選手は涼しい時間にやりたかったのか

知らない人の方が多いのだろうか。


現代スポーツにおいて(と言うか現代社会において)、試合時間はテレビ放映の都合で左右されることがある。「ことがある」どころか、注目が集まる重要な試合なら、むしろそれが当然になっている。そのことを知らない人というのはどの程度いるんだろうか。

ワールドカップドイツ大会で、我が日本代表チームは惨敗に終わった。犯人探しが始まるのは見慣れた光景、とも言える。中日ファンだって中日が負けるたびに犯人探しをする。気持ちはわかる。今回はネット上で「電通の責任を糾弾する」という盛り上がりがあったらしい。見物人の論理:「スポーツのことはスポーツに還せ」で知った。

リンク先を辿ると、神保哲生さんは「よもや、日本のテレビのゴールデンの時間帯に合わせるために、早い方の時間帯を希望したなんてことは無いとは思いますが・・・」と言い、竹山徹朗さんは、日本の準ゴールデンタイムに合わせるために時間が変更されたという話に「さすがにマジかよと思った」と書いている。いずれも、テレビ放映の都合が試合時間に影響を与えるなんてことを、全くご存じないようだ。えっ、そうなのか。知らないのか。

例えば大相撲は千秋楽には表彰式の時間を考慮して早めに進行する。NHKの放送時間に合わせてるわけだ。ボクシングだって、世界タイトルマッチとなると大抵夜七時からやる。あれも別に、ボクシングのボクシングによるボクシングのための都合で決めてるわけではないだろう。そんなこと、はっきりにせよウスウスにせよ大人はみんな知っていて、プロレスがショーであるのと同じくらい常識かと思っていた。実際、ウチのヨメだって知っている。日本プロ野球ファンなら、読売ジャイアンツだけがデーゲームが極端に少ないという事実も、その理由が残念ながら読売の悪の陰謀とかじゃないという事情も知っているだろう。

知っていない人のためにカンタンに解説する。巨人だけがデーゲームが極端に少ないということは、巨人だけが試合時間が一定で選手が調整しやすいということで、スポーツの論理で言えば不公平である。しかし巨人が悪い訳ではない。試合開始時間は試合を主催するチームの裁量なので、この不公平がイヤなら、他のチームもデーゲームをやらなければよいのである。しかしふつう、土日はデーゲームにした方が集客が見込める。だからふつうのチームは商売のため、土日はデーゲームにしたがる。ところが巨人は観客収入よりも放映権収入の方が大きく、視聴率は観客動員とは逆に、ナイターの方が数字が見込める。しかも集客も、ナイターでも満員になるわけで、巨人の営業はデーゲームを選ぶ理由がない。巨人がビジターの試合の場合は、主催チーム、つまり巨人じゃない側が時間を決めるが、やはり巨人戦の放映権収入が魅力なので、土日でも巨人戦だけはナイターでやりたがる。この状況の改善策として、例えば「すべての主催チームは、デーゲームを年間○試合以上組むべし」とかコミッショナー裁定で決めちゃう、というのはアリかも知れないが、それをやるとすべての球団は収入減に苦しむだろう。

以上の解説が正確でなかったとしても責任持てないので、自分でウラも取らずにマルッと転載するのは禁止する。

竹山さんの主旨は、マスメディアはジーコの「テレビの都合」発言を隠蔽した、電通利権を守るために情報を歪めている、ということのようだが、実際のところ、隠蔽なんてしてるのだろうか。誰でも知ってることかと思っていた。上杉隆さんは週刊朝日7月7日号に「『戦犯はテレビ』(ジーコ発言)はかなり正しい」と題して「試合開始時刻が時差の影響で、日本のテレビ局によって故意に変更された」点が問題なのだ、と書いている。「故意に」と言われるとなにか悪いことみたいだが、相撲を見てもボクシングを見ても、試合時間をテレビの都合に「故意に」合わせることがあるなんて、常識のような気がする。知らない人の方が多いのだろうか。だとしたら素朴に驚きだ。知らない人の方が多いなら、この機会に広く知られるのはいいことではあるが。だいたい、この「故意に」の使い方はおかしい。電車の中で人の足を踏んだ、という話なら、故意か故意でないかどちらの可能性もある。しかし試合時間の変更を意図せず無意識に行うなんてことは土台あり得ず、何のどんな試合であれ、試合時間の変更は故意に決まってるだろう。故意の何が悪いんだ。


