児童ポルノの定義を考える
たとえば「寝苦しい夜を客観的に定義することは不可能だ」と言われると、誰しも一瞬納得するのではないか。だって「寝苦しい夜」なんてものは、どう考えても主観だもんね。

この納得にはふたつの意味がある。ひとつは、寝苦しさを主観を交えずに測る尺度がないということ。もうひとつは、寝苦しさの感じ方は人それぞれで大きく違い、尺度があったとしても共通の合意が得られそうにないということ。

言い換えると、客観的という言葉はしばしばふたつの意味で使われ、曖昧に混同されている。ひとつは「主観を交えずに判定可能か」ということ、もうひとつは「合意形成可能か」ということ。ここでは試しに、客観的という語は前者の意味にのみ使い、後者には「合意形成可能な」「妥当な」「社会通念に合致する」「直感に合致する」などを使うことにしてみたい。

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ところで日本には熱帯夜という概念があり、定義は「最低気温が摂氏25度以上の夜のこと」と、完全に客観的だ。そして多くの人が、これを「寝苦しい夜」のオフィシャルな定義として受け入れているように見える。一瞬定義不可能に思えても、案外そうでもない(こともある)ということだ。「感じ方は人それぞれ大きく違う」としても、合意形成は可能だったりする。

ぶっちゃけ、どんな単語でも客観的に定義するだけなら簡単にできる。例えば「画像のおぞましさとは、画面解像度のこと。通常、単位はdpi」だとか。これ、ほぼ完璧に客観的(つまり主観を排した判定が可能)な定義だろう。「客観的」だけでいいなら簡単にできる。むずかしいのは「客観的かつ妥当(合意形成可能)」だ。

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百人が声をそろえて「児童ポルノの単純所持を禁止すべきだ」と言ったとしても、アグネスチャンと石原慎太郎と岩井志麻子では、「何の所持を禁止したいのか」が違うだろう。百通りのイメージがあり得る。しかし「個々人で違うから客観的な定義など不可能」とはならない。むしろ個々人で違うのに、可能かどうかなんて何故わかるのか、と言うべきだ。百通りのイメージの中には、客観的に定義可能なのがいくつもあるかも知れない。たぶんあるだろう。その中にはアグネスチャンをも納得させるものだって、ないとは限らない。それを見つければ「客観的かつ妥当」じゃないか。

例えば「児童が本番やらされてる写真だけを規制すればそれでよし、エロいかエロくないかなんてことはいっさい問わない。スクール水着の小学生のエロい写真なんてものは、作成はともかく、所持に関しては野放しでよろしい」という考えの人がいるかも知れない。これはそこそこ客観的で明確な定義が可能だろう。「児童が性器を他者の性器または肛門または口唇に挿入している、またはされている場面を写した映像を指す。性器または肛門に挿入されている場合は性器に限らず、指、またはその他の異物も含む」とかなんとか。

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というわけで、「客観的で妥当な定義は可能か」、僕の意見は「そりゃ定義による」です。

児童ポルノの単純所持禁止に賛成かどうかは、またべつの話。また、定義の目的が天気予報である場合と法規制である場合とでは、要求される慎重さに格段の違いがあるのは言うまでもない。

↓賛否はともかく、気合いが入ってて勉強になる。
白田 秀彰 | 単純所持宣言 / その他、 性規制について
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by nobiox | 2010-10-08 22:31 | ├自分用メモ | Comments(0) |
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