コメント承認制について
コメントは承認制にしてるんですが、それはスパムコメント対策です。スパムコメントというのは主に「記事内容に無関係な意味不明のセックス出会い系サイトへの誘導コメント」と、「ロシア語らしき謎のコメント」です。ブログ主はたまにしかブログを覗かないので、そのたびに何件もたまってるスパムコメントを目にし、削除するのが面倒くさいので。なので、多少なりとも記事内容に関係あるコメントであれば、どんなに攻撃的でもどんなに批判的でもどんなに罵倒でもどんなにバカっぽくても、自動的に承認します。いや自動ではなく、たまにしか覗かない手動ですが。
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# by nobiox | 2016-05-17 20:38 | Trackback | Comments(0) |
なぜ新橋は「SHIMBASHI」か
「夏が暑く冬が寒い理由を答えなさい」という設問に対し、「地球の自転軸が傾いているから」という回答があれば、正解ってことでいいだろう。よく知らないがたぶんそうだ。同じように、「どうして新橋の英字表記はSHIMBASHIなの」という疑問に対し、「ヘボン式だから」という回答は、正解ってことでいいだろうか。

否。それは回答としてまったく不充分だ。というのが、本稿の主張です。

どちらの回答も、かなり多くのことを端折っている。前者が端折ってるのは「地軸の傾きがどういうメカニズムで四季をもたらすのか」だ。つまり、回答の「後ろ」を省いている。で、「地軸の傾きがどういうメカニズムで四季をもたらすのか」については、だいたいほとんどの現代日本人が知っている、共有された知見と言っていいだろう。端折ってるけど、まあそこは誰でも知ってることだから、いちいちくだくだしく説明しなくてもいいよ、ということで、前者は正解なのだ。

一方、後者は「前」を省いている。何故、ヘボン式である必要があるのか。そのあたりの理屈を、ほとんどの現代日本人が知っているだろうか。到底そうは思えない。

前者はあくまで「正解を知ってる大人が子供を試すための問題」であって、そもそも質問者自身は疑問になんて思ってないわけだが、後者については、疑問に思ってる大人がけっこういる。例えば質問サイトとかで、前者の疑問はまず有り得ないが、後者の疑問はたまに見る。前者はなんちゃって疑問で、後者はマジ疑問。マジ疑問は、「ヘボン式だから」では解消されない。地軸の傾きは神様が決めたことやけど、ヘボン式はちゃうやんけ。なんでヘボン式なんや。「NANBA」やとどんな不都合があるっちゅーねん難波は難波やんけ。そういう内心の声が残るのだ。後者についてもろもろの知見を共有しているのは、けっこう一部の人間に過ぎない。賢い人とは、知見を共有してない人々に対して、自分の知見を納得させられる人、のことではないのか。

◆◆

大瀧詠一ゆかりの地に、「君は天然色」という名の駅ができたとする。ローマ字表記は「KIMI-WA-TENNENSHOKU」。

ここで「ハ」の表記が「WA」であることに、一瞬疑問を持つ人はいるだろう。しかし、誰もがすぐに気付く。あ、発音通りに書くとそうなるのか、そっか、そりゃ発音通りじゃないと外人混乱するよな、だいたいローマ字併記って外人のためだもんな、と。

何故気付くのか。助詞の「は」は「WA」と発音する、というのが、日本の特殊ルールだということを、誰もが知っているからだ。

一方、シンバシの「ン」の表記が「M」であることに疑問を持つ人に、発音通りに書くとそうなるんですよ、「新宿」のンと「新橋」のンは違うでしょ、と説明しても、説明した方は正しい説明をしたと思って威張っているが、言われた方にはなるほど感がない。

何故ないのか。「SHINBASHIと書いてあったらSHIMBASHIと発音する」、というのが日本人(正確に言うと「日本語を母語とする者」)にしかできない特殊な鈍感力だということを、知らないからだ。そもそも自分がそんな自動変換をしているという、自覚すらない。指摘されれば気付くが、その指摘だけでは「外人にはできない」ということが、わからない。

多くの日本人は「RIP」と「LIP」を聞き分けられないが、それでも「RとLを書き間違えたら外人さんに通じない」ということぐらいは、大抵理解している。それに比べて、「MがNと書いてあったら外人さんは困惑する」は、知らない人が多いのではないか。たいていの日本人は新橋を SHIMBASHI と発音している、と聞かされても、「PEN PAL」という文字列を「PEMPAL」と発音できてしまうのは地球上で日本人だけ、ということを知らないと、「SHINBASHI でいいじゃん?」「SHINBASHI だって発音通りじゃん?」という疑問は消えない。

結論。「なぜ新橋はSHIMBASHIか」というマジ疑問に対する返答には、NとMをめぐる日本人の特異性についての説明が、必須である。それを抜かすのは、例えば「おかずは英語でなんていうの」という質問に「欧米にはそもそも "主食とおかず" という概念がない」という根本を抜かして「おかずは side dish」と答えるようなものだ。と、本稿は主張します。おしまい。

◆◆

ちなみに言うまでもなく、「おかずはside dish」とすると、「じゃあ main dish はごはんかよっ」という問題が生じる。

この記事はもともと、2009年10月25日にポストしたものですが、今回全面改稿を機に日付を改めました。こっから下は読まなくていい(くだくだしくて読む価値がない)です。ただ、すでにコメントいただいている記事をまるっと書き変えるのは梯子を外すようで申し訳ないので、仕方なく、以下も残しておきます。





ちょっと長いけど後付けの要約:
よく聞く回答に「ヘボン式だから」というのがあるけど、その回答で「あ、なるほどヘボン式だからなんだ」となる人は、そもそも「なぜ新橋はSHIMBASHIか」という疑問を抱かないと思う。テストだったら「ヘボン式だから」で正解かも知れないが、この疑問を抱く人に対しては、役に立たない回答だ。僕がテストの採点者だったらバツにします。僕が採点者だったら、土田晃之が池上彰に言われて、「あ、なるほどそういうことか、」となるような説明でなければ、正解と認めない。

「単に発音通りに表記するとそうなるんだよ」という回答もよく見かける。たしかにそうだ。この疑問を抱く人は、「しんじゅく」の「ん」と「しんばし」の「ん」は発音が違う、という認識が、ない可能性が高い。だから例えば「新歓コンパ」と発音させてみて、「新歓コンパと発音する間に、あなたは何回唇を閉じたか」「SHIMKAMKOMPAやSHINKANKONPAが如何に発音しにくいか」などを体感させるところから始めるのがよい、でありましょう。

ただしかし、ところで。

発音通りに表記するとSHIMBASHI、ということさえ知れば、土田晃之の疑問は氷解するだろうか。否。しない。これも回答として不充分だ。何故ならほとんどの「日本語を母語とする者」は、「発音通りじゃない表記」を「表記通りじゃなく発音すること」に、違和感まったくないからだ。SHINBASHIで困らない。困ってない。むしろ「SHIMBASHI」に「シムバシかよっ!」という違和感を抱く。だから「SHINBASHIでいいじゃん。なんでその、ヘボン式とやらにしなきゃならんの? さいしょからそれを聞いてんじゃん」という疑問は、1ミリも解決していない。「何故、発音通りに表記しなきゃならんのか」、が、通常の地球人にはわかるんだろうが、通常の日本人にはわからない。