サッカーを守るのは誰の仕事か


テレビ放映の都合で試合時間が左右されるのがいいことか悪いことかと言えば、まあ「折り合いの問題」だろう。ちなみに世の中には、もし今回日本戦が日本時間をいっさい考慮せずに決められていたとしたら、FIFAが極東市場を軽視している証拠であって、そっちの方が怒るべきだ、というような考え方も存在するらしい。神保さんや竹山さんの言う「よもや」とか「さすがにマジかよ」も、そういう摺り合わせがあるのは知ってはいたが、まさか日本に不利な変更をしていたとは思わなかった、それも日本主導で、という意味かも知れない。つまり問題は「故意の変更」自体ではなく、それが「日本に不利」あるいは「反サッカー的」な変更だという点にあるのだ、という意味かも知れない。

しかしなあ。中日球団の営業だって、中日の勝利を祈りながら、背に腹は代えられんからと、土日のナゴヤドームでは選手に負担を強いるデーゲームを組んだりしてるのだよ。コンディショニングの面から言えば巨人だけを利することになるのに、収入の面では巨人のおこぼれを捨て難く、土日のナゴヤドームでも巨人戦だけはナイターを選んだりしてるのだよ。たまたま今年巨人が弱いからいいんだが、もし巨人が四月の調子を保って独走してたりしたら、このあたり、大問題だ。しかし誰を責めればいいのか。ちくしょう。ちくしょうちくしょうちくしょう。「サッカーそのものが大切にされなかった」って、じゃあどうしろって言うのよ。オレたちだって野球そのものを大切にしたいよ。だからこそ収益も無視できないんだよ。収益抜きにどうやって野球そのものを守るんだよ。集客を気にしちゃ悪いのか。商業主義が悪いかよ。商売なんだよ。それともナニか、あんたらが金出してくれるのか。あんたはナゴヤドームのチケットを買ってくれたことがあるのか。年間いくらぐらいあるのか。ないならないで、せめて視聴率アップに貢献してちょーよ。昼と夜と、どっちがええのか言ってみやー。・・・と、中日球団の営業マンが酔っぱらったら言うのではないか。

いや、すいません。中日の話はぜんぜん関係ないんだった。ちなみに私は、ナゴヤドームのチケットを買ったことが、一度もない。東京在住(しかも非・ナゴヤ生まれ)なのにしょっちゅうナゴド遠征を敢行するfateさんのような人もいる以上、「東京在住」も免罪符にならない。私にはエラそうなことを言う資格はぜんぜんないのである。ないのに言うが、中日の場合、収益を巡って愚痴を言う前に選手の年俸を抑制すべきではないかと、個人的には思う。

この件でネット巡りをしてたら、「テレビのために試合時間をねじ曲げるなど論外」というふうなコメントをする人が世間にけっこう多いことを知った。ショックだ。収益あるいは集客あるいは契約のために試合時間を変更、あるいは調整、あるいは「ねじ曲げる」なんてことは普通に行われている。「スポーツ=善、商業主義=悪」といった簡単な図式でそれを一刀両断できれば気分はいいだろうが、実態は必ずしもそう簡単な話ではない。中日の話は関係ないが一般論としては、それくらい常識としてわかっていただきたい。

◆◆

テレビの都合で試合時間が左右されるのがいいことか悪いことかと言えば「折り合いの問題」だろう。メリットもあるしデメリットもある。その上で、今回の試合時間変更がちょっとやり過ぎだった、とか、サッカーそのものが大切にされなかった、としたら、責めるべき相手は電通なんだろうか。よく知らないけど、仮にワールドカップでの電通の仕事が『サッカー界』と『日本の消費者(のワガママ)』との間を取り持つことだと考えると、そこで電通が『消費者(のワガママ)の側』に立つのは、私には当たり前と思える。

仮に選手は涼しい時間にやりたいとして、でも消費者は見やすい時間にやって欲しいとする。この場合、消費者の都合を代弁するのが電通の仕事で、サッカーの側の都合を代弁すべきは、例えばFIFAなりドイツ大会実行委員なり、或いは日本のサッカー協会なり代表監督なり或いはサッカー関係の良識ジャーナリズムなりサッカーフリークの素人なり、要するに『サッカーの側』だろう。もっとも、鉄さんによるとFIFAの実態も「巨大な利権マシン」らしいが。

  「利権構造が台なしにした、もうひとつのワールドカップ」

だとしても、FIFAは建て前としてはいちおうサッカーの側を代表すべき組織だ。一方電通は建て前からして利権マシンだ。電通が「サッカーの都合」を第一義に考えない、なんてことは、そもそも当たり前ではないか。サッカーの都合を第一義に主張すべき立場の人は、他にたくさんいたのではないか。試合時間が犯罪的だと思うなら、どうしてジーコは半年前にそれを訴えなかったのか。サッカーの側がサッカーの都合を主張せず、ただ電通のバランス感覚に期待していたとしたら、そっちの方がよほど問題ではないのか。電通(あるいはテレビ)戦犯論は、なんかピントがズレてるように思うんだが。


