なぜ新橋は「SHIMBASHI」か
「夏が暑く冬が寒い理由を答えなさい」という設問に対し、「地球の自転軸が傾いているから」という回答があれば、正解ってことでいいだろう。よく知らないがたぶんそうだ。同じように、「どうして新橋の英字表記はSHIMBASHIなの」という疑問に対し、「ヘボン式だから」という回答は、正解ってことでいいだろうか。

否。それは回答としてまったく不充分だ。というのが、本稿の主張です。

どちらの回答も、かなり多くのことを端折っている。前者が端折ってるのは「地軸の傾きがどういうメカニズムで四季をもたらすのか」だ。つまり、回答の「後ろ」を省いている。で、「地軸の傾きがどういうメカニズムで四季をもたらすのか」については、だいたいほとんどの現代日本人が知っている、共有された知見と言っていいだろう。端折ってるけど、まあそこは誰でも知ってることだから、いちいちくだくだしく説明しなくてもいいよ、ということで、前者は正解なのだ。

一方、後者は「前」を省いている。何故、ヘボン式である必要があるのか。そのあたりの理屈を、ほとんどの現代日本人が知っているだろうか。到底そうは思えない。

前者はあくまで「正解を知ってる大人が子供を試すための問題」であって、そもそも質問者自身は疑問になんて思ってないわけだが、後者については、疑問に思ってる大人がけっこういる。例えば質問サイトとかで、前者の疑問はまず有り得ないが、後者の疑問はたまに見る。前者はなんちゃって疑問で、後者はマジ疑問。マジ疑問は、「ヘボン式だから」では解消されない。地軸の傾きは神様が決めたことやけど、ヘボン式はちゃうやんけ。なんでヘボン式なんや。「NANBA」やとどんな不都合があるっちゅーねん難波は難波やんけ。そういう内心の声が残るのだ。後者についてもろもろの知見を共有しているのは、けっこう一部の人間に過ぎない。賢い人とは、知見を共有してない人々に対して、自分の知見を納得させられる人、のことではないのか。

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大瀧詠一ゆかりの地に、「君は天然色」という名の駅ができたとする。ローマ字表記は「KIMI-WA-TENNENSHOKU」。

ここで「ハ」の表記が「WA」であることに、一瞬疑問を持つ人はいるだろう。しかし、誰もがすぐに気付く。あ、発音通りに書くとそうなるのか、そっか、そりゃ発音通りじゃないと外人混乱するよな、だいたいローマ字併記って外人のためだもんな、と。

何故気付くのか。助詞の「は」は「WA」と発音する、というのが、日本の特殊ルールだということを、誰もが知っているからだ。

一方、シンバシの「ン」の表記が「M」であることに疑問を持つ人に、発音通りに書くとそうなるんですよ、「新宿」のンと「新橋」のンは違うでしょ、と説明しても、説明した方は正しい説明をしたと思って威張っているが、言われた方にはなるほど感がない。

何故ないのか。「SHINBASHIと書いてあったらSHIMBASHIと発音する」、というのが日本人(正確に言うと「日本語を母語とする者」)にしかできない特殊な鈍感力だということを、知らないからだ。そもそも自分がそんな自動変換をしているという、自覚すらない。指摘されれば気付くが、その指摘だけでは「外人にはできない」ということが、わからない。

多くの日本人は「RIP」と「LIP」を聞き分けられないが、それでも「RとLを書き間違えたら外人さんに通じない」ということぐらいは、大抵理解している。それに比べて、「MがNと書いてあったら外人さんは困惑する」は、知らない人が多いのではないか。たいていの日本人は新橋を SHIMBASHI と発音している、と聞かされても、「PEN PAL」という文字列を「PEMPAL」と発音できてしまうのは地球上で日本人だけ、ということを知らないと、「SHINBASHI でいいじゃん?」「SHINBASHI だって発音通りじゃん?」という疑問は消えない。

結論。「なぜ新橋はSHIMBASHIか」というマジ疑問に対する返答には、NとMをめぐる日本人の特異性についての説明が、必須である。それを抜かすのは、例えば「おかずは英語でなんていうの」という質問に「欧米にはそもそも "主食とおかず" という概念がない」という根本を抜かして「おかずは side dish」と答えるようなものだ。と、本稿は主張します。おしまい。

