続・鏡が左右を反転し上下を反転しない理由
この記事は鏡が左右を反転し上下を反転しない理由 : 観測所雑記帳の続きです。




◆◆

鏡(この記事で言う鏡はすべて平面鏡のこと)は、「鏡面に対して垂直な方向に反転した立体」を見せる。例外はない。

ところで物体を1軸について反転した立体を、元の物体の対掌体と呼ぶ。右手のひらと左手のひらみたいな関係、という意味だ。この「1軸」は、上下でも前後でも左右でも、その他のもっと微妙な方向でも何でもいい。どの方向に反転しようと同一の立体ができる。で、元の物体と鏡像は互いに対掌体の関係にある。つまりこの意味では、鏡像を左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい。
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「鏡面に対して垂直な方向」が、元の物体にとって上下なのか左右なのか前後なのか、それは元の物体を人がどう認識してるかにもよるし、元の物体と鏡面の位置関係にもよる。例えば湖面に映る鏡富士を見れば、誰もが一目で上下反転像と認識する。それは富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡の上に立って足元を見下ろす場合も同じ。
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鏡の前に立ち、自分を見て、あら!?? 左右が逆の私がいるわ!!! 不思議だわっ!!! 私が右手を上げると左手を上げるわっ!!!! なんてことを思う人はいない。例えば左の頬にほくろがある人であっても、通常は、あら? 右の頬にほくろがある私だわ!!! なんて思わないはずだ。単に、自分が映ってる、と認識するだろう。鏡の中の自分は前後が反転しているのだが、それも普通は意識しない。

その状態で鏡を指差してみる。その指先を鏡に近づけて行くと、お、鏡面に対して垂直な方向に反転してるぞ、と実感できる。これは逆さ富士と同じことだが、ただしこの場合、とうぜん上下反転とは認識しない。強いて言うなら「前後」だろう。「指差す手」の代わりに人形を、足のウラを鏡に向けて近づけて行くと、「鏡面に対して垂直な方向、すなわち人形の上下が反転してる」ように見える。胡椒瓶でも同じ。この辺は人間側の解釈の問題というしかない。

以上はすべて当たり前のことであって、特に謎めいたところはない。

鏡の何が不思議なのか


それでも、鏡による反転が認知に不協和をもたらすケースというのは確かにある(逆に言うと、認知に不協和がもたらされない限り、どっち方向に反転してるとか逆になってるとか、普通は意識しない)。

例えば、鏡に映るとえらく顔の印象が変わる人がいる。ふだんは気付かないが、たまたまトイレで一緒になったときにふと鏡に映った友人なり同僚なりの顔を見て、「んんんんん????」と、まるで別人に見えることに驚く。お前、鏡に映るとえらく印象変わるなー、と言うと、おう、小学生の頃からよく言われるよ、オレにとっては見慣れた自分の顔だから、そう言われてもわかんないけどね、とか言う。そう言った友人が、これまでに2人いました。

あとはもちろん、文字とか時計が映っているとき。あれは不思議だ。どうして文字の鏡像は常に左右を反転した文字に見え、上下を反転した文字には見えないのだろうか。どうして時計の鏡像は常に左右を反転した時計に見え、上下を反転した時計には見えないのだろうか。一般的にどうかは知らないが僕にとっては、これが鏡像問題の核心だった。

答えは「それが左右の定義だから」。例えば電車のどっちが左でどっちが右かを考えてみればいい。どっちが前かを決めないと左右は決められないことがわかるだろう。前後を決めないと左右は決められないということは、つまり前後が反転すれば左右が入れ替わるということだ。一方で、上下は変わらない。少なくとも20年間にわたり、僕にとってはこれが満足すべきファイナルアンサーだった。

しかしこの回答は、逆さ富士を説明できない。

逆さ富士問題


そういうわけでこの記事は「逆さ富士の場合はどうして上下が逆に見えるのか」についての記事なんだけど、その答えはもう上の方に書いてあった。富士山の上下方向が「湖面に対して垂直な方向」だからだ。鏡富士は、「どうして前後反転した像は左右を反転したように見え、上下を反転したようには見えないのか」という問題とぜんぜん関係ない。何故なら(富士山の)前後は反転してないから。

そういうわけでこの記事は不要になったけど、大量のコメントがあるので残しておきます。
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by nobiox | 2013-03-20 17:56 | ├自分用メモ | Comments(29) |
Commented by 魚田阿萬 at 2013-03-28 12:14 x