選手は涼しい時間にやりたかったのか


という訳で、仮に今回の試合時間変更が「サッカーに対する罪」だったとしても、私は電通戦犯論には違和感がある。しかし、ところで、そもそも今回の試合時間変更は「サッカーに対する罪」だったのか。選手はほんとうに涼しい時間にやりたかったのか。少なくとも日本の選手に限れば、そうではなかったと思う。

ここに6月27日付のサンケイスポーツがある。電車の網棚でたまたま拾った。「検証!『史上最強』日本はなぜ勝てなかったのか」という連載囲み記事に、「試合前、ほとんどの選手は『暑い方が日本には有利』と口々に話していた」とある。これは別にサンスポの特ダネでもなんでもない。常識だ。日本vsオーストラリア戦やクロアチア戦の中継を見た人なら、コメンテータが口々に「後半、向こうは必ず(動きが)落ちて来ると思うんで、絶対チャンスありますよ」「この暑さは日本に有利ですよ」と連呼するのを聞いたのではないか。念仏の鉄さんは今回の日程に関して「うまくやれば有利にできる条件であったとさえ思う」と書いている。もちろんこの「さえ」は、「暑さが日本に不利に働いた」という論に対するリアクションだから付いてるわけだが、勝手な解釈をすれば、日本チームの残念な結果を受けて『付いてしまった(笑)』のだと思う。試合前には「冬の欧州リーグでプレーする白人主体のチームに較べればオレ達の方が暑さに慣れてる。暑さは有利な条件」というのは、「さえ」不要の、ふつうに支配的な見方だった。

Sankei Web:「暑さ味方? クロアチア未経験/1日多い休養」

1度経験したことは日本にはプラスになる。クロアチアの初戦は夜だった。宮本は「クロアチアは午後3時スタートの試合を知らない。日本に有利になる」。夏休みがカキ入れ時のJリーグは猛暑の7、8月でも平気で試合を組むが、選手全員が真冬を主戦場とする欧州リーグでプレーするクロアチア代表は、暑さには不慣れ。何とか、この点を強みにしたい。
クロアチア・サッカーニュース:「クロアチア・リーグ再開/クジェの日本評」

フランス大会同様、日本戦は日中の暑さの下での戦いになることにクジェはこう助言しています。「そのような時間帯での試合は日本に有利に働くだろうが、私達は攻撃に転じなくてはならない。
PamGau:「酷暑の試合」

そもそも、下記の2点が常識としてはあるわけで、私としては試合開始時刻の件でテレビ関係者を責める必要はないと思います。
1.日本がドイツ入りした頃は夜にはコートが必要なほど寒かったことを思えば、これほど気温が上がるとは予想しづらいこと
2.欧州(含む豪州)のチーム相手では気温は高めの方が日本に有利に働くこと

異論もあったのかも知れないが、少なくとも宮本とクジェは「暑さは日本に有利」と考えていたようだ。宮本恒靖は日本チームのキャプテンだし、クジェという人は現クロアチアリーグの監督で、元ガンバ大阪の監督だそうだ。異端の説とは考えにくい。これが「常識」だったと思う。「オーストラリア戦とクロアチア戦の時間帯を前に動かしたのは電通」という話が仮に事実だとして、電通の担当者もたぶん「日本の消費者の便益を勝ち取ると同時に、(オーストラリアとクロアチアには申し訳ないが)日本代表に有利な条件を勝ち取った」と考えたのではないか。もちろん同時に自社の利益をも最大化したわけで、ワタシってば社内的にも「頑張れニッポン」的にも縁の下の英雄じゃん、とか思った可能性は大いにある。それを日本が惨敗したからって、後から「国賊」とか「電通利権を撃て」とか「戦犯はテレビ」とか言われても、電通もテレビ局も困るんじゃなかろうか。

プロが結果論で結果責任を問われるのは当然なので、例えば電通株を買ってた人が電通の商売の失敗を糺弾するのはわかる。「頑張れニッポン」協賛企業が大損したと言って怒るなら、それもわかる。お茶の間のワガママな視聴者が、つまんなかった、と怒るのもわかる。中日が負けると中日ファンが荒れるようなものだ。気持ちはわかる。ただ、「暑いのを有利にもできたのにコンディショニングに失敗した」としても、「暑いのが有利だと思ってたけどじつは間違ってた」としても、「間違ってたので選手が不憫だ」としても、その責任を問うべき相手は「巨悪、電通」なのか。私はぜんぜんそうは思わない。


