも誰もがわざわざそう宣言するのである。とうぜん選手も、そういう気持ちで日々の試合に臨むことになる。

逆に、フロントと一軍監督と二軍監督が「二軍といえどもやるからには勝利を目指す。よそがどういうつもりだろうがウチはそうするんだ。育成を言い訳になんかしない」という方針で一致していれば、仮に地元ファンがぜんぜんいなくとも、選手は本気でやるだろう。マイナーリーガーにあって日本の二軍にないもの、それは「些事であっても勝負にはこだわる」というメンタリティではないか。どこのチームでもいいから、試しにそういう方針でやってみたらどうだろう。



そもそも二軍の目的は育成なんだからそんなことは本末転倒、というのが標準的世論だということは知っている。が、「育成を優先して勝敗にはこだわらない」というその方針は、育成のために本当に効果的なのか。育成のためのシステムが大して育成実績を上げていないとしたら、それこそが本末転倒ではないか。

孫引きだが、プロの二軍よりも大学や社会人の方が選手が育つ理由について、野村克也は『野村ノート』で「真剣勝負」の有無を挙げている(ちなみにこれも『見物人の論理』で教わった。私は全ての知識の三割くらいを『見物人の論理』で得ている)。

たまたま今日、ドラフト実況スレッドというのを読んだら、新日本石油野球部の選手紹介ページへのリンクが貼ってあった。私はドラフト市場のことをぜんぜん知らないんだが、中日が指名した岩崎達郎という選手が一般的にノーマークの存在だったらしく、どこの誰だ、となり、そこから、どうも新日本石油(ENEOS)の内野手らしい、というような話の流れらしい、それで私は社会人野球の選手のコメントというものに、初めて接した。岩崎は「夏の悔しさを、この日本選手権にぶつけたい」と思いを語っている。他の選手を見ると、例えば岩本裕治は自分の目指す選手像を「元気を出してチームを引っぱる」ことだと言い、樋口渉は自らの長所を「どんなに点差が離れて負けていても最後まで諦めない気持ち」だと書いている。どれもこれも、チームが本気で勝利を目指してなければ出てこないコメントだろう。たしかにノムさんの言う通りだ。『野村ノート』出版後、今では楽天の監督なんだから、まず楽天が真剣にやってみてはどうか。(すでにやってるのかも知れないが)
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by nobiox | 2006-11-21 19:31 | ├野球 |
プロの育成能力はなぜ低いのか。
大学(または社会人)野球の選手のうち、プロに指名されるのはほんのひと握りだ。特別な輝きを放ち突出した数字を残したスターだけが、ドラフト会議で指名を受ける(のかどうかほんとうはよく知らないが、ここではそういうことにしておこう。鎌田圭司とか普久原「カモシカ流」なんか特に突出した成績だったのか疑問だが、よく知らないのでここではそういうことにしておく)。だとすると、 大学(または社会人)経由でプロ入りした選手と、その四年前にプロ入りした二軍選手を比べる、ということは、「傑出した大学選手」と「プロの二軍選手全般」を比べていることになる。それってもしかして、比較の基準がおかしいのかも知れない。「大学野球」と「プロの二軍」がだいたい同等のレベルにある、と仮定するならば、明らかにおかしい。「傑出した大学選手」と比べるのは「傑出した二軍選手」でなければならない。そうやって比べれば、プロの育成能力もそんなに悪いもんじゃない、という見方も成り立ちそうな気がする。

だいたい、「大学野球界で案外伸びなかった選手」というのがいたとして、例えば仮に高岡一高のエース高橋聡文が早稲田に進んでいたとして、そこで四番手にしかなれなかったとしても、そういう選手はあまり話題にのぼらない。プロの指名を受けないからだ。つまり、プロで伸びなかった選手は目立つが、大学で伸びなかった選手は忘れられる。したがってプロの方ばかりが過剰な批判を受けやすいのかも知れない。

と、いちおうプロ擁護論も考えてみた。だがしかし。特別な輝きを放ち突出した数字を残した高校球児はあらかたプロに持って行かれ、その残りでやるのが現状の大学野球だとすれば、「大学野球とプロの二軍がだいたい同等のレベルにある」などと仮定することにはそもそも無理がある。と言うか、突出した高校球児を集めておいて大学野球と同等レベルだとしたら、そのこと自体がオカシイじゃないか。やっぱりプロの育成実績には疑問符がつく。ような気がする。

