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『相棒』(ネタバレ含む)
★……………最低最悪。おもしろいところも少しはあったかも。

『相棒−劇場版−絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』を観て、金返せ!!という心境になったので、ここに怒りをメンメンと吐露し発散することにしたい。映画の内容を知りたくない人は読まないでください。



























■動機の設定

中南米のどこかで武装勢力が日本人ボランティア青年を誘拐し、日本政府に身代金を要求する。しかしそんなのは自業自得だ日本人の恥だとワケのわからんバッシングが青年に集中し、彼は武装勢力によりカメラの前で射殺され、残った家族は深く傷付く。

と、いう事件から5年。死んだ青年の親友「塩谷先輩」が、彼を見殺しにした政府と世間に対して復讐を開始する。

なかなかいい。権力が悪で無辜の人民大衆が善、というみんなが大好きな分かりやすい構図に収まらない、この割り切れない気持ち悪さ。重く気持ち悪い問題提起。

もっとも、それを言わんがために「一方に澄んだ瞳の善人(殺された青年)、他方それを憎々しげにバッシングする心無い人々」という、もうひとつ別の分かりやすい構図に収めてしまっているのだが。それと、残った者の怒りが日本政府と日本の世間に向かう一方、現に彼を拉致し射殺した組織には全然向かわないらしいのも不思議だ。でもまあそうであっても、この動機の設定はなかなか意欲的で、イイと思いました。

■暑苦しい

しかし動機の設定の部分以外には、誉めるところが何も見当たらない。ひたすら重々しく悲劇的で荘厳な音楽は、これから大変なものを発見しますよー、という場面では殊更意味ありげにモノモノしさを増し、大変さをアピールする。要するに物凄く説明的。水谷豊の熱演ぶりがそれに拍車をかける。60分で解決するドラマのうち、右京さんが顔面を震わせながら熱くなるのは最後のほんの数秒のみ、というのがドラマ『相棒』のほどよい塩梅なんだが、この劇場版では熱くなりっ放し、ツバ飛ばしっ放しで暑苦しいことこの上ない。

■殺人予告を「たまたま発見」

相互に無関係と思われた事件の被害者が、実はあるサイトで、処刑リストなるものに名を挙げられていたことが判明する。このサイトは後半に到るまで、ドラマの中で重要な役割を果たす。捜査陣がこのサイトに行き着く経緯は脚本の腕の振るいどころだろう。それが、「ある警察官がプライベートでたまたま発見」したんだそうだ。なんだそりゃ。何か他にないのか。ひねりとか。なるほど感とか。意外性とか。そんなんなら、「犯人から犯行声明が届く」の方がまだしもサマになるのではないか。

■なぜ予告するのか

2ちゃんねるで犯行予告、みたいな事件が現実世界で増えてるせいなのかどうか、犯人が犯行を予告するという設定の異常さが、ドラマの作り手の中であまり自覚されなくなっているんじゃなかろうか。言うまでもなく、犯罪は不意をついてこっそりやるのが基本であり、わざわざ予告するのはイタズラか、精神不安定か、そうでなければ何か特殊な狙いがあるわけだ。この作品では、次の(あるいは、最終的な)ターゲットは東京ビッグシティマラソンだ、と犯人が予告する。どうして予告するのかというと、早く捕まって裁判で、青年が浴びた非難の理不尽さを訴えるため、みたいなことが最後に説明されるが、理解できない。捕まりたいならもっと手軽な方法がいくらでもあるだろう。近所の交番でお巡りさんにペンキをぶっかけるだとか。というか、この時点ですでに犯人(たち)は3人殺している。捕まりたいならなぜ自首しないのか。大々的におおごとにしたいなら、それこそ2ちゃんねるに犯行声明でも出せばいいだろう。我々はこういう理由で3人殺した、我々はこの国の「世間」を赦さない、とかなんとか。

■予告するなら何故わかるように予告しないのか

しかもその予告というのが、次のターゲットは東京ビッグシティマラソンだよーん、止められるもんなら止めてみなー、というルパン三世みたいな予告ではない。チェスの棋譜に仕組まれた、微妙ななぞなぞみたいな予告だ。普通そんなことをするのは劇場型愉快犯としか考えられないが、この犯人にはそんな雰囲気がいっさいなく、何のためにそんな複雑なハードルを設けたのか理解できない。

