福田里香のフード三原則
以下は「なぜ、宮崎アニメの食事シーンはあんなにもグッとくるのか?」における福田里香先生の発言要旨です。クシャナ王女のくだりだけは、里香先生言ってません。そこだけはnobioが勝手に付け加えました。この記事のためにナウシカ見返したらたまたま気付いたので。


福田里香のフード三原則
1 善人は、フードをおいしそうに食べる
2 正体不明者は、フードを食べない
3 悪人は、フードを祖末に扱う



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宮崎駿アニメにおける食描写は、単に「おいしそうな食べ物がいっぱい出てくる」という漠然としたものではない。ハヤオは、食べさせるべき人には必ず食べさせ、心が通じ合わない人とは決して一緒に食べないという、確固としたフード文法を持った希有な作家なのだ。

漫画家志望だったハヤオは、入った大学に慢研がなかったために児童文学研究会に入った。子供は性とか恋愛にまだ関心が薄いし、暴力描写は怖がるしで、彼らのハートをつかむにはとりあえず食べ物なのである。そこで彼は共通言語としての食べ物描写の重要性を学んだ。

「カリオストロの城」のミートボールスパゲティは有名だが、スパゲティ演出が素晴らしいのはむしろ「紅の豚」。ミラノの修理工場が修理を引き受けて、女たちが大テーブルを組む。で、何を修理するのかな、と思ったらまず、スパゲティを食べる。スパゲティと赤ワイン。まず食べてから、作業。まさに「食べないことにはエネルギーは出ない」「腹が減っては戦ができぬ」というエネルギーの等価交換理論。ナウシカに出てくるクシャナ王女にも「1時間後に攻撃を開始するから、兵に食事を摂らせろ」みたいな台詞がある。クシャナはナウシカにおいてイヤな奴、敵役なんだけど、ここは「そんなに悪いヤツじゃない」ことを示している。(ちなみに「カリオストロの城」の見所は全編通してのタバコ演出)

ハヤオは旅に出るための荷造りの描写にも、必ず食糧を含める。ポニョがブリキ船で大洪水に乗り出すシーンでも、ラピュタであわてて逃げ出すシーンでも食べ物を持つ。ルパンもリンゴ積んでる。持って出れなかった場合は街で買う。アシタカとかお米買ったりしてるし。ナウシカが人質としてペジテ行きの船に乗り込む場面では、子供たちが駆け寄ってチコの実を渡す。とにかく旅に出るなら食べ物。ナウシカを姫姉様と慕う子供たちの思いがチコの実に形を変え、それが腐海の底でナウシカとアスベルの命をつなぎ、そして。映画版のナウシカは最後、どういう絵で終わるか覚えてますか。森から子供たちへ、子供たちからナウシカへと渡ってきた愛情のバトンが、ずーーーっとつながって、最後に。こうなりました、という、オチなのよ。そういう、あれはそういうことですよ。ほんとうに美しい。ほんとうによくできている。

ラピュタの主題歌の歌詞書いてるけどそこでも「さあ でかけよう ひときれのパン ナイフ ランプ かばんにつめこんで」。あるいはナウシカのユパ様。勇者の描写といえば馬一頭で、ほぼ手ぶら状態で荒野を行くのが定番だけど、ユパ様はちゃんともう一頭連れて、そこに荷物乗せてる。ああ、あそこに水や食糧が入ってるんだろうな、と思うとほんと安心する。007とか、いつどうやってメシ食ってるんだよ、って、みなさん心配になりませんか。私はいつも「私には見せてないだけで、この人はちゃんとこんな大立ち回りする前に食べてるはずだから大丈夫」、と脳内補完してる。ハヤオは唯一の、「脳内補完なしで私が安心して見れる作家」である。

登場人物を善悪の2色で塗り分けるのは簡単だけど、その中間、グレーの部分を表現するのがハヤオはうまい。例えば「魔女の宅急便」で、ある少女(仮にAとする)が「ニシンとカボチャのパイ」を拒絶するシーン。おばあちゃんが心を込めて作り、電気オーブンが故障したからとわざわざ薪で焼き、雨の中キキが大変な思いをしながらだいじに運んできてくれたパイだ。それをAは「またおばあちゃんのこれか、私これキライ」と言ってドアをバタンと閉める。観客の心にネガティブな印象が刻み付けられる。イヤな女だ。しかし考えてみると、我々誰もが少女Aだったのではないか。私たちの誰もが、親戚の家で甘過ぎるオハギを「やだなー」と思ったり、おばあちゃんが「私の子供の頃の好物」ばかりを食べきれないくらい作るのにうんざりしたり、そういう経験をしてきたのではないか。少女Aは、そこだけ見ればヤな感じだけど、決して真っ黒ではない。グレー。一般的に難しいグレー表現を、あえてフードで表現してみせる、それがハヤオの真骨頂。

ナウシカは動物にちゃんとエサを与える。動物を手なづけ距離を縮めるには、なんといってもエサである。当たり前のことだが、その当たり前を描写する作家は希有。そういうのがない映画を見ると私はいつも「私には見せてないだけで、どこかでエサやってるんだろうなー」、と脳内補完してる。千と千尋のリンはクロスケにコンペイトウをあげる。カマジイは天丼と水を運んで来る。それが初めてじゃないということを見せるために、以前の食べカスがちゃんと描写されてる。「もののけ姫」の王子アシタカは、ヤックルにエサを手ずから食べさせ、その手で自分が食べる。ヤックルが先で自分が後。それが王たる器を表現している。

魔女の宅急便の、黒猫ジジ。ジジは途中まで言葉がしゃべれるという設定で、「お腹がすいた」と言う台詞も2度ある。ジジはテーブルの上で食事をとる。が、やがてキキはトンボに恋をし、ジジは白猫に惹かれ、別々の道を歩み始めると、ジジはしゃべれなくなり、以降は床で食事するようになる。パンケーキをテーブルに置いても、それをくわえて下ろす。当たり前のようだけど、この「以降は床で食事する。ネコだから」という描写をきちんとやるのがハヤオの確固たるフード文法。関係の変化とか、心理とか、キャラクターの厚みとかを、言葉では説明せず、フード周りでさりげなく表現し、しかもそれが絵になるサマになる。ハヤオはほんとにセンスがいい。

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by nobiox | 2015-10-10 16:08 | ├映画 | Comments(0) |
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