◆ ◆

『ドラフトを中心に野球界を見る』というブログを通じて、こんな論文を知った。
| 直撃インタビュー | 黒田次郎(日本体育大学スポーツ局スポーツ専門職) |
ゲンダイネット / 2005年12月3日 掲載

ドラフトも終了し、オフシーズンへと入ったプロ野球界で今年6月に発表された、ある論文が球界に波紋を広げている。その論文とは日本運動・スポーツ科学学会で発表された「日本プロ野球のドラフト制度に関する研究」(ドラフト制発足の65年から03年までの資料に基づく)。プロ入りした高卒選手の約3割が一軍試合未経験で引退。さらに73%が投手なら3勝、野手なら72安打以下で引退という衝撃的な内容だ。日本体育大学スポーツ局に勤務する著者の黒田次郎氏に話を聞いた。

——なぜここまで高卒の選手が活躍できないのですか?
「いろいろな要因がありますね。まず高卒選手は主に育成目的で選ばれますが、今はその育成が重視されなくなってきているということがあります。論文中では“一軍試合経験なし者の平均在籍年数は4.02年”と書きましたが、81〜91年は4.6年。しかし過去3年では3.6年と、1年も短くなっています。これは93年に導入されたFAと逆指名(現在は希望枠)が関係している」

——と、いいますと?
「選手年俸と入団時の契約金高騰により球団が1人の選手にかける金額が増額したことが原因です。各球団は育成目的の高卒を削減し、大卒・社会人の即戦力重視に切り替えた。それにともない、選手を見極める年数も短くなったということです」

——育成システムそのものはどうでしょうか?
「社会人野球の方が上です。野球が導入された92年のバルセロナ五輪のときから世界を視野に入れていたからでしょう。多方面から情報を集め、良いものを取り入れた結果、育成システムはプロをしのぐものになった。現在のスポーツ界は緻密で理論に基づいた科学的トレーニングが主流ですが、プロ野球では自分の経験に頼っているだけのコーチが少なくない。また、自分の技術を選手に的確に言葉で伝えるためのコミュニケーション能力も不足していますね」

 結果を残せず引退した選手(投手なら3勝以下、野手なら安打72本以下)の割合は、高卒が73%。それに対し高校あるいは大学を経た社会人出身は51.1%と20%以上の開きが出た(論文のデータを基にした日刊ゲンダイ本紙調べ)。


プロの育成能力はなぜ低いのか。たぶん、黒田氏の挙げる理由は的確なのだろう。しかしそれ以上に明らかに、「プロの二軍」に欠けているものがある。チームとしての真剣勝負だ。

大学野球には大学野球の、社会人野球には社会人野球の、それぞれのリーグ戦なりトーナメント戦なりがある。日々の鍛練の汗も涙も、優勝を勝ち取るためなのだ。そのために自分を鍛え、長所を伸ばし、欠点を克服し、先輩を押し退けてレギュラーの座を掴み、さらに己を磨いて、チームとしての高みを目指す。つまり、自己満足のために自分を高めたい、という動因と、チームとしての満足のためにチーム力を高めたい、という動因とのふたつが働く。プロの二軍選手にも前者はあるだろう、しかし後者がない。もちろんプロの二軍もリーグ戦をやる。しかし二軍で優勝して感激で泣いた、なんて選手は、たぶんいない。「所詮二軍」だからだ。チームスポーツには個人的な目標と併せてチーム目標が必要で、それがないと、いまいちモチベーションがMAXにならないのではないか。プロの二軍にはそこが決定的に欠けている。

チームスポーツに限らず、求道者としてひたすらに自己を磨くことを「大目標」、大会での勝利を「中目標」と言い換えれば、「ふつうの人間には大目標と併せて中目標を与えた方が伸びやすい」ということも言えそうだ。例えば大相撲に「横綱」「小結」「前頭何枚目」とかいったランキングシステムがなく、夏場所とか秋場所とかの区切りもなく、毎日ただひたすら勝利を目指すのみ、だったらどうだろう。その状態で高いモチベーションを維持できるのは、よほど強靱なエゴを持った孤高の天才だけではなかろうか。例えば落合博満、中田英寿、イチロー、宮本武蔵、みたいな感じの。ふつうの人間は「ただひたすら自分を磨く」なんて漠然とした目標だけでは、自分を支え切れないような気がする。スポーツにおける「大会」の存在意義はそこにもある。