お邪魔します。

http://stat.ameba.jp/user_images/20120729/00/uwootaaman/79/8c/p/o0779168612104076126.png
僕は、こんな↑ふうに考えました。

文字に関しては、鏡にどのように向けるかで決まりますよね。
これは比較的簡単に分かる問題だと思います。

難しいのは、右手をふってる人が、左手をふってる人に変身する、やつのほうです。
これに関して、ある日、僕は、ふと、閃いたんです。
図の「前後逆転」が閃いたんです。
脳内でこのイメージが出来た時、いままであったこの問題に対してのモヤモヤが完全に吹き飛びました。

図の「前後対称」と「前後逆転」は別物です。
「前後逆転」のほうは、『化け物』ですよね。
この『化け物』のイメージが出来れば、前後も上下も反対になるんです。

左右も本当は『化け物』なんです。
だって、映ってはいないけど、心臓が逆なんだから。

でも、左右だけは、ほぼ対称に作られてるので、違和感がないんです。
違和感のない左右逆転を、頭の中で無意識にやってしまうんです。
これが、この疑問(問題)に対する回答です。
Commented by nobiox at 2013-03-31 20:31
>魚田阿萬さん

ちょっとむずかしくてよくわからないんですが・・・
具体的には

「さて、ここからが味噌。
 鏡像の後ろ(手前)側にあるものは何か」

というのがわかりません。
鏡像って、鏡の向こう側の世界のことですよね。
なんで鏡像の後ろが手前なんですか?
直感的には「鏡像の後ろ」は「奥」だと感じられるのですが。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-01 02:41 x

返信、ありがとうございます。

「後ろ(手前)」というのは、右を東だとした場合の南のことです。
実物にとっても、鏡像にとっても、共通の、絶対的な方向のことです。
前(北)が奥で、後ろ(南)が手前です。

実物は背が「南(後ろ、手前)」にあり、鏡像は腹が「南(後ろ、手前)」にあります。
鏡が光を反射しているので、反転するわけです。

(『実物は腹が「北(前、奥)」にあり、鏡像は腹が「南(後ろ、手前)」にあります。』
と言ったほうが良いかもしれませんが、実物の腹が図に描かれてないので、前者の表現にしました。)


つづく
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-01 02:43 x

つづき


「左右でも上下でもなく前後が反転しているんだ」という意見は、このことを言っているわけです。

しかし、鏡像だけを見た場合、頭と腹と右手の関係性が可笑しくなってしまってるんです。
いや、鏡の中の世界だからそれで良いのかもしれません。
でも、人は、慣れてる現実の世界の関係性に直したくなるんです。

その直す方法が4通りある中で、人は、違和感のない左右逆転を選ぶということです。

注目してほしいのは、前後対称の図と、前後逆転の図が別物になっていることです。
これに気が付いてる人は少ないんじゃないでしょうか。
前後逆転は、左右逆転で右手と左手を差し替えるように、背と腹を差し替えるんです。
同様に、上下逆転は、頭と足を差し替えます。
これをすると「化け物」になってしまうんですが・・・・、
この「化け物」のイメージこそ、この問題を解く鍵なのです。

本当は左右逆転も、心臓の位置や形が逆なので、「化け物」なんですよね。
Commented by nobiox at 2013-04-01 18:26
で、後半は……正直僕は鏡に向かって右手を上げてみても「ん? 頭と腹と右手の関係が不適切だぞ」とは特に思えないので、本文にも「左の頬にほくろがある人であっても、通常は、あら? 右の頬にほくろがある私だわ!!! なんて思わないはずだ。単に、自分が映ってる、と認識するだろう」と書いたのですが、魚田阿萬さんの感覚ではそんなことない、ということでしょうか。なるほど。

「どんな説明が最も腑に落ちるか」というのは、百人いたら百通りの答があるでしょうが、個人的には「定義上、前後が反転しても上下は変わらないが、左右は逆転する。電車のどっちが左でどっちが右かを考えればわかる」という説明の方が納得しやすいです。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-01 19:32 x

頭と腹と右手の関係は・・・、というより右手というのは、
頭を天(上)、腹を北(前)とした時の東側にある手ですよね。

この定義からすると、鏡に映ってる像は不適切な関係になってるんです。
これは個人的な感覚ではなく、普遍的な見方です。

この不適切な関係を適切な関係に直したくなるのが人間の性(さが)です。
Commented by nobiox at 2013-04-02 00:02
あ、すみません。コメント書いたうちの冒頭部分をコピペしそこなってました。正しいコメントは以下です。

