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「マイレージ、マイライフ」についての町山智弘の解釈が珍しいように思える
ネタバレありです。




「マイレージ、マイライフ」についての町山さんの解釈(Total 3分40秒)
リストラ宣告人なんていう仕事よりも、家族の幸せをとった方がいいんじゃないかということで、悩むんだけども、でも最後やっぱりねえ、家族を捨てて、リストラの仕事を続けるんですよ。で、どうして続けるかってことに関しては、言葉では語られてないんです。だからそれはみんながそれぞれ思えばいいんだけども、

ただ俺がすごく思ったのは、例えば、若い頃はね、映画が作りたかったですよ。漫画家にもなりたかったのね。でもいまこの年齢だと、何がいちばん自分でできるのか。っていうと、ひとつしかないんですよ。それは映画を観て、そこで映ってることを、誰よりもストレートに受け止めることができると思ってるのね。いろいろ辛いことはあるけれども、食えないし。でも、いま俺がやれる最良のことって何かと。ベストなことは何かと。いちばん、よく、できることは何かと。これなんだと。ていうふうに段々、やっと、この、気持ちが固まってきてるんですよ。ね。そういう決意を、する、っていう、話なんだよね。

リストラ宣告という仕事に関して、凄く悩むんですよ。ジョージクルーニーがね。だけど最終的にその、リストラっていうことで俺は、じつは、ある役割を果たしているんだということに気付くんだよ。で俺は、これを、いちばん誰よりもうまくできると、いうことに気が付いていくわけですよ。そのためには俺は家族の幸せっていうのは、持てない人間なんだと。これが俺の、仕事なんだということで、踏み出して行くのね。そういう選択をする話っていうのも、あるんだよ。あっていいんだよ。

いやいやいやいや。待ってくれ。ライアン・ビンガムは、家族を捨ててなんか、いない。女と家族になろうと思い定めて(かどうかまではわからんけど、かなりそっち寄りの甘い気分で)訪ねて行ったら、なんと、独身貴族を自称してた女が、子持ちの人妻だったんだよ。いつものキメキメスーツとは違う、ダサイけど暖かそうなセーター姿で。

仕事に生きる、気ままでスカした独身主義者の男が、家族のぬくもりに目覚めて暖かいハッピーエンドへ向かう、のかと、いったん観客に思わせといて、ありゃ残念でした、という。これ、男女逆なら世間でよく聞く話ですよ。独身だと言ってた彼氏に妻子がいたの、キーッ、というね。その逆を、愛らしい幻想をみじめに砕かれる男を、当世一の伊達男に演じさせてちょっぴりおかしくてほろ苦い、という映画ですよ。

ライアンが捨てたんじゃない。振られたの。それで落ち込んでひとりで酒を飲むの。そんなタイミングで1000万マイル達成して、空しさを味わうの。さらに若い新入社員も会社やめちゃって、もう、相変わらずの仕事をひとりで続けるしかないの。以前は無縁だった孤独や哀愁を、かすかに帯びながら。自分で主体的に仕事という道を選び取ったわけじゃないし、その代償として家族を捨てたのでもない。誰が観てもわかる。

◆◆

たぶん「家族を捨てて」というのは、町山さんのちょっとした誤解、あるいは誤表現だろう。口がすべっただけだ。大したことじゃない。「家族を捨てて」を「家庭という幸福を諦めて」と聞き替えれば済むことだ。そうしよう。

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それでも、どうしても、違和感は残る。例えば「リストラ宣告人なんていう仕事よりも、家族の幸せをとった方がいいんじゃないか」なんて葛藤は、映画のどこにも描かれていない。会社のIT化路線がうまく行ってれば、出張ゼロになるはずだったんですよ。その条件の上では、仕事をとるなら家庭は持てない、なんてことはないはずだ(結果的にIT化は頓挫するんだけど、それは、女に振られた後だ。家庭という幸福を諦める原因に、なろうはずがない)。

「リストラ宣告という仕事に関して、凄く悩む」というのは、どのあたりを指しているのか理解できない。仕事をやめようかと考えるシーンも、仕事に疑問を感じて苦悩する、というシーンも、どこのことなのか僕にはわからない。唯一わずかにそれらしいのは、ある自殺について聞かされた時だけど、それも女に振られた後だ。だから、「その後で自らの天命に気付いて仕事の方に踏み出し、家庭という幸福を諦める」という解釈はあり得ない。

自分が「ある役割を果たしているんだということに気付」き、自分の仕事の価値に目覚めるシーンというのはたぶん、妹婿に対する説得を指すのだろう。確かにそういう取り方もできる。だけどあれは同時に、家族の価値に目覚めるシーンでもある。

「これまでの人生で最高に楽しかったことを思い出してみて」
「…………」
「そのとき、君はひとりだったか?」
「……いや、そう言われてみると、違うな」
「ゆうべはひとりで不安に押し潰されそうだった?」
「ああ」
「誰かにいて欲しかった?」
「…………」
「人生というフライトには、副操縦士が必要なのさ」

僕の感覚では、この映画の最大の見せ場だ。「これまでの人生で最高に楽しかったことを思い出してみろ」「そのとき、君はひとりだったか?」・・・感動して、軽く鳥肌立った。リストラ宣告っていう仕事にもポジティブな価値があるんだな、という感動ではない。町山さんが言う「家族か仕事か」という二項対立の図式で言うならば、逆だ。おお、言われてみればそうだ、オレの人生が最高に輝いた瞬間、いつも誰かと一緒だった、確かにそうだ、人生にはパートナーが必要なんだ、という気付きの感動だ。

また、こういうことも言える。彼は相手を納得させるためならば、誠実そうな仮面をかぶり、舌先三寸の美辞麗句を平気でさえずる男だ。その、氷の心を持つ男が説得のためにひねり出した心にもない台詞が、不意に男自身に響く。自分の言葉が、自分の心を照らし、自分の心を溶かし始める。その瞬間に立ち会う感動だ、と。

もちろん、僕が個人的にそのシーンをそういうふうに感じたからといって、「リストラ宣告っていう仕事にもポジティブな価値があるんだな」という受け取り方を間違いだとは思わない。ただ、その後の流れはどうか。このあと仕事に前向きになる、という展開にはなってない。このあと彼は人のぬくもり、人との深い関わりを求めていき、失恋して、涙を流す。その後、若い新入社員も会社やめちゃったと聞かされて、さらに傷心する。

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ちなみに監督はDVDの音声解説でこう語っている。ラストシーンの意味についてよく聞かれる。掲示板を見上げるライアン・ビンガム。彼はどこへ行くのか。カバンから手を離すショットは何かの暗示か。あの目は何が言いたいのか。正解は僕も知らない。観た人の半分はこう考える。彼は飛行機に乗り、元の人生に戻ると。残りの半分は、彼はどこかで誰かと幸せな家庭を築くと考える。どちらも正しい。それが僕の目指した形だ。

(私家版)『マイレージ、マイライフ』の一解釈をめぐる映画評論家町山智浩(@TomoMachi)と@my_yoursの議論というページの存在をいま知った。そこで町山さんは「全米6割の観客は(僕と同じく)クルーニーは仕事を続けた、と受け取った。4割は家庭を取ったと解釈した。僕の方が多数派」とおっしゃってるみたいだけど、それはどうかなあ。僕の想像ではその6割のほとんどは「消去法で仕方なく寂しく仕事に戻った」という解釈であって、町山説みたいな「天命に目覚めた」解釈は珍しいと思うんだけど。もちろん、珍しいのは悪いことではないが。
by nobiox | 2011-09-18 12:19 | ├映画 |
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