◆ ◆

もうひとつ。チームとしての真剣勝負もないが、というか、ないことが理由かも知れないが、プライドもない。大学チームの主力選手は主力としてのプライドを持っているに違いないが、プロの二軍の主力選手は「二軍でもがいている」くらいに感じるのではないか。六大学リーグで優勝して「所詮大学野球」なんて思う選手はまずいないだろう。しかしプロの二軍選手はどんな時も不断に思っているハズだ、「所詮二軍」と。プライドが高いのも低いのも一長一短だろうが、伸び盛りの時期に自分を「所詮○○」と自己規定することには、マイナス面も大きいのではないか。

◆ ◆

ではどうしたらいいのか、ということになるが、いまのところ残念ながら、何もいい知恵は浮かびません。

何もいい知恵は浮かばないが、少なくとも、プロ野球側は怠慢だと思う。プロ入りした高卒選手のうち、一軍試合未経験で引退するのが何割か、とか、投手なら3勝以下で引退が何割か、とか、では大学、社会人経由はどうか、とか、そんなことはその気になれば誰でも(例えば私でも)ネットを通じて調べられるではないか。その程度の情報が「衝撃的な内容」とか言われてしまうのは、プロのスカウトがその程度の基本的な統計すらとってないということなのか。それとも、知ってたけどマズイから隠してたのか。どっちだとしても、どうかと思う。

それと、書いてるうちにひとつ思った。問題は「プロの育成能力」というよりも、「プロの二軍の育成能力」ではないか。二十歳前後の時期を一軍で過ごした選手は、かなり高い確率でかなりの高給取りになる(もちろん例外はある。沖縄の星、奇跡の快腕上原晃とか)。たぶん炭谷銀仁朗も大スターになるだろう。「プロの一軍」の育成能力は、低いどころか、極めて優秀だ。「プロが一番優秀なんだから、優秀なとこで鍛えられるのが一番いいに決まっている」という一般的な認識は、「プロの一軍」に限ってならば、かなり正しい(プロの一軍レベルまで行くことを「育成」と呼ぶんだから、そんなロジックは不毛だ、という御意見もありましょうが、まあ置いといて)。疑問なのは二軍の方だ。

高校球児には甲子園があり、大学野球には大学野球の、社会人野球には社会人野球の、それぞれのリーグ戦やトーナメント戦があり、プロの一軍にはペナントレースと日本シリーズがある。プロの二軍にだけ、そういう「燃えるイベント」が欠けている。この点が育成能力の低さの主な理由なのかどうか、ほんとうのところは私なんかにはわからないが、この点の根本的な解決策は存在し得ないような気がする。とりあえず、以上のようなことが世間でふつうに認識されるのがいいと思うんだが。

◆ ◆

ところで森本ヒチョリは「松坂世代」なんですね。98年ドラフト4位、今やチームの顔だ。こういう素晴らしい例も存在する。
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by nobiox | 2006-09-24 18:46 | ├野球 |
プロ野球の育成能力は非常に低いらしい。
プロ入りを期待されるほどの高校球児をひとり想像していただきたい。彼自身の最終目標もプロ野球選手だと考えていただきたい。高校生活最後の甲子園も終わり、さて高卒でプロ入りか、あるいはいったん大学進学かあるいは社会人野球か、と思案する、と考えていただきたい。

本人が「オレの力なら間違いなくプロで即戦力」と確信していれば、何も悩むことはない。すぐにプロに行けばいい(行ってみたらぜんぜん通用しなかったとしたら後悔するかも知れないが、まあそれはそれとして)。悩むのは、そこまでの確信はなく、「うまくいっても数年は修行(という可能性もある)」と考えている場合だろう。この場合、「育成機関として、プロと、大学または社会人と、どっちが優秀か」という問題になる。



一般に、プロでやる意志が本気で固まっているならプロ入りの方が効率がいい、と考える人が多いようだ。だって最終目標がプロってことは、プロが一番優秀、ってことなんだから、優秀なとこで鍛えられるのが一番いいに決まってるではないか。ふつうはそう思う。

