児童ポルノ問題概説
アグネスチャンを筆頭に、児童ポルノの単純所持を規制せよと主張する人々がいる。気持ちはわかる。特に、自分に子供ができると、反体制派なオレってカッコイイ、というタイプだったヤツがいきなり規制派に寝返ったりする。いたいけな児童が性の対象とされることへの恐怖と嫌悪感というのは、善良な市民にとって切実な問題だ。その気持ちがわからんヤツは、あんまりいないだろう。

一方、単純所持の規制は非常に怖ろしいから断固反対、という人々もいる。これも気持ちはわかる。わかってもらわねば困る。日本国憲法発効以来の日本で、武器の所持を理由に官憲に捕まった者はたくさんいるが、また、本や絵の内容(例えば猥褻)を理由に「猥褻図画頒布」や「頒布目的の所持」が問題とされた例も、チャタレー夫人(1952-1957)とか赤い風船あるいは牝狼の夜(1963)とか悪徳の栄え(1969)とか四畳半襖の下張(1972-1980)とか松文館裁判(2002-2007)とかいくつかあるが、本や絵の内容を理由に「持ってるだけで」捕まった、なんて例は、ひとつとして存在しない。しないんじゃないかな、よく知らんけど。

たとえ、眼球をカミソリで切り裂きこめかみに五寸釘を打ち込み血がドバドバ流れるスプラッタホラーであれ、たとえ皇居にミサイル弾打ち込んで皇室の血統を根絶やしにしようぜ、とか、あるいは、国内のチョンを全員殺そうぜとかいう不穏な煽動書であれ、たとえ核爆弾の作り方手引きであれ、たとえ猥褻認定を受けて発売禁止となった禁断のポルノであれ、少なくとも単純所持は自由だ。自由であった。

要するに、内心は自由だ。たとえ、なんらかの理由で表現、というか公開の自由が制限されることがあったとしても、内心は自由だ。それが当たり前だ。本や絵の内容を理由に単純所持が禁止されるというのは、公権力が市民の内心に踏み込んで市民の内心を取り締まろうという話なわけで、それは、ひ じ ょ う に 危険なことだ。中国や北朝鮮みたいな、警察が目障りな連中を片っ端から逮捕する、みたいな世の中になってもいいのか。

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ところで、規制派の主張は「児童ポルノなんていうおぞましいものは禁止せよ」だと思ってる人が、この話題に興味がない人のなかにはけっこういると思うけど、それは違う。アグネスチャンの内心は知らないが、規制派の表向きの主張は「児童を性的虐待から守れ」だ。

この話題に興味がない人なら「児童ポルノなんていうおぞましいものは禁止せよ」と「児童を性的虐待から守れ」は似たようなもんだと思うかも知れないが、前者は「猥褻表現規制」の話で、後者は「青少年保護」の話だ。つまり前者は「表現」をめぐる抽象的議論である一方、後者が問題にするのは具体的な「虐待」だ。ぜんぜん違う。児童ポルノが存在するということは、撮影された児童がいるということだ。「児童ポルノを規制することにより守るべき法益は,被写体となる児童の人権ないし権利であって,善良な風俗ではない」のである。

その点で、規制反対派も、規制派の気持ちはわかる。つまり、規制反対派であっても、児童を性的虐待から守るべし、という点に反対する者は少ない。まずいない。そこでよく言われるのが、内容を問わず、行為を取り締まればいいではないか、という議論だ。

要するに児童虐待が防げればいいわけで、だったら撮影そのものを取り締まればいいではないか。それならべつに新たな法律は要らないじゃないか。例えば強制猥褻罪だとか、未成年者略取及び誘拐罪だとか、迷惑防止条例だとか、そういうので充分やれるはずだ。そうすれば、「いたずらに性欲を喚起せしめ」だの「性器等がみだりに強調され」だのと内容に踏み込む(ポルノと非ポルノを区別する)必要は、そもそもないではないか、と。

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しかし、最近こういうニュースがあった。
4歳娘の裸を母親が撮影、3万円で販売(2010年9月30日08時38分 読売新聞)

 4歳の娘の裸体を撮影して販売したとして、宮城県警少年課と岩沼署は29日、札幌市北区の無職女(27)を児童買春、児童ポルノ禁止法違反(児童ポルノ製造・提供)の疑いで逮捕した。発表では、女は昨年9月14日頃、当時4歳だった娘の裸を携帯電話のカメラで撮影し、画像を電子メールで東京都世田谷区の会社経営の男性(41)に送り、3万1600円で販売した疑い。女は「お金がほしかった」と供述しているという。

どうやって警察はこの手の事件を捕捉するんだろうか、という疑問はさておき、この場合、何を問題視すればいいのか。

現実には「児童ポルノ製造と提供の疑いで」逮捕されたそうだが、母親が4歳の娘の裸体を撮影することを、児童ポルノ製造と認定するのは危険だと思う。では、金銭目的の頒布が問題なのか。しかし娘に可愛いワンピースを着せて撮影し、雑誌編集部なり芸能プロダクションなりに金銭目的で売り込む「ステージママ」は、全然問題ないだろう。この母親を罪に問おうとするならば、どうしても「ポルノ」を定義せざるを得ないような気がする(もちろん現実には定義されているわけだが)。

「現実には」というのは「現行法では」って意味ね。現行法では児童ポルノというものが「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの(を視覚により認識することができる方法により描写したもの)」のように定義されている。それに対して、できれば僕としては「児童ポルノの定義なんてしなくていい。内容を問わず、行為を取り締まればいいではないか」という意見に与したく思う。しかしこの記事なんか読むと、やはり児童ポルノの定義はせざるを得ないんじゃないかと思える。例えば「性器が露出したのはポルノ」だとか。しかしそんな定義を採用したら、世間の親バカお父さんお母さんは軒並み逮捕じゃないか。

では、「親が我が子の性器を撮るのも、それを有償頒布するのも、買う側も、何ら問題ない。仮に倫理的、あるいは青少年健全育成の観点から問題視するとしても、それは社会倫理の成熟、あるいは宗教的教導、あるいは哲学的な説得を待つべき領域の問題であって、法律で強制すべきではない」とでも考えた方がいいのか。

今のところ、僕にはよくわからない。とりあえず今日はここまで。
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by nobiox | 2010-10-08 22:24 | ├自分用メモ |
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