この記事の1行目に「鏡)は、鏡面に対して垂直な方向に反転した立体を見せる」と書いてありますが、要するに前半はそれと同じことをおっしゃっているのだと理解しました。

で、後半は……正直僕は鏡に向かって右手を上げてみても「ん? 頭と腹と右手の関係が不適切だぞ」とは特に思えないので、本文にも「左の頬にほくろがある人であっても、通常は、あら? 右の頬にほくろがある私だわ!!! なんて思わないはずだ。単に、自分が映ってる、と認識するだろう」と書いたのですが、魚田阿萬さんの感覚ではそんなことない、ということでしょうか。なるほど。

「どんな説明が最も腑に落ちるか」というのは、百人いたら百通りの答があるでしょうが、個人的には「定義上、前後が反転しても上下は変わらないが、左右は逆転する。電車のどっちが左でどっちが右かを考えればわかる」という説明の方が納得しやすいです。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-02 08:16 x

うーん。
感覚の問題じゃないんですよね。

電車の例が出ましたが・・・・、
進行方向が北(前)だとすると、右は常に東なんですよ。
いや、バックして進んでいるとも考えられますね。
そう考えた場合は、進行方向が北(後ろ)で、右は常に西、ということになります。
でも、いずれにしろ、上と前を決めれば、一意的に右が決まるんです。

鏡像だけを見ます。
絶対的な方向というものは無視して、鏡像君に即した方向というものを考えます。
頭は上の象徴です。 腹は前の象徴です。 右手は右の象徴です。
この時、関係性が可笑しくなってしまってるんです。

で、普通の人は無意識に右手を左手だと思って関係性を修復します。
しかし、絵的には腹に見える側を背(後ろの象徴)だと思って関係性を修復することも出来なくはないんです。
同様に、絵的には頭に見える側を足(下の象徴)だと思って関係性を修復することも出来なくはないんです。
完全に化け物ですけどね。


つづく
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-02 08:18 x
つづき


まあ、そもそも、右手には、頭や腹のように、右手をして右手たらしめる特徴がないので、
逆にするという意識すら働かないでしょうけどね。

心臓が透けて見えてれば、右手を右手だと思うかもしれませんね。
そして、その右手を左手だと思えば、それはある種の化け物になりますよね。

Commented by nobiox at 2013-04-02 21:11
おっしゃっていることを私のアタマで噛み砕くのは大変むずかしいです。

「南向きの壁に、鏡がかかってるとしましょう。ヘンリー君がその前に立ちます。当然ヘンリー君は北を向いています。ヘンリー君は鏡に向かって右手(東側の手)を上げました。すると鏡の中のヘンリー君も東側の手を上げます。しかし考えてみてください。鏡の中のヘンリー君は、南を向いているではないですか。南を向いた時に東側の手というのは、定義上、左手ではないか。嗚呼、明らかに関係性がおかしい。いや、明らかというか、普遍的な意味で不適切である。普通の人はこの不適切さに明らかに気付くことすらなく、無意識に関係性を修復し、左右反転した像だと認識するのである。つまり普通のヘンリー君は、鏡の中の自分が左手を上げていると、無意識に解釈するのだ」

という意味ですか?
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-02 23:41 x

そういうことですね。

記事の例だと、
マリリンモンローのミラーの絵だけを見せられた時、
「右の頬にほくろがある」と見るのが自然だということです。

しかし、「左の頬にほくろがある」と見ることだって出来なくはないよって話です。
顔のように見えてるそれを、後頭部だと思うんです。
これをすると化け物になってしまうんだけど・・・・、
左右の逆転だって、心臓のことを考えれば化け物なんだから、ありなんじゃないかと。

ポイントは、前後が反転して三軸の関係性が可笑しくなったことと、
その三軸の関係性を前後逆転させて直し、化け物にすることとが、別物だということです。

この化け物のイメージが出来て初めて、三軸の平等性が理解できるんだと思うんです。
「なぜ左右が変わるの?なんで上下や前後じゃないの?」という疑問に答えるには、
この、化け物の説明が不可欠なんじゃないかと思うんです。
Commented by nobiox at 2013-04-03 16:07
「鏡像は三軸の関係が不適切である,これは感覚の問題ではなく心理の問題でもなく普遍的な事実である」というのを仮に認めるとしても、「だからどうしても修復したくなる」かどうかは心理あるいは感覚の問題ですよね。

