宇多丸師匠への私信03:「文脈」と「原初」
師匠は「映画は歴史的文脈に乗っ取って解釈すべき」派です。例えば「ウォッチメン」は原作コミックを読まずに評価しちゃダメだし、「イングロリアスバスターズ」は「オレたちにとってのタランティーノの意味」を踏まえないと評価できないし、「呪怨」は「Jホラー表現の歴史」を踏まえないと評価できない、とおっしゃいます。

いいんですよ。師匠が「僕は『映画は歴史的文脈に乗っ取って解釈すべき』派です。だからこの映画にはこう思いました」と言われるのであれば、全然いいです。でも師匠はそうは言わないんですよね。

師匠は「映画は歴史的文脈に乗っ取って解釈すべき」という価値観を、あまりにも当然視しておられます。当然視してるから、原作コミックを読まずに「ウォッチメン」に評価を下すヤツは「ダメだ」と言うんですよ。だけどその価値観ってさー、少しも当然じゃないですよ。島本和彦氏の「新・吼えろペン」の第8巻、第31話「最後のふろしき」を読んでみてください。私は「子供(つまり、何の前提も何の文脈も共有してない子供です)が、ラーメン屋でふっと読む一冊のマンガ雑誌、その子がラーメンを待つ間、楽しませれば満足だ」という価値観に、ものすごく共感します。

私が拝聴した「イングロリアスバスターズ」の評では、「タランティーノは映画の原初的歓びを再発見させてくれる」みたいなことをおっしゃってたのですが、「文脈に乗っ取って解釈する」のが、「ラーメン屋でふっと読んだマンガで何の文脈も知らずに夢中になる」のよりも原初的なんですか。そんな見解、有り得ないと思うんですが。
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by nobiox | 2015-12-23 02:24 | ├映画 | Comments(0) |
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