しかし『見物人の論理』の「プロ野球に二軍は必要か。」という記事を読むと、かなり考えが変わるハズだ。

 今週読んだ週刊ベースボール11/28号の石田雄太の連載コラムと、野村克也著『野村ノート』に、「プロ野球は高卒選手を育てていない」という同じ問題が指摘されていた。

 石田は、いわゆる「松坂世代」を例にとって「あの年、松坂大輔と同じように高卒でプロに飛び込んだドラフト3位以下のピッチャーは(中略)11人いたが、一人もモノになっていない。その一方で、大学、社会人を経由してプロに入ってきた和田毅、杉内俊哉、久保康友、木佐貫洋らの活躍ぶりは言うまでもない」と指摘する。モノになっていない高卒組は、石田が例にとった下位指名の投手だけではない。1位指名の選手にしても、阪神の藤川は7年かかってようやく主力になったが、他に1位指名された古木、実松、吉本、石堂、東出らは、7年目の今年も主力選手とは言えない。これほどまでに枕を並べて討ち死にしているようでは、球団ごとの巧拙以前に、プロ野球の二軍の仕組み自体に問題があると考えた方がいいのかも知れない。

 イースタン・リーグの年度別タイトルホルダーを見ていただけば(この表は熱心な個人ファンの方が作ったもので、イースタンにはオフィシャルサイトすら存在しない)、イースタン・リーグのタイトルホルダーの中で、一軍で活躍した選手がほとんどいないことは明白だ。昨年イースタンで首位打者をとり、今年はセ・リーグの首位打者となった青木などは例外中の例外である。二軍で活躍したところで一軍とはほとんど関係がない。


意外にも、同世代の選手を較べると「高卒即プロ組」は分が悪いのである。理由はともかく、現実にそうなんだからしょうがない。まあ2006年現在、杉内も久保も木佐貫もどうなのか、という感じではあるが、それでも全体としては、高卒プロ組より健闘してるのではなかろうか。



孫引きだが、『野球小僧』に中日・中田スカウト部長のインタビューが載っているらしい。「ごく単純に20年間野球をやろうとしたら、高校生の方が圧倒的に確率は高い。プロに早く入って来られますから」

嗚呼、アホ丸出しの発言だ。としか思えない。中日ファンとしてはショックだ。大学進学組だって大学で野球に明け暮れるんだから、単純に野球をやる期間を較べるなら、「プロで20年」やるのも「大学で4年、プロで16年、合わせて20年」やるのも同じじゃないか。

中田スカウト部長が言いたいのはたぶん、「プロで20年間野球をやろうとしたら」だろう。何故、データも示さずにこういうことを言うのだろうか。現在が2006年だから、今年プロ20年目を迎えるには、1986年以前のドラフトで指名されている必要がある。ドラフト制度発足は1965年だ。65年から86年までに我がドラゴンズに入団した高卒組はのべ○人、うち現役を20年続けた例は○人、割合で言うと○パーセント。大学または社会人経由はのべ○人、うち現役を20年続けた例は○人、割合で言うと○パーセント。スカウト部長が発言するならそのくらいの数字は挙げていただきたい。



それで、仮に「20年現役」が高卒組の方に多かったとして、それが自慢になるかというと、ならない。

太郎と二郎という一卵生双生球児を考えよう。太郎は高卒でプロ入りして20年間プロ生活を続けたとする。二郎は早稲田大学経由で四年後にプロ入りして20年間プロ生活を続けたとする。このケースで、「プロも早稲田も育成能力は同等」と言えますか。言えません。太郎は38歳で引退だが、二郎は42歳で引退だ。二郎の方がよい選択をしたと考えられる。つまり、高卒組にプロ生活4年のアドバンテージがあるのは当たり前だから、それを差し引く必要がある。育成能力を問うならば、比べるべきなのは

