朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は
朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義はというのを読んだ。

傲慢の見本のような記事 - 新小児科医のつぶやきなどで、もう言い尽くされてると思うけど、僕も呆れたので、僕も書く。冒頭、元共同通信論説副委員長の藤田博司という人が、

大前提として、報道機関なんだから氏名を報道するのは当たり前。
 
とおっしゃっている。アホだ。実名報道の是非を論じるのに「そもそも大前提として実名報道当たり前」というのは、ヘッドスライディングが有効かどうかを論じるのに「大前提として、そもそもヘッスラなんだから遅くなるのは自明」と言うのと同じレベルじゃないか。是非を考える気が始めからない。なぜならこの人の中では結論は決まっており、変える気はないから。

元最高裁判事の宮川光治という人は

匿名で扱うのは死者の尊厳の否定。死者の叫びはどうなるのか。

とおっしゃっている。よく見かける意見だが、「氏名を報道しない」ことと「身元不明」を、たぶんわざとごっちゃにしている。アルジェリアの事件で死んだ日本人に、身元不明者はいない。つまり、誰も匿名で扱われていない。みな実名で弔われ、家族や同僚や友人に見送られたはずだ。げんに実名で扱われている以上、「実名で扱うか身元不明として匿名で扱うか」は争点ではあり得ない。実名をマスメディアで広告すべきかどうか、が争点だ。実名を広告しなかったら死者の尊厳はどうなるとか、まさに余計なお世話だ。

他には

歴史に記録を残すためにも、犠牲者の氏名は公表する必要がある。
実名は情報を検証する際の手がかりになる。
事件の全容を正確に知るためには、犠牲者の実名が不可欠。

ということだけど、対象無差別型の事件において、その全容を解明し検証し歴史に記録するのに、被害者の実名なんてどうでもいいだろ。「どうでもいい」なんて言うと「どうでもいい? そういう発言こそがまさに尊厳に対する冒涜です」とか言われるのだろうか。そういう突っ込みこそが「命の重さ」と「報道の重さ」をごっちゃにしてるだろ、ということを言ってるんだけど。命の重要さと、個人情報を報道することの重要さはぜんぜん別のものだ。当たり前じゃないか。命が重要だということにはもちろん同意するが、だから氏名を広告すべきだという主張に、どうして結びつくのか。

人が他人に対して何か、殴るとか殺すとかつきまとうとか痴漢するとか、何かをする場合、動機は一般的に、個人特定型か無差別型のどちらかである。「アイツが許せない」「コイツが憎い」「ソイツを殺せば保険金が入る」などが前者。「誰でもいいから殺したかった」「ポリスであれアーミーであれ民間人であれ目的の邪魔をするヤツは排除する」「知らない女だがムラムラした」などが後者。アルジェリアの事件は明らかに後者なわけで、「事件の全容を正確に知るためには犠牲者の実名が不可欠」なんて主張に説得力は全然ない。

ああ、「呆れた」だけだったけど、書いてるうちに本気で腹が立ってきた。事件の全容を解明し検証するために実名が役に立ちそうな事件なら、もっと他にあるだろう。僕はアルジェリアの事件の被害者の氏名に興味はないが、例えば植草一秀が冤罪かどうかを検証するために、被害者とされる女性と、逮捕した鉄道警察隊員の実名報道が不可欠だとは思っている。片山祐輔の取り調べをした(している)刑事や検察官の実名も報道すべきだと思っている。何故ならこれらの事件について、実名は情報を検証する際の手がかりになるし、全容を正確に知るためには関係者の実名が不可欠だし、歴史に記録を残すためにも関係者の氏名は公表する必要があると思うから。これらの事件について、関係者の実名は現実との極めて重要な係留点だと思うから。

どうして朝日新聞は、あるいは古舘伊知郎は、そういう重要な氏名を平然と無視し、どうでもいい(と僕には思える)氏名にこだわるのか。藤田博司さんと宮川光治さんと長谷部恭男(東京大学法学部教授)さんはそれについてどう思っていらっしゃるのか、この記事のコメント欄でコメントしていただけないでしょうか。よろしくお願いします。もちろん、古舘伊知郎さんのコメントも歓迎します。
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by nobiox | 2013-03-06 21:40 | ├自分用メモ | Comments(0) |
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