リチャード・ファインマンは学生時代に「われわれは自らをつぶすように変形して前後を逆にすることを想像できないので,鏡の向こうへ回って反対に向いたかのように,左右入れ替わった自分を想像する.左右が逆になるのは,この心理的な回転による」と述べたそうですが、おっしゃっているのはそれと同じことでしょうか。

ちなみに「関係性」というのは「関係」という意味ですか?
それとも「関係」とは違う意味があるのでしょうか。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-03 18:23 x

「修復したくなるかどうか」の話じゃなくて、「修復した結果、右手が左手になる」という話です。
「なぜ左右が変わるの?なんで上下や前後じゃないの?」という疑問を持った人の話です。
そして、その疑問は万人が抱くと思うんです。
なぜなら、マリリンモンローのミラーの絵だけを見せられた時、
「右の頬にほくろがある」と見るのは、ごくごく自然なことだと思うからです。

ただ、修復というのは間違っていたかもしれません。
ごめんなさい。

頭(上)と腹(前)の判断が先にあって、それに従属させて左右を判断するから左手(左)になる、
というのが正しい見方だったように思います。
右手が左手に修復されたのは、その結果にすぎませんね。

頭(上)と右手(右)の判断が先で、それに従属させて腹(前)を判断すれば、前後逆転になるし、
腹(前)と右手(右)の判断が先で、それに従属させて頭(上)を判断すれば、上下逆転になる。


つづく
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-03 18:24 x
つづき


ただ、左右の判断(認識、定義)自体、上と前の判断に従属させないと無理な気もします。
まあ、無理矢理、右手だと思い込むんですね ^ ^ ; 。
出来ないことはないと思います。
(もし心臓が透けて見えてれば、右手を右手だと無理なく判断できるかもしれないし。)

リチャード・ファインマンさんの考え方とは違います。
リチャード・ファインマンさんの考え方は最初僕もしたんですが、なにかスッキリしなくて・・・・、
前後逆転・上下逆転の化け物のイメージが出来た時、不要になりました ^ ^ ; 。
たぶん、この問題の本質ではないような気がします。

「関係性」と「関係」は、ほぼ同じ意味で使ってます。
Commented by nobiox at 2013-04-04 00:21
>「関係性」と「関係」は、ほぼ同じ意味で使ってます。

なるほど。ありがとうございます。では今後は「関係」にします。

それ以外の点についてはむずかしいので、1週間くらい考えてみます。
Commented by nobiox at 2013-04-04 17:49
「文字に関しては鏡にどのように向けるかで決まる。簡単」
なのであれば、
「人間も鏡にどう向くかで決まる。簡単」
でいいんじゃないでしょうか。
どうしてそれじゃダメなんですか。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-04 20:34 x

こんな↓発表があります。

http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_191101_01_j.html
 東京大学 > 広報・情報公開 > 記者発表一覧 > 「鏡の左右逆転、1種類ではなかった」

  鏡に映ると、左右が反対になって見える。
  この「鏡映反転」は、これまで、1つの現象だと考えられてきた。
  しかし、自分の鏡映反転と文字の鏡映反転は、それぞれ、別の理由で起きる、別の現象だということがわかった。
Commented by nobiox at 2013-04-05 11:30
リンク先、読みました。

◉1
鏡についての考察には、客観的・物理的・幾何学的なアプローチと、心理的・感覚的な解釈の問題を考える道とがあります。「鏡に映った自分が左右反転してるとは、感じない、人も、いる」ということを考証の起点とするのであれば、それは間違いなく心理面を考えてるわけです。客観的・物理的・幾何学的には、鏡は万人に対して同じ現象を見せるのですから。

ですので、「これは個人的な感覚ではなく、普遍的な見方です」「感覚の問題じゃない」というような発言は、話の本質を曖昧にすると思います。小学生の頃から「鏡は左右を逆にする」と教えてる国と、「鏡は奥行きを逆にする」と教えてる国では、調査結果も大きく変わるでしょう。そういうのは普遍的とは呼べません。
Commented by nobiox at 2013-04-05 11:31
◉2
「あれ? 左右反転しているぞという感覚」のことを「R」とします。
「リバース」のRです。
「別に反転してないじゃんという感覚」のことを「S」とします。
「ストレート」のSです。
「鏡に映った文字を見てRと感じる」ことを「文字-R」と表記します。
「鏡に映った自分を見てRと感じる」ことを「自分-R」と表記します。
「鏡に映った自分を見てSと感じる」ことを「自分-S」と表記します。