■そもそもなぜ爆弾を仕掛けたのか

その微妙ななぞなぞを解いた結果、ターゲットはマラソンルート上の臨海大橋だ、となる。橋に駆け付けると不審なモーターボートを発見。それがタイマーだかリモコンだかで、無人のまま動き始める。爆弾を積んだボートを橋桁に激突させて橋を爆破するつもりです、と右京さんがツバを飛ばしながら説明的な台詞。亀山君と伊丹君の活躍で、危うく爆破は未遂に終わる。これは「東京ビッグシティマラソン」をめぐる最大スケールの計画であり、お話的にも画面効果的にも最大の見せ場の筈なんだが、全然盛り上がらない。人が爆弾ものにハラハラドキドキするのは、回避できなかった場合どんなに悲惨なことになるか、イメージを思い描くからだ。この場合、回避できなかったらどうなっていたのだろうか。亀山伊丹コンビは即死、橋桁は木っ端微塵に吹っ飛び、ズゴゴゴゴ・・・と断末魔の地鳴りを挙げて橋全体がガラガラと崩落したのか。だとしたらかなりのスペクタクルだが、そういうイメージがぜんぜん持てない。だって右京さんたち、誰も逃げないんだもん。かと言って、亀山君と伊丹君に一蓮托生、という死を賭す覚悟も描かれない。「今すぐマラソン大会を中止させてくださいッ!」なんてこともない。橋の上から、ただ見ている。なんなんだよいったい。アレじゃ、いくらテレ朝マネーを注ぎ込んだと言ってもまさかこんなデカい橋の現物を爆破させるなんてできっこないもんね、と登場人物が舞台裏を読んで安心してるようにしか見えねーよ。

この緊迫感のなさの源泉を思い巡らすと、そもそも何のためにモーターボート爆弾を仕掛けたのか、犯人の意図がわからないという問題がある。マラソン参加者をたくさん殺したいにしてはタイミングがズレている。じゃあなんなのか、というと、わからない。狙いがない。執念もない。ターゲット予告から爆破阻止にいたる一連のエピソードの存在に、必然性がない。攪乱のためか。なぜ攪乱の必要があるのか。おおごとにするためか。例えばここに

相棒を推理、謎が解けました。

木佐原の狙いは息子渡の名誉回復。その証拠となるSファイルの公開を、国民注視の中で御厨元首相に迫る事。だから選んだ舞台は御厨が発起人となっている東京ビッグシティマラソン。だが単純に御厨にSファイルの公開を迫るだけでは「そんなもの知らん。」と言われたらそれでおしまい。そこで木佐原は連続殺人事件とマラソンを狙ったテロという大きな舞台装置を作り、どうしてもマスコミが大騒ぎせざるを得ない様お膳立てをした。演出にチェスの棋譜を使ったのは、チェス好きの御厨に対する挑戦の意味があったのでしょう。

という意見がある。しかしそれにしては臨海大橋爆破計画はあまりに地味で、現場にマスコミのカメラ1台すらない。どうしてもマスコミが大騒ぎせざるを得ない? いや、マスコミはぜんぜん大騒ぎしてなかったじゃないですか。大騒ぎが目的なら、殺したテレビキャスターと医者の処刑の様子を撮影した凄惨な動画ファイルをWinnyでばらまくとか YouTube にアップするとかの方がよほど効果あるだろう。そもそも、大々的に予告したらマラソン大会は中止になってしまうんだから、マラソン大会のようなイベントはマスコミを騒がす予告犯罪には向いていない。おおごとにしたいんだったらむしろ予告せず、大規模な爆破を必ず成功させなければならない。
 なのに犯人は中途半端に予告し、中途半端なのでマスコミには伝わらない。で、あるならば、爆破は必ず成功させなければならないわけだが、予告したせいで爆破は回避される。どういうつもりなのか、さっぱりわからない。強いて考えれば、せっかく予算があることだし水上ボートチェイスを撮ろうよ、ということだろうか。全然盛り上がらない。

■アジトを「たまたま思い出す」

爆破阻止の直後、塩谷先輩(この時点では犯人と思われた)のアジトへ向かう。アジト発見に到る顛末は脚本の練りどころだろう。しかしそれは、青年の妹(本仮屋ユイカ)が「私、塩谷先輩の大事な場所を思い出したんです」と右京さんの携帯に電話をかけて来る、というもの。それも、爆破阻止の直後というじつにご都合主義なタイミングで。なんだそりゃ。何か他にないのか。ひねりとか。なるほど感とか。意外性とか。

