明治維新と産業革命と印象派
スゴイものを見た。明治の日本。をアメリカ人が描いた絵。それでちょっと、明治維新と産業革命と印象派の必然について。

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ペリーの来航や明治維新が産業革命と関係あるのは当たり前だが、一方で印象派の登場も、産業革命と、それなりの関係がある。それまでの西欧絵画の主たる役割は、ひとつは偉人、金持ち、権力者の肖像を残すことであり、もうひとつは、聖書のいい場面を感動的に視覚化することだった。何層にも塗り重ねたニスの、重厚な茶色と黒の諧調で。産業革命がもたらした近代の気分は、それとは別のものを欲求した。もっと明るいものを。近代都市にレンブラントは似合わないのだ。

一方、写真術の発明も、たぶん産業革命とそれなりの関係があるだろう。現在、写真と絵画は共存してるしそれが当たり前のように思えるが、写真が登場した当時、ヨーロッパの多くの画家は真剣に深刻に怯えたのではないか。何か新しいことをしない限り、画家の存在意義(事物と肖像の記録)は消える、と。

小さなことだがチューブ入り絵の具の発明も、産業革命とそれなりの関係があるだろう。そして印象派の登場とは、密接な関係がある。チューブ入り絵の具は、屋外にイーゼルを持ち出しての絵画制作を可能にした。

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ここまでは「黒船来航」←【産業革命】→「印象派」という話だが、「黒船来航」はグルッと一周回って「印象派」に直接の影響も与えた。浮世絵のもたらした衝撃だ。浮世絵のグラフィカルな表現と、印象派のボワワーンとした筆致は一見なんの関係もないように見えるが、いちいち哲学的なフランス人たちは、浮世絵に「絵画の自律」を見たのである。

絵画の自律とは何か。絵画が偉人の肖像と聖書のいい場面ばかり描いてきたということは、言い換えると、すべての絵画は「意義」か「教訓」を表現するために存在した、絵画は意義の下僕だったということである。そこへ初めて目にする奇妙な浮世絵。写実とはまるっきり別次元の自由な描写、自由な線、自由なデフォルメ、自由なエロ、自由な笑い、思いもよらぬ色面構成。意義にも教訓にも支配されぬ、絵画の、絵画による、絵画的面白さの追求。

印象派の登場が西洋絵画をどう変えたかというと、ひとつは明るくなったこと、ひとつは意義も教訓も何もない「単なる絵」が堂々と表舞台で評価されるようになったこと、もうひとつはセザンヌやゴッホに象徴的なように、画家が絵の具を、絵の具に残る筆致を、絵の具の裏のカンヴァスの存在を、隠さなくなったことだ。それが巡り巡ってはポップアートまでつながって行く。その裏には「自律した絵画としての浮世絵の発見」があったという、まあ、そういうことです。以上の説明には、常識とされる定説と、僕の適当な勘が混ざってて、どこが前者でどこが後者か自分でもわからないので、決して鵜呑みにしないでください。ツッコミは歓迎します。
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by nobiox | 2014-01-15 21:39 | ├自分用メモ | Comments(0) |
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