1)「文字-R」で「自分-R」の人が6割いる。
2)「文字-R」で「自分-S」の人が4割いる。
3)ロシア語を読めない人は「ロシア語-S」である。

というのがリンク先の調査結果です。そして、このことは「人の鏡映反転と文字の鏡映反転が別々の理由で生じることをはっきりと物語っている」と書いてありますが、間違ってるんじゃないでしょうか。その調査結果から言えることは「文字と自分とで別の解釈をする人が4割いる」ということです。「同じ解釈をする人でも解釈の理由は違う」なんてことは導けません。
Commented by nobiox at 2013-04-05 11:53
◉3
「自分-S」という解釈が普通にあり得ることは、僕は小学生の頃から常識として知っているので、東京大学でそれが何か画期的な発見でもあるかのように発表される、ということの方が驚きです。

http://youtu.be/W-pc_M2qI74?t=1m04s
この動画↑には、左頬に絵の具を着けられた子供(とサル)が鏡を見て、自然に左頬に指を持っていく様子が映ってます。女の人が毎朝化粧をする時にも、お父さんがヒゲを剃る時にも、毎朝似たようなことをするはずです。この現象は「自分-S」と見なせると思います。つまり「認知に不協和がもたらされない限り、どっち方向に反転してるとか逆になってるとか、普通は意識しない」のです。

質問の仕方次第では、あるいは実験の仕方次第で、「自分-S」の人が100%、という結果だってじゅうぶんあり得ると思います。
Commented by nobiox at 2013-04-05 12:21
◉4
というか「鏡に映った自分を見て間違えずに左の頬に指を持って行く現象」のことを「自分-R」と呼ぶか「自分-S」と呼ぶかは、それこそ解釈次第だ、と言うべきか。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-05 13:36 x

僕が感覚の問題じゃなく普遍的なことだと言ったのは、頭(上)と腹(前)と右手(右)の定義(関係性)です。

鏡に映った右手を左手だと思う人は少なからず居るわけです。
また、そう思わない人でも、そう言われればそうだな、と思うはずです。
その思いや感覚が、どういうメカニズムなのかを考えているわけです。

東大の発表記事で「鏡に映っているほうの自分の視点から」と書かれてますが、
「視点」とする時点で、前(眼、顔、腹)が定まってしまっていますよね。
さらに頭(上)も定めた上での、右手という判断ですよね。

しかし、「鏡に映っているほうの自分に即して三軸を考える」とすれば、
真っ先に前(眼、顔、腹)を定める必要はありません。
左手を左手(左)、頭を頭(上)だと定めれば、腹のように見えるそれが背(後ろ)になるんです。
これでは化け物ですが、左手を右手にしちゃうのだって、心臓のことを考えたら化け物ですよね。
腹(前)と左手(左)を先に定めて、頭のように見えるそれを足(下)だとするのも化け物です。
全部化け物なんだから平等なんです。
Commented by nobiox at 2013-04-06 19:35
とりあえず、心臓が右にある人のことを「化け物」と呼ぶのは避けてください。
「内臓逆位」について調べてみてください。内臓逆位の人は実在しますし、化け物ではありません。
Commented by nobiox at 2013-04-06 19:36
我々はいま心理とか感覚とか解釈の話をしているわけです。つまり「オレの感覚ではカクカクだなー」「あ、そう? 私はシカジカだと感じるんだけど」「イスラム教徒はこう考えるらしいよ」「はー、なるほど」みたいな話です。つまりもともと正解のない話です。

「鏡像は上と前と右の関係が不適切である。これは感覚の問題ではなく定義がもたらす普遍的な事実である」とのご主張ですが、そうは言ったところで「不適切……と言われてもピンと来ない……」のですね。僕の感覚では。「人間も鏡にどう向くかで決まる。簡単」の方がよほどしっくり来ます。もともと正解は存在しないので、無理に一致させることもないと思います。
Commented by nobiox at 2013-04-06 19:36
「鏡像は元の物体の対掌体を見せる」「対掌体は、元の物体の左右反転像と見なすのも上下反転像と見なすのも奥行き反転像と見なすのも、他のもっと微妙な角度の反転像とみなすのも、とにかくすべて正しい(つまり三軸平等)」ということにはコンセンサスがあると思います。
その上で、「なぜ人は自分の対掌体を左右逆転像と認識するか」の話です。