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ちなみに言うまでもなく、「おかずはside dish」とすると、「じゃあ main dish はごはんかよっ」という問題が生じる。

この記事はもともと、2009年10月25日にポストしたものですが、今回全面改稿を機に日付を改めました。こっから下は読まなくていい(くだくだしくて読む価値がない)です。ただ、すでにコメントいただいている記事をまるっと書き変えるのは梯子を外すようで申し訳ないので、仕方なく、以下も残しておきます。





ちょっと長いけど後付けの要約:
よく聞く回答に「ヘボン式だから」というのがあるけど、その回答で「あ、なるほどヘボン式だからなんだ」となる人は、そもそも「なぜ新橋はSHIMBASHIか」という疑問を抱かないと思う。テストだったら「ヘボン式だから」で正解かも知れないが、この疑問を抱く人に対しては、役に立たない回答だ。僕がテストの採点者だったらバツにします。僕が採点者だったら、土田晃之が池上彰に言われて、「あ、なるほどそういうことか、」となるような説明でなければ、正解と認めない。

「単に発音通りに表記するとそうなるんだよ」という回答もよく見かける。たしかにそうだ。この疑問を抱く人は、「しんじゅく」の「ん」と「しんばし」の「ん」は発音が違う、という認識が、ない可能性が高い。だから例えば「新歓コンパ」と発音させてみて、「新歓コンパと発音する間に、あなたは何回唇を閉じたか」「SHIMKAMKOMPAやSHINKANKONPAが如何に発音しにくいか」などを体感させるところから始めるのがよい、でありましょう。

ただしかし、ところで。

発音通りに表記するとSHIMBASHI、ということさえ知れば、土田晃之の疑問は氷解するだろうか。否。しない。これも回答として不充分だ。何故ならほとんどの「日本語を母語とする者」は、「発音通りじゃない表記」を「表記通りじゃなく発音すること」に、違和感まったくないからだ。SHINBASHIで困らない。困ってない。むしろ「SHIMBASHI」に「シムバシかよっ!」という違和感を抱く。だから「SHINBASHIでいいじゃん。なんでその、ヘボン式とやらにしなきゃならんの? さいしょからそれを聞いてんじゃん」という疑問は、1ミリも解決していない。「何故、発音通りに表記しなきゃならんのか」、が、通常の地球人にはわかるんだろうが、通常の日本人にはわからない。

だからこの疑問を抱く日本人に対しては、「NとMを発音上区別しないのは世界中で日本人くらい。例えば『PEN-PAL』を『PEMPAL』と発音できる(平然とそう読んで疑問を感じない)のは世界中で日本人くらいだし、同様に『SHINBASHI 』という綴りを見て『SHIMBASHI』と発音できる(平然とそう発音して疑問を感じない)のも世界中で日本人だけ。SHINBASHI だと日本人は困らないが外国人が困る。そして駅名のルビは主に外国人向けにある」、という説明が、必須である。

イヤそんなことないだろ、と思われる方は御教示ください。ちょっと長いけど後付けの要約終わり。

この要約だけで充分なので、以下は読まなくていい(読む価値がない)です。ただ、すでにコメントいただいている記事をまるっと書き変えるのは梯子を外すようで申し訳ないので、仕方なく、以下も残しておきます。









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なぜ新橋は「SHIMBASHI」か、なぜ難波は「NAMBA」なのか、知っているつもりだが、しかし、完璧に説明することができない。もう20年くらい考えてるんだけど。

ネット上を検索すると、なぜ新橋は「SHIMBASHI」か、解説は山ほど見つかる。例えば「ヘボン式ではBとPとMの直前のンはMと表記する。そういう決まりだからだ」とか。「昭和22年7月26日付けの鉄道掲示規程によるのだ」とか。「ヘボン式とは英語式表記だからだ」とか。「西ヨーロッパ言語では、BやPの前の "ん" はMになるという法則がある」とか。「単に発音通りに表記するとそうなるんだよ」とか。なるほどどれも正しい。しかし、ぜんぜん満足できない。

