みなさん苦情に弱過ぎる。あるいは、潔癖症という病。
佐々木俊尚さんのコンビニ冷蔵庫議論まとめ - Togetter

読んだ↑。ちょっと深く考える前に口が滑っちゃった感があるけども、佐々木俊尚さんはたぶん、冷蔵庫なうとか顔面ピザ生地なうとかいうことに関して、バカを罰するなとか批判するなとか言いたいわけではなく、対処が極端過ぎる、バランスが悪い、合理的でないと言いたいんだと思う。つか、オレはそれを言いたい。

企業にはいろんな声が飛んでくるだろう。ちゃんと教育しろとかクビにしろとか閉店しろとか。マズイと思うのは、いろんな声がある中でいちばん潔癖症な声がつねに採用されることだ。そういう事例がひとつだけなら、ずいぶん潔癖症な対応だなあ、という感想で終わる話だが、ローソンは契約解消して閉店する、西友は冷蔵庫とすべてのカートを殺菌洗浄する、ブロンコビリーはクビにして結局閉店すると、そういうの見てるとこれはもう、この社会が潔癖症という病に冒されているのだと考えざるを得ない。つかさ、普通に真面目に考えてくださいよ。バイトが冷蔵庫に入ったので黒字店を閉店します、って、それが本当に最も合理的な適正な経営判断なの? それがブロンコビリーの企業イメージを守る、最も効果的な対処なの? ブロンコビリーって会社バカジャネーノ、ブロンコビリー最悪、と考えるオレのような人間だって相当数いると思うんだが。

冷蔵庫画像で閉店させられたブロンコビリーに対し、ドワンゴの川上会長「悪ガキのおふざけに損害賠償請求するサイテーな経営者」

バイトがどのようなバカを仕出かした場合に会社がどの程度の対処をすべきか、正解はない。だから、閉店が間違いでオレの感覚が正解、と言う気はない。ただ間違いなく言えるのは、閉店なんてやり過ぎだバカジャネーノと思う者も実際にいるということ、したがって「対処は厳正でテッテ的で潔癖であればあるほど会社のイメージは守られる」という公理は成立しないということだ。じゃあどうすればいいのって、だから、正解はないんだよ。

クビにしなけりゃ何故クビにしない、閉店しなけりゃ何故閉店しないと、文句言ってくる人はいるでしょう。そういう、水に落ちた犬を寄ってたかって叩くみたいなきょくたんな炎上現象を、批判してもしょうがない。有事に極端な声が何パーセントだか生じるのは世の中の自然現象であって、いいとか悪いとかではなく、とにかくそういう苦情は来る。いいじゃん苦情くらい。どいつもこいつも、苦情に弱過ぎる。どいつもこいつも自分の頭で考え自分の責任で決めるのを避け、とにかく亀のように首をすくめて平身低頭テッテ的にお詫びするのがいちばんの安全策だと思っている。これはとても危険なことだ。

タイガー・ウッズが全米に80人だかのセックスパートナーを侍らせてるというので一時期大問題みたくなった(2009年11月)けれど、ナイキはウッズとのスポンサー契約を切らなかった。その代わりに、声明を出した。彼はこの事件のダメージで消えて行くような選手であるはずがない、我々はウッズを信じる、必ずや蘇り、再び輝きを見せるだろう、我々は彼を支える、とかなんとか。カッコいいよなあ。ナイキ社にだって苦情のメールの千本や万本、来たか来なかったか知らないけど、来たとしたってだよ、従う必要はないんだよ。ナイキは自分の判断で、自分で決めた。そこがカッコいい。残念ながら、日本にはそういう企業は見当たらない。

2009年4月23日午前3時頃、東京都港区の檜町公園で酔っ払いが騒いでいると近隣住民より110番通報を受けた警察官により、全裸、泥酔状態の草なぎ剛さんが発見された。草なぎくんはこの件で、地デジ化キャンペーンのCMを降ろされた。よく覚えてないけど、ヤマサ醤油も味の素も、その対応はナイキとはぜんぜん違っていた。まあウッズの事件より前だったみたいだけど。

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気持ち悪い極端さと言えば思い出すのは「イタリア大聖堂女子大生落書き号泣謝罪事件」だ。
2008年7月10日

世界遺産に登録されているイタリア・フィレンツェ歴史地区のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂に、岐阜市の市立女子短大の学生6人が落書きをした問題で、松田之利学長と学生らが現地を訪れ、大聖堂側に謝罪した。10日発表した岐阜市によると、学生は謝意と大聖堂の保全のため計600ユーロ(約10万円)を寄付。通常なら受け取らない大聖堂側も今回は修復費に充てるという。

大聖堂の事務局長は「謝罪訪問という勇気ある行動に感銘を受けた。寄付金で落書きを消した個所に、学校名入りのタグ(銘板)を作りたい」との意向を示したという。

6人の学生は3月、すでに文書で謝罪し、許しを得ていた。直接謝りたいという全員の意向を踏まえ、学生の代表1人と学長らが私費で現地に赴いたのは9日。大聖堂の事務局長とともに面会に応じたフィレンツェ市の副市長は「文化を大切にする日本人の意思と厳しい態度に考えさせられた」と話したという。
日本って本当に陰湿ないやな社会だなあ、と当時は思ったけれど、いまあらためて考えると、社会がどうであれ、「学校が苦情に弱過ぎる」のが問題じゃまいか。

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日本の家電メーカーが多機能なばかりでピントのぼけた「中途半端な」製品ばかり作ることと、ブロンコビリーの「極端に毅然とした」対応は、一見逆の現象のようだけれど、自分で責任を取りたくないからお客様の声を最大限に生かさせていただいております、という点で同根だと思う。

黒モノメーカーが海外メーカーに全く太刀打ちできなくなったと言われて5年くらいもたつが(中略)理由として挙げられる最大のものは、「素人の顧客の意見を聞きすぎる」ということにあるのではないか

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一般に、日本の社会は安全マージンを取り過ぎる。

山手線のドアが閉まる前に音楽が流れるのを最初に聞いたとき、感心した。メロディって、聞きながら、大体あとどれくらいで終わるか、なんとなく察しがつくじゃないですか。だから、ドアを閉める合図としてメロディを使うのは合理的だ。「ポンパロパラリロ、ポンパロパラリロ、ポンパロポロロロ」、感心しながら車両に乗り込む。乗り込みながら聞こえる、最後の「ポロロローン」←はい、終わり。ところが終わってもドアは閉まらない。数秒おいて、なんと、「ドアが閉まりまーす」というアナウンスがある。さらに数秒(1秒かも知れないが)おいて、なんと、笛を吹く。さらに数秒(1秒かも知れないが)おいて、ようやくドアが閉まる。なんなのあれ。音楽を使う意味ゼロじゃん。電車のドアであれ放射能であれ新型インフルエンザであれ、安全マージンって、取れば取るほど安全度があがるわけではない。あんまりマージンが大きいと警告を真に受けなくなって危険じゃないか。じゃあどうすればいいのって、だから、正解はない問題を、自分の頭で考え、暫定的な(最も合理的と思われる)最適解を出すしかないんだが。



むっちゃ同感↓↓↓。
クレーマーとまとめサイトにより社会が毀損される - むしブロ
日本の組織も、クレーマーに"No"という勇気をもたないと、この国の社会はますます生きにくいものになってしまうだろう。

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by nobiox | 2013-09-08 19:09 | ├自分用メモ | Comments(0) |
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