男脳、女脳、将棋の適性
小飼弾は「プログラマーとしての能力に男女差はない。自信を持ってそう言える(大意)」と述べている。これは「未証明の仮説」だ。仮説だということはつまり、科学的反証が確認されればひっくり返る、ということだ。小飼弾という人は有名なプログラマーであるらしい。プログラミングに関する彼の知識、経験、感性に対する信頼が、この仮説の担保、ということになる。

next49さんは「[メモ] 素朴な疑問:将棋の強さに男女の性差が関係あるの?」という記事で「私は弾さんの意見に賛成。男女で筋肉を使うこと以外は性差による能力差はない(個人はある)と思う」と述べている。全体のトーンを見るとこれも未証明の仮説っぽいが、そりゃないだろう、と、私は思う。小飼氏はプログラミングに限って述べているが、next49氏は「弾さんの意見に賛成」と言いながら、「筋肉を使うこと以外」について述べる。適用範囲がいきなり広すぎるんじゃないだろうか。しかもこの記事を読む限り、next49さんは将棋に関して全くの門外漢(私と同程度)である。「プログラミングの何たるかを知り尽くしたオレに言わせればプログラマーとしての能力に男女差はない」という意見にかぶせて「私は弾さんの意見に賛成。将棋のことはよく知らないけど筋肉無関係だから性差による能力差はない」と言うのは、第一に当該ジャンルについての知識も感性も自信も実績もレベルが違い過ぎ、第二に結論の適用範囲が違い過ぎる。

という話をマクラにして、私見を述べたい。

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まず大前提その1。男女の存在価値に優劣はない。ないと思う。これは「未証明の仮説」とかではなく、「証明不要の信念(あるいは価値観)」だ。前提であると同時に結論だ。仮説でも事実でもなく、決めごとだ。「人を殺しちゃいけない。犬もできれば殺したくない。蚊はぜんぜんオッケー」などと同じ。証明はできないが、そもそも証明が必要とは思っていない。科学的反証が確認される、なんてことはあり得ない。そう主張する人が現れるとしたら、それは「存在価値」の定義がおかしいのである。議論の余地はない。

大前提その2。「性差による能力差があるかどうか」という問題設定はよくないと思う。サッカーアメリカ代表との体格差について聞かれた宮間あやは、アメリカとなでしこの間にあるのは「差ではなく、違いだと思っている」という名言を残している。性差という言葉は優劣を連想させるので、個人的にはなるべく性差という言葉を使わず、宮間あやに倣い、性別、あるいは「性別による指向の違い」で通したい。

その上で、筋肉を使うこと以外に男女の違いはあるのかないのかと言ったら、あるだろう。

アイルランド人らしいメンタリティとか、ハワイ人らしいメンタリティとか、小学生らしいメンタリティとか、おっさんらしいメンタリティとか、職人らしいメンタリティとか、ギャルらしいメンタリティとかいうものの存在は、いまだ科学的には証明されていないのかも知れないが、だとしても、小学生らしいメンタリティってものの存在は疑いようがない。いや疑ってもいいんだけど、ないと考える根拠はない。同様に、男らしいメンタリティとか女らしいメンタリティというものも、あるかないかと言ったら、あるんじゃないの。例えばの話、筋肉面で違うというのが前提なら、男は「筋肉面では自信あり」、女は「筋肉面では自信なし」ということなわけで、この時点ですでにメンタルは多少違うだろう。「プードルとドーベルマンにメンタリティの違いはあるかどうか」って、そんなもんあるに決まってるでしょ、と思うんだが。

それでも、男らしいメンタリティとか女らしいメンタリティというものの存在は、もちろん未証明の仮説に過ぎない。だが、この仮説を否定すると、性同一性障害はすべて幻想、ということになる。それでいいのか。

「性同一性障害を障害として認知しよう」という運動と、「ジェンダーフリー論」は、ともに「男性優位社会」に対するアンチとして生まれた、という側面があるような気がするが、いくつかの局面では並び立たない。例えば「男児はチャンバラや汽車ごっこを好み、女児はおママゴトを好む」みたいな俗説は、ジェンダーフリー論者に言わせれば社会的刷り込みということになるが、性同一性障害の人の多くが「自分は男なのにどうしておママゴトが好きなんだろう」「自分はキレイなお姉さんに同性として憧れるんだけど変なのかな」みたいなことがきっかけで自分の性的アイデンティティ(のねじれ)に気付くんだそうで(だそうで、というのは、ネットでそんな噂を目にしたことがある、程度の話なんだけど)、だとすると刷り込み説は怪しい。