だからこの疑問を抱く日本人に対しては、「NとMを発音上区別しないのは世界中で日本人くらい。例えば『PEN-PAL』を『PEMPAL』と発音できる(平然とそう読んで疑問を感じない)のは世界中で日本人くらいだし、同様に『SHINBASHI 』という綴りを見て『SHIMBASHI』と発音できる(平然とそう発音して疑問を感じない)のも世界中で日本人だけ。SHINBASHI だと日本人は困らないが外国人が困る。そして駅名のルビは主に外国人向けにある」、という説明が、必須である。

イヤそんなことないだろ、と思われる方は御教示ください。ちょっと長いけど後付けの要約終わり。

この要約だけで充分なので、以下は読まなくていい(読む価値がない)です。ただ、すでにコメントいただいている記事をまるっと書き変えるのは梯子を外すようで申し訳ないので、仕方なく、以下も残しておきます。









◆◆

なぜ新橋は「SHIMBASHI」か、なぜ難波は「NAMBA」なのか、知っているつもりだが、しかし、完璧に説明することができない。もう20年くらい考えてるんだけど。

ネット上を検索すると、なぜ新橋は「SHIMBASHI」か、解説は山ほど見つかる。例えば「ヘボン式ではBとPとMの直前のンはMと表記する。そういう決まりだからだ」とか。「昭和22年7月26日付けの鉄道掲示規程によるのだ」とか。「ヘボン式とは英語式表記だからだ」とか。「西ヨーロッパ言語では、BやPの前の "ん" はMになるという法則がある」とか。「単に発音通りに表記するとそうなるんだよ」とか。なるほどどれも正しい。しかし、ぜんぜん満足できない。

以上の説明にはどれも、カンジンカナメの大前提が抜けている。「駅名表示のルビは基本的に外国人のためにある」ということだ。日本人向けのルビなら、「SHINBASHI」あるいは「SINBASI」の方が自然だという考えも成り立つ。間違いではないだろう。が、駅名表示のルビは基本的に、日本語が読めない人のためにある。

BやPの前の "ん" はMになるという法則は韓国語にも中国語にもあるし、発音に限って言えば日本語にもあるんだから、西ヨーロッパうんぬんもヘボン式うんぬんも必要ないと思う。この問題についての説明には、それより、以下の要素が含まれていなくてはならない。

・日本語を母語とする者は「ン」を「N」と発音したり「M」と発音したりしている。
・日本語を母語とする者にはその自覚がなく、「N」と「M」を意識の上では区別していない。
・「N」と「M」を区別しない言語は世界的に稀だ。日本人以外のほぼすべての地球人はそれを区別する。
・駅名表示のルビは基本的に外国人のためにある。

要するに、「なぜ新橋はSHIMBASHIか」を語るなら、「なぜ日本人だけがSHIMBASHIという表記に違和感を覚えるのか」も述べなくては、説明として不十分だと思う。以上を踏まえて説明を試みる。


◆◆

写真を撮る時に「Cheese!」と言うのは「イー」を発音する時の唇のかたちが笑った唇のかたちに似てるからであって、「CHI-ZU」と発音しながら「ウ」の瞬間にシャッターを押す日本の風習は世界的に稀である。あれなら「1足す1は?」「ニー」の方がいいんじゃないかと思うが、日本女子が世界でも稀な「アヒル口好き」なのは、もしかして子供の頃からシャッターを押す瞬間に「ズ」を発音し続けて来た結果なのかも知れない。まあそれはぜんぜん関係ないんだが。


◆◆

日本人は「ジャンプ」と書いて「JAPU」と発音するし、「pen pal」を無意識に「pepal」と読む(解説1)。また、「」と1文字書いたものを見せて読みを問うと、大抵の日本人は何故かくちびるを閉じて「」と発音する。同様に、日本人は「SHIBASHI」と書いてあれば自覚もなしに「SHIBASHI」と発音する(いや、オレは「SHIBASHI」と発音するぜ? というあなた、それはどうでもいいのです。この話のポイントは、発音「SHIBASHI」と発音「SHIBASHI」を、あなたはともかく、多くの日本人は区別しない、ということです。RとLを区別できないのと同じように)。日本人はNとMに関して、よく言えば柔軟、悪く言えば鈍感で無節操と言える。これは、世界中を見渡してもけっこう特異なことらしい。

要するに、「PEN-PAL」を「PEMPAL」と発音できる(平然とそう読んで疑問を感じない)のはこの世で日本人(正確に言うと、日本語を母語とする者)だけ、ということだ。

日本人以外のほぼすべての地球人は、「SHINBASHI」と書いてあったら律儀に「SHIBASHI」と読む。発音しにくい地名だなあ、と思っていると、なんと、日本人たちは平然と「SHIBASHI」と発音しているではないか。平然と言うべきか、柔軟と言うべきか、鈍感にも、と言うべきか。なんだよ、なんでMと発音するくせにNって書くんだよ、イジワルすんなよ、と、そういうことになる。

「SHIBASHI」と書くと多くの日本人は「シムバシかよっ!」という違和感を持つのだが、駅名表示のルビは基本的に外国人のためにあるので、外国人がとまどわないように発音通りに表記するのだ。


◆◆

ただ、SHIMBASHIという表記はあくまでもひとつの便法であって、決して唯一の正解とかではない。発音と表記の不統一はけしからん、なんてことを言い出したら、我々だって英語に対して、言いたいことは山ほどあるのだ。「PHは全部Fに統一しろよ」「なんでEYEと書いてアイなんだよ」「CLIMBとかBOMBとかの語尾のBってなんなの、発音しないなら書くなよ」「つか、英語の駅はなんでおれら向けにルビ振っといてくんないの?」などなど。この手の問題に正解はない。「ANPANMAN」や「KINBASHA」が間違いで、本当はMが正しい、というような考えがあるとすれば、私見ではそれは「中二病」と呼びたい。

以上、説明終わり。自分史上ではいちばんマシな説明ですが、もっといいのがあったらコメント欄でお願いします。


(解説1):常識だと思うがいちおう説明する。バ行・パ行・マ行を発音するには、腹話術の熟練者を例外として、必ず一度くちびるを閉じる必要がある。「まみむめも」と言う間に、くちびるは5度閉じる。こういうのを「有声両唇破裂音」とか「有声両唇摩擦音」とか「閉鎖密着度の弱い有声両唇破裂音」と呼ぶんだそうだけど、まあとにかくくちびるを閉じるのだ。

くちびるを閉じる音の直前に「ん」が来る場合、予備動作的に「ん」もくちびるを閉じて発音される、という現象がある。その方が楽だから。この現象は世界中の言語で見られる。例えば「JUP」、「MEBER」とか。

