続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
この記事は鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳の続きです。




◆◆

鏡(この記事で言う鏡はすべて平面鏡のこと)は、「鏡面に対して垂直な方向に反転した立体」を見せる。例外はない。

ところで物体を1軸について反転した立体を、元の物体の対掌体と呼ぶ。右手のひらと左手のひらみたいな関係、という意味だ。この「1軸」は、上下でも前後でも左右でも、その他のもっと微妙な方向でも何でもいい。どの方向に反転しようと同一の立体ができる。で、元の物体と鏡像は互いに対掌体の関係にある。つまりこの意味では、鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。
c0070938_18455197.png
「鏡面に対して垂直な方向」が、元の物体にとって上下なのか左右なのか前後なのか、それは元の物体を人がどう認識してるかにもよるし、元の物体と鏡面の位置関係にもよる。例えば湖面に映る鏡富士を見れば、誰もが一目で上下反転像と認識する。それは富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡の上に立って足元を見下ろす場合も同じ。
c0070938_2094298.jpg
鏡の前に立ち、自分を見て、あら!?? 左右が逆の私がいるわ!!! 不思議だわっ!!! 私が右手を上げると左手を上げるわっ!!!! なんてことを思う人はいない。例えば左の頬にほくろがある人であっても、通常は、あら? 右の頬にほくろがある私だわ!!! なんて思わないはずだ。単に、自分が映ってる、と認識するだろう。鏡の中の自分は前後が反転しているのだが、それも普通は意識しない。

その状態で鏡を指差してみる。その指先を鏡に近づけて行くと、お、鏡面に対して垂直な方向に反転してるぞ、と実感できる。これは逆さ富士と同じことだが、ただしこの場合、とうぜん上下反転とは認識しない。強いて言うなら「前後」だろう。「指差す手」の代わりに人形を、足のウラを鏡に向けて近づけて行くと、「鏡面に対して垂直な方向、すなわち人形の上下が反転してる」ように見える。胡椒瓶でも同じ。この辺は人間側の解釈の問題というしかない。

以上はすべて当たり前のことであって、特に謎めいたところはない。

鏡の何が不思議なのか


それでも、鏡による反転が認知に不協和をもたらすケースというのは確かにある(逆に言うと、認知に不協和がもたらされない限り、どっち方向に反転してるとか逆になってるとか、普通は意識しない)。

例えば、鏡に映るとえらく顔の印象が変わる人がいる。ふだんは気付かないが、たまたまトイレで一緒になったときにふと鏡に映った友人なり同僚なりの顔を見て、「んんんんん????」と、まるで別人に見えることに驚く。お前、鏡に映るとえらく印象変わるなー、と言うと、おう、小学生の頃からよく言われるよ、オレにとっては見慣れた自分の顔だから、そう言われてもわかんないけどね、とか言う。そう言った友人が、これまでに2人いました。

あとはもちろん、文字とか時計が映っているとき。あれは不思議だ。どうして文字の鏡像は常に左右を反転した文字に見え、上下を反転した文字には見えないのだろうか。どうして時計の鏡像は常に左右を反転した時計に見え、上下を反転した時計には見えないのだろうか。一般的にどうかは知らないが僕にとっては、これが鏡像問題の核心だった。

答えは「それが左右の定義だから」。例えば電車のどっちが左でどっちが右かを考えてみればいい。どっちが前かを決めないと左右は決められないことがわかるだろう。前後を決めないと左右は決められないということは、つまり前後が反転すれば左右が入れ替わるということだ。一方で、上下は変わらない。少なくとも20年間にわたり、僕にとってはこれが満足すべきファイナルアンサーだった。

しかしこの回答は、逆さ富士を説明できない。

逆さ富士問題


そういうわけでこの記事は「逆さ富士の場合はどうして上下が逆に見えるのか」についての記事なんだけど、その答えはもう上の方に書いてあった。富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡富士は、「どうして前後反転した像は左右を反転したように見え、上下を反転したようには見えないのか」という問題とぜんぜん関係ない。何故なら(富士山の)前後は反転してないから。

そういうわけでこの記事は不要になったけど、大量のコメントがあるので残しておきます。
[PR]
by nobiox | 2013-03-20 17:56 | ├自分用メモ |
<< 『吉本隆明 自著を語る』 | じゅうはんしゅったい、なんて初耳だ。 >>