・「高卒でプロ入りして20年間プロ生活を続けられる確率」と
・「大卒でプロ入りして20年間プロ生活を続けられる確率」はどっちが高いか

ではなく、

・「高卒でプロ入りして20年間プロ生活を続けられる確率」と
・「大卒でプロ入りして16年間プロ生活を続けられる確率」はどっちが高いか

なのだ。簡単に言えば「何歳までプロでやれたか」で比べればいい。高卒即プロ入りで、例えば7年でクビになるのと、大学経由でプロ入りして3年でクビになるのとは同値と評価すべきであって、「前者の方が4年も長くやれた」なんてのはナンセンスでしょう。

そういう評価基準で比べた時にも、「高卒の方が圧倒的に『何歳までプロでやれたか』指数は高い」とか言えるのだろうか。中田スカウト部長なら簡単に調べられると思うので、もし中田スカウト部長がこのブログをお読みになったとしたら、メールいただければ幸いです。
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by nobiox | 2006-09-18 02:52 | ├野球 |
『落合博満のトータルベースボール』
トータルフットボールという言葉がある。私のようなサッカー門外漢には理解しづらい概念だが、言葉の響きが魅惑的だ。Wikipediaの記述を私なりにチョー単純に理解すると、「ポジションに捕われず、全員がチーム全体のことを意識しつつ有機的に動き回るサッカー」のことらしい。

最大の特徴は“ポジション”が存在しないことである。当時のオランダ代表にとってポジションとは、「キックオフ時の立ち位置」というだけのものであり、攻撃時には選手は積極的にボールを持つ選手を追い抜いて前線に飛び出し、守備時にはFW登録の選手もカバーリングに入る。サイドバックの選手が前線へ飛び出せばウイングの選手がそのポジションを埋めに下がる。まさに全員攻撃・全員守備である。
このサッカーを支えたのは、選手全員の高い技術、戦術眼、スタミナもさることながら、全員が高い守備意識を持っていたことも忘れてはならない点である。

と書いてある。という訳で、私は本のタイトルを思いつきました。『落合博満のトータルベースボール』。カッコイイでしょう。とりあえずタイトルだけ。内容は・・・誰か書いてくれないものか。(続くかも知れない)

よし、オレが目次の構成を考えてみた、とか、オレ流全員守備についての具体的論考とか、なんかお考えのある方はじゃんじゃんコメント欄に長文書いてやってください。無期限に募集します。落合の野球はここがつまらん、というようなネガティブなコメントも歓迎します。
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by nobiox | 2006-08-06 23:16 | ├野球 |
The Heavy Ball
『Baseball Digest』誌の、「The Heavy Ball」という記事を和訳してみました。

ある種の投手の投げる球は独特の性質(それは多くの場合 late-breaking movement がもたらす)を持ち、そのためこう呼ばれる。「The Heavy Ball」と。

◆ ◆

メジャーの公式球はすべて、5から5.2オンスの重さと決められている。 なのに何故キャッチャーにとって、あるピッチャーの球は羽根のように、またあるピッチャーの球はまるでレンガを受けているかのように感じられるのか。そして打者はなぜ、ある投手の球を、ボーリングの球のように感じるのだろうか。

物理学者は、重量が同じなら「重い」ボールなんてものは存在しないと言うかもしれない。 しかし彼らはマイク・フラナガンやケビン・ブラウンやブランドン・ウェブの球を受けたこともなく、ティム・ハドソンやケビン・グリボスキーの球を打った経験もないのである。

ある投手は BB 弾を投げ、ある投手は砲丸を投げる。何故だろう。ジョー・ケリガンはこう答える。「オレは20年以上キャッチャーをやった。理由なんかどうでもいい。とにかく、そうなんだ」。しかし、中には現象をもう少し解説してくれる者(特にキャッチャー)もいる。
興味ある方は、続き↓を読んでください。
アメリカ・レポート:http://dragox.jpn.org/about/omosa4.html
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by nobiox | 2006-07-16 06:26 | ├野球 |
ボビー裏金発言続報・メモ
先日、ボビー・バレンタインの「ドラフト裏金爆弾発言」をスポーツ新聞はどこも派手に取り上げたし、朝日新聞も「コミッショナーは発言を放置せず、調査すべし」との論説を、西村欣也編集委員の署名で、けっこう大きな見出しで掲げた(06/13日付朝日新聞本紙朝刊スポ—ーツ面)。正論だ。この件では、ここまでは朝日新聞を支持する。しかしその後「コミッショナー事務局がロッテに文書で問い合わせたところ、あの報道はマスコミに間違って伝えられたもの、との回答が届いた」というニュースは、笑っちゃうほど小さく報じられた。