註:主な「ン」は「N」「M」「ng」の3種類ある(主な、というのは日本語に多く出現するという意味ではなく、「N」「M」「ng」はメジャーな言語の多くで区別されている、ということ)。標準的な日本人が発音する「免許」「関係」「韓国」の「ン」は多くの場合、発音記号(?)で書くと「ng」だそうだ。僕の耳ではわからんけど、普通の韓国人にはわかるらしい。さらに言えば、例えば「パンダ」の「ン」と「パン粉」の「ン」と「パン屋」の「ン」では舌の位置や喉のかたちが違うはずで、厳密に言えば「ン」は何種類もあるということになる。何故か「ん」は、直前ではなく直後の音に影響されるんですね。何故だろう。

後記:さる筋から「なぜ日本人だけがSHIMBASHIという表記に違和感を覚えるのか、ぜんぜん説明がねーじゃん」というツッコミをいただき、うむ、たしかにそうかも、と思わないでもないでもないので、それについてちょっと書きます。

ええと、まず、知ってる人にとっては常識だが知らない人はあっと驚く、衝撃の事実を教えましょう。日本語の、漢字の、音読みは、すべて1文字1音節または2音節であり、音読みで1文字3音節以上の読みを持つ漢字はひとつとして存在しない。「ヒョウ・キ」「イ・ワ・カン」「セツ・メイ」「ジョウ・シキ」「ソン・ザイ」。すべて、漢字1文字2音以内でしょう。逆に言うと、1文字3音節以上の読みは自動的に訓読みと判断して間違いない。例えば「サクラ」とか。僕はこのことを、歴史に埋もれた幻の名著「これが日本語に最適なキーボードだ( 森田正典著)」で30年前に知りました。

何故か。実は中国人にとっては漢字というのはすべて、日本人にとってのひらがな同様、1文字1音節(あるいは1.5音節)なんですね。いや知らないけど、「これが日本語に最適なキーボードだ」にはそう書いてあった。例えば「質」という字の読みは、発音記号で書くと「sit」なんだそうだ。この後ろの「t」。これは日本語の発音体系には存在しない。だからこれを日本語化するに当たって、子音「U」を補う。というか勝手に付け足す。すると「シツ」という2音の読みになる。あるいは場合によっては子音「I」を付け足し、「シチ」と読んだりもする(ちなみにこの名著によると2音節の読みの2音節めは「イ・ウ・キ・ク・チ・ツ・ン」の7通りしかないそうです)(ちなみに強いて言えばひとつだけ例外があり、それは「ウマ」。ウマというのは『馬』の大陸読み『マ』が転訛したものなので、「強いて言えばある意味で音読み」なんだそうだ)。

で、英語なんかを日本語化する場合も同じことで、「cake」に「U」を付け足して「ケイク」、「I」を付け足して「ケーキ」とか。同様に、単独の「M」を見たらそこに「U」を補うことに、日本人は慣れてるんですね。「team」を「CHIーMU」と読んだりとか。だからSHIMBASHIを「シムバシ」と読みたくなってしまう、んだと思います。終わり。

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# by nobiox | 2016-04-06 17:42 | ├自分用メモ | Trackback | Comments(11) |
Markdown 記法ってなんやねん、というあなたへ(布教)
(ここに書くことは Mac OS X 前提ですが、使うアプリがそうだというだけで、Markdown記法自体はMacでもWindowsでも同じです)

◆◆

以前、Macのcontrolキーについて調べていたら、するぷさんのブログにたどりつきました。よい情報をありがとうございます。試しにするぷさんのこの記事を、Markdown記法で保存してみます。

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↑愛用のテキストエディタ「mi」にコピペして、デスクトップに作ったフォルダ「control_key」に、ファイル名「control_key.md」で保存したところ。拡張子はべつに「.txt」でもいいんですが、この方がちょっと気分出るので。写真はクリックで拡大表示します。テキスト内の赤い線はタブ。違いが分かりにくいですが赤い極小点が半角スペース。個人的に要らない行はカットしました。画像の通り、さらに「img」というフォルダを作り、そこに写真も保存しました。

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↑先頭を空けて、1行目に写真をドラッグすると、、、

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↑一瞬でこうなります。これはデフォルトでこうなってるわけではなく、mi の「モード設定」で、こうなるように仕込んでます。

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↑次にコーヒーカップのボタンを押します。

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↑ほぼ一瞬でこうなります。あまり違ってないように見えますが、ほぼ一瞬で何が実行されたかというと、1)タブ記号が含まれる行の行頭と行末に「|」を付加。2)タブ記号をすべて「|」に置換。3)「|」以外で終わるすべての行末に半角スペースふたつを付加、です。

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↑仕上げにちょこちょこと手を入れて完成です。私はモタモタさんなのでここの仕上げは1分以上かかったかもしれませんが、それでも最初のコピペから数えて2分は経ってないと思います。

ただしかしこれの何が完成やねん、という感じですが、ええと、「Markdown 記法によるマークアップの完成」です。マークアップというのはですね、「テキストに意味を指定すること」です。「ここは見出しやでえ」とか、「ここは表組みやでえ」とか。マークアップ言語というのは一般に、「舞台裏でテキストをマークアップして、オモテの顔はブラウザで閲覧する」というような形式を取ります。(代表的なマークアップ言語はHTML。「.html」という拡張子、見たことあるでしょう)。これはMarkdownのウラの顔。まあ、設計図と言いますか。mi には Markdownを閲覧する機能はないので、私の場合は「Marked」というMarkdown ビュワーアプリを使ってます。では、オモテの顔を見てみましょう。

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↑「Marked」ボタンを押します。ショートカット「command + R」でも同じです。

c0070938_2142741.png
↑すると Marked が起動して、同ファイルをレビューします。これがオモテの顔です。「Word でいいやん」と思われたあなた、おっしゃる通りです。Word 使ってください。いいと思います。

Marked では、本文や見出しや表組みの書体、サイズ、色、行間、リンクの文字色、前後のアキ、全体の上下左右の余白などなどは、CSS をいじれば好きなように仕込み可能です。Markdownで個人的に特に気に入ってるのは、余白(特に左右の)を設定できるところです。なんでテキストエディタってウィンドウぎりぎりから始めるのばっかで、余白の指定ができないんでしょうか(「Byword」を除く)。この画面で「command + E」を押すと、逆に mi で舞台裏を表示します。EはエディットのE。編集モード。


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↑これは買ったハードウェアの個人的メモ。画面右下、歯車の左のボタンを押すと、こんな感じで大見出し中見出し小見出しの一覧がポップアップして、選んだ見出しへ飛べます。アウトライン機能、と呼ぶそうです。便利。

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↑mi にも同様の機能があります。ジャンプ機能。

↑Markdown記法は一般に普及しているとは言い難いので、他人にそのまま送るのは危険です。Markedには「HTML」「PDF」「RTF」で書き出す機能があるので、その点安心です。

◆◆

「Marked」は安いながらも一応有料なので、最初はフリーの「MacDown」で様子を見るといいと思います。MacDownは左半分が編集エリア、右がリアルタイムプレビューエリアとなっており、MacDownでMarkdown書くには mi は不要です。