■アジトは何故爆破されるのか

アジトに着くと塩谷先輩は青酸カリを飲んだか、飲まされたのか打たれたのかよくわからなかったけど、何故かとにかく青酸カリで瀕死の重体である。そしてその部屋で、時限爆弾が作動している。お決まりのパターンでドアは閉ざされ出られない。右京さんは地下抗(?)に飛び込み、飛び込んだ直後に派手な爆発。間一髪危機を脱する。画面効果的には大きな見せ場の筈なんだが、誰が何のために時限爆弾を仕掛けたのか、狙いが理解できない。こっちのアタマが悪いせいだとしたら申し訳ないが、塩谷先輩が誰に何のために殺されたのか或いは自殺なのか、それもわからない。まさにとってつけたようなエピソード。爆発のための爆発。さっきの臨海大橋爆破阻止との関連も、いっさいない。

ちなみにこのシーンには、右京さんにかけた電話を「私もそこへ向かいます」と言って切った本仮屋ユイカもいるんだが、これまた必然性がない。なんで素人の女子大生がそんなところに来るのよ。もちろんオレだって、美しい少女が頬を煤で汚し、爆発現場に茫然と座り込んで放心する絵を見るのは好きだ。だからこそ必然性が欲しいんだよ。

ちなみに塩谷先輩はアジトで発見される直前、マラソンのスタート地点で発見されている。彼が何のためにマラソン大会に出場していたのか、それもさっぱりわからない。

「見えるタイマー」の存在も疑問だ。時限爆弾だからすなわちタイマーがついている。赤い数字が表示され、それが刻々とゼロに近付いていく。いや正直覚えてないんだが、状況証拠から考えて、そうだったとしか思えない。そのカウントダウンがあるからこそそれが時限爆弾だとわかったのであろうし、カウントダウンがあるからこそ、右京さんはギリギリで地下抗(?)に飛び込めたのだろう。これを仕掛けた人は、どうしてそんなわかりやすい、「見える」タイマーを付けたのだろう。何故わざわざ数字を表示し、わかるようにカウントダウンを見せるのか。

閉じ込める理由も、閉じ込める仕組みも疑問だ。先に来ていた本仮屋ユイカは、当然ドアから入った(1)のだろう。そこへ右京さんも駆け付け、同じドアから入る(2)。さらに遅れて亀山君もやって来るが、右京さんたちは閉じ込められており、ドアは開かない。(1)ではドアはまだ開くのに、(2)の時点で、中からも外からもドアは開かなくなるわけだ。誰がどういう仕組みで何のために(1)と(2)の差をつけているのか、わからない。せっかく派手に爆発するんだから瀕死の犯人に右京さんと美少女も絡ませたい、というのはもちろんわかるし、だから閉じ込められることが必要なのもわかる。そのために「見える」わかりやすいタイマーが必要なのもわかる。そういう制作側の思惑はよくわかるけれど、その思惑に説得力の肉付けがぜんぜんない。あまりに無防備な御都合主義。

■つまらん。それにショボい。

間一髪爆死を免れた右京さんは、塩谷先輩の背後に真犯人がいると確信し、亀山君と共にマラソン大会の表彰式会場に向かう。ここにも必然性がない。マラソン大会の発起人に5年前当時の総理大臣だか外務大臣だったかがいて、真犯人はきっと大臣の命を狙うに違いない、と言うんだが、根拠のないただの勘だ。さっきのアジト爆発との関連も、その前の臨海大橋爆破阻止との関連も、いっさいない。イヤ「さっきのアジトの様子から、塩谷先輩の背後の真犯人を確信した」という意味で、ちょっとだけ関連はあるんだが、その程度だ。

例えば『24』なら、アレがああなったから次にこうなって、そのためコレコレこんなことになっちまって、そのピンチを凌ごうとこうしてみたところ、意外にもあんなものが出てきて更に混乱、一方そのころジャック・バウアーは・・・というように、エピソード同士が緊密に有機的に絡まり、もつれ、事態が膨らみつつ転がっていくじゃないですか。岡田武史好みの言葉で言えば「接近・展開・連続」だ。後で冷静に検討すれば脚本の不整合なんかもけっこうあるんじゃないかと思うが、その展開のスピード感に引っ張られて、観てる間、不自然さをほぼ全く感じさせない。この映画みたいに、スタート地点に塩谷先輩を発見して膨大なランナーの海をかき分けながら追いかけっこして確保を目指すが失敗してそれはそれで終わり、次に、それを待っていたかのようなタイミングで棋譜の謎が解け、臨海大橋へ向かい、爆破を阻止したらそれはそれで終わり、次に、それを待っていたかのようなタイミングで少女から電話が入り、その新たな情報で次はアジトへ、アジトが爆発したらそれはそれで終わり、次に右京さんの勘で表彰会場へ、というんじゃ、展開も興奮もあったもんじゃない。そこにはAがあったからこそBがあり、そこを経たからこそCにつながった、という程度の関連すら存在しない。