そもそも、思考を「筋肉を使うこと以外」と見なしていいのか、思考というのもまたフィジカルな過程ではないか、という疑問もあるんだが、それは置いておく。

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地球上には、発情、妊娠、子育て期以外は雌雄の違いがほとんどないような生き物も多い。ネコとかマグロとか。一方、発情期に限らず雌雄で基本的にライフスタイルが違う、という生き物も多い。ライオンとかサルとかセミとかアリとか。前者は比較的に、雌雄のメンタルは似てるだろう。後者は違いが大きいだろう。ヒトは後者の代表格であり(というか年がら年中発情している唯一の動物であり)、にも関わらずヒトに限っては違いがない、と考えるのはかなり不自然だと思う。

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自分が漠然と信じている(いや信じてるわけじゃないんだけど、なんとなくそうじゃないかと思ってる)男女の(筋肉と体格と性的指向と容姿以外の)傾向の違いについての仮説を列挙する。すべて「そう言われがちな俗説」であり、特にオリジナリティはない。

1:平均すると女の方が優秀。あるいは、平均すると女の方が知能指数が高い。
これを最初に挙げることで、フェミの皆さんからの攻撃を避けられるのではないかという姑息な計算で、最初に挙げてみました。企業人とか予備校講師とか高校教師とか大学教授とかで、こういう感想を持ってる人は多いんじゃないかと思う。

2:女の方が粒ぞろい。男の方が分布が広い。
極端なバカと極端な天才は男の方が多く、そこそこ優秀なのは女の方が多い、ということ。企業人とか予備校講師とか高校教師とか大学教授とかで、こういう感想を持ってる人は多いんじゃないかと思う。この仮説と、「極端な天才でないとプロ棋士にはなれない」という仮説を組み合わせると、女のプロ棋士が存在しない、という事実を、無理なく説明できる。現にそう唱える将棋ファンはけっこう多い。

3:男の方が限界ぎりぎりまで意地張って頑張る。女は無意識に余力を残す。
この仮説も、女のプロ棋士が存在しない理由として、割とよく語られる。「鼻水もよだれもたれっぱなしでウーウー唸りながら将棋盤に向かう覚悟がある女が居ない限り女性プロ棋士は誕生しない」と、誰かが言ったらしい。らしい、というのは、ネットでそんな噂を目にしたことがある、程度の話なんだけど。

4:女の方が共感能力とコミュニケーション能力が高い。あるいは、女の方が共感能力とコミュニケーション能力を重視する。

5:男の方が空間把握能力が高い。だから将棋に有利。
よくわかんないけど、そういう説を見かけたことがある。

6:女の方が脳梁が太い(左右脳の連結が強い)のでマルチタスクに向いている。
よくわかんないけど、そういう説を見かけたことがある。

7:女の方が現実的なので、そもそもゲームとかスポーツとかには向かない。

8:男の方が好戦的なので、ゲームとかスポーツとか喧嘩とかに向いてる。
これはそうじゃないかと思いますね。一般にオスというのは、メスを獲得するためにオス同士で争うものだ。オスを獲得するためにメス同士が争う生き物なんて、ヒトと、タマシギくらいのものじゃないか。ヒトの場合はメス同士も争うが、やはりオスの方が好戦的なように思う。まあ素人の適当な言い分だけど。

9:男は男っぽく、女は女っぽい。
以上の仮説が仮にすべて「いくらかは正しい」としても、些末なことだ。大西賢示少年は、そんな理由ではるな愛になったわけではないだろう。男女のメンタリティの最大の違い、それは「女はどことなく女っぽい」ことだ。そんなものは社会的な刷り込みである、という主張には、正直、あまり興味が持てない。例えば日本人が日本人的なメンタリティを持ち中国人が中国人的なメンタリティを持ちイタリアンがイタリアンなメンタリティを持つのは、90%以上は社会的な刷り込みであろうと思うけれども、それを理解した所で忽然と「メトロポリタンのメンタリティ」に生まれ変われるわけもなく、だとするとこういう場合、社会的な刷り込みだという指摘にはどれほどの意味があるのだろうか。ない(反語表現)。

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逆に、本質的な性別と無関係に、社会的な条件によって女が将棋について不利な立場に立たされている、という可能性はあるだろうか。もちろん、それもある。

1:女は将棋に向かない、という思い込み。
将棋が強い少女が、女は将棋に向いてねえから将棋なんかやめどけ、囲碁ならいいぞ、とかいう大人の半強制に会ってる可能性は、多いにある。

2:1による、女子将棋人口の少なさ。

3:プロ将棋界のおっさん臭さ。それによる女子将棋人口の少なさ。
棋界の重鎮を、若い女を愛人候補としか思ってないような、愛人の数を男の勲章と思ってるような連中が占めてるとしたら、そりゃ女の前途は暗いだろう。そういう事実があるかないかは知らないが、可能性はある。
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by nobiox | 2015-07-15 03:29 | ├自分用メモ |
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