プロ野球短信 | 2006/06/20 | 朝日新聞本紙 | 朝刊スポーツ面 |

 裏金発言でロッテ見解 プロ野球ロッテのボビ−・バレンタイン監督が「昨年のドラフトで裏金を使っていた球団がある」と発言したことについて、根来泰周コミッショナーがロッテ球団に文書で事情説明を求め、「マスコミに間違って伝えられた」との回答が届いていたことが19日、わかった。コミッショナー事務局の長谷川一雄事務局長が明らかにした。
 バレンタイン監督は9日の試合前、報道陣に対して「少なくとも2カ所から聞いた」とした上で「裏金の総額は30億円」などと話した。同監督は一方で、17日、再び報道陣に対して「先日の話は間違って理解されたようだ」「30億円という金額は推測」などと発言内容を修正した。
もうね、見出しが小さいベタ記事だというだけじゃなく、本文の活字自体が小さいの。しかも「プロ野球短信」と来たもんだ。卑怯じゃないですかね、こういうやり方って。どこかの新聞が「朝日新聞社は高校野球のウラで巨額の不正利益を得ている疑惑がある」と大きく書いた一週間後に「新聞界短信:先日報じた疑惑は根拠ありませんでした」と小さな活字で小さく載せたら、ちょっとそのやり方はないだろう、卑怯な印象操作だ、と思わないだろうか。

バレンタイン監督裏金発言問題 | 2006/07/06| トーチュウ |

 プロ野球のオーナー会議が5日、東京都内のホテルで行われ、阪神球団の親会社である阪神電鉄と阪急ホールディングスとの経営統合が実際上の球団保有者変更に相当するとの判断を示し、球団譲渡と同じく預かり保証金25億円に加え、野球振興協力金4億円と加入手数料1億円を合わせた計30億円を支払うことが決まった。(中略)

 会議では、ロッテ・バレンタイン監督がドラフトで30億円の裏金が存在すると発言したことをめぐって、巨人の滝鼻卓雄オーナー(66)が、ロッテ・重光オーナー代行に猛烈にかみついた。

 滝鼻オーナーは会議の最後に自ら手を上げて、小池パ・リーグ会長に説明を求めた。小池会長は「モゴモゴするだけではっきりしない」(滝鼻オーナー)ということで、その後コミッショナー事務局がロッテ側の「誤解を招いたが、実際そういうことはないということで結構だ」という回答を伝えたが、滝鼻オーナーは、「反省しているのかどうかはっきりしろということで…」と、ロッテ側に詰め寄り、最後には重光代行から「不用意な発言でご迷惑をお掛けした」という謝罪の言葉を引き出した。

 バレンタイン監督は広報を通じ「お話したいことがあります」と、6日の楽天戦の前に会見すると表明した。
滝鼻オーナー、ロッテに謝罪要求 | 2006/07/06 | Web報知 |

 プロ野球オーナー会議で5日、ドラフト裏金発言をバレンタイン監督が行ったロッテに、巨人・滝鼻卓雄オーナー(66)が謝罪を求めた。
 滝鼻オーナーが会議の席上、ロッテ・バレンタイン監督が先月、ロッテ以外の11球団がドラフトで裏金を使っていると発言したことについて、重光オーナー代行に11球団に対しての謝罪を要求。ロッテ側がわびる一幕があった。
 滝鼻オーナーが挙手したのは会議の終盤だった。パの小池会長に“ボビー発言”についての調査結果の説明を求めたところ、明確な回答が得られなかった。滝鼻オーナーは「反省しているのかしていないのか、はっきりしてほしい」と厳しい姿勢でロッテ側に猛省を促し、重光オーナー代行が「推測に基づく発言はしないよう注意する。監督も反省している」と謝罪したという。

 問題の発言は6月9日、バレンタイン監督がドラフトでの選手獲得について、決められた上限を超えた額が使われていると指摘。「(ロッテ以外の11球団で)総額は30億円にも上ると聞いている」と発言したもの。重光オーナー代行は会議後「私の方から不用意な発言で他球団の皆さんに迷惑をかけたと経緯を説明した」と話した。バレンタイン監督は6日に会見を行う予定で、その時に改めてこの件について釈明をすることになりそうだ。
ロッテ:バレンタイン監督「裏金」発言を撤回 | 2006/07/06 | Mainichi Interactive |