◆◆

Markdown記法の最大のおすすめポイントは、簡単ってことです。覚えるべきことが、A4用紙2枚に悠々収まる。すぐ覚えられるし、逆に言うとA4用紙2枚をそのつど参照すればいいんだから、むしろ覚える必要すらない。

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↑ウチでは、ツールバーの赤い本のアイコンをクリックすると、

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↑自分用のアンチョコが開くように仕込んであります。

↓アンチョコテキストを公開します。
・見出し:行頭に「#」。「#」の数は1から6。
・改行:行末に半角スペースふたつ。
・改段:1行空ける。2行以上は無視されるので、さらに空けたい場合は<br>とか。
・強調:「**」か「_」で囲む。
・罫線:「***」あるいは「---」あるいは「____」(と半角スペース)のみの行
(みっつでなくても、みっつ以上なら可。ただし Marked は非対応の模様)

■画像
![代替テキスト](相対パス)。

●画像(サイズ指定)
<img src="相対パス" width="140" height="100">

■リンク
[リンク文字列](http://hogehoge)
●画像でリンク
[![代替テキスト](画像のパス)](http://google.com/)
●内部リンク
[リンク文字列](#post001) で「<div id="post001">」にリンク
●脚注リンク
[^1] で「[^1]:説明」にリンク。後者は前後に1行アキ必須。どこに置いても文書末に表示される。

■テーブル(前後に1行アキ必須)

|ここに|項目を|入れます|
|:-|:-|:-|
|昨日|今日|明日|
|ボールペン|シャープペン|万年筆|
|iPhone|iPad|MacBook|

■リスト(前後に1行アキ必須)
行頭に「*」「-」「+」プラス半角スペース。
ネット上には、この半角スペースの必要性を説明してない記述が多い。
「数字プラスピリオドプラス半角アキ」で数字付きリスト。
前後に1行アキ必須。

■引用(前後に1行アキ必須)
行頭に「>」。<blockquote></blockquote>の方が安定してるかも。

■カスタム
<span style="font-size:16pt; border: 1px red solid; padding: 4px;">Big</span>
<span style="color:red;">RED</span>



mi や Marked の仕込み方については、いずれまた。
今週も街の巨匠に感謝。

*マークダウン記法がブログや議事録、思考整理にめちゃ便利だったので入門記事を書いてみる(布教) | sakedrink.info
*ぼくのかんがえたさいきょうの Markdown かんきょう - モトクロスとプログラムと粉砕骨折と
*Macでmarkdownを書くときの環境 - よんちゅBlog
*文章作成やメモ書きにも便利、Markdown記法|Web Design KOJIKA17
*Marked 1.3.3 -Blog //ヴォルフロッシュ
*CotEditor用シンタックス定義 -Goodies -Works //ヴォルフロッシュ
*CotEditorでMarkdown -Blog //ヴォルフロッシュ
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# by nobiox | 2016-02-03 02:39 | Trackback | Comments(0) |
Mac OS X のオーソドックスなトラブルシューティング
Mac OS X が「なんかおかしい」場合、一般的に有効な対処法11種類のメモ。

1)再起動
2)関連の初期設定ファイルを捨ててから再起動
3)アクセス権の修復とディスクの検証
4)セーフブート
5)シングルユーザモードでのブート
6)Time Machine で過去に戻る
-----------------------------------
101)PRAMクリア
102)AHT(アップル・ハードウェア・テスト)
103)別ユーザでログイン
-----------------------------------
998)OS を上書きインストール
999)初期化して OS を新規インストール
-----------------------------------

他にもいろいろあるでしょうが、とりあえず以上について説明します。


1)再起動


基本です。メニューバー左端のリンゴマークから「再起動...」を選択。


2)関連の初期設定ファイルを捨ててから再起動


まずこのカギカッコ内の文字列→「~/Library/Preferences/」をコピーする。Finderをアクティブにして、メニューバー→「移動」→「フォルダへ移動...」を選択し、「フォルダの場所を入力...」に先の文字列をペーストして「移動」ボタンを押すと、「Preferences」フォルダが表示される。そこには大量の、拡張子「.plist」のファイルが格納されている。「plist」とはたぶん「Property List」の略。例えば「Finderが不安定」「デスクトップの表示がおかしい」「ファイル名が変」とかなら、Finder 関連の初期設定ファイル、「com.apple.desktop.plist」と「com.apple.finder.plist」をゴミ箱に捨ててシステムを再起動してみると、直る場合がある。関連ファイルかどうかはファイル名で判断する。ちなみにファイル名は「com.会社名.アプリ名.plist」というカタチをしてることが多い。例えば「FontExplorerX.app」の初期設定ファイルは「com.linotype.FontExplorerX.plist」。


3)アクセス権の修復


アクセス権の修復は、やり過ぎて悪いということはないので、たまに(毎月とか、年に4回とか)やるとよい。アクセス権とはなんぞや、というようなことは考えても無駄なので、気にしなくてよい。Spotlight(メニューバー右端の虫眼鏡マーク)をクリックして出て来る入力フィールドに、英数モードで「disk utility」あるいは「diskutility」と入力。通常「disk」辺りまで打ち込んだ時点で「ディスクユーティリティ」というアプリが候補に出て来るので、それを選択。ディスクユーティリティが起動する。ディスクユーティリティのウィンドウの左ペインでディスクを選択し、右ペインで「First Aid」を選択すると「アクセス権を検証」「アクセス権を修復」というボタンが有効になる。経験上、ウチの環境では「修復」を押せば「検証と修復」が実行されるので、検証は飛ばしていきなり「修復」を押す。終わると大抵は「ホニャララは修復できませんでした」という大量の表示が残るが、考えても無駄なので気にしない。

ディスクの検証

ディスクの検証は別ボリュームで起動して行う。起動中のディスクでやるのは、運転中の車のエンジンを調べるようなもので、危険だし、時間もかかる。面倒でも別ボリュームで起動した方が圧倒的に早い。通常のMacなら「リカバリー領域」で起動できるはず。起動音が聞こえたらすぐに「command」と「R」を押して、押し続ける。システムが起動したら、ディスクユーティリティを起動。


4)セーフブート(セーフモードでの起動)


セーフブートとは、OS X 10.2 以降で利用できる特別な起動方法(ブート、とは起動という意味)。経験上、かなり万能というか必殺というか、多くのトラブルに効果アリ。ブートしてから特に何かをするわけではなく、セーフブート自体に修復効果がある。セーフブートした後の Mac OS X の状態をセーフモードと呼ぶ。セーフブートするには、起動音が聞こえたらすぐに shift キーを押す(起動音の前から押しちゃダメ)。グレーのアップルアイコンの表示に続き、回転するギアとプログレスバーが表示されたらshift を放す。セーフモードでの起動が始まる。起動には5 - 10 分かかる。その間、いずれのキーも押さないように注意。セーフブートは、起動ボリュームに存在するソフトウェアまたはディレクトリの問題を解決する上で有効に作用する可能性があります。セーフモードを終了するには、通常の方法でコンピュータを再起動する。