以上の説明にはどれも、カンジンカナメの大前提が抜けている。「駅名表示のルビは基本的に外国人のためにある」ということだ。日本人向けのルビなら、「SHINBASHI」あるいは「SINBASI」の方が自然だという考えも成り立つ。間違いではないだろう。が、駅名表示のルビは基本的に、日本語が読めない人のためにある。

BやPの前の "ん" はMになるという法則は韓国語にも中国語にもあるし、発音に限って言えば日本語にもあるんだから、西ヨーロッパうんぬんもヘボン式うんぬんも必要ないと思う。この問題についての説明には、それより、以下の要素が含まれていなくてはならない。

・日本語を母語とする者は「ン」を「N」と発音したり「M」と発音したりしている。
・日本語を母語とする者にはその自覚がなく、「N」と「M」を意識の上では区別していない。
・「N」と「M」を区別しない言語は世界的に稀だ。日本人以外のほぼすべての地球人はそれを区別する。
・駅名表示のルビは基本的に外国人のためにある。

要するに、「なぜ新橋はSHIMBASHIか」を語るなら、「なぜ日本人だけがSHIMBASHIという表記に違和感を覚えるのか」も述べなくては、説明として不十分だと思う。以上を踏まえて説明を試みる。


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写真を撮る時に「Cheese!」と言うのは「イー」を発音する時の唇のかたちが笑った唇のかたちに似てるからであって、「CHI-ZU」と発音しながら「ウ」の瞬間にシャッターを押す日本の風習は世界的に稀である。あれなら「1足す1は?」「ニー」の方がいいんじゃないかと思うが、日本女子が世界でも稀な「アヒル口好き」なのは、もしかして子供の頃からシャッターを押す瞬間に「ズ」を発音し続けて来た結果なのかも知れない。まあそれはぜんぜん関係ないんだが。


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日本人は「ジャンプ」と書いて「JAPU」と発音するし、「pen pal」を無意識に「pepal」と読む(解説1)。また、「」と1文字書いたものを見せて読みを問うと、大抵の日本人は何故かくちびるを閉じて「」と発音する。同様に、日本人は「SHIBASHI」と書いてあれば自覚もなしに「SHIBASHI」と発音する(いや、オレは「SHIBASHI」と発音するぜ? というあなた、それはどうでもいいのです。この話のポイントは、発音「SHIBASHI」と発音「SHIBASHI」を、あなたはともかく、多くの日本人は区別しない、ということです。RとLを区別できないのと同じように)。日本人はNとMに関して、よく言えば柔軟、悪く言えば鈍感で無節操と言える。これは、世界中を見渡してもけっこう特異なことらしい。

要するに、「PEN-PAL」を「PEMPAL」と発音できる(平然とそう読んで疑問を感じない)のはこの世で日本人(正確に言うと、日本語を母語とする者)だけ、ということだ。

日本人以外のほぼすべての地球人は、「SHINBASHI」と書いてあったら律儀に「SHIBASHI」と読む。発音しにくい地名だなあ、と思っていると、なんと、日本人たちは平然と「SHIBASHI」と発音しているではないか。平然と言うべきか、柔軟と言うべきか、鈍感にも、と言うべきか。なんだよ、なんでMと発音するくせにNって書くんだよ、イジワルすんなよ、と、そういうことになる。

「SHIBASHI」と書くと多くの日本人は「シムバシかよっ!」という違和感を持つのだが、駅名表示のルビは基本的に外国人のためにあるので、外国人がとまどわないように発音通りに表記するのだ。


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ただ、SHIMBASHIという表記はあくまでもひとつの便法であって、決して唯一の正解とかではない。発音と表記の不統一はけしからん、なんてことを言い出したら、我々だって英語に対して、言いたいことは山ほどあるのだ。「PHは全部Fに統一しろよ」「なんでEYEと書いてアイなんだよ」「CLIMBとかBOMBとかの語尾のBってなんなの、発音しないなら書くなよ」「つか、英語の駅はなんでおれら向けにルビ振っといてくんないの?」などなど。この手の問題に正解はない。「ANPANMAN」や「KINBASHA」が間違いで、本当はMが正しい、というような考えがあるとすれば、私見ではそれは「中二病」と呼びたい。