 ロッテのボビ−・バレンタイン監督は6日、遠征先のフルスタ宮城で会見を開き、新人選手のスカウト活動について「裏金を使っている球団がある」と6月上旬に発言したことについて、「正しい情報に基づいていなかった。どなたかが気分を害されたならば謝罪したいと思います」と発言を撤回した。瀬戸山隆三球団代表も「関係者に多大な迷惑をかけた」と謝罪した。

 バレンタイン監督は6月9日、スカウト活動で30億円の裏金を使っている球団がある、との話をし一部メディアが報じた。その後ロッテは「趣旨を誤解された」とコミッショナー事務局などに釈明していたが、5日のオーナー会議で再び真相究明を望む声が挙がっていた。
なんだよ全面撤回かよ。ボビーが巨人を名指ししてないのに謝罪を要求したのは巨人、という点だけ見ても、あまりにも怪しいんだが。それにしてもどうして選手会は調査しないのか
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by nobiox | 2006-07-06 09:05 | ├野球 |
ビデオ判定
巨人は6月12日、東京・大手町の球団事務所で会見を開き、11日のロッテ戦(千葉マリン)で、李承ヨプの2ランが取り消された原因となった小関の走塁について「三塁ベースを踏んでいた」と明らかにした。11日夜にテレビ放映された、小関が右足かかとで三塁ベースを踏む映像も報道陣に公開し、13日にもセ・リーグ連盟に抗議する方針。原監督も、ロッテ・バレンタイン監督へ再試合の開催を求めた。

1本のテレビ映像が、小関の無実を物語っていた。11日夜にフジテレビ系「すぽると!」で放送された映像が、この日夕方、球団事務所で報道陣に公開された。確かに、小関は、右足のかかとでベースを踏んでいた。「明らかな誤審である。可能であれば再戦を要求したいが、試合は成立しているので、セ・リーグに厳重に抗議ということになる」清武球団代表は厳しい口調で話した。

問題のシーンは1—1で迎えた3回2死一塁で起きた。李が右中間へ右越え2ランを放ったが、西本三塁塁審は、走者の小関が三塁ベースを空過したとして単打に訂正。この2得点は取り消された。原監督はベンチを飛び出し抗議したものの、判定は覆らなかった。しかし映像が全国放送されたことで、球団が事実確認に動いた。

同代表は「審判の権威だけでなく、小関選手、李選手の名誉を傷つけたことに猛省を促したい。連盟には口頭で抗議し、あした(13日)文書で正式に抗議します」と説明。審判もベースから遠いところで見ていたとも主張している。

原監督は13日のオリックス戦に備えて福島へ移動。小関がベースを踏んでいたと知り、悔やみきれない表情だった。「審判員として功績をお持ちの西本審判員ですが、歴史的かつ考えられないミスを犯してしまいました」と失望感をあらわにした。

願わくば再戦を。指揮官は「時を戻し、その時点から再試合を要求したい。幅広い視野、尊敬できるバレンタイン監督なら私の気持ちも伝わると信じている」とも話した。試合は成立しているとはいえ、悔やんでも悔やみきれない一戦。球団は今後、改めてビデオ判定制度の導入なども訴えていく方針だ。(スポニチ)


誤審について、論理的には

A:誤審は積極的に歓迎。
B:誤審はイレギュラーバウンドみたいなもので、いいも悪いもない。
C:誤審は可能な限り減らすべき。

という三種類の考え方があり得る。しかし、論理的にはそうなるが、実際にAを主張する人はまずいないだろう。Cを主張する人はたくさんいる。私もC派だ。そして、Cを採用しても、B派からの文句は特にない筈だ。従って、誤審は可能な限り減らすべきだと言える。