5)シングルユーザモードでの起動



これは通常は不要(セーフモードで十分)。シングルユーザモードで起動するには、起動音が鳴ったらすぐ、コマンド+ S キーを押す。黒地に白のテキストが表示されたら放す。シングルユーザモードはコンピュータの起動シーケンスの問題を解決するのに役立つ場合があります。ブートしてから特に何かをするわけではなく、シングルユーザモードでのブート自体に修復効果がある。標準モードに戻るには、「reboot」と入力して Return キーを押す。


6)Time Machine で過去に戻る


(どう書いたらいいか考え中)


101、102)PRAMクリアと AHT


PRAMクリアと AHT についてはよく知らないので、必要と思われる方はググってください。


103)別ユーザでログイン


新規ユーザを作り、そのユーザでログインしてみて、不具合が再現しないとしたら、不具合の原因がホームフォルダ内にあると特定できる。この場合たいていは、ホームフォルダ内の「ライブラリ」フォルダに原因がある。特定できたとしてそれでどうなる、と聞かれると困るんですが、少なくとも「これは初期化して再インストールすれば直る症状なんだ」と確信できるので、気持ちが明るくなります。

新規ユーザを作るには「システム環境設定」→「ユーザとグループ」を起動する。ただ、この名前は Mac OS X のバージョンによっていろいろなので困る。とにかく「ふたりの人の上半身が重なってるアイコン」のヤツだ。「ユーザとグループ」パネルを開いたら、左下の南京錠をクリックして、あなたが設定したシステム・パスワードを打ち込む。すると左ペイン左下の「+」ボタンが有効になるので押す。あなたが「sazae」さんだとして、例えば「test」という名前の新規ユーザを作る。作ったら「sazae」からログアウトして、「test」でログイン。こんな説明で何かが伝わればよいのですが。


998)OS を上書きインストール


かつて、OS のバージョンアップに際して「初期化して新規インストールするのが通。上書きインストールは不具合を引き継ぐことになるので感心しない」という言い伝えがあったが、それは Mac OS 9 までの話。近年の OS X は上書き前提に作られており、上書きの方が安全。例えば「OS のバージョンアップに伴って Mail.app のメールデータの保管形式が大きく変わった」という場合、上書きインストール中にデータのコンバートを行うので、上書きインストールでないとデータを引き継ぐことができなかったりする。

で、この上書きインストールは、トラブル対処としても有効なことがある。ごく気軽に簡単にできるので、ぜひ試すとよいです。ただ、旧世代のOS(例えば「El Capitanの時代に10.6」とか)を使い続けたいかどうか、インストーラを持ってるかどうか、起動可能なインストールメディアを持ってるかどうか、今現在のシステムが、アップデートによってインストーラのバージョンよりも微妙に新しくなってないか、などの順列組み合わせで、想像以上にいろんなケースがあるため、やり方を網羅的に説明するのは私の能力ではツラい。詳しく知りたい人はそれぞれの事情に最適の解をGoogle先生に聞いてみてください。


999)初期化して OS を新規インストール


データを日常的にバックアップしていれば、「初期化して新規インストール」は怖くない。逆に言うと、「初期化して新規インストール」を怖いと思わない程度に、日常的なバックアップを心がけるべき。
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# by nobiox | 2016-01-13 21:09 | ├Mac OS X | Trackback | Comments(0) |
Mac OS X の「3種のライブラリ」
Mac OS X には「ライブラリ」という名前のフォルダがみっつあって、慣れるまではややこしい。区別するために、ディスクの最上位階層にあるのを「ローカルライブラリ」、「システム」フォルダの中にあるのを「システムライブラリ」、「ホーム」フォルダ(家のアイコンのヤツ)にあるのを「ユーザライブラリ」と呼ぶ。

c0070938_18262828.jpg

c0070938_18265159.jpg

c0070938_1827638.jpg


パスで書くとこの↓みっつ。
/Library/
/System/Library/
/Users/anatanonamae/Library/
パスというのは「住所」のこと。パスの表記法はいろいろあり、この書き方は UNIX 方式。何故 Mac なのに UNIX なのかというとじつは Mac OS X は UNIX なのだー(間違ってたらごめん。「UNIX ベース」なのは間違いない)。UNIX 方式のパスが「/」で始まってた場合、この最初の「/」は「ディスクの最上位階層」を意味する。かっこよく言うと「ルート・ディレクトリ」。ちなみにURLなんかもパスの一種。

UNIX 方式ではホームフォルダを「~」で表せる。通称チルダ。あるいは「にょろ」。ユーザ名に関わらずホームを一意に指定できるので便利。これを採用すると上記パスはこう書ける。
/Library/
/System/Library/
~/Library/

さらにややこしいことに、Mac OS X のデフォルトでは、ユーザライブラリは非表示になっている。みっつのライブラリの中でいちばん用事があるところなのに。ややこしいというか、こういうことされると説明のための文字数が増えるんだよコノヤロウ。えー、ライブラリを常に表示させる方法は「osx ライブラリ 表示 ターミナル」でググってください。常に表示させなくとも、Finderの「移動」メニューから「フォルダに移動...」を選択し、「~/Library/」をコピペして「移動」を押せばアクセスできる。いったん表示させて、ライブラリフォルダのエイリアスを作り、本体はまた非表示にしとく、ということも可能。

当然、ユーザーが2人いる場合はユーザライブラリがふたつあることになるんだが、他のユーザのライブラリを見ることはできないので、その場合でも「同時に認識できるライブラリフォルダはみっつ」ということになります。
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# by nobiox | 2016-01-05 18:32 | ├Mac OS X | Trackback | Comments(0) |
宇多丸師匠への私信03:「文脈」と「原初」
師匠は「映画は歴史的文脈に乗っ取って解釈すべき」派です。例えば「ウォッチメン」は原作コミックを読まずに評価しちゃダメだし、「イングロリアスバスターズ」は「オレたちにとってのタランティーノの意味」を踏まえないと評価できないし、「呪怨」は「Jホラー表現の歴史」を踏まえないと評価できない、とおっしゃいます。

いいんですよ。師匠が「僕は『映画は歴史的文脈に乗っ取って解釈すべき』派です。だからこの映画にはこう思いました」と言われるのであれば、全然いいです。でも師匠はそうは言わないんですよね。

師匠は「映画は歴史的文脈に乗っ取って解釈すべき」という価値観を、あまりにも当然視しておられます。当然視してるから、原作コミックを読まずに「ウォッチメン」に評価を下すヤツは「ダメだ」と言うんですよ。だけどその価値観ってさー、少しも当然じゃないですよ。島本和彦氏の「新・吼えろペン」の第8巻、第31話「最後のふろしき」を読んでみてください。私は「子供(つまり、何の前提も何の文脈も共有してない子供です)が、ラーメン屋でふっと読む一冊のマンガ雑誌、その子がラーメンを待つ間、楽しませれば満足だ」という価値観に、ものすごく共感します。