そして表彰会場で、大臣に向かって歩く不審な男を発見し、確保。マラソン大会の表彰はゴール地点である陸上競技場でやるのが自然だと思うが、それだと発見から確保までをスムースに描くのがむずかしい、と思ったのかも知れない。

勘でなんとなく表彰会場に行き、見渡すと犯人が目に入る。亀山君っ! と小さく叫んで指差し、確保。つまらん。捕まえるまでの経緯に、ヒネリもハラハラドキドキも、遂に逮捕にこぎ着けたという達成感も謎解きのカタルシスも、なんにもない。勘でなんとなく行った場所で、見渡すと犯人が目に入り、確保。話のマクラとしてならともかく、1時間以上引っ張ったクライマックスがこれか。「膨大なランナーの海」→「臨海大橋爆破か」→「アジト爆破」→「静かに地味にひとり確保」と、エピソードを追うごとにスケールダウンしてるのがまた珍しい。捕まえてみたら真犯人は意外な人物だった、というヒネリは一応あるんだが、それとて、あっと驚くような鮮やかさではない。






そして、捕まえてみた真犯人の持つ拳銃に、弾は入っていなかった。






つまり、マラソン大会を狙った犯罪計画の全貌は結局こうだ。まず臨海大橋を狙って爆弾搭載モーターボートを仕掛ける。だがもともと爆破の意志はなく、回りくどいなぞなぞで予告し、爆破を回避させる。なぜ回りくどくするのかは謎のまま。爆破の意志がないのに何故そんなものを仕掛けるのかも謎のまま。次に表彰式会場に向かい、大臣を狙う。だがもともと殺す意志はなく、拳銃に弾は入れてなく、わざと怪しい動きをして捕まる。知力を駆使した複雑な計画なんだが、知力は何故かひたすら、チェスに絡めたなぞなぞ作りにのみ傾注され、現実の事件計画はずいぶん単純で、しかもあらかじめ未遂に終わらせる計画だ。ショボい。さっきも書いたが、そんな回りくどいことをせずに自首すりゃあいいじゃないか。映画のサブタイトルは『絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』。その骨格を成す事件の全貌が、「こんな回りくどいことをせずに自首すりゃあいい」ていどの話なのである。なんという下らなさ。

連続TVドラマシリーズ『相棒』はもともと、扱う事件のスケールが各回ごとにバラバラ、という自由さが持ち味だ。だからショボさ(下らなさ)自体はいいと思う。だがそれなら、犯人の陽動に乗せられて標的は数万人だなんて大騒ぎしたけれども、結局ずいぶん地味な計画だったんですねえ、やれやれ、みたいに含み笑いしながら紅茶を飲んで、ショボさの軽妙な味を醸し出すのがお約束だろう。観てるこっちとしてはせめてそういうカタチで、劇中人物たちと肩透かし感を共有したい。ところが右京さん始め劇中人物は誰1人このテロ未遂計画のショボさに言及することなく、それどころか深刻な顔で、事件の背景の重さを説明的にアピールする。そのため観客だけが、ショボさの中に淋しく取り残される。

■それにしても。

それにしても、ショボく軽妙なテロ未遂計画のそのまた前置き、みたいな位置付けで殺された3人は気の毒と言うほかない。当時の世間のバッシングが如何に理不尽だったとは言え、当時テレビ番組の中で青年の行動を批判した、というだけの理由で殺されるのである。なんという理不尽。世間を憎む気持ちはわかるが、別にその3人が世間を代表してるわけでもないのに。彼らが殺害されるまでの当日の行動はどうのこうの、といった捜査過程すらほとんど描写されず、まさにコマ扱いの死。その一方で、当時の大臣に対してはずいぶん盛り上げた割に、実はもともと殺す意志がない。そして、身代金目的で青年を拉致し理不尽に射殺した当の犯行グループに対する怒りは持っていない。この犯人のバランス感覚が、どうもよくわからない。
by nobiox | 2008-06-25 16:40 | ├映画 |
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