そもそもその話は、ほんとうなのか


竹山さんは6月27日のエントリーで「たぶん、今回の敗退に対する全面的な批判って、載らねえぜ。週刊誌とインターネット以外には」とも書いている。私の感覚とはずいぶん違う。敗退が確定したこの時期、スポーツ新聞は「日本代表は何故敗れたか」みたいな検証記事をこぞって載せてたのではないか。そら見たことかと手の平を返し、「今回の敗退に対する全面的な批判」を威張って言い立てるのが、むしろ、流行ってたのではないか。

スポーツ新聞は「マスメディア」の範疇に入らないだろうか。しかし、私が目にした範囲でもっとも痛烈でもっとも辛辣でケンもホロロで残酷で、冷たい怒りに満ちたジーコ(とそれを支持し続けた協会)批判は、短いものだが6月24日の朝日新聞朝刊に載った後藤健生の署名記事だ。あれを読んでも「今回の敗退に対する全面的な批判をマスメディアは避けて通っている」と感じるとしたら、どういう記事なら批判を避けてないと言えるのか、ちょっとわからない。

私はべつに野球に詳しくない。サッカーはそれ以上に疎い。その私ていどでも、この六月末、自宅でとってる新聞や、ラーメン屋のスポーツ新聞なんかで、それらの日本代表批判記事を目にした。それが「全面的な批判が全くない」と見えるとしたら、サッカー関係の記事によほど関心がないのではないか。あるいは竹山さんは「今回の敗退に対する全面的な批判をマスメディアは避けて通っている」と、思い込みたいのではないか。竹山さんは事実を伝えたいのではなく、竹山さん好みのカッコイイストーリー(電通が巨悪/電通には誰も逆らえない/オレたちが声をあげねば)を主張したいだけのようにも見え、それって竹山さんが批判する「マスメディアのあり方(事実を伝えず、自分に都合のいい枠内ストーリーを語る)」と全く同じではなかろうか、と、余計な心配までしてしまう。

「電通を怒らせたらマスコミとしても命取りになる仕組みが完全に出来上がっている」としたら、インターネットはわかるけど、週刊誌がなぜ例外になるのかもわからない。広告収入に依存してるのは新聞社も雑誌社も同じだろう。世論を煽動する力はむしろ週刊誌の方が上のような気もする。電通の恐怖支配がメディアによるサッカー日本代表批判を封殺している、という話を、どうしてそれほどかんたんに信用できるのだろうか。せめて「伝手を辿って複数のサッカー雑誌の編集長(またはデスクでも編集者でもライターでも)の見解を聞いてみたが、やっぱり事実らしい」ていどのウラをとってから信じるのでも、遅くはないと思うんだが。

◆◆

他にも、電通が代表選手の選考にまで深く関与しているとか、CM出演実績があると代表に呼ばれやすい、なんて話が事実なら、サッカー界にとって大問題だろう。しかし、まず、ほんとうなのか。竹山さんはマスメディアに載る情報を鵜のみにせず、自分の頭で疑い、自分の頭で検証する批判精神の人のようだが、電通戦犯論を示唆する情報については、出所不明の噂話まで含めて、何故かぜんぜん疑わない。それどころか『積極的に信じたがってる』ように見える。「いささか無防備ではないか」と鉄さんは書いている。私もそう思う。

ダレソレが闇の力でこの世を牛耳っている、という類の噂は、古いのから新しいのまで、フリーメーソンからニャントロ星人から正力松太郎からマトリックスから電通まで、たくさんある。人はつねに陰謀論が好きだ。先日、ボビー・バレンタインの「ドラフト裏金爆弾発言」をスポーツ新聞はどこも派手に取り上げたし、朝日新聞も「コミッショナーは発言を放置せず、調査すべし」と論説を(三段組くらいのコラムで)掲げたが、その後「コミッショナー事務局がロッテに文書で問い合わせたところ、あの報道はマスコミに間違って伝えられたもの、との回答が届いた」というニュースは、笑っちゃうほど小さく報じられた。もうね、見出しが小さいベタ記事だというだけじゃなく、本文の活字自体が小さいの(6月20日: 朝日新聞: 朝刊スポーツ面)。何故だろう。「読売マネーがドラフトの裏で暗躍している」という話は魅力があるが、ボビーは発言を引っ込めた、なんて話はつまらないからだ。人は陰謀論の魅力に弱い。悪の陰謀は警戒すべきだと私も思うが、だからと言ってあらゆる噂話を無防備に信じるのがいいことなのか。「陰謀論の魅力」の方も、多少は警戒した方がいいんじゃないか。

失礼な推測で申し訳ないけど、もしかして竹山さんも、実況が「暑さは日本に有利」とアナウンスするのを、何度も聞いたのではないか。だけど電通戦犯論に都合が悪いので、忘れたのではないか。言わば「故意」に。
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by nobiox | 2006-07-02 19:47 | ├野球以外 |
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