私が拝聴した「イングロリアスバスターズ」の評では、「タランティーノは映画の原初的歓びを再発見させてくれる」みたいなことをおっしゃってたのですが、「文脈に乗っ取って解釈する」のが、「ラーメン屋でふっと読んだマンガで何の文脈も知らずに夢中になる」のよりも原初的なんですか。そんな見解、有り得ないと思うんですが。
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# by nobiox | 2015-12-23 02:24 | ├映画 | Trackback | Comments(0) |
Dropbox 再建策試案(いや私案か)
「この前、Evernoteは稼げなくて苦戦してるらしい、って話、したでしょ」
「うん」
「Dropboxも苦しいんだってさ」
「へー。Dropboxなくなったら困る」
「と、言いながら、お金払ってないでしょ」
「うん」
「Googleは広告で稼げるけど、
 EvernoteやDropboxは有料ユーザを獲得しないと稼げないの」
「うん」
「Dropboxってデフォルトで無料で2GBなんだけど、有料コースは何ギガからか知ってる?」
「……4GBとか?」
「ぐははは。ですよねー。それが正常な感覚ですよねー。
 しかし正解はですね、『毎月1200円で1TB』です」
「……1テラバイトって、何ギガバイトなんだっけ?」
「だいたい1000」
「は? 何それ。wwwwwwwwww。チョ、受ける。そんな要らなーい」
「ですよねー」

◆◆

「無料で2GB」と「毎月1200円で1TB」って選択肢は極端過ぎると思う。無料と有料の間こそがいちばん越えがたい壁なわけで、有料の最低課金が「毎月1200円」っておかしいだろ。「毎月100円で50GB」「200円で100GB」「500円で300GB」くらいのコースがあれば有料ユーザ増えると思うんだが。
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# by nobiox | 2015-12-22 02:54 | ├自分用メモ | Trackback | Comments(0) |
宇多丸師匠への私信02:「おトイレどうしてるの問題」
宇多丸師匠は「アバター」について、「せっかく異文化を描くのに、例えばおトイレどうしてるの、とかいうところをきちんと描いてないのが物足りない」みたいな発言をしておられます。いやいやいや、いくらなんでもそれは言いがかりじゃないですか。まるで、「異星生物を描いた『アバター』以外の映画」にはすべて、おトイレ描写があるかのような言い分です。師匠の大好きな「スター・ウォーズ」や「第9地区」にはおトイレ描写があったのでしょうか。

そもそも「一体全体こいつらはいつ大便と小便をしてるんだ問題」は、別に異星人ものに限らず、古今東西ほぼすべての映画が平然と無視してきたものです。まあ画面に映してないだけでカットとカットの間に済ませてるんだろう、という解釈が通常は成り立つものですが、そうはいかない例もあります。

例えば師匠が絶賛する「愛のむきだし」。後半の半ば、主人公が満島ひかりちゃんを拉致して浜辺の廃バスに監禁して三日三晩を過ごす、というシーン。ひかりちゃんはその間ずっと、後ろ手に縛られています。三晩が明けた朝、彼女がぼそっと何か言い、男は謝りながら縄を解きます。何度聞き返しても判然としないのですが、たぶん彼女は「トイレ」と言ったんだと思います。三日三晩ですよ。三泊四日の四日目ですよ。下痢してない限り、三日にわたってウンコを我慢することは不可能ではないでしょうが、オシッコは無理でしょう。三日間どうしてたんですか一体全体。

これが「ミッション:インポッシブルでトム・クルーズがレア・セドゥを監禁する」みたいなスタイリッシュムービーであれば、こんな野暮は言いませんよ。映画なんだから、美男美女はウンコもシッコもしない、という設定もアリです。だけど「愛のむきだし」は、赤裸々に露悪的に真実を暴き出そうという映画じゃないですか。それであれはないよなー、と思います。

◆◆

例えば師匠が絶賛する「風の谷のナウシカ」。ナウシカはトルメキア軍に拘束され、人質としてドルクへ向かい、そこをアスベルが急襲、風の谷の部隊は腐海の底に落下。それを救うナウシカ。トルメキア王女クシャナとの緊迫の問答。さらに、腐海の蟲に追われるアスベルを単独で救出。そこで2人は流砂に飲まれ、腐海の底のさらに底に落ちる。そこの水と砂が風の谷のものよりさらに清浄なことに気付いてナウシカは驚嘆する。息継ぐ間もない大冒険の一日です。ふたりはその清浄な砂の上で一晩眠ります。オシッコどうしたんですか一体全体。

ナウシカはおとぎ話なんだから、一種の「スタイリッシュムービー」であってもいいじゃないか、という見方もできるでしょう。だけどナウシカは「生態系のエコな循環」を主題とする映画でもあるのです。直接にせよ間接にせよ、そこは逃げないで欲しかった。例えば翌朝、2人で空を飛んでる場面で、

「オレ、悪いことしちゃったのかなあ」
「なあに? どうしたの?」
「きのう流砂に飲まれて落ちて、君が気絶してる間、オレはこの船を探しに行ってたんだけど」
「うん。わかってる。ありがとう」
「そのとき砂に穴掘って、ウンコしたんだ」
「・・・」
「あそこの砂がそんなに清浄で貴重なんだとしたらさあ、オレはそれを....」
「ふふっ。だいじょうぶ。有機物は大切よ。むしろ土壌を豊かにさせる」
「そっか。そうだよな。肥料だもんな」
「そう。私もオシッコしたよ。今朝アスベルが火を起こしてる間に、岩の陰で」
「・・・え・・・あ、・・・あーっ、うん、・・・そっか。うん」
「ふふっ。やだ。そんなに見ないで」

みたいな会話があったら、グッとよくなったんじゃないでしょうか。子供は食い付くし、大人から見ても筋が通ってるし、映画マニアから見れば「おトイレどうしてるの問題」にひとつの解を与える歴史的な名シーンだし、いいことだらけですよ。そしたらエンディングの最後の最後、「いろいろあった末に腐海の底でチコの実が芽吹く」という絵が持つ背景も、ひとつ深みを増すじゃないですか。

この辺りを突っ込んで考えていると、自分としては「腐海によって浄化された白い砂」という設定自体が、ちょっと残念なような気になって来ます。砂じゃダメなんじゃないか。だって砂漠に森は育たないじゃないですか。砂よりも、「かすかに湿り気を帯びたおがくず、みたいな腐葉土」の方がよかったんじゃないでしょうか。

「あそこの土がそんなに清浄で貴重なんだとしたらさあ、オレはそれを....」
「ふふっ。だいじょうぶ。一見さらさらに見えても、微生物をたくさん含んだ豊かな土よ。排泄物は害にはならない。むしろ土壌を豊かにさせる」
「そっか。そうだよな。肥料だもんな」

みたいに。

◆◆

今のところ、「おトイレどうしてるの問題」に誠実に向き合った映画は、「トレマーズ」しか知りません。男女3人が岩の上に退避したまま日が暮れ、仕方なくそこで寝ることになり、眠る前に暗闇でそろって小便をする。いや大便の人もいたかも知れませんが、いずれにせよ暗闇の引きのショットだから見えません。ただ "I hate to be crude, but I gotta take care of some business" "Me too" "Same here" という三者の台詞で表現されてます。訳すと「(すまんが)小便するわ」「俺も」「こっちもよ」です。数秒おいて「あーっ」と漏らす控えめな男の溜息。

ところが字幕は(まあDVDにもいろんなバージョンがあるのかも知れませんが、私がTSUTAYAで借りたヤツは)「用をたしたいのに」「俺もだ」「私も」となってるんですねー。「のに」ですよ。「のに」。これじゃあ、トイレに行けないことを嘆いて尿意を我慢する、としか解釈できません。ひどい。ああ、ほんとうにひどい誤訳だ。
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# by nobiox | 2015-11-01 13:52 | ├映画 | Trackback | Comments(0) |
福田里香のフード三原則
以下は「なぜ、宮崎アニメの食事シーンはあんなにもグッとくるのか?」における福田里香先生の発言要旨です。クシャナ王女のくだりだけは、里香先生言ってません。そこだけはnobioが勝手に付け加えました。この記事のためにナウシカ見返したらたまたま気付いたので。


福田里香のフード三原則
1 善人は、フードをおいしそうに食べる
2 正体不明者は、フードを食べない
3 悪人は、フードを祖末に扱う



◆◆

宮崎駿アニメにおける食描写は、単に「おいしそうな食べ物がいっぱい出てくる」という漠然としたものではない。ハヤオは、食べさせるべき人には必ず食べさせ、心が通じ合わない人とは決して一緒に食べないという、確固としたフード文法を持った希有な作家なのだ。

漫画家志望だったハヤオは、入った大学に慢研がなかったために児童文学研究会に入った。子供は性とか恋愛にまだ関心が薄いし、暴力描写は怖がるしで、彼らのハートをつかむにはとりあえず食べ物なのである。そこで彼は共通言語としての食べ物描写の重要性を学んだ。

「カリオストロの城」のミートボールスパゲティは有名だが、スパゲティ演出が素晴らしいのはむしろ「紅の豚」。ミラノの修理工場が修理を引き受けて、女たちが大テーブルを組む。で、何を修理するのかな、と思ったらまず、スパゲティを食べる。スパゲティと赤ワイン。まず食べてから、作業。まさに「食べないことにはエネルギーは出ない」「腹が減っては戦ができぬ」というエネルギーの等価交換理論。ナウシカに出てくるクシャナ王女にも「1時間後に攻撃を開始するから、兵に食事を摂らせろ」みたいな台詞がある。クシャナはナウシカにおいてイヤな奴、敵役なんだけど、ここは「そんなに悪いヤツじゃない」ことを示している。(ちなみに「カリオストロの城」の見所は全編通してのタバコ演出)

ハヤオは旅に出るための荷造りの描写にも、必ず食糧を含める。ポニョがブリキ船で大洪水に乗り出すシーンでも、ラピュタであわてて逃げ出すシーンでも食べ物を持つ。ルパンもリンゴ積んでる。持って出れなかった場合は街で買う。アシタカとかお米買ったりしてるし。ナウシカが人質としてペジテ行きの船に乗り込む場面では、子供たちが駆け寄ってチコの実を渡す。とにかく旅に出るなら食べ物。ナウシカを姫姉様と慕う子供たちの思いがチコの実に形を変え、それが腐海の底でナウシカとアスベルの命をつなぎ、そして。映画版のナウシカは最後、どういう絵で終わるか覚えてますか。森から子供たちへ、子供たちからナウシカへと渡ってきた愛情のバトンが、ずーーーっとつながって、最後に。こうなりました、という、オチなのよ。そういう、あれはそういうことですよ。ほんとうに美しい。ほんとうによくできている。

ラピュタの主題歌の歌詞書いてるけどそこでも「さあ でかけよう ひときれのパン ナイフ ランプ かばんにつめこんで」。あるいはナウシカのユパ様。勇者の描写といえば馬一頭で、ほぼ手ぶら状態で荒野を行くのが定番だけど、ユパ様はちゃんともう一頭連れて、そこに荷物乗せてる。ああ、あそこに水や食糧が入ってるんだろうな、と思うとほんと安心する。007とか、いつどうやってメシ食ってるんだよ、って、みなさん心配になりませんか。私はいつも「私には見せてないだけで、この人はちゃんとこんな大立ち回りする前に食べてるはずだから大丈夫」、と脳内補完してる。ハヤオは唯一の、「脳内補完なしで私が安心して見れる作家」である。

登場人物を善悪の2色で塗り分けるのは簡単だけど、その中間、グレーの部分を表現するのがハヤオはうまい。例えば「魔女の宅急便」で、ある少女(仮にAとする)が「ニシンとカボチャのパイ」を拒絶するシーン。おばあちゃんが心を込めて作り、電気オーブンが故障したからとわざわざ薪で焼き、雨の中キキが大変な思いをしながらだいじに運んできてくれたパイだ。それをAは「またおばあちゃんのこれか、私これキライ」と言ってドアをバタンと閉める。観客の心にネガティブな印象が刻み付けられる。イヤな女だ。しかし考えてみると、我々誰もが少女Aだったのではないか。私たちの誰もが、親戚の家で甘過ぎるオハギを「やだなー」と思ったり、おばあちゃんが「私の子供の頃の好物」ばかりを食べきれないくらい作るのにうんざりしたり、そういう経験をしてきたのではないか。少女Aは、そこだけ見ればヤな感じだけど、決して真っ黒ではない。グレー。一般的に難しいグレー表現を、あえてフードで表現してみせる、それがハヤオの真骨頂。

ナウシカは動物にちゃんとエサを与える。動物を手なづけ距離を縮めるには、なんといってもエサである。当たり前のことだが、その当たり前を描写する作家は希有。そういうのがない映画を見ると私はいつも「私には見せてないだけで、どこかでエサやってるんだろうなー」、と脳内補完してる。千と千尋のリンはクロスケにコンペイトウをあげる。カマジイは天丼と水を運んで来る。それが初めてじゃないということを見せるために、以前の食べカスがちゃんと描写されてる。「もののけ姫」の王子アシタカは、ヤックルにエサを手ずから食べさせ、その手で自分が食べる。ヤックルが先で自分が後。それが王たる器を表現している。

魔女の宅急便の、黒猫ジジ。ジジは途中まで言葉がしゃべれるという設定で、「お腹がすいた」と言う台詞も2度ある。ジジはテーブルの上で食事をとる。が、やがてキキはトンボに恋をし、ジジは白猫に惹かれ、別々の道を歩み始めると、ジジはしゃべれなくなり、以降は床で食事するようになる。パンケーキをテーブルに置いても、それをくわえて下ろす。当たり前のようだけど、この「以降は床で食事する。ネコだから」という描写をきちんとやるのがハヤオの確固たるフード文法。関係の変化とか、心理とか、キャラクターの厚みとかを、言葉では説明せず、フード周りでさりげなく表現し、しかもそれが絵になるサマになる。ハヤオはほんとにセンスがいい。

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# by nobiox | 2015-10-10 16:08 | ├映画 | Trackback | Comments(0) |
宇多丸師匠への私信01:品川さんを責めないで。

宇多丸師匠こんばんは。

Youtubeで「宇多丸が映画『サンブンノイチ』を語る」というのを拝聴しました。これがいつの放送なのかは知りませんが、アップされたのは2014年4月らしいです。映画監督としての品川ヒロシ、松本人志、ナベアツがダサい連中だ、という根幹に関して、私は宇多丸師匠に共感しております。その上で、思うところを申し述べます。

◆◆

品川氏(あるいは松本人志あるいはナベアツ)は要するに「上から目線でああだこうだ批評する通ぶった素人がウザい」わけです。それを、思うのはいいけど口に出すのはダサい、というのは大いに同感なんですが、とにかく品川氏のその感覚自体に矛盾はありません。

「批評家気取りのマニアうざい。素朴な客はオレを支持してる」、と。それは、ほとんどの飲食店主が食べログに対して抱く敵意、ほとんどの芸能人・ミュージシャン・作家・映画監督が2ちゃんねるに対して抱くうんざり感と同質のものでしょう。

「進撃の巨人監督・樋口真嗣が前田有一の映画酷評にブチギレ」という話題がつい先日ありましたが、あれなんかもまさに「批評家気取りのマニアうざい。素朴な客はオレを支持するはず」発言の典型です。品川ヒロシ、松本人志、ナベアツがダサい連中だとするならば、樋口真嗣もダサいと言わねばなりません。で、師匠は、「素朴な観客、なんてものはフィクションである」「今の客は目が肥えている」とおっしゃるのですが、果たしてそれは本心でしょうか。

◆◆

師匠は、龍三と七人の子分たちの回で「大衆」を「日頃芸人タレントとしてのたけしさんにテレビとかで親しんでいて、尚且つ、別に映画マニアとかじゃないからハードコアないわゆるたけし映画には耐性がない層」と定義し、「要は、いちばーん多い層」である、と述べておられます。いちばーん多い層は素朴な観客であり、今回北野武監督はその素朴な観客に正面から向き合い、素朴な観客をこそ喜ばせようとしているのだ、と。肯定的に。だったら、その文脈では、品川監督を肯定的に評価したっていいんじゃないでしょうか。品川監督は素朴な観客に正面から向き合い、喜ばせようとしているのだろう、というふうに。

また、アジョシの回ではこんなことをおっしゃってます。「従来、韓国映画の容赦ないバイオレンス描写が大好きなのは一部の好き者達(あるいは「猛者たち」あるいは「僕ら」)であって、一般の人に受けるのはやっぱりラブコメか悲恋ものであった」と。要は、映画の客には2種類いる、と言ってる訳です。大多数の一般人と、一部の尖ったマニアと。

品川氏がそう言ってるんじゃないですよ。師匠自身がそうおっしゃっています。そして品川氏は「一部の尖ったマニアうぜー」と言ってるわけです。そう思うのはいいにしても口に出すのはダサい、というのは大いに同感なんですが、とにかくその品川氏の感覚自体に矛盾はありません。「いちばーん多い層は別に映画マニアとかじゃないので、ハードコアないわゆるたけし映画には耐性がない」「一般の人はやっぱり容赦ないバイオレンス描写とか苦手で、ラブコメか悲恋ものが好き」と言いながら「素朴な観客なんてものはフィクションである」と主張する師匠の方が矛盾してると思うのですが。

◆◆

「近年バックトゥザフューチャーはマニアによって本格的に論じられることが多いんだけど品川さんご存知ない……?」とか、「クリスチャン・スレーターの話してんのにアレ観てないの?」とか、かなりこう、小馬鹿にした風に、じつにイヤーな感じにおっしゃってますが、品川氏に言わせれば「うるせー。ご存じねーよ、だからなんだよ。オレはマニアなんてクソだって言ってるだろうが」でしょう。

あんたが大好きなタランティーノこそ最強の映画マニアじゃん、というのはよい指摘だと思いますが、「タランティーノ映画が好き」と「上から目線でああだこうだ批評されるのが嫌い」は、なんら矛盾しません。「ライムスターの曲が好き」と「宇多丸の映画評論が嫌い」が少しも矛盾しないのと同じように。

また、僕はタランティーノという人の言動をよくは知らないのですが、彼は気に入った映画を持ち上げるのが趣味で、気に入らない映画にあれこれ言うことはそもそも少ないんじゃないでしょうか(よく知らないので間違ってたら認識を改めますが)。

◆◆

師匠は「品川氏こそが一番バックトゥザフューチャーをバカにしてんじゃないの」とおっしゃいますが、してません。どういう理屈でそうなるんですか。一般人に受ける映画の代表例として、かつ、マニアがバカにしそうな映画の代表例として挙げてるだけです。「近年のマニアはバックトゥザフューチャーをバカにしないんですけど品川さんご存知ない……?」なんてツッコミは、品川さん的には「ご存じねーよ。ああそうなんですかよかったですねえ、だからなんだよ、あ?」でしょう。

仮に私が、いちばん好きな食い物として、かつ、一般人に受ける食事の代表例として、かつ、食通がバカにしそうな食事の代表例として「吉野家の牛丼」を挙げたとして、じつは近年の食通がこぞって吉牛を本格的に論じてたとしたら、私こそが吉牛をバカにしてるということになるんですか。なりませんよ。だって、いちばん好きだって言ってるじゃないですか。この場合私がバカにしてるのは「吉牛を腐す食通気取りのアホども(という想像上の存在)」であり、「吉牛」そのものではありません。

仮に私が、いちばん好きなミュージシャンとして、かつ、一般人に受ける、かつ、音楽通がバカにしそうな音楽の代表例としてカーペンターズを挙げたとして、じつは小西康陽、坂本慎太郎ほか音楽通がこぞってカーペンターズを賛美してるとしたら、私こそがカーペンターズをバカにしてるということになるんですか。なりませんよ。だって、いちばん好きだって言ってるじゃないですか。この場合私は、「小西康陽や坂本慎太郎の見識を見直したぜ、わかってんじゃん」と言うでしょう。

◆◆

「次はお笑いを封印して本格アクションとかやったら『意外と』いいんじゃね? と思わせる程度にはやっぱいいです、そこは」みたいな提言をされてますが、善意でおっしゃってるんでしょうか悪意でおっしゃってるんでしょうか。どっちだとしてもほんっとに、やめてくださいよ。品川氏からしてみたら、次回作でお笑いを封印して本格アクション、なんて、もはや不可能でしょう。だって、そんなことしたら憎っくき宇多丸の軍門に下ったみたいになるじゃないですか。「品川監督は僕の提言を理解できたみたいですね」とか、TBSラジオで言われちゃうじゃないですか。彼は何が何でもそんなことしませんよ。ゼッタイに。何故なら宇多丸にそう言われたから。「なんでオレにそんな反発」と思うかも知れませんが、反発されて当然の人格攻撃を、してますよ。師匠は。品川氏に対して。「アジョシ研究したでしょ、こういうこと言われるとうれしいでしょ」とか。

言うまでもありませんが、番組中で読まないでくださいね。品川さんを怒らせたくないんで。


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# by nobiox | 2015-08-27 22:42 | ├映画 | Trackback | Comments(2) |
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