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枡野浩一さんからトラックバックをいただきました。うれしい。
廃墟写真パクり裁判の争点

内容だけ読むと、僕の感覚では別に反論というようなものではないんだけど、アタマに「賛成でない部分にだけ反論しておきますね」とあるので、反論を無視しないというポリシーとしては反応しないわけにもいかない。だからコメントしようと思ったんだけど、枡野さんのブログは、コメントは、閉じてるのか? 有名人がコメント機能を無効にする気持ちはよくわかる。仕方ないのでここに感想を書きます。

▼「ガウディとは問題が違う」について

これは同感で、「ガウディや金閣寺とは問題が違うのだよ」ということを論理的に語る必要がある、と思いますし、そのためには「同じ写真家というフィールドで、口絵写真や記録写真としてではなく、芸術写真として写真集や写真展を行う場所で、丸田氏と類似の作品を発表したことが問題にされている」というような論では不充分じゃないかと思います。ポイントは「ロケハンも創作活動の重要な一部である」ということじゃないか、と、きのうは書きましたが、言われて気付きました。より根本的な点として「作品性を意識して廃墟を撮った先駆者」ということがあるのでした。ガウディは定番にして鉄板だが、廃墟は丸田祥三によって初めて定番となった・・・と、いうことを、「盗作かもしれない」前/後編を視聴して初めて知ったので、その点だけでも勉強になりました。

▼「NHKのあの失礼な手紙」について

自明なことをわかってない僕の方に問題があるのかも知れないが、そんなに失礼なんだろうか、という素朴な疑問に、失礼であることを自明の前提として返答され、それだけなら別にいいけど、そこに「賛成でない部分にだけ反論しておきますね」なんて書いてあると、困る。反論するなら論理で説明していただきたい。感想を言うだけなら、これは反論です、なんて書かないで欲しい。

それと、「丸田さんは他人に自分と同じ純粋さを期待してしまう人なのだ」について。ある写真に強く惹かれた人が、今度のドラマのタイトルバックをこんなイメージで、と思った場合、
1)撮った人にメールして場所を教えてくれと頼む
2)それはいくらなんでも失礼だろ、と考えて自重する
・・・これ、2が1より思慮深い、とか、謙虚だ、控えめだ、ということには同感だけど、2が1より純粋だ、と呼ぶことには違和感がある。1は(いい悪いはともかく)、めちゃめちゃ純粋な態度じゃなかろうか。純粋だから素敵だ、と持ち上げる気はないが。

▼「nobioさんは時間の経過を見逃しているのでは」について

時間軸に添って丹念に検証すれば丸田さんに同情すべき点が多々ある、のだろう。だけどそういう細かい経過を取っ払って論理構成のみを考えれば、「場所を教えたらパクられるから教えない」という人は、場所を教えたものに関しては諦めるしかないんじゃなかろうか。

・・・と、いうことを、ゆうべは書いたんだが、だがねえ、これはねえ、どうなんだろうか。言われてみると。

僕のこういう発想の根底には「裁判では細かい経過を取っ払って論理構成のみを判定すべし」という考え方があるわけだ。そういう発想の根底には「論理をこそ最も重視すべし」という感覚があるわけだ。これは僕という人間の、考えの、癖だ。僕はそういうふうに思う傾向がある。言いたくないが敢えて言葉で言うと「普遍指向」というか。

もしかすると「裁判では論理構成とかに拘泥せず、細かい経過とその人情の機微を斟酌すべきだ」と考えてもいいのかも知れない。おお、これは凄い発見だ。そう考えてみるのは、だいじなのかも知れない。「普遍指向」が絶対ではないと自覚することは、ヨメとうまくやっていく上でも、もの凄く役に立つもんな。・・・と、いうようなことを、枡野のさんのおかげで考えました。感謝します(ただ、丸田さんも物凄く「普遍指向」な人なのではないか、というようなことも、じつは、思うんだが)。それと、短歌の世界には先行作との類似問題がとても多い、という話も、なるほどー、と思いました。

ふつうなら「ツイーター」と表記しそうなところで、「ツイッター」という表記が定着したのはなぜなんだろう、というようなことも、考えた。
by nobiox | 2010-08-13 21:41 | ├自分用メモ |
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