1)「定義上、前後が反転すれば左右が入れ替わるから」
2)「人間は左右対称だから」
3)「鏡像は上と前と右の関係が不適切である。これは感覚の問題ではなく定義がもたらす普遍的な事実である。この不適切さを解消したくなるのが人の性である。どういう軸で反転させても構わない(つまり純粋幾何学的には三軸は平等である)のだが、人体は左右対称なので、左右反転と解釈するのがいちばん自然である」

これ、1だけでも2だけでも説明になってると思うんですよ。3は、「(1)プラス(ひとのサガについての主張)プラス(三軸平等という前提)プラス(2)」なわけですが、そこには1や2を超える何かがあるのでしょうか。
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-07 01:01 x

それじゃあ「化け物」は前後と上下の逆転だけにしておこうかな ^ ^ ; 。
もしくは、左右が入れ替わる現象を以って化け物とするか。
まあ、良いじゃないですか、言葉の綾ということで ^ ^ ; 。

ってゆうか、「内臓逆位」の人って、もしかしたら、左右じゃなく、
前後もしくは上下が逆になっているのかもしれませんね ^ ^ 。

閑話休題。

繰り返しになって申し訳ありませんが、
「右手を振っている人が左手を振っている人になる」というのが、
この問題の本質だと思うんです。
もちろん、そんなこと意識すらしない人だって居るでしょう。
でも、そういう人だって、そう言われれば、「ああ、そう見えるね」と言うと思うんです。

それが、どのようなメカニズムなのかを考えたいんです。
そのメカニズムは一通りだと僕は考えています。
しかし、東大の実験の例があるので、もしかしたら二通りかもしれませんね。
人間を一つの象形文字のように捉えることだって出来ますからね。
逆に、文字を擬人化して見ることだって出来るかも。


つづく
Commented by 魚田阿萬 at 2013-04-07 01:02 x
つづき


ともあれ、僕が一番主張したいのは、「前後が逆になる」という観念だけじゃなく、
右手が左手になったように、腹側が背側になるイメージを持つと、
この問題がすっきり分かるよ、ということです。
このイメージを、分かりやすいように「化け物」と名付けました。
だから、化け物って言うな、って言われると、ちょっと困っちゃうんですよね ^ ^ ; 。

自分の中では、この発見が、けっこう目から鱗の出来事だったんです。

それで言い触らしたくて・・・・・・・、ほんと、お邪魔しちゃった感じですよね、ごめんなさい。
これ以上は平行線のような気がするので、コメントを控えさせてもらいます。
何度も返信していただき、ありがとうございました。
Commented by nobiox at 2013-04-07 02:07
寺山修司の「野球少年の憂鬱」という有名な詩をご存知ですか。
本当はかなり長い叙事詩なのですが、
「差別用語等あるのでちょっと書き換えます」と注釈があるブログから無断孫引きすると、

>二人のさみしい聾唖者が、言葉の代わりにボールを投げ合って
>お互いの気持ちを確かめ合っていた。
>ところがこの二人に嫉妬する男が現れ、バットという樫の棍棒で会話のボールを
>二人の外の世界へ弾き飛ばしてしまった。
>ボールを失った二人は途方にくれ、棍棒でボールを弾き飛ばした男は悪魔のように
>両手を広げて二人の周りを走り回った。
>一周するたびに数が記述され、
>その数が殖えてゆくことが二人の不幸度をあらわすのだった。
>そこで二人のもとへボールを返してやろうとする七人の聾唖者が集まってきた。
>彼らは棍棒を持った男を殺すためにやってきたのだ。
>何故か左手だけが異常に大きかった。

というようなものです。
Commented by nobiox at 2013-04-07 02:08
「左右が対称でない人」を例とするにはどうしたらいいだろうかと考えた挙句、そうだ有名なマリリンモンローは頬のどっちかにホクロがあったんじゃなかったっけ、と思いついたんですよ僕は。だけど魚田阿萬さんと会話してる間に、より端的な例として、「左手にだけグローブをはめた男たち」を例として考えればいいのではないか、と、思いました。
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