以上、説明終わり。自分史上ではいちばんマシな説明ですが、もっといいのがあったらコメント欄でお願いします。


(解説1):常識だと思うがいちおう説明する。バ行・パ行・マ行を発音するには、腹話術の熟練者を例外として、必ず一度くちびるを閉じる必要がある。「まみむめも」と言う間に、くちびるは5度閉じる。こういうのを「有声両唇破裂音」とか「有声両唇摩擦音」とか「閉鎖密着度の弱い有声両唇破裂音」と呼ぶんだそうだけど、まあとにかくくちびるを閉じるのだ。

くちびるを閉じる音の直前に「ん」が来る場合、予備動作的に「ん」もくちびるを閉じて発音される、という現象がある。その方が楽だから。この現象は世界中の言語で見られる。例えば「JUP」、「MEBER」とか。

註:主な「ン」は「N」「M」「ng」の3種類ある(主な、というのは日本語に多く出現するという意味ではなく、「N」「M」「ng」はメジャーな言語の多くで区別されている、ということ)。標準的な日本人が発音する「免許」「関係」「韓国」の「ン」は多くの場合、発音記号(?)で書くと「ng」だそうだ。僕の耳ではわからんけど、普通の韓国人にはわかるらしい。さらに言えば、例えば「パンダ」の「ン」と「パン粉」の「ン」と「パン屋」の「ン」では舌の位置や喉のかたちが違うはずで、厳密に言えば「ン」は何種類もあるということになる。何故か「ん」は、直前ではなく直後の音に影響されるんですね。何故だろう。

後記:さる筋から「なぜ日本人だけがSHIMBASHIという表記に違和感を覚えるのか、ぜんぜん説明がねーじゃん」というツッコミをいただき、うむ、たしかにそうかも、と思わないでもないでもないので、それについてちょっと書きます。

ええと、まず、知ってる人にとっては常識だが知らない人はあっと驚く、衝撃の事実を教えましょう。日本語の、漢字の、音読みは、すべて1文字1音節または2音節であり、音読みで1文字3音節以上の読みを持つ漢字はひとつとして存在しない。「ヒョウ・キ」「イ・ワ・カン」「セツ・メイ」「ジョウ・シキ」「ソン・ザイ」。すべて、漢字1文字2音以内でしょう。逆に言うと、1文字3音節以上の読みは自動的に訓読みと判断して間違いない。例えば「サクラ」とか。僕はこのことを、歴史に埋もれた幻の名著「これが日本語に最適なキーボードだ( 森田正典著)」で30年前に知りました。

何故か。実は中国人にとっては漢字というのはすべて、日本人にとってのひらがな同様、1文字1音節(あるいは1.5音節)なんですね。いや知らないけど、「これが日本語に最適なキーボードだ」にはそう書いてあった。例えば「質」という字の読みは、発音記号で書くと「sit」なんだそうだ。この後ろの「t」。これは日本語の発音体系には存在しない。だからこれを日本語化するに当たって、子音「U」を補う。というか勝手に付け足す。すると「シツ」という2音の読みになる。あるいは場合によっては子音「I」を付け足し、「シチ」と読んだりもする(ちなみにこの名著によると2音節の読みの2音節めは「イ・ウ・キ・ク・チ・ツ・ン」の7通りしかないそうです)(ちなみに強いて言えばひとつだけ例外があり、それは「ウマ」。ウマというのは『馬』の大陸読み『マ』が転訛したものなので、「強いて言えばある意味で音読み」なんだそうだ)。

で、英語なんかを日本語化する場合も同じことで、「cake」に「U」を付け足して「ケイク」、「I」を付け足して「ケーキ」とか。同様に、単独の「M」を見たらそこに「U」を補うことに、日本人は慣れてるんですね。「team」を「CHIーMU」と読んだりとか。だからSHIMBASHIを「シムバシ」と読みたくなってしまう、んだと思います。終わり。

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by nobiox | 2016-04-06 17:42 | ├自分用メモ |
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