誤審を減らすためにテクノロジーを活用すべし、という意見に対しては、いろんな反対意見があるようだ。

▼例えば、んなことしたら人間味が失われる、という意見があるが、ちょっと意味がわからない。2006年6月27日の朝日新聞朝刊にも、「人間味こそ野球の魅力」と題した、西村欣也編集委員の署名コラムがある。人間味って、「時には間違える」ことを指すのだろうか。だとするとそういうこと言う人は「誤審積極歓迎派」なんだろうか。理解できない。テニスの大きな大会では、サーブがフォールトだと赤外線センサーでブザーが鳴る。水泳ではタッチ板で着順やタイムを判定する。競馬や競艇では写真判定が常識化している。陸上の短距離走なんかも、大きな大会になると現在はたぶん、手で測ってるのではないんじゃないか、知らないけど。もし手で測ってるとしても、ストップウォッチは使ってるわけで、体内時計の目分量で測定してるわけじゃないだろう。大相撲でもビデオ判定は導入されている。西村氏のような「人間味」論者はそういうものすべてに反対なんだろうか。そういうものすべてに反対でないとしたら筋が通らないし、そういうものすべてに反対だとすると、理解できない。

▼例えば、んなことしたら試合の運行が遅滞して興趣が削がれる、という意見がある。たしかに、あまり頻繁に遅滞すればゲームの興趣が削がれるのは当然だが、判定に対する抗議で1時間にわたって試合が中断、などという事態がなくせるとしたらむしろ改善と言えるハズだ。それ以上に、あまりに怪しい判定がすっきり決着するなら逆にゲームは救われるわけで、そのことのメリットは大きいだろう。そこは程度問題であり、技術の問題でもある。遅滞するなら、あまり頻繁にならないようなルールを設けるべきだし、技術を導入すれば必ず時間がかかる、というものでもない。遅滞なく判定結果が出るような技術があるとすれば、そんな心配はしなくていいわけだ。テニスの赤外線ブザーや水泳のタッチ板なんかは、遅滞を招くどころかむしろ、迅速化に貢献しているように見える。

▼野球の場合現実的に不可能だ、という意見がある。これは予算の問題でもあり、技術の問題でもあり、程度問題でもある。例えば「右翼用と左翼用二台のカメラを用意して、ホームランのファール判定だけはビデオ参照可能な体制を作る」といったプランは可能なわけで、あらゆる面で本質的に不可能だ、ということにはならないだろう。

▼野球の場合リスタートの設定がむずかしい、という指摘がある。例えば2006年6月14日、バレンタイン監督は「原さんの気持チハ分カリマスネ−。でも、野球はプレーが続く競技です。1死一、二塁でセカンドゴロだったとします。捕球したセカンドが二塁へ送球し、ショートが一塁へ転送してアウト。デモ、ビデオで判定が覆ったときに二塁走者が三本間に進んでいたら、どうしますか? どうしようもできないのが野球デス」と語った。これは重要で本質的な指摘だが、これをもってテクノロジーの導入を全否定するような話ではない。

稲見さんは「プロ野球に、ビデオ判定は要らない?」で、「裁量でリスタートを決めたって、誤審のまま試合を続けるよりは格段の公平感が生まれるのだから、やっぱり今よりは相当マシになるはずだ」と述べている。これにはちょっと意表を突かれたが、なるほど、考えてるとたしかにそんな気もしてくる。

リスタートに裁量の余地のないようなプレーにのみ、その手の判定を認める、という考え方もある。「セットポジション」には「NFLでもすべてのプレイが「チャレンジ」の対象になるわけではない。だから、野球の場合にも対象範囲を制限しなければならないだろう。その場合の目安は、判定が覆されてもプレイの再開に支障がないケースだ」とある。例えば「右翼用と左翼用二台のカメラを用意して、ホームランのファール判定だけはビデオ参照可能な体制を作る」といったプランは可能なわけで、その問題に限るとすれば、リスタートになんの問題もない。ちなみにこのバレンタイン発言は「ホームランの時のベース踏み忘れ事件」を巡ってのものだ。ここでバレンタインが挙げた例は確かにリスタートがむずかしいが、「ホームランの時のベース踏み忘れ事件」なら、全くむずかしくない。テクノロジー導入に関しては「オール・オア・ナッシング」ではないのだから、むずかしくない事例を考えるためにわざわざむずかしい例の存在を指摘しなくとも、最初からむずかしくないケースのみ扱う、という解決策もあり得るわけだ。(続く・予定)
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by nobiox | 2006-06-27 